サラサの逃げ出した夜。『オレグ』に捕まってはいけない。
三話にしてやっとこ主人公登場。
でも無口で謎多い。
「姉様、・・・姉様、さぞご無念だったでしょう。さぞ悔しかったでしょう。この敵はサラサが必ず。いつの日か必ず討って見せます」
呪文でも唱えるかの様に何度もそう口ずさみながら、サラサは夜の砂漠を凄まじい速度で小型高速艇を疾走させていた。
時々、進行方向に、砂面から突き出した岩石が照明に照らし出され、それを速度も落とさず起用に避けながら、北斗星を目安に、北に向かって突き進む。
満天の星々、砂漠の夜は昼の灼熱地獄からうって変わって、気温は零下まで冷え込む。
頭にはヘルメット。眼にはゴーグル。手には皮手袋。ジャケットで身を包む。
逃げ込んだ格納庫で、近くにあった装備を手当たり次第に着込み、防寒対策はして来たつもりだが、彼の想定はかなり甘すぎたようだ。
速度を上げれば上げる程、寒さは身に堪える。
体力がどんどんと奪われる。
「シオン、いつの日か必ずお前を討ってやる」
何度も決意を新たにして気力を奮い立たせていないと、意識が飛びそうになる。
既にハンドルを握る手には感覚がない。
目に溢れては流れ落ちる涙は、口惜しさのためか、寒さとひもじさの為か…。
どちらにしても姉の無念を晴らさぬ内に死ぬ訳にはいかない。
それが教団三千年の歴史を支えて来た『ロココ』の血の結束だから。
今のサラサにとって、それは生きる事への無限の執着を引き出す事が出来る重要な要因なのだから。
そして逃げ延びること…。
それは今のサラサに出来る最も簡潔で、しかし、効果的な復讐でもある。
闇はまだ何処までも続いている。
振り返って見ても追っての姿は見受けられず。
同じ様な闇がどこまでも続いている。
「何とか逃げ延びたか…?」
ここまで来れば、もう大丈夫だろう。
だが、サラサの聴覚が、背後に、微かな小型高速艇の駆動音を聞き分けたのは、彼が、そんな事を考え始めていた矢先だった。
追っ手。いつの間にか捕捉されていたのだ。
二台の小型高速艇が、巻き上げて来る。
アッと言う間に並走された。追い抜かれた。
剥き出しの座席には『オルグ』の姿。
その存在は彼の記憶にある。
「『オレグ』の殺人執行部隊!」
驚くのは今更とも言える。シディア皇国とオレグ僧会が手を組んだ以上、その隷下にある殺人執行部隊が現れる事は容易に予想出来た筈だ。
慌てて速度を上げて逃げに入るサラサの機体の周りを、二台の敵機は余裕で追尾しながら、更に速度を上げて、弄ぶ様に、機体を交互に、時計回り、反時計回りに周回させて煽って来る。
挑発は更に過激化し、サラサの機体の進路を妨害するように敵は機体を動かす、サラサの機体にぶつける様に急減速して、両サイドから挟み込む様に機体を近付けて来た。
右、左どちらに逃げても進路を塞がれる。並走されて、素手でさえ楽に捕縛されそうだ。
残念ながら高速艇の操舵の技術も相手の方が格段上だ。
駄目だ逃げられない。だが、今のサラサに諦めの言葉は無い。
抗うのだ。命尽きるまで、神の許しが得られるその時まで…。
駆動回転数を上げて加速する。
ガムシャラに二台の敵の小型高速艇の間に割り込む。
だが、右側を並走する『オレグ』僧の右手が中空を切った。
刹那、シュイッ…。
サラサが搭乗する機体の後部駆動機が、閃光の如き一閃によって切り裂かれた。
次の瞬間には、爆炎を噴き上げて破裂した。
速度が落ちる。
操舵が効かない。
ついに横転した。
「きゃあぁぁぁーーーーーーーーーーーッ!!」
小型高速艇は制御を失い。
サラサは、女の子の様に無力な悲鳴を上げて砂面に投げ出された。
機体は岩塊に激突して、さらに炎上したが、サラサはゴム毬の様に砂面を転がった後、偶然にも足裏は器用に地面を捕えていて、そのまま駆け出していた。
投げ出されたのが、柔らかい砂の上だったのが幸いしたらしい。
体の損傷は、掠り傷程度で終わった。しかし、そこから先は、まさしく闇雲。
この状態で逃げ出して、その後どうする? 何て、考えている余裕すらない。
「逃げる。逃げる。とにかく逃げる。・・・出来るだけ遠くに! 力尽きるまで!」
自分に言い聞かせながら、サラサは砂漠の闇の中へと駆け出していた。
☆
「ハァ・・・、ハァ・・・」
サラサは荒い息をしながら、時々何度も背後を振り返りながら、力の限り走った。
周囲に砂面から突き出す岩礁が増えて来た。本能的に身を隠す場所が多い、岩礁の密集する方向へと駆け込んでいた。
体力は限界に近い。
何もしなくても心臓が早鐘の様に高鳴る。そのまま口から飛び出して来そうだ。しかも、投げ出された時、少し右足を捻っていたらしい。足を前に踏み出す度に、今更ながら襲って来る激痛からも、サラサは耐え続けなければならなかった。
背後を振り返っても敵の姿は視認できない。しかし、思わず吐き気をもよおしそうな程の邪悪な気配が消え去ることはない。奴等は間違いなく近くにいる。それも、その気になればすぐにでも彼を捕えることが出来る距離に…。
疲労で意識が朦朧とする。
今、彼を動かしているのは敵に屈服する事への屈辱感のみに過ぎない。
その時のサラサからは、既に平時の冷静な判断力が失われていた。そう、ここが一瞬たりとも気を抜けない、危険に満ちた死の砂漠のド真ん中であるという事実をもである。
突如として、これまで何の変哲も無かった砂面が吹きあがり、立ち上がった砂柱が、サラサの進路を塞いだのはその時だった。中からハサミ状の顎を持つ巨大なうじ虫状の生物が飛び出し、間髪を入れずに彼に向って襲い掛かって来たのだ。
『ウルガ虫』
それは、砂の中に巣食い通り掛かった獲物を砂の中から捕食する。一般的に良く知られた『砂海』の化け物の一種である。サラサは『オレグ』僧の追尾に気を取られて、迂闊にも自分が、その巣に近付き過ぎていた事に気付かなかったのだ。
サラサは再び悲鳴を上げた。
『姉様、ゴメン! ここまでみたいだ・・・。』
事態の急変、万事休す。もはや逃れる術は無かった。
『無念!』
天国のラファに謝罪しながら、自分の死を覚悟して目を瞑った。
後は『ウルガ虫』の強力な顎が、自分を無残に噛み砕くだろう。
多くを考える時間が無かった事がせめてもの救いと思えた。
しかし、刹那。
シュピッ・・・。
軽い音と共に、
ドサッ。
何か、重い弾力のある物体が、サラサの足元に転がり落ちて来た。
続けて、何か、生温かい上に、鼻腔に入って来ただけで、俄かに吐き気を催す程の酷く臭い液体が頭から彼の上に降り注がれた。
恐る恐る目を開けた時、目の前には『ウルガ虫』の切断された頭部が転がっていて、その向こうでは、頭部を失った胴体が、体液を噴水の様に噴き出して断末魔で、砂の上を転がり回っていた。
自分は生きている様だ。生を実感しながらも、素直に喜ぶことは出来なかった。
彼の前には、腐肉の如き肌を持つ二人の『オレグ』僧が立ちはだかっていたからである。
「アッ・・・、アッ・・・」
声にならない。サラサは唇を震わせながら後退るが、直ぐに岩肌につき当たった。
『オレグ』は無言で、その間にもズカズカと間を詰めて来る。
完全に追い詰められた。怯える彼には、もう観念するしか道は残されていなかった。
…様に見えた、その時だ。
「オイオイ、悪名高き『オレグ』僧が二人係りで、子供相手に何する気だよ?」
突然、サラサの追い詰められた岩の上から、第三者の声が響いて来たのは…。
余程、意表を突かれたのか、『オレグ』僧達はこれまでにないほど、急激な反応を示して、声がした方に向って身構える。
サラサも咄嗟に声の主を捜して振り返っていた。
そこには月光を背に一人の男が彼等を見下ろしているのが見えた。気のせいか、逆光にも関わらず、サラサには、その男が口元に不遜な微笑さえ浮かべている事が判った。
身構えた『オレグ』僧が、躊躇う事無く介入者の排除に取り掛かる。
正直なところ、後は定番通りの悲劇が展開されるのを待つばかりだと、サラサは思った。
『済まない! 見知らぬ通行人の人!』
諮らずも自分に関わる危険な事態に巻き込んでしまった。
哀れな善意の介入者に、その不運を謝罪し、瞼を閉じて魂の冥福を祈ってしまった。
しかし、結果から言ってそうは成らなかった。
それから、静寂が戻った後の記憶が暫くない。
なぜなら緊張の糸が切れて、サラサはその場で気を失ってしまっていたからだ。
☆
夜になると、日中の灼熱地獄が嘘の様に砂漠の夜は冷え込む。
真夜中になるとうって変わって気温は氷点下にまで落ち込む。
先程までの張り詰めた緊張が、遠い過去の出来事のように、周囲はシンと静まり返っていた。
同じ様に、この砂海はこれまで幾つの殺戮を、その静寂の中に包み込んで来たのだろうか?
この地も、嘗ては奇跡の技を極めた古代文明の中心地の一つだったと言われている。
その頃には、大地は緑に覆い尽くされ、川は豊かな水を湛えて海へと流れ続けていた。
人々は奇跡の技で何不自由なく暮らす事が出来、奇跡の技が万民に行き渡った、その世界では、飢えも寒さからも無縁でおれた。そう、あの戦争が始まるまでは…。
彼等は一体、何処で、何を間違ってしまったのだろうか…?。
今ではその起因も判然としない。
『最終戦争』とだけ呼ばれる経緯不明な戦争が、この地上から全ての文明を消し去ってしまったのだ。
今は砂に埋もれかけた、廃墟群が僅かに栄光の痕跡を残すに過ぎない。
人間の代わりに染色体異常を来した数々の怪物達だけが、今はこの地の環境に適応して、我が物顔で跋扈している。否、砂漠に生き残った人間達もまた同じか、その後の東西南北、通称四方文明はみなこの砂海を起源にして始まっている。人類もまた、この狂った様な環境に適応して、その砂海の生き物を狩り、喰らい食物連鎖の上位者となって生き延びて来たのだから。
そう考えれば種としての人間が、その中でも取り立て一番の化け物なのかも知れない。
『死砂漠』…。
最終戦争後数千年の時を経ても、その人類の如何なる復興の努力も拒絶して、広がり続ける宏大な不毛地帯。まるで異世界。その名称はあまりのも似つかわしい。
☆
頬に当たる温かさで目が覚めた。
毛布に包まれて、焚き火の前で寝かされているのが判った。
焚き火に掛けられたケトルが、僅かに蒸気を洩らし、コトコトと音を立てている。
意識が明確になって来ると。彼は上半身を跳ねあがらせる様にして、起き上がっていた。
素早く周囲の状況を確認する。
岩礁に囲まれた柔らかい砂の上。
気を失った時とは違う場所だ。
道具や荷物が散見出来。そこには何者かの生活感がある。
焚き火を挟んで向い側に、見知らぬ人影が座っていた。
その間にも、さりげなく身体を触って探る。
粗暴な扱いを受けた感覚は無く。
無体な行為をされた感触も無い。
焚火越しの男の視線が、動き出したサラサに向かって動くのが判った。
「目が覚めたのか…?」
言われて彼は、毛布に身を包まれて、無言のまま、男と焚き火を挟んで座る様に姿勢を正した。
言葉を切り出せず男を観察する。
少し長めの日に焼けた金髪と、同じく褐色に焼けた肌。薄汚れてはいるが、顔立ちは精悍で、そこそこにイケメンに思える。しかし、黒い遮光眼鏡を掛けているため表情が見えない。
身長はサラサより頭二つ半分は高め、身体は筋肉質でガッシリとた体型に見える。
首まで隠した青いシャツの上に、肩に装甲板の嵌め込まれた黒い分厚い皮のジャンパーを羽織っている。下半身は同じ黒色の同じく頑丈そうな皮のズボン。膝から足の先まで覆う様な、やはり頑丈そうな長靴。両手首には手甲の様なモノを装着してるのが見て取れる。
一見して全身黒尽くめ、第一印象は、迷わず『怪し気』な男一択。
武装もしている。
右腰から太腿に掛けて刃渡りの長いナイフをぶら下げ。脇には銃尻が見え隠れする。
記憶を辿って探ってみても、サラサの知人に該当する人物は、当然の如く存在しない。
命の恩人相手にこんなこと考えちゃいけないと思いつつ、やはり不信感は拭えない。
「腹減ってないか?」
不信感を募らせて黙り込んでいたサラサに、男は唐突に話掛けて来た。
一瞬、ビクリッとしたが、無理せずコクリと頷いていた。
実際、お腹はペコペコだったのだ。
『アルデラ』から逃げ出した時、持ち出した非常用の装備・食料は『シディア』に捕まった際に没収されたままだし、『バルナラント』で出された食事には、全く口を付けなかった。…付けたく無かった。
逃げ出す際は行き当たりバッタリで、無謀にも食糧の事など何一つ考えてはいなかったのだ。
気付くと戦闘が始まってから半日以上、口には何も入れておらず、緊張の連続で鈍っていた喉の渇きと空腹感が、その一言で急激に蘇って来た。
声に出すよりも早く、意図せず、お腹の方がグゥ~と鳴って、それに応えた。
顔が真っ赤になって目を伏せる。
「ハハッ、マァ、遠慮せずに食いな…」
男は近くの背嚢から携帯用の食糧らしきモノを取り出してサラサに手渡してくれた。
「これは…?」
「南方の穀物のオリザを、お湯で炊いて柔らかくし、塩をまぶして握って丸めて、ミズ苔を乾燥して紙状に加工した食材で包んだものだ」
受け取ってみると結構大きい。
独特の酸っぱい臭いを嗅いだだけで、本能的に口の中に唾液が湧いて来るのが判る。
身体が、空腹が食物を求めている。勇気を出して、それにカブリと噛み付いてみた。
柔らかいモチモチとした食感。…塩味が口中に広がる。
『美味しい。…思ったよりイケる。』
一度咀嚼してみると、最初は遠慮がちに、その後はガッつく様に、男が次に差し出してくれた干し肉の様なモノも奪い取る様に手にすると、サラサは疑いを忘れて、躊躇う事無く、それを交互に口の中に運んで、忙しなく咀嚼し胃の腑に納めた。
「スッ…ぱ!!」
と、オリザの玉の中に思いがけず酸っぱい物が入っていた。
思わず眼を丸くするが、吐き出すほど不味い訳ではない。
「東方のプラムの実を塩付けにして乾燥させたものだ。…薬味になり、殺菌効果もあり、健康にも良い。これを入れるとオリザの握りは長期の携帯食にもなる。」
男は優し気に笑いながら説明しつつ、焚き火に掛けていたケトルに入っていた液体をコップに入れて、彼に手渡してくれる。サラサは、左手に持っていた干し肉の最後の塊を口に放り込むと。今度は遠慮なくそれを受け取る。
「熱いぞ、火傷するな、コツは音を立てて口元で冷ましながらユックリと飲むんだ…」
「ふー、ふー、ズズズッ…」
口元で息を吹き掛けて冷ましながら、男の助言に従って音を立てて口中に流し込む。
温かい。塩味のスープだ。でも、単純な塩味でもない。
とても円やかな味と香りがする。
疲れた時の塩味は身に染みる。
少し冷めたオリザにとても良く合う。
「これ…は?」
「極東発祥のみそと言う発酵食材を、お湯に溶かしたもの。食材としても調味料としてもいける」
みそのスープで流し込む様に、残りのオリザのお握りをお腹に収める。
チョッと手がベタ付くのが難点だが満腹に勝る至福はない。
スープを飲み干してホッと一息。
「ありがとう。…色々と良くしてくれて」
満腹になると打ち解けた気分にもなる。やっと切り出す事が出来た。
「やっと元気そうになったな、…怪我の方は大丈夫なのか?」
男の問いに、サラサはニコリと頷いて応えていた。
他人の気遣いが出来る。この人は絶対悪い人ではないと、サラサはその時、判断を下した。
小型高速艇から投げ出された時、身体中の至る所に擦り傷程度の傷を負ったが、今はもうスッカリと完治している。
『ロココ』の人間も、特に皇族は普通の人間とは言い難い。
『オレグ』と同様で、先天的な遺伝子操作により治癒速度が異常に速い上に、直った後に傷跡も残らない。関節も柔らかい。肉体に即死するような損傷を受けなければ、両手両足の欠損程度なら時間を掛ければ再生する。死にたい程の激痛は免れないにしても…。
激高してシオンに飛び掛かった時、拘束具から力任せに両手首を引き抜いたが、あの程度なら、痛みは一瞬だけ、後には傷跡一つ、痣一つ残らない。彼等はそんな存在だ。
「傷はもう治ったよ。・・・あと、えっと僕の名はサラサ、貴方は?」
「…リョウだ」
「リョウ…。リョウは、どうして一人で、こんな時間に、こんな場所に?」
「今の俺の仕事は『狩人』だ。…砂漠で獲物を仕留めて捌き。商品をまた街で売り捌く」
彼はそう言いながら、それを証明するかの様に自分の背後に置かれた巨大な狙撃銃を、親指で指し示して見せた。
「街?」
端的に問うが、
『…狩人?』
それ以上にサラサが違和感を覚えたのは、実は彼の職業を示すその言葉だった。
「北にある『ルルカ』の街に住居がある」
『ルルカ』なら知っている『アルデラ』の北にある。一番近い、かなり大きな都市国家の筈だ。
「リョウは、どうして僕を助けてくれたの? あんな危険を冒してまで?」
サラサはもう少し切り込んでみる。
「…義侠心じゃ理由にならないか? …砂漠には砂漠の掟がある」
「ボクの知る限り、砂漠の掟は『弱者からは根子削ぎ奪え』でしょ?」
「そういう奴等もいる。だが『強者は弱者を守り、弱者は強者を敬え』ってのもある」
環境が劣悪だからこそ人間同士の共生感は普通以上に培われる。
「貴方は強者なの?」
「少なくとも君よりはな。…信用出来ないか?」
コクリと、サラサにアッサリと頷かれて、
「ハッ…」リョウは鼻を鳴らして苦笑いする。
「貴方が強いのは認めるけど、あなたの目的が判らない。危険を冒してまで、どうして僕を助けてくれたのかが判らない。『オレグ』を敵に回すなんて、そんな危険を冒してまで…」
話が元に戻る。
彼が言った言葉にも一理ある事は判る。
『壊し屋』を自称する砂漠の無法者なら絶対に『オレグ』僧を敵に回したりしない。
先程サラサが引用した『強者からは根子削ぎ奪え』と言う言葉は、彼等が好んで吹聴するものだが、その後に続く『強者とは争うことなく迎合せよ』と言う言葉にも彼等は非常に忠実なのである。
ましてや『壊し屋』は徒党を組んで行動する。
眼の前にいる男には、どれも当て嵌まらない様に思える。
一体、彼は何者なのだろう。今頃になって、そんな基本的な疑問が頭をもたげて来る。
あの時、初めてリョウと出会った時、サラサはその時の記憶を鮮明に脳裏に止めていた。
『オレグ』僧二人が彼に飛び掛かって行った後、サラサの頭上で眩い閃光が発生した。
リョウが投げたモノかは確認出来なかったが、閃光弾が破裂した事は確かだと思う。
眩い光が収まった後、見るとサラサの前にはリョウの背中があり『オレグ』僧は、既に倒れ伏して動かなくなっていた。…如何に閃光で不意を突いたとは言え。
サラサには幸運だが、意外な展開であったことは言うまでもない。
あんなアッ気ない真剣勝負が存在するなんて、的外れな感想を抱いていまうと同時に、彼の姿が一瞬、地上に舞い降りた天使の様にさえ見えたのだった。
それから後の事は正直覚えていない。
緊張の糸が切れて気を失ってしまったから。
失われて行く意識の中で、サラサは彼が『ロココ』の同胞でない事だけは確信していた。
彼からはついに『ロココ』の同胞から感じる『血の霊感』を感じる事が出来なかったから。
「…判らなければ単純に、謝礼目当てとでも言っておこうか? 『ロココ』の坊ちゃんを連れ帰れば教団はきっと莫大な謝礼金を俺に支払う事を厭わないだろう」
リョウの声を聞き流し、サラサは暫し逡巡する。
リョウの助力を得る以外に、彼がこの局面を打破することは不可能に近い。しかし、見も知らずの人間を信用することが得策なのか、それ以前に、部外者を身勝手に危険に巻き込む権利が自分にあるとは思えない。…それは欺瞞と云うモノだ。
互いに矛盾を孕んだ問題意識が、サラサを思考の袋小路に追い詰める。
本当は彼に断られ、一人、砂漠にとり残されるのがだけかも知れないのに。
背中が震える。砂漠の夜は思っていた以上に寒い。…その時だ。
「オイ、動くな!」
鋭い口調で忠告すると同時に、リョウの左腕がサラサに向かって振り払われていたのは…。
僅かな擦過音と共に、何かがサラサの横を何かが通過して行った。
『鎖ナイフ?』
先端にナイフを取り付けたワイヤーが、リョウの左手首の仕掛から撃ち出されサラサの背後の砂面に突き立った。サラサは何が起こったのか判らず咄嗟に身を縮めていた。
「気を付けろ、俺が信用出来ないのは仕方がないが、ここが…」
リョウは左手元で器用に鋼線を操ると、ヒョイと砂面からナイフを引き抜く。
鋼線は機械音と共に巻き戻され、再び彼の左腕の袖の中に収納されて行く。
先端の刃も弧を描いて引き戻され、鋼線が巻き終わる寸前に彼の手の中に納まっていた。
サラサは息を飲んだ。刃の先端に、奇妙な生物が串刺しにされていたからだ。
銀色の鱗、鋭い牙。鋭利な鰭。
ギョロリとした瞼のない眼。形状は魚に近い。
まさしく、水から上げられた魚の様にピチピチと動いた。
「ゆめゆめ、ここが『死砂漠』であることを忘れないように…。これは『砂魚』。形状から魚と言われているが、実は魚じゃない。そもそもエラがない。死砂漠では一般的な生物であるが、こんな奴でも動物性タンパクとミネラル、そして相応の水分が必要な様で、それを効率的に補給する為に、時として人を襲う。マア、一匹、二匹なら人間を死に至らしめることなどまずないが、『砂魚』は群れで人を襲うこともあり侮れない。過去には大量発生して商隊を襲い。村一つ、街一つ消し去った記録もあると聞く。『蝗魚』とも言われる由縁だ。この砂漠で、人間は万物の霊長ではない。食物連鎖に組み込まれた、人間以外の何か餌の一つに過ぎない」
リョウは、どこからか長めの鉄串を取り出し。手早く絞めて見せる。
その後も適宜道具を取り出してサラサの眼の前でテキパキと捌いて行く。
最後に焚き火の側に添えて炙り始めた。
「鱗は金属加工の材料に利用され。肉は味噌を着けて炙ると、不味くない程度に結構イケる」
リョウは事も無げだが、サラサはつい先ほど『ウルガ虫』に見竦められた時の恐怖を思い起こして、背筋が寒くなるのを覚えていた。
その時、追い打ち掛ける様に、巨大な生物が嘶く様な甲高い音が周囲に響き渡った。
「ウワッ! 何ィ?」
サラサは、ビクリッと身を震わせて、周囲を見回していた。
リョウは少し顔を上げて周囲を見回した後で、滑稽なまでに怯えているサラサが面白かったのか、笑いながら説明してくれた。
「因みに、あれは自然現象…。『鳴き砂』だよ。この辺りの砂漠の砂は、きめが細かい。風に吹き上げられて出来た砂丘が、時々何かの拍子に崩れると、あんな甲高い音を奏でる。…この辺りでは珍しくも無い現象だが、初めて聞いた人間は、生き物の声の様だと、皆一応に驚く」
「確かに、・・・何か、巨大な生き物の遠吠えの様に聞こえた」
「間違ってはいない。実際に、あんな鳴き声を奏でる生き物が砂海にはいる。『砂漠の龍』と言う。…人間の存在が卑小に思える程、偉大で荘厳な生き物だよ」
「リョウは、見た事があるの?」
「ある」リョウは厳かに頷いて見せた、そして話を続ける。
「…狩の獲物を求めて『深砂海』まで足を延ばした時に一度」
「ふ~ん・・・」
交わされたのは他愛もない会話。
でも、そんな会話の中で、サラサは無知で矮小な自分自身の存在を自覚した。
敬虔な『ロココ』信徒としての矜持にこだわっていたことが急に馬鹿々々しくなり、脆くも崩れ去っていくのが判った。…何事も生き残ってこそだと達観すると気が楽になった。
「リョウ!」
だから、迷いを捨てて割り切る事にした。
「僕と取引をしてくれないだろうか?」と、
彼は交渉に値する人物だと判断する事にした。
「素直な子供は嫌いじゃない。だが、取引の内容も確認せずに仕事を受ける大人は愚か者だ」
「つまり、説明を求めると?」
「当然」彼はコクリと頷く
「国家情勢絡みのヤバイ仕事の話なら尚更にね」
「どこから、話せば良いのか・・・」
掻い摘んで話し出そうとして、聞き流していた先のリョウの発言内容に違和感を覚えていた。
「そう言えば…、どうして僕が『ロココ』の関係者だと彼方は知ってたの?」
「何だ今更。…そんなもの、お前の顔付きを見れば一目瞭然だろう?」
言われて『アア、そうかも』と思わず納得してしまう。
確かにサラサは典型的な『ロココ』教族の顔立ちをしている。
「まあ、それだけが理由ではないけどな…。」
そしてリョウは続けて語る。
「昨日、夕暮れまでまだ時間があるのに南の空が赤く染まるのを目撃した。『アルデラ』の方角だ。日が暮れても南の空は赤く染まったままだった。それでいつも作業中に聞く『アルデラ』短波放送がその日は何の予告もなく流されなかった。不審に思ってあちこちに周波数を合わすと、周辺に色々な国、機関の通信が入り乱れて飛び交っていた。救援を求める者。事態を嘆く者。怒る者。その中で『西方が遂にヤリやがった』って台詞を聞いた。夜中になって近くで爆音が響いた。駆け付けてみるとお前が『オレグ』僧に追い詰めらている現場に出くわした。…それだけで粗方の予測はついた」
的確な現状把握だと判断する。
「そこまで判っているなら話は早い。…恐らく現実は、もう一つ輪を掛けて悪いけどね。」
「とは言え、もう少し詳しく聞かないと、判断の材料にもならない」
「聞かない方が良かったと後悔するかも知れないよ。僕を最寄りの『ロココ』の寺院に送り届けてくれるだけで良いんだ。謝礼は後払いだけど必ず出す。彼方は、それだけ貰って何事も無く元の生活に戻れば良い。聞けば逃げられなく危険性もある…。」
脅しか? 駆け引きのつもりか?
サラサの一端な態度にリョウは思わず苦笑いした。
「俺はもう『オレグ』を二人を殺っちまってるんだぜ。…いまさら無関係では済まされまい?」
『オレグ』絡みの案件で、危険の付随しない事態は存在しない。
断言出来る程、これは『砂海』の常識だ。
関わりたくないなら、最初から、関わらないように行動する。
「どうせ命懸けなら、俺にはその経緯を知っておく資格ぐらいはあるんじゃないかな?」
「助けてくれるの?」
サラサがおずおず確認すると、
「絶対の保証は無いがな。周りクドくて悪いが、少なくとも力にはなってやれると思う」
そう言ってリョウは愛想の良い笑いを口元に形造ったのだった。
それを受けてサラサも破顔一笑した。不器用な腹の探り合いが急に空々しく思えた。
まだ、あどけなさが残るその笑顔は、まるで女の子の様だった。サラサはこれまでの出来事を順を追って話し始めたのだった。しかしながら、彼等の不安が杞憂であったとも言い難い。
なぜならその後、彼等を取り巻く情況は、より深刻な事態へと推移して行くからである。
特にリョウにとって。
☆
オリザのオニギリ食べるあたりのやり取りが、結構お気に入り。
オレグの執拗な追跡は続く。果たしてサラサは逃げ切れるのか?(続?)
の前に、次回、オレグは追跡し続けることが出来るのか? をお送りします。