第92話 逃げるな。諦めるな。たとえ、どれだけ辛く苦しい道であったとしても
俺は目が覚めるとなぜかホテル部屋にいた。体を上げると首筋に痛みが走り、俺は先程の出来事がフラッシュバックした。
「お、切井起きたか?」
俺が首に手を当ててながら体を起こすと徳川がすぐ近くにいた。俺が寝ている間、徳川はベットの近くにある椅子に座っていたようだ。
俺は先程の騒動があったこともあり、少し徳川と顔を合わせづらかった。
「徳川か··········。さっきは悪かった。見苦しいところを見せたな」
「いいよ、別に。俺たちは友達だろ?見苦しいとかそんなんはどうでもいいんだよ。それよりトランプしようぜ!」
徳川は徳川なりに先程の出来事を思い出さないように動いてくれているようだ。それはとてもありがたいことであると同時に俺は徳川に申し訳なさを抱いてしまう。
日下部に対してあのとき、どうにもならないほどの怒りを覚えた。それが殴るというクソの行動として出てしまった。
(美愛さんの言う通りに喧嘩をしたわけ·······か。もう二度と元通りにならないほどに、な。日下部自身のことを俺は信用できない。それと同時に俺は今まで何をしてきたのか分からない。日下部の言う無駄な時間を過ごしてきたというわけか············。ほんとに、俺は何も変わっちゃいない。むしろ、劣化したのか)
徳川とトランプをしていても先程のことが忘れられない。もっとうまいやり方はあった。しかし、俺はどこかで間違えて、正解から遠のくものに手を伸ばしてしまった。その結果が日下部との関係の崩壊。
(俺は日下部の件に口を挟むこと自体が間違いだったんだ。現状維持が一番良かったんだ。日下部の過去の話を聞くに値しない俺は口出しして言い訳がなかった。···············俺は最初から日下部に信用されてなどいなかった)
思い上がっていたのだ。小田切の一件で俺は人を助けられるのだと勘違いしていた。俺にはそれができるほどの力があって、学力があって。だから、俺は小田切を救えたのだと。本当はそんな力がないのにも関わらず。
やり方なんかそんなものは最初の時点から間違いだった。何度も疑問に思うことはあった。しかし、俺はそんなことに目を向けずに今まで過ごしてきてしまった。それ故に今回の騒動が起こったのだ。
すべて俺が悪い。
「切井」
「··········何だ、徳川」
徳川は考え込んている俺を不審に思ったのだろうか、それとも、先程の騒動を垣間見て、俺とこうして話すことにすら迷いや戸惑いがあるのだろうか。
「切井には今、大きな問題を抱えててそれで悩んでるんだろ?」
「··········」
しかし、徳川は単刀直入にそう切り出した。徳川も先程の騒動を見たのだから、俺とそして日下部の間には切っても切れない何かがある、ということを知ったはずだ。それが俺たちを混乱させ、今の状況を生み出しているのだとそう判断したのだ。それは、正しいものであり、間違いでもある。それを徳川はおそらく知らないだろう。
「悩みを解決する方法が分からなくて·······混乱してるんだろ?」
「··········なんでそう思うんだ?」
そんなこと、分かりきっている。だけど、俺は徳川に俺たちのことへと踏み込んでほしくないと思っていた。それ故のこの問い。
「見てれば分かるよ、なんとなく」
なんとなく、か。それは、抽象的なものでしかない。なんとなくが俺は一番信用ならないものだと思ってる。だってそうだろ。なんとなく思ったことを言ってそれで俺は何度人を傷つけてきた?
「切井と日下部さんがあんなふうに揉めてるのを見るのは初めてのことだった。何かがあって喧嘩が起こったんだろうけど俺にはそれが分からない。だから、深くは言えねぇけど。切井、お前は今逃げようとしてるだろ?」
「···········お前に何が分かる?」
逃げる。それは、悪いものとして捉えがちだが、ほんとにそうか?ときに逃げることも必要ではないのか?それに今回のことは逃げることに繋がらないはずだ。俺が日下部の過去に首を突っ込まない。これが最善だと俺は確信しているのだから。
「時間は有限だって言葉があるだろ?その言葉はさ、俺にとってかなり重要なことでな、逃げたということのツケはいつか帰ってくんだよ。んでそのツケは後悔、なんだよ」
「··········」
実感のこもったその言葉は俺の頭の中にスルスルと入ってきた。
「俺は水泳やってて辛いことが多くあった。逃げたことだって何度もある。けど、そのたんびに俺は後悔してきた。なんで逃げてんだって。だから、切井にはそんな思いをしてほしくないし、日下部さんとこれからも仲良くいてほしい」
「それはお前の願望だろ?お前が何かを望んだとしてももう取り返しはつかねぇんだよ。見てれば分かるだろ」
逃げない。そう口にすることは簡単だ。だが、それを実際に実行できたやつはどれだけいる?ごく少数のやつらだけだ。そんなことができたのは。口だけの人間なんて云万といるのだし。
だけど、徳川はそんなことを認めやしない。
「逃げんなよ、切井。お前が逃げたらそれでほんとに終わるんだよ。日下部さんと二度と顔合わせできなくなるぞ?それでもいいのかよ!」
「··········なら、どうすれば良いんだよ。あいつは俺のことを信用してねぇんだぞ」
そんなことは俺だって知ってる。今が危機的状況で、今動かなければ取り返しがつかなくなることくらい。けど、俺に何が出来るって話だ。今まで何もしてこなかった俺に。
「そんなことねぇよ。日下部さんは切井のことを信用してる。だから、信用してやれよ、日下部さんのことを。何があったのか知らねぇけど、俺の出来る限りで背中を押すからさ」
「···········」
「困ったときはお互い様だろ?俺も困ったとき、切井に助けてもらったからさ、その恩を返さねぇと行けねぇし」
「··········お前には迷惑かけまくるかもしれねぇぞ」
情けない。俺はそう思う。一人でできると思いこんでいたが故にそれはより大きな恥ずかしさとして俺を襲ってくる。
「好きなだけかけろよ。迷惑かけあって、お互い成長できるなら、それが一番じゃねぇか。切井、だから諦めるなよ。どれだけ辛いことであっても逃げるな。逃げずに立ち向かえば必ずいいことあるからさ」
「何を根拠に言ってんだ?」
俺は少し苦笑いしながら徳川にそう聞いた。でも、徳川の言い分も理解できる。苦しいことを、悲しいことを、辛いことを。これらをすべて乗り越えて今を生きれているのならそれは大きな成長になる。逃げたらそれらは無に帰るだけだ。
俺は疑問だった。その言葉は一体、どんな経験をして得たものなのか。
徳川は、すぐに答えを言った。
「静香と出会えたことからだよ。水泳がんばってて報われたと思ったのもそのときだ」
「惚気かよ·········」
ほんとに徳川は最後にキメられない男だ。残念すぎる。けど、徳川が言ってたことは理解できる。
俺は諦めずに日下部と向き合う。まだ出来ていないことだ。手を振り払われても手を伸ばすことを止めず、日下部が話してくれるまで待ち続ける。そうして俺は、俺と日下部は。
前に進めるようになるんだ。
『逃げるな。諦めるな。たとえ、どれだけ辛く苦しい道であったとしても』
俺はその言葉を頭の片隅に置き、前へと歩き出した。
逃げても状況が悪くなるだけなのだから。それは俺も日下部も望んでいないことであるわけだし、俺は日下部と再会することを心待ちにしていた。
その再会をこんな形で終わらせるわけには行かねぇ。
俺自身が後悔を残さないために。




