第91話 本当はこんなことがしたかったわけじゃない
今後の話の展開は少し重たい雰囲気になるかもしれません。
苦手な方は注意をお願いします。
僕は切井が日下部さんを殴ろうとしているのを見て、僕は驚くと同時に何が起きているのか分からなくて戸惑った。でも、事態は最悪へと進んでいることは瞬時に分かり、僕はとにかく切井を抑えなくてはならないと考えた。日下部さんが殴られてしまう前になんとか切井を抑えられたが、しかし、依然として切井は冷静ではなかった。
(切井も遂に日下部さんの正体に気づいたのか······。でも、それがこの事態に繋がるか?一体、何があったんだ!)
切井を津田さんが気絶させられることで辺りは静寂に満ちた。それは、今の状況には不適だった。日下部さんはうつむいたままで鳥橋さんと家康に関しては何が起きたのかまるで理解していないようだった。津田さんは薄々日下部さんのことに気づいていたのだろう。なんとなく、状況を読んでいるように僕からは見えた。
「家康、切井を部屋まで運んでもらえるか?」
「え、いやでも、この空気でそれは······」
家康は事態の内容は理解していないものの、空気がかなりマズいものであると判断していた。それは、確かに正しいもので切井を思ってのことだろう。けど、
「切井をまずは落ち着かせたいんだ。出来る限り静かな場所で」
今のこの混乱した空気で家康のように切井と日下部さんの間にある大きなものを知らないで失言をされたとあっては正直、マズイ。僕にとっては今のこの空気そのものも悪いが、今より悪くなることは避けたい。
家康は僕の思いを瞬時に理解したが、納得は出来ていない様子だった。しかし、
「············分かった。静香行くぞ」
家康は鳥橋さんにもそう声をかけた。鳥橋さんは終始、この空気に対して呆然としていた。それも分かることだ。昼間にあれだけ仲良く話していた二人が大いに揉め、大きな溝を生み出しているからだ。
「その、徳川くん。ほんとにいいのですか?」
鳥橋さんはそう言って家康に聞いた。ぼくと切井そして家康は、部屋も同じで仲もいい。だからこそ、ここで友人を置いて部屋に戻って良いのか迷いがあるのだろう。
でもそれは、家康にだってある。このまま、僕を置いて部屋に戻って良いのか。でも、
「俺たちは切井たちのことを何も知らない。だから、変に口出しして和を乱すようなことはダメだろ?今回は、順たちに任せよう。俺たちの出番じゃない」
余計な口出しは今はダメだと家康は知っている。だから、今は部屋に戻って、明日を迎えることが最善なのだ。それには大きな禍根を残してしまうのではないのかという迷いや不安がある。けど、僕と家康はそんな抽象的なものに惑わされるようなヤワな仲ではない。僕はそう思っている。
「···········分かりました」
鳥橋さんは渋々と言った様子でホテルへと戻っていった。
二人がホテルに戻ってから僕は日下部さんに問いただした。
「日下部さん」
最初はただ名前を呼ぶだけ。いきなり質問攻めにしたところで日下部さんはきっと答えてくれないだろうから。日下部さんは顔を上げ僕を見てくれた。
「切井は部屋に戻ったよ。だから、切井に聞かれることはない」
「············」
「僕はただただ疑問なんだ。何が起きればさっきみたいになるのか。日下部さん自身はこんな事態が起こることは想定していなかったはずだ」
切井は日下部さんのことを大切な存在として意識していたはずだ。それは、僕がバカなことをしようとしていたときに切井本人が言ってくれたこと。
「············」
「何があったんだ?切井があんなになるのは僕は初めて見た。ほんとに何があったんだ?教えてくれよ」
切井が日下部さんのことを殴ろうとするなんてそんなことはありえないことだ。ありえないと思いたい。けど、事実としてそれは起こってしまった。でも、切井がすぐに手を出すようなヤツじゃないことを僕は知っている。だから、日下部さんに聞きたい。どうして切井があんなにも怒り狂ったのか。
「············」
「なんで黙っているんだ?切井に話してたときもそうだったのか?」
「···········」
「切井は君のことに気づいた。君が切井に話す前に、だ。僕は言ったはずだ。切井の気持ちを、考えを尊重してほしいって。なんでこうなるんだよ。君はこんなことを望んでなかったはずだ!」
日下部さんにどれだけ話しても答えてくれない。それは、なぜなのか僕には分からない。切井に対してもそうであったのなら切井が腹を立てるのも分かる。でも、日下部さんと切井はいつも仲良く話していたではないか。共に生活をしているじゃないか。どうしてこうなるんだよ!!!!
「答えてくれよ!君はどうしたかったんだ?切井と再会するのを楽しみにしてたんじゃないのか?どうなんだよ」
「············私は、当麻くんに話すつもりだった。けど···········。〜〜〜〜〜〜ッッ出来なかった」
日下部さんはそう言って泣き出してしまった。その涙は自分への不甲斐なさと、苦しみと、後悔と。色々なものが混ざりあったものだった。僕もそうだけど、切井も日下部さんにこんなふうな涙を流させるようなマネをするつもりはなかった。
日下部さんはきっと大きな問題を抱えていて、それを切井に伝えるべきか迷いがあったのだと思う。それが何なのかは僕には分からないけど、日下部さんなら切井に伝えられると僕はそう思った。けど、それは叶わなかった。大きな誤算は日下部さんにもあるだろう。僕にもある。
僕が日下部さんに何も言わなければ今の状況は変わらないと思って僕は日下部さんに言って聞かせた。それがこの状況か?
ことが上手く進むことはない。僕の経験から言えることだ。どれだけ上手く進むよう励んでも必ずどこかでミスる。僕は、それで大切な存在をなくした。そんな経験をしているからこそ、切井と日下部さんたちにそんな思いをしてほしくない。あれだけ仲が良かったんだ。僕が彼氏彼女の関係を疑うくらいには。
「泣いてたって話は進まない。切井に日下部さんから話してください。でないと、もう取り返しがつかないんだ。もう、取り返しのつかないところまで来てるんだ。だから!」
「小田切くん!」
津田さんが僕に向けて言ってきた。僕は、ハッとなり津田さんを見た。
「もう外は暗いし、寒いよね。だから、部屋に戻ろう」
「でも、それじゃあ」
「小田切くんがどれだけ焦ったところで結局は当麻くんたちが今回のことを解決していくんだよ?私達は二人のサポートをしてあげることしかできない。でも、当麻くんたちが冷静じゃなくて私達も冷静じゃなかったら、事態は取集がつかなくなるよ」
「············」
「だから、今日はここまで。一旦、冷静になって明日からやり直そうよ」
「··········そうだね」
「取り敢えず、明日は男女で別行動にしよう」
「·······それはいいかもしれないね」
切井と日下部さんは今日、大きな諍いを起こしてしまった。その事実は一日過ぎたからと言って消せるわけがない。冷静に彼らが考えられるようになるためにも一旦、二人は距離を取ったほうがいいかもしれない。
彼らは距離が近すぎた。いつも隣にいるからと思い合って、気遣いがいらないと誤解していた可能性もあるし。
僕と津田さん、日下部さんは、ホテルに戻った。日下部さんはやはりうつむいていた。
◇
本当はこんなことがしたかったわけじゃない。当麻くんに言うつもりだった。けど、当麻くんに拒絶されてしまったらと考えてしまって頭が真っ白になった。肝心なところで私は日和る。当麻くんなら絶対に受け入れてくれると信じていてもいざ、話そうとすればそんなことが頭から抜け落ちている。
私はこんなことがしたかったわけじゃない。
私は当麻くんに言うつもりだった。
『私が当麻くんのことを好きだって』
でも、その思いはもう届かない。
私はあのときからずっと疫病神なのだ。
当麻くんもきっとそう思ってる。だってそうでしょ。当麻くんは私のことを信用していないのだから。




