第90話 俺はいつでも喧嘩する7
辺りは段々と暗くなってきた。風も冷たく、俺は部屋に戻りたいという気持ちもあったが、木村の今の様子を見てそれはできそうにないとなんとなく思った。
木村は、俺の袖を握りしめ、顔をうつむかせている。表情は見えないが、おそらく申し訳なさが木村の中にあるのではないだろうか。
木村は、いや日下部はこれまで自分のことを話すようなことはしなかった。日下部の過去の話を聞いたのは美愛さんと出会ったとき。それまで聞くようなことをしてこなかったということもあるが、美愛さんの話を聞く限りだと気軽に聞ける内容でないことは分かった。それがどれだけ辛く、苦しいものなのかは日下部にしか分かり得ないものであるわけだし。
俺はその過去の話の一部は知っている。だが、全体像は分からない。
小田切のときのようにズカズカと首を突っ込むことはできないのだ。そんなことをすれば今までの関係は完全に破綻する。修復不可能なほどに。だから、日下部自身から話をしないのであれば、俺は関与しないつもりだ。日下部から助けを求められたのなら、俺は必ず日下部に手を差し出す。俺の出来得る力を使って俺は日下部の救済に励むつもりだ。
でも、
「木村、無理するなよ。話したくないなら、話す必要はない。お前が話してくれるまで俺は待つつもりだから。だから·········」
「············当麻くんには話さない、よ」
木村の返答は俺の予想を裏切った。
「········どういうことだ?」
「当麻くんには私の件に関わってほしくない。迷惑かけちゃうし」
「迷惑だなんて思ったことは一度たりともない!むしろ、俺からお前に迷惑かけたことのほうが多いはずだ。だから、迷惑かける云々はお前が気にする必要はねぇよ」
木村に迷惑をかけたことは数知れない。初めは小学四年のとき、木村が初めて声をかけてくれたときだ。あのとき、俺は泣き出してしまった。その次は、俺が全国模試で小田切に破れたときだ。あのときは泣き出すよりもひどいものだった。俺の中でトップに近い黒歴史だ。それだけでなく、長野旅行でもそうだし、思い出せば俺の中に思い当たる節がいくつもある。
木村が迷惑をかけたなんてことは俺の中にはない。だから、俺が迷惑をかけた分、木村は俺に迷惑をかける権利はあるはずだ。こんなハチャメチャな理論はないとは思うが。
「当麻くんには迷惑かけちゃってるよ·······」
「はっ?いつの話だよ?」
俺は記憶を辿っていくが、思い当たる節がやはりない。
「長野旅行」
「···········ッッ!!」
「思い出したよね?あの旅行で当麻くんは銃で撃たれたんだよ?それも私が原因で」
「···········」
「当麻くんは私に迷惑をかけてるって思っているかも知れないけどね、私のほうが迷惑かけてるんだよ?だから、当麻くんには話せない」
「···········俺がそんなに頼りないか?」
こんなことを聞くつもりはなかった。話したくないと、そう言っているのだからこれ以上俺が首を突っ込んで言い訳がない。なのに俺は、諦め悪く日下部に聞いたのだ。こんなことを聞かれて日下部自身が困惑することを知っておきながら。
「そ、そんなつもりじゃ·········」
「お前の助けにはなれないかもしれない。けど、俺もそれなりに今まで勉強してきた。お前の力になるために」
俺は苛立ったようにそう言った。
日下部の助けになれる云々関係なしに俺は日下部のことを“大切な存在”だと思っていた。
だから、俺は日下部の過去が知りたい。
そう言えばよかった。けど、今の俺には無理なことだ。
「そんなこと、私は望んでないよ。私はただ当麻くんに」
「ふざけるな」
俺の口からボロっとこぼれ落ちた。
当の日下部は俺がそんなことを言うとは思っていなかったのだろう。『えっ』と驚いたような声が日下部の口から漏れて出た。
「さっきからそればっかりでお前は何がしたいんだ。望んでない?なら、木村。お前は何を望んでたんだ?木村の中では俺は大層な人間として思われてるかも知れないけどな、俺はこの程度の人間でしかない。俺はお前が思ってるほど頭は良くねぇんだ」
「············」
「話してくれないならそれはそれで構わない。今まで通りの生活をして大学へと進んでいけばいい。お前がそれを望んでるなら俺はこれまで通り勉強してく」
「私のために?」
「···········そうだ。俺はお前の力になるためにがんばって
「そうやってなんでも私のためとか言わないでよ!!!!!」
それは日下部にとっての心の叫びだった。俺は何かをする際、必ず理由付けをして失敗したら努力が足りなかっただけだと反省すらせず、一日を送ってきた。そして理由付けとして多く使っていたのが日下部のため。日下部の力となるため。そういえば俺は力になれる存在に近づくと無意識に判断して俺は勝手に悦にひたっていた。それは何の意味もない無意味なものであることを知っておきながら。俺はそれから目を背けていたのだ。
「私は当麻くんにそんなことをしてほしいと思ったことはない!それに当麻くんのしてることは自己満足でしょ?」
俺は日下部にそう言われて俺の中にある何かが弾け飛んだ。それは、理性だったのだろうか。怒りが溜まりに溜まって爆発したのだろうか。どちらにせよ俺はこの瞬間をもって大きな過ちを犯したのだ。
「ふざけんじゃねぇ!!!!!!」
俺はダンと地面を踏みしめて、
「俺は今までお前のために勉強だってしてきた。それにだって大きな犠牲があって、俺だって苦しんできた!それを自己満足?ふざけんな!誰のために時間を費やしてきたと思ってんだ!俺は、お前のために時間を使ってんだぞ!それを自己満足だなんて言われる筋合いはねぇ!!!」
辺りの風が強くなり、冷え込みが強くなってきた。しかし、俺の怒りを鎮めるにはまだ弱い。
「·········お前は俺が勉強してるところを見たことがあるだろ?勉強だって一緒にやってたことだってあったし」
俺は落ち着けと自分に言い聞かせながら日下部にそう聞いた。日下部はコクンと首を縦に振るだけで何も言わない。
「それを見てもお前は俺が自己満足のために勉強してるって思ってたのか?」
「··········」
「それとも―――――――――――――――」
「俺が勉強しているのを見て、あざ笑ってたのか?」
こんなことを聞くべきではなかった。そんなことは俺だって知ってる。けど、俺にはもう。
「そ、そんなつもりは············!」
「だったら、どういうつもりだったんだ?」
「そ、それは·········勉強以外にもやってほしいことが多くあって········」
「勉強以外ってお前はそういうけど、具体的には?」
「············」
「言えないのか?············なら、お前が言う勉強以外のことを切り捨ててきた俺はなんなんだ?今までやってきたことは無駄だって、そう言いたいのか?」
「そ、そんなつもりは」
「やっぱり俺がバカだとそう、思ってんだろ?」
「違う!私はそんなこと、一度も思ったことない!当麻くんはいつも正しくて、自分の意志を持ってる!だから、他のことにも目を向けてほしいって·······私は思ってた」
「なら、なんで言ってくれなかったんだ?」
「···········」
俺がやってることが間違っているのだと気づいていたのなら、教えてほしかった。手遅れになる前に。勉強一本でこれまで過ごしてきた日々が間違いなのだとするなら、俺は無駄な時間を過ごしてきたことになるから。俺は無駄な時間が一番嫌いだ。だから、俺が有限である時間を無駄にしているのなら、俺は日下部自身にそのことを伝えてもらいたかった。
それは、確かに自分勝手な言い分で自己中と言わざるを得ないことだ。それは俺も知ってる。けど、俺はバカで、クズで、最低な人間だ。だから、そんな当たり前と言えることすら俺は気付けない。それは、日下部だって知ってるはずだ。だから、俺が間違えていると気づいたなら、教えてもらいたかった。
しかし、俺の問いに対して日下部は黙ったままだった。うつむいたまま日下部は何も言わず、俺は日下部に拒絶されたのだと錯覚した。俺が愚かなことを日下部に聞いたことで日下部は俺を見放したのだ。コイツはもう手遅れだ、と。言外にそう告げているように俺は感じた。
「もういい。俺は部屋に戻る。木村も部屋に早く戻れよ」
俺はそう言ってホテルへと歩いた。しかし、
「待って!」
日下部が俺の手を掴んだ。その手は汗ばんでいて、ひどく緊張しているのが分かった。
「まだ話は終わってない。だから、まだホテルには戻らないで」
「待ってたってお前は話してくれないんだろ?だったら、待ってる間は時間の無駄だろ?」
「··········待ってくれるって言ってたじゃん」
「なら、お前は話してくれるのかよ!」
「そ、それは···········」
「だったら、引き止めるなよ。お前は思わせぶりなことをしておきながら結局、話さないじゃないか。お前は俺をからかってるのか?」
「そんなつもりはないよ!私はただ········」
しかし、日下部は肝心なところで吃りだした。やはり日下部は俺をからかっているのだ。そうやって俺をバカにしていたのか。
もう、俺はその手口には乗らねぇ。それに日下部にとって俺は大した存在ではなかったのだ。だから、日下部は俺をバカにしていたのだ。俺は気付けなかった自分に対してと日下部に隠れてバカにされていたことに腹が立った。そして、
「お前はそうやって俺をあざ笑ってたのかよ!」
「ち、違う。そんなことしてないよ、当麻くん!」
「んなこと、信じられるかよ!」
「信じ、て・・・・・・・」
「今のお前を信用するなんて無理だ。俺は部屋に戻る。日下部も、いや、“木村”も早く戻れよ」
俺は日下部に対する信用をなくしたと同時に自分への自信もなくした。結局、俺は何も昔と変わっていないのだ。どれだけ努力したところで俺は何も成長しない。日下部の言う時間の無駄というわけだ。
「待っ······て」
それでも日下部は引き留めようとしてきた。
「ふざけるな!」
俺は絶対にやらないはずのことに手を出した。それは、日下部に殴りかかること。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!」
日下部は涙目で俺を見ていた。しかし、今の俺にはとどまることができそうにない。
「切井!!!!!」
日下部に当たる前に俺は小田切に羽交い締めされた。
「お、小田切!なんでお前がここに······」
「部屋に戻ってから君の様子が変だったから気になってたんだよ。それはそうと、切井!お前なにしようしてた!日下部さんを殴るまねをなんで君がしてるんだ?何があったんだ!説明しろ!」
「ッ!どけ、小田切!俺は」
どうにか小田切の羽交い締めをかいくぐろうと試みるが効をなさない。
「家康!切井を抑えてくれ!」
「切井!それと順、何があったんだよ!」
「切井くん!」「当麻くん!」
徳川だけでなく鳥橋、津田までき始めた。事は大きくなってしまった。
俺は小田切と徳川に抑えられる形であったが、
「当麻くん、ごめん」
そう津田に言われるのを堺に俺は意識を手放した。後になってから知ることだが、津田に俺は首チョンをされたらしい。手で首を強めに横から当てると気絶させられるあれだ。アニメなんかではよく使われているらしい。実際にできるかどうかは置いといて。
事態は俺が気絶さられたことである程度沈静化した。しかし、俺と日下部との間に大きな溝ができたことは言うまでもない。
喧嘩。そんな簡単な一言で済ませられるかは不明だが、俺と日下部は二度目となる喧嘩をしたのだった。




