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弱者の報復は逃げること、そして逃げ切ること。

話は再びリョウとサラサに戻ります。

謎多き第四権力『砂漠院』の介入。

女性新キャラの登場。

『ロココ』の南方寺院『アルデラ』、今は『シディア』軍に破壊され跡形もなく砂中に埋もれ行く、その街から陸上船で四日の距離に腐敗都市『ルルカ』は存在する。

 比較的、都市国家の集中する砂海西岸の都市国家群において『ルルカ』は、治安都市『フロレラ』、工業都市『ラスカ』に並ぶ砂海の三大都市の一つだ。

 凡そ半世紀程前、街の地下の岩盤の下から湧き出した豊富な地下水脈が、この街の運命を変えた。

 豊富な地下水の供給が、人口の流入を促進し、元から小規模な機械工房都市であり、交通の要衝であったことも手伝って、この三〇年余りで自由貿易都市として急成長した。まだ若い街だ。

 現在では『ロココ』『オレグ』は言うに及ばず、『砂漠院』は勿論、四大貿易商財閥、三大金融財閥、砂海の農業協同企業集団に至るまで、砂海の名だたる組織は、この地に拠点を構える。

 自由貿易で潤うこの街には多種多様な人種、職業の人間、商品が往来し、一度街に入ってしまえば、その出元が正規であるとか、闇であるとか、一々詮索する者などいない。

 急激な経済の発展が、時として治安の悪化を引き起こすように『ルルカ』も砂海一の暗黒街という二面性を持つのだ。故に腐敗都市。その名は決して伊達ではない。

 これでも過去の治安悪化の最悪期は脱したのだと聞くと、人は皆一応に驚く。

 人は言う。『ルルカ』には人類の悪の歴史の縮図がある。と…。

 街には同じ時空に、善悪を問わず全ての種類の人間が互いに牽制し合って共存する。

 むしろ、その無秩序が、そこに異常な魅力と活力を内包した街と住人達を誕生させたのだ。


          ☆


 サラサが西方陸上戦艦『バルナラント』からの脱走に成功して、三度目の夜が明ける頃、彼とリョウの二人は、この悪名高き砂漠の腐敗都市『ルルカ』に辿り着いていた。

 サラサが、リョウと出会った辺りから『ルルカ』まで、直線距離で約五百リグ

(一リグ≒一・〇〇五㎞として換算)

 何事も無ければ小型高速艇で一日で踏破出来る距離だが、砂漠の環境と、砂海都市国家群の情勢は逃亡生活を続けるサラサには思っていた程、甘いモノではなかった。

 砂海の昼は灼熱地獄、深夜は極寒地獄、至る所に徘徊する危険生物、そのリスクを回避しつつ、『ルルカ』の関門を潜るのも、そのまま顔パスという訳にはいかない。

 途中、その手の、漂流する廃船を利用した怪しい施設に立ち寄り。

 書類上はリョウの妹という事で、入国許可証と身分証を偽造してもらった。

 多少値は張ったが、代金はリョウが立て替えてくれた。

 さらに、頭巾と遮光眼鏡とマントを羽織って入国者に有りがちな砂漠の民に変装し、装備と、心の準備を万端に整えてことに挑んだ。お陰で入国審査は比較的楽に通過出来た。

 ここに至るまでの行程で『オレグ』による襲撃も妨害も受ける事無く。終わって見ると、彼等は多少緊張・警戒はしながらも、拍子抜けするほど順調に街に入る事に成功していた。

 とは言え『リョウと出会っていなかったなら、もっと早い段階で話は摘んでいたなァ』と思うと、無策無謀な、過去の自分の姿に背筋が寒くなる様な思いがする。

 砂漠では、みな直射日光から身を守る為に身体中を布で覆っているのが普通だ。顔を隠した同じ様な風体の人間が往来する街の中で、サラサ一人を判別する事など、逆に至難の技に等しい。

 早朝から順番待ちをしている、商隊らしい団体の間に紛れて、朝の開門と同時に街の通用門を通過して、そのまま繁華街に続く主要道路の機動車両の雑踏に紛れてしまえば、リョウの言う通り、コソコソしているより、むしろ堂々としている方が目立たない。

 砂海の都市群に於いて、比較的巨大な人口と経済力を要する『ルルカ』の街には、同様の理由で、比較的大きな『ロココ』教団の拠点寺院が存在する。

『聖地』のそれと比べれば小規模とは言え専属の守備要員も駐屯している筈だ。

 そこに保護を求めて、受け入れてもらえれば、先ずは一安心の筈だ。

 リョウとの旅も、そこで、最短で終了するだろうとサラサは楽観的に考えていた。

 その時までは…。

 しかし、後一区画曲がれば『ロココ』の寺院が視界に入ろうかというところで、リョウは突然、制動を掛けて小型高速艇を停止させていた。

「ブッ!」

 突然の制止にリョウの背中に鼻をブツけてしまった。

「どっ、どうしたの?」

 イテテッ、鼻をさすりながらリョウを見上げる。

 彼の表情には、ただ事ならぬ険しい色が浮かんでいた。

「様子がおかしい・・・」

「ヘッ・・・?」

「見てみろ・・・」

 言われてサラサは後部座席から身体を傾けて、街角越しに寺院の辺りを窺う。

 通りの突き当りが『ルルカ』の『ロココ』寺院だ。

 確かに門前には異様な人だかりが出来て騒然としており、尋常ではない。

 傍には、怠慢・愚鈍・無能が三拍子揃っている事で、全砂海的に有名な『ロココ』の治安警察隊の機動車両すら見て取れる。

「オイ! 少し良いか? 話が聴きたい!」

 小型高速艇の座席に座ったままで、リョウは手頃な通行人の首根っこを掴まえて事情を聴き出す。

 適当に捕まった通行人は、最初、驚いて、次に憤ったが、リョウが強面で一〇〇シリング紙幣をチラつかせて一瞥を返すと、途端に黙って友好的になった。両者の間で簡潔なやり取りがあった後、リョウは引き留めた通行人に紙幣を差し出し、短く礼を言って開放する(一シリング約一〇〇円換算)。

 得れた情報は、芳しいモノではなかった。

 むしろ、最悪なモノだった。

 傍らで聞く、サラサの表情が、見る見る内に曇って行くのが判った。

「先手を取られた。・・・ここは早く離れた方が良さそうだ」

 呟くように言うと、リョウは手早く寺院から離れる方向に操舵桿をきって、小型高速艇を走らせたのだった。サラサは同意せざるを得なかった。


          ☆


 昨日の夜から今朝にかけて『ロココ』寺院に賊徒が侵入した。

 僧管長以下『ルルカ』在中の『ロココ』関係者三十余名が惨殺された。

 生存者はいないらしい。それが、先程もたらされた情報の内容だった。

『ルルカ』程、大きな街の寺院となれば常駐している信徒も非戦闘員ばかりではない筈なのに、『オレグ』の強襲には、まったく歯が立たなかった事になる。

 リョウは黙ってサラサの反応を窺っていた。

 リョウが心配した程、サラサが取り乱す事はなかった。

 しかし、リョウの背中に顔を埋めると、彼は声を殺して泣き始めた。

「『オレグ』の、・・・仕業なの?」

 呟くように問う。

「多分な、奴等も俺達が手近な『ロココ』寺院に保護を求めると予想したのだろう。後は、奴等なりの俺達に対する警告。イヤ、宣戦布告のつもりかな・・・、嫌がらせとも言う」

「だからって何も・・・」

 慰めてやりたいが言葉が出ない。それが得策とも思えない。

「悔しい気持ちは判るが今は堪えることが肝要だ。仲間の死を悼むなら、仇は逃げ切ることで果たせ。それに、言い方は悪いかも知れんが、むしろ幸運だっだんだよ。よしんば『オレグ』に先んじて寺院の保護を受けられていたとしても、襲撃を受けていれば、今頃、お前は敵に捕まって連れ戻されている」

「ウン、判っているよ」

 サラサは止めどなく流れ出して来る涙を堪えて、気丈に頷いて見せる。

 そして、心を落ち着かるため、大きく息を吸い込み、二度、三度、深呼吸をした。

 これは戦争なのだ。生き残った方が勝ちなのだ。それが敵への最大の復讐にもなる。自分に言い聞かす。ごまかし続ける自信も、納得出来る自信もないのだけれど・・・。

「意地でも『オレグ』の思い通りにはさせない。」

 サラサは決意を新たにし、

「リョウ、僕はこれからどうしたら良い?」

 リョウに問い掛ける。

「それは俺が聴きたいな。…お前はこれからどうしたい?」

「取り合えず、聖地『メセタ』の『法皇院』と連絡が取りたい。聖地の『神聖隊』の支援が要請できれば『オレグ』なんて・・・」

 サラサはそう言って口惜し気に下唇を噛んだのだった。

 力は力で対抗しなければ対抗出来ない。

 愛だの正義だの世の中の偽善家がどう主張したってどうにもならない。

 力の均衡が取れて初めて話し合いも成り立つ。

 悲しみを克服した先に到達した結論がそれだった。

「判った、ツテがある任せろ」

 リョウはアッサリと受諾してくれた。

 一体、彼は何者なのだろう。今更ながらに思う。

 如何に厳しい環境下に過す砂海の民だからと言って、危機下における彼の冷静さは尋常ではないように思えたからだ。この行動力、場馴れしている、或いは相当の訓練を積んでいる玄人の筈だ。

 しかし、今はそれ以上、そこに執着している余裕はい。

 だからサラサはそのまま疑問を保留にした。


          ☆

 

 暫く街の中を走り回って、有料駐機場に小型高速艇を預けた後、少し歩いてリョウがサラサを連れて行ったのは街角の小さな喫茶店だった。

 準備中の看板がかかったままの扉を開けると、呼び出しの鈴が涼し気な音を奏でた。

 中は薄暗く、古臭いBGMで満たされている。

 当然、彼等以外の客の姿はない。

 思い掛けない場違いな展開に、サラサは目を見開いて思わずリョウの顔を見上げていた。

「本当にここ? 間違いじゃないの? 目的地に行く前にお茶でもするの? でも開いてないよ?」

 準備中の看板を再度確認しながら、試しにリョウに真偽を訊ねてみる。

「ああ、間違いない。平常から、ここは営業中の事ほうが珍しい。・・・行くぞ」 

 言うとリョウは、そのままズカズカと店に入って行く。

 中には、客はいないが店員は居た。

 対面テーブル越しに食器を磨く、店長らしき男の前に彼は向かった。

「・・・ご注文は?」

 無表情で物静か上品そうな初老の男性が、グラスを磨きながら、それが合言葉の様に尋ねる。

「アレネだ。・・・二十三番街のリオが耳寄りな情報を持って訪ねて来たと言えば通じる」

 聞き取れたのは、そこまでだ。その後も幾つかのやり取りがあった後。

「かしこまりました」

 男性は無表情のままで、作業を中断すると、どこかに取り次ぐこともなくテーブルの一隅を触ったのだった。途端、店の入口の鍵が音を立てて内側から閉まった。同時に店の奥の壁が重い音を上げて動き始めた。その奥には、さらにどこかに続く通路が見える。

 初老の紳士店長が、カウンターから出て、彼等をその先に誘う。

 リョウは平然とその中に入って行く。

 サラサは少し躊躇ったが、暫くして恐る恐る、しかし、慌ててその後に続いたのだった。

 彼等が通路に入ると、後ろの壁は今度は重い音を立てて締まり始める。

『と、閉じ込められた』と思ってサラサは身を震わせる。

 しかし、同時に通路の先の扉が開き始め、てサラサは少し安心する事が出来た。

 無口な紳士店長を先頭に三人は通路の先に進む。

 狭いが長くはない石造り通路だ。

 薄暗いが、電灯が付いているので真っ暗ではない。

 行き付いた先は昇降機の中だった。扉が閉まりゆっくりと動き始める。

 微かに抑え込まれるような感覚があったので上に向かっている。

 中には何の表示もないので、どれ程上がったかは判然としないが程なく止まった。

 入った時とは反対の壁の扉が開き、老紳士は道を開けて彼等を、その先へ続く通路へと誘う。

 彼の案内は、どうやらここまでらしい。

「このまま真っすぐお進み下さい。アレネ様がお待ちです」

 二人が先に進むと扉が閉じ始め、老紳士は一礼した姿勢のまま、その奥に消えて行った。

 通路はもう少し先まで続いていて、その先は明るく。

 その光の中に入ると巨大な空間が開けていた。

 突然、複数の人間が喋り、動き回る雑然とした音が洪水の様に自分の耳に雪崩込んで来て、サラサは思わず目を見開いて絶句していた。

 そこは、聖堂の様な巨大な空間となっており。眼下では整然と並べられたデスクや資料棚、計器類の間を多くの人間が忙しく往来している。続く通路は、そのまま宙回廊となっており、壁を伝う経路と、そのまま空間の上を横切る経路に分かれていた。彼等は言われた通り、そのまま真っすぐに進む。

 サラサは、思わず通路の端に駆け寄って身を乗り出す様に、そこから下を覗き込んでいた。

 無数の通信機器と出力表示版が所狭しと並び、至る所で、呼び出し音が、引っ切り無しに鳴り響いているのが判る。異様な慌ただしさで決して広くない空間内を人間が往来し、中央の大きな作戦卓上では、情報のやり取りが、まさに手渡しで行われていた。

 サラサにとって、そこは初めて見る、まるで時空を隔てた別世界だった。

 十九世紀の田舎育ちの人間を、二十世紀以降の先進国の公共交通機関の中央管理室にでも連れて来たら、こんな反応を見せるだろうかもって様相だ。

「驚いた様だな」

 サラサがあまりの驚きに言葉を失って、ただ茫然と下の喧騒を眺めていると、言いながらリョウが彼の傍らに立つ。サラサは素直に頷いていた。


「こんな精密な機械が未だに生きて、しかも駆動しているなんて、・・・ここは一体」

「『砂漠院』さ。ここは『砂漠院』の扱う情報を、分析管理する中央指令機関だよ。今通って来たのは、本来、院の非常時の避難経路なんだが、遡ると正規の面倒な手続きを端折って院の要人と面会出来る裏口経路(ルート)にもなる。」

「さッ『砂漠院』!?」

 サラサは再び絶句していた。


『砂漠院』

 その名を知らない者は恐らく、この砂漠には存在しない。

 あたかも宗教的なまでに情報収集を神聖化し、『砂海』はおろか全世界の津々浦々まで情報通信網を張り巡らし、司る情報を駆使して世界経済、国際情勢に多大な影響を及ぼし、巨万の富を築き、この世界を陰から操っているとも言われている砂海の巨大組織・・・。

 それが『砂漠院』なのだ。

「じゃあ、リョウも『砂漠院』の工作員なの?」

 フッと疑問に思ったサラサは、リョウに訊ねる。

 だとすれば、リョウの謎な部分が少しは解明されると思えたからだ。

「俺が? まさか、違うよ」

 リョウは反論の余地がない程、キッパリとそれを否定する。

 むしろ同類と思われたくないと言った態度だ。

「行くぞ、サラサ!」

 そして、二人はその巨大な空間を横切って、宙回廊の突き当りの隔壁の前に行き付いたのだった。


         ☆


 開いた隔壁を通過すると再び世界が変わっていた。

 廊下には赤い絨毯が敷かれ、壁には所々に豪奢な装飾が施されている。

 廊下の片隅にさり気なく置いてある装飾品でさえ、『ロココ』法皇家出身のサラサの口から溜息が洩れる程の代物だ。壁に掛けられた絵画の中には、今は失われたとされる前文明の誰もが知る名画すら存在する。

『エッ、これ本物? エッ、嘘だよね』

 本物だとしたら世界がヒックリ返る程の作品とだけ言っておく。

 華やかかりし頃の『西方』の大王宮もかくやと思える絢爛さであった。

 サラサはこういった芸術品に意外と造詣が深いらしく。

 何度か目移りしては立ち止まり、リョウに叱られては、慌てて後を追い、幾度かそれを繰り返した後に、廊下の突き当りにある扉の前に行き当たったのだった。

 どうやらここが目的地の様だ。

 ここ迄に至る時間との距離を考えると、この扉の奥には余程の要人が控えている筈だった。

 ちょっと緊張する。

「オイ・・・」

 扉を開ける前、突然リョウが、サラサを振り向いた。

「どうしたの?」

 サラサはリョウを見上げる。

「中に入ったら、基本、お前は何も喋るな。交渉は主に俺がする。特に自分の素性については俺が許可するまで絶対に明かさないように・・・」

「だから、どうして?」

 張り詰める緊張。剣呑な雰囲気。

 サラサは気を改める様に敢えて問う。

 リョウは耳打ちする様に口元を近付け。

 小声でサラサに囁くのだった。


「『砂漠院』にとって情報は商品だからな。その取引には必ず見返りが要求される。希少であれば希少である程、価値も上がる。それに彼等はまだ『アルデラ』で起こった事態を裏付ける確証を掴んでいない様子だからな。・・・折角の情報だ高く買ってもらわないと」


「どうして、そう思うの?・・・確証を得ていないって」


「話をそれとなく匂わしたら。無表情な店主の顔が僅かに反応した。俺はあの男を前から知っているから、僅かな反応だからこそ判る。それにここに来る前に通った情報交換所、以上に慌しかったろ。情報を収集中なんだ。『砂漠院』にとって西方の動向はまだ重要関心事項だと言う事さ。加えて、声は聞こえないが職員の唇を読んでみた。西方関連の用語ばかり繰り返している。以前に『砂漠院』がまだ味方と決まった訳じゃない。特に、この扉の向こう側にいる奴は要注意だ・・・」

「知り合いなのでしょう?」

「アア、結構、長い付き合いではある」

「どんな人なの?」

「そうだな、一言で言うなら、化け物だ・・・」

 サラサはコクリと唾を飲み込んだ。

 そう言ったリョウの眼には確かな怯えが見て取れた。・・・様に思えたからだ。

 ノックで合図した後、部屋の扉を開け放っていた。


        ☆


 部屋の中は、再びサラサが目を奪われる程の貴重な芸術品で一杯だった。

 まるで美術館の様だ。調度品もすべて一級品だ。

 正面には大きな執務机が置いてあり、そこでは一人の女性が座って、砂漠院の工作要員らしい女性と打ち合わせの最中だった。

 彼等が部屋に入ると、調度、打ち合わせも一段落したらしく、女性は足早に、彼等と擦れ違う様に、別の出入口から退室して行く。

 そして、部屋にはリョウとサラサと、その女性だけが残されたのだった。

 他には誰もいない。リョウが化け物と評したのはこの女性のことなのだろうか。

 サラサは思わず目を丸くしていた。

 黒く長い艶やかな髪に、それに似合う清楚な髪形、高貴な顔立ち、そして白磁の陶器の様に白い肌、黒い『砂漠院』の制服に、黒いケープを纏う。先程、部屋を出ていった工作要員の女性も、モデルの様なスタイルをした、どこにいても異性の目を引くような美女だったが、ここにいるのは、その彼女が引き立て役に見える程の、非の打ち所のない美女だ。確かに、この世の者とは思えない、という部分では『化け者』と言えるのかも知れないが・・・。

「お久振りねリョウ。ちょうどお茶の時間にしようと思っていた処なの、どう一緒に?」

 椅子から立ち上がると同時に、彼女は気軽に彼等に話掛け、席を勧めて彼等をもてなす。

『仲良き事は美しき事哉』

 二人の関係は思っていたより親密そうだ。

 それを見ながらサラサは何気なくそう思った。

 応える代わりに、リョウは部屋の中央にある長椅子に腰を降ろす。

「えらく忙しそうじゃないか、エレナ」

 そして、徐に口火を切ったのだった。

「そうでもないわ。私が忙しいのはいつものことだもの」

 彼女は部屋の片隅にある食器棚から人数分の紅茶茶碗を取り出しながら、さり気なく応える。

 しかし、二人の何気ない会話に、サラサは雷に打たれた様な反応を示していた。

『エレナ』、その名に聞き覚えがあったからだ。

『エレナ』、砂海の言葉でそう発音するその名前は同じ綴りで、南方では『アレダ』となり、北方では『エレネ』と発音する。しかし、本来、その発音は発祥から西方読みの『アレナ』が正しい。では、その『アレナ』一体何なのか、『アレナ』とは、砂海に古くから伝わる『ニジェル』神話に登場する知恵と知識の女神の名なのである。そして古来より『砂漠院』は、その知恵の女神『アレナ』を組織の象徴として崇拝の対象としているのだ。その『砂漠院』において『エレナ』を名乗る事を許された彼女は、『ロココ』の教団における姫巫女の存在に等しい。但し、『ロココ』の姫巫女と違い『エレナ』の名は世襲されない。その名に相応しい人物が存在しないと判断されれば『エレナ』の名はいつまでも空席として残される。

 何年か前、『砂漠院』が内部で騒然とした時、一人の少女が多大な功績を挙げて、その混乱を収めたと聞いた事がある。その時、その少女に実に半世紀近くの間空席だった『エレナ』の名を名乗ることが許されたのだと、サラサは聞いていたことを思い出したのだ。

 間違い無い。その時の少女こそが、今、目の前にいる女性であり、弱冠十五歳で『エレナ』と呼ばれた、そのヒトに違いなかった。

 成る程、リョウがなぜ怯えた眼を見せたのか得心できた気がする。

 因みにリョウの西方読みはリオになる。余談だがリョウが店主と交わした符牒の意味も判った。

 では、その『エレナ』が執務室で自らお茶を出してもてなすリョウって一体・・・。

 リョウに対する謎だけは、更に深るばかりだった。

「貴方も立ってないで座ったら?」

 エレナに言われて、茫然としていたサラサは、慌ててリョウの隣に腰を下ろす。

「また、子供拾って来たの? これで三人? 四人目かしら? 貴方も好きよね」

 冷やかす様な口調で言いながらエレナは紅茶を淹れた紅茶碗を、彼等の前に置いてくれた。

『また?』と言う言葉が気にはなったが、

「アア・・・」

 リョウは気の無い返事を返す。

 テーブル越しに彼等の対面にある革張りの長椅子にエレナが腰を下ろす。

 彼女は一口、お茶を口に含むと、

「今日は一体どういった風の吹き回しかしらね?」

 早速、リョウに要件を訊ねて来たのだった。

「エレナに会いたくなったから。じゃ駄目かな?」

「フフッ、珍しいこと、嬉しいけど今日は忙しいわ。後日にしてもらえると助かるわね」

「じゃあ、消えた西方親衛艦隊の足取り関する情報を売りに来たってのは?」

 ピクリッ、エレナが僅かだがサラサにも判るほど如実な反応をする。

 それは、リョウの冗談を余裕でかわした時のそれとは明らかに違う。

「いい情報があるなら、いつも通り砂漠院は高く買うわよ」

 繰り返すが明らかに平静を装っていた。

「情報交換といこう。お互い信用が財産だ。代金はエレナに貸しておくよ」

 リョウの提案を、

「結構、借りておくわ」

 エレナは即座に承諾する。


「三日前、『アルデラ』の寺院が西方の襲撃を受けて壊滅した。・・・その詳報というのは?」


「いい情報だわ。一週間以上前から実は砂漠院は西方の動向に注視していたの。南部、東部方面艦隊が急に気になる動きを始めたからね。けど、私達がそちらに気を取られて内に、突如、所在が掴めなくなったのは西方親衛艦隊、シオン直属の艦隊だったの・・・。そして、それを同じくしての『アルデラ』での異変。まさかと思って即座に調査団を編成して現地に派遣したわ。案の定、そこには西方艦隊がいたらしい幾つかの痕跡が残されていた。けど、街の損傷が酷過ぎて確証は得られず仕舞い。只今、発掘調査中よ。例によって西方親衛艦隊の、その後の足取りも掴めてないのが現状で、まったく情けないったらありゃしない!」


 そうだろう、艦隊とは言え、宏大な砂漠に逃げ込まれたら捕捉するのは至難の技だ。

「生存者は・・・?」


「未だ発見されず。『アルデラ』周辺は元々砂の流れの激しい場所だもの。あんな場所に街が維持出来ていた事の方が奇跡なのであって、私達の調査団が一番乗りを果たした頃には、街はもう殆ど砂に埋まっていたそうよ。懸命な救助活動が展開中だけど。沈んで行く船から水を掻き出す様なもので、それはもう絶望的ね。正直、二次被害の方が心配なくらいだわ。だから、『裏付け』はあるの、その情報に? 情報だけなら幾らでもあるの!『砂漠院』として今、欲しいのは物証なのよ」


「勿論、無ければ売りに来ないさ。・・・俺の信用にも傷が付く」

「貴方の情報はいつも重要で正確だものね。だから私は貴方の前にいる」

「えらく弱気じゃないか、そこまで『砂漠院』は、西方の情報を集めあぐねているのか?」

 容赦ない指摘だ。エレナはそれに自嘲的な溜め息で応える。


「恥を忍んで言うならばね。五年前の事件の粛清と傷痕は決して浅いものではないわ。今や西方は我々にとって完全な情報真空地帯と言っても過言ではない状態よ。しかも相手はシオン個人の気紛れな思い付きで突飛でもない行動に出て来るときている。今回だってこれまでの情報が事実なら、これはもう『シディア』と『ロココ』の両勢力間の問題に収まらない。世界大戦にすら発展しかねないのよ。それを、そんな事を、あの男は平気でやってしまう」


 まあ、相手の意表を突くのが、戦術・戦略の基本だからね。

 エレナの主張は愚痴に近い。

「えらくシオンに御傷心だな」


「もう、寝ても覚めてもシオン! シオンよ!! 不本意ながらね。でも、それに加えて問題なのは『ロココ』の姫巫女の安否と行方なのよ。『アルデラ』の寺院が西方に襲撃された時、姫巫女は建都祭の式典に出席するために現地にいた。これは確認事項よ。しかし、異変発生後の消息は一切不明。生きてるのか、死んでるのか、あるいは西方に拉致監禁されているのか、実はまだ逃亡中の可能性も捨て切れない」 


 聞きながらサラサは思わず俯いて自分の膝を鷲掴みにしていた。

 思い出すにはあの経験は、まだあまりにも生々しく鮮烈過ぎた。

 エレナは構わず話を続ける。

「ロココ側でも調査が始められているみたいだけど、色々とお家の事情があるようで、当事者の割には、やっていることが悠長で、何をやりたいのやら・・・」

「内部の、権力闘争・・・?」

 おもむろに頭を上げて、そう聞いたのは、サラサの方だ。

 エレナは彼を一瞥する。

「そう、どこにでもある話ね」  

 エレナは暗にそれを肯定した。

 サラサは再び俯く。姫巫女の生死が、次期姫巫女の座を巡って燻り続ける教団内部の醜い権力闘争の引き金となる。次期姫巫女の有力候補も不在なのだから尚更の事だ。すぐにでも再燃しかねない火種がサラサが知るだけでも一体、幾つあることやら…。

「さて、現在『砂漠院』が知る限りの情報は開示したわ。リョウ、今度は貴方の番よ。先程も言ったけど良い情報があるなら、私達は、その情報を貴方の言い値で買う意思があるわ。因みに断っておくけど、ここで言う良い情報とは『物証付き』と言う意味よ?」

「アア、判ってる。だが、金は要らない。その代わりに、仕事を一つ引き受けてもらいたい」

「仕事?・・・私に?」

 エレナは眉を顰め。

「そうだ。多分エレナにしか出来ない仕事だ」

 リョウは厳かに頷く。

「砂漠院のエレナの手間賃は、決して安くわないわよ」

 脅すような口調だ。

「そんな事は百も承知だよ。けど、話を聞けば、お前はどうかその仕事、引受けさせて下さいと、言いたくなること請け合いだ」

 巧い誘導だと思う。

「聞きたいわね。どんな仕事かしら?」

 エレナの興味を擽った様子だ。

「何、簡単なことさ、ロココ教聖地『メセタ』の法皇庁の通信回線網に侵入してもらいたいんだ」

 一瞬、エレナは黙り込む。

 エレナの凍り付くような視線は、リョウからサラサに移動する。

 サラサは出来るだけ毅然として、その視線を受け止める。

 何かに気が付いた様子だ。

「リョウ、もしかしてこの子?」

 そう訊ねるエレナの声は少し震えていた。

 どうやらもう隠す必要は無さそうだ。

「お前の事だから、お察しの通りだよエレナ。こいつの名はサラサ、ロココ法皇家の人間で、しかもお前が欲しがっていた『アルデラ』の惨劇の、恐らく唯一の生き残り、・・・生き証人だ」

「オオッなんてこったい! いつも冷静沈着な私としたことが! まったく気付かないなんて!」

 思った通りの返答に、エレナは大仰に悪態を突いて悔しがって見せる。

『こっちの方が『地』なんだろうか?』

『イヤイヤ、お前は結構昔から思い込んだら猪突猛進だったよ』

 とツッコミたくなるのは置いといて。

「いい・・・、かな?」

 サラサは頃合いを見計らって、リョウに承諾をとってから話し始める。


「リョウの言ったことは事実ですエレナ様。『アルデラ』は三日前、シオン率いる西方艦隊の奇襲を受けて壊滅しました。突然の攻撃に僕たちは逃げることもままならず。電波妨害のために聖地に救援を要請する事も出来ない有り様。揚げ句、シオンは街に火を放ち、防砂堤防を破壊し、生き残った信徒達まで徹底的に・・・。僕が生き残れたのは、皮肉にも奴等の捕虜になったからでした」


「よく、逃げ出せたわね」

 探る様な口調。エレナの表情が切り換わり、元の巡航路線に戻った。

 瞳に、最早、混乱の色は見られない。

「ええ、二日前の夜。自意識過剰気味の糞ジジィの鼻をへし折って、イヤ、・・・奴等の隙を突いて逃げ出して、小型高速艇を奪って何とか。でも、すぐに敵に追い付かれて、追い詰められていたところを、偶然、近くを通り掛かったリョウに助けてもらったのです」

「成る程ね」

 話の辻褄は合う気がする。

「一つ聞いても良いかしら?」

 しかし、エレナは尋問する様に眉を顰めた。

「ハイ」

 サラサは頷いて快諾する。

「『ロココ』の姫巫女の消息は、どうなったのかしら?」 

「はぐれてしまったので詳細は判りません。しかし、生きてはいないと思います」

 暫く間を置いた後で、サラサは抑揚のない口調で、そう返答していた。

 サラサには確かな実感があるが、『血の霊感』なんて話を持ち出したって裏付けにはならない。

「どうしてそう思うの? 根拠は?」

 エレナは執拗に問い返す。それは砂漠院としてもどうしても確認しておきたい重要事項だからだ。

 サラサの心情に配慮することを、彼女は意識的に無視した。

「シオンが『最後の聖論』を持っていたからです」

 サラサの返答に、エレナは刹那、絶句した。

 それが意味することが何か彼女にも判っているからだ。

 サラサは構わず続ける。


「今回の作戦行動におけるシオンの意図は、既に、これまでの様なロココ教団に軍事的圧力を掛け、『西方』における教団の活動を妨害する程度のモノではありません。奴の真の目的は恐らく『最後の聖論』に刻み込まれた『破壊の伝承』を手に入れること。奴は、そのためなら姫巫女を、その手に掛けることさえ厭わなかった。もし、奴の手によって『破壊の伝承』が復活したなら、その後に待つモノが一体何なのか。エレナ様ならお判りになるでしょう?」


「聖論級の、・・・大破壊」

 エレナはうわ言のように呟く。

「そう、人類は、もう一度、太古の『創成記』から歴史をやり直す事になる。だから、そうなる前に、我々は互いの組織の目先の利害を捨てて力を結集しなければならないのです。お願いです、エレナ様、どうかお力添えを!」

 サラサは、神仏に対して祈る様にエレナを仰ぎ見る。

 あまりの展開の急変に、エレナは驚然として、返す言葉も歯切れが悪くなった。

 内容が、実証を跳び越えて概念の世界に飛躍した。

 現実と神秘の狭間、神話が混在した歴史の闇の部分を持ち出されても、困惑するのは仕方がない。しかし、大昔の出来事とは言え、聖論の記述は、彼等の認識する歴史的事実と合致する部分が多い。

『ロココ』教は、そもそも神聖『ロココ』帝国から始まった。

『ロココ』帝国は太古の破壊の技術を復活させ、世界を武力で席巻し統一した。しかし、その後、数百年で国家としての『ロココ』帝国は衰退する。理由は、世界環境の変化、度重なる内乱の勃発と色々あるが、主な原因は、民衆に信仰への純化路線が広まり、それが破壊兵器への過度な嫌悪感を培い、現実問題に対処し、権力を維持する為に必要不可欠な、武力の放棄にまで至ったからだと言われている。

 帝国は教団の主権を維持する最後の手段として、破壊兵器を残したが、それを、引き継いだ教団は、それを危険視して封印し、何処かへと隠した。

『ロココ』帝国の血統は、そのまま民衆の純粋な信仰の対象となった『ロココ』教団の中に吸合され、帝国衰退以降も、結果として、その血脈を保つに至った。

 そして、『最後の聖論』にのみ『破壊の伝承』として、その隠し場所を記載して残し、教団の象徴である姫巫女の継承の証として、代々引き継がれて行く事とした訳だ。

 ここまでは、この世界に生きていれば、『ロココ』教徒でなくても常識として知っている話だ。


 エレナは昂ぶる気持ちを抑えて深呼吸する。

「リョウ、この情報は貴重だわ。感動じゃない! 今、世界の歴史が動こうとしているのよ! 断る理由なんて無いわ! 良いでしょう、法皇庁の回線に侵入して上げようじゃないの! もっと面白い展開が期待出来そうだわ! 但し、法皇との対談には、私も立ち会わせることが条件よ! 異存は無いわねリョウ!」

 有無を言わせない口調だ。

 拒絶すれば彼女はそれを情報の独り占めと判断するだろう。

 そうなればどうなるか。

 結果はどうあれ、恐らくは血の雨が降るだろう。

「やむを得まいな・・・」

 しかし、その計算が出来ないリョウではない。

 彼は即座に承諾し、商談は成立した。

「本当に! 法皇庁と連絡が取れるのですか?」

 パッと表情を明るくしてサラサは思わず確認する。

 素朴だが今更ながらの質問だ。しかし、大真面目である。

 法皇庁の情報管理機構には何重にも複雑に、侵入者の阻止の為の装置が組み込まれているのだ。

 恐らく、今の世界で一番警備が厳しい場所の筈。

 口で言うほど侵入は容易ではないし、逆にそうでなければ役に立たない。

 エレナを信用しない訳ではないのだが、逆に簡単に阻止装置を突破されても問題なのだから、その心情は複雑だ。言った後でハッとして、サラサは思わず頬を染めた。

「勿論、私を誰だと思って、『真実の女神』エレナの名は伊達じゃないって事を証明して上げるわ! 採算度外視で、総力を挙げてやるわよ!」

 エレナは自信満面な笑顔でそう言うと、彼等を別の部屋へと誘ったのだった。


         ☆

オレグ達による逆襲に次ぐ逆襲。

事態は血で血を洗う報復戦へ。

遂にリョウも追い詰められる。

『これはもうお前だけの闘いじゃねぇ!』は次の次。

話が長くなりすぎて、間にもう一話。

次回『力なき者には力なき者の戦い方がある』

乞うご期待。

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