『ロココ』の姫巫女は語らない
これは『死』から始まる物語。
『ロココ』の姫巫女は登場したらすぐ退場。
『西方』の皇帝は狂気と閃きで突っ走る好戦的独裁者。
だから、これは『死』から始まる物語。
人は砂、人の世とは砂漠の如きものである。
渇き切った人の生のなかで、人は己を絡めとる運命の糸に気付かない。
神の名を騙り。時に自らを神とまで過信する。
人は神の掌で踊る道化に過ぎないにも関わらず。
人よ、奢るなかれ、聞くなかれ、人が再び自らを過信した時、
人の世は再び終焉の時を迎えるであろう。
神の存在は常に人の信仰の先にある。
砂粒の如き人生の中で、砂上の楼閣を作り上げし人々よ。
己が力の儚さを知れ。
ーロココ聖論『ラア記独白』より抜粋ー
☆
かつて星の海を往来するまで発展した人類の文明が、自ら造り出した災いにより滅び去ったのは、既に数千年前の出来事である。
結果、広大な海は干上がり。大陸に残留した大破壊の毒素が流れ込む先として、その周囲を取り囲む様に代って『死海』が出現した。大陸の大部分は生命を拒む不毛な大地に変貌し、大破壊をもたらした災厄の爆心地、特異点を中心に内陸には、宏大な不毛な砂漠地帯『砂海』が出現した。
災厄の中、一時は全てを失ったかの様に見えた人類だったが、しぶとく強かに生き続け、大きく、その数を減らすも、遂に死滅の危機を乗り越えた。
混沌と悲劇の後に、彼等は長い年月を掛けて再び新たな文明を築き上げた。
人類は、『死海』と『砂海』の狭間に、新たに『東方』・『西方』・『南方』・『北方』と呼ばれる四つの文明圏を作り上げ、その後もしたたかに生き延びた。
人類の歴史は闘争の歴しであるとは以前から度々耳にする言葉だが、最終戦争を生き延びた人々も、その類例から漏れることはなかった。そう、新たなる文明も、繰り返される武力による飽くなき闘争の連鎖の中から生み出らされたのである。
☆
【大破壊より数千年後】
嘗て、奇跡とまで言われた科学文明が栄えていた大陸の中央部には、今や『死砂漠』と呼ばれる広大な不毛地帯が広がっていた。
粒体の砂は、遅く緩やかに、しかし、間断なく、液体の様に動き続ける。極め細やかな砂の粒子が、砂漠の強い風に舞い上げられ、砂丘は絶えず、その姿を変えて行く。…砂漠の至る所で、風が作り上げた砂の丘が崩れ落ちると、生き物の様に甲高い『鳴き声』を響かせた。
その砂海の『西方』と『南方』の狭間となる場所に『アルデア』と呼ばれる宗教都市はある。
最終戦争の後、『砂海』より世界に広がった『ロココ』教団の寺院である。
この日、この街は建設二十周年の式典の最中で、いつもにも増して活気に満ち溢れていた。
『ロココ』教の聖地『メセタ』からは、彼等の信仰の象徴である正統なる『ロココ』血統を受継ぐ『ロココ』の巫女が招聘され、式典はまさに最高潮に達しようとしていた。
その日までは、伝え聞く『西方』の地で繰り返される同教徒への悲劇的な迫害も、戦争の足音も、この街の住人にとって、まだ砂獏の果て、さらに大陸の隅で起る遠い世界の話でしかなかった。しかし、その現実は唐突に終焉を迎える。…その日、西方より、その地に降臨した魔王が全てを覆したのだ。
『西方』の皇帝シオンだ。
たった十数年で混乱する『西方』の地を武力と虐殺の限りを尽くして統一した『西方』の若き覇王。彼の率いる軍勢が、突如、宣戦布告を無視して易々と干渉地帯を突破、『ロココ』教団の神威を嘲笑うが如く、『アルデラ』に対して完膚なきまでの奇襲と破壊攻撃を敢行したのである。
街の平和は、一瞬にして崩壊した。
確かに、そこに神の救済など存在し得なかった。
多くの民衆が、事態の把握もままならぬままに業火の内に投じられた。
『西方』の軍勢が、街門を破って侵入して来るまで、五分の時間を要しなかった。
僅かな時間で『西方シディア』の軍勢が状況を終了した時、そこはアッサリと、至る所に無数の屍の転がる死の街へと変貌していた。…余りにも安易に。
その中、全ての終了を待たず、泰然自若とした態度で街に乗り込んだシオンは、僅かな側近を引き連れて街の中央街路を直進。そのまま、未だ完全に制圧を終えていない筈である『アルデラ』の中心部にある『ロココ』神殿の最深部へと足を踏み入れたのある。
彼の存在そのモノが、神威を嘲笑う不敬な存在そのモノであった。
勿論、その間『ロココ』教徒側の抵抗が皆無であった訳ではない。
『ロココ』教徒は神の救済を、ただ待ち続けるばかりの生半可な信仰集団ではない。
不当な物理的『力』による信仰の侵害には、それを凌ぐ『力』をもって抵抗し、敵を退ける。
その為に姫巫女と共に聖地より派遣された百戦錬磨の『ロココ』の僧兵部隊は、姫巫女を守備しつつ素早く堅固な神殿内部に逃げ込み、その深部に立て籠もった。
出来得ることなら、ここで敵の攻撃を喰い止め、本国からの救援を待つ算段だった。この教会の神殿は、そも、それに耐えうるだけの堅固さを、予め備えて設計・建造されている筈だったから。しかし、『シディア』の精鋭達の前には、鉄壁と思われた、彼等、自慢の防御策も、まるで無人の荒野を行くが如くに等しく…。
シオンは、そのまま、悠然と神殿の最深部、神の祭殿へと足を踏み入れたのである。
彼は、そこで初めて『ロココ』の姫巫女と対峙した。
そして、物語はまさしく、ここから始まるのである。
☆
『皆の者。語るかなれ聞くなかれ。ロココの眠りを妨げることなかれ。ロココの魂放たれる時。世は世において世に非ざるなり。ああ、人よ語るなかれ聞くなかれ。ロココの魂目覚めさせることなかれ。ロココの魂目覚む時。神は怒りて蒼き火を、天より降らせ給いて、世を再び闇へと導かれるなり。ああ、妨げることなかれ、ロココの眠りを妨げる事なかれ。』
彼女は、微風の如く動かしただけで、その言葉を口元で紡いだ。
まるで歌うが如き詠唱であった。
頭からスッポリと白いベールに覆われた彼女の容貌は判然としないが、声は聞く者の背筋が一瞬で寒くなるほどの美声であった。
薄暗い神殿。祭壇の前にたたずむ白い聖衣を纏った巫女の前に、シオンは悠然と足を進めた。
姫巫女の背後には、おっとり刀で、武具を構えて、殺気立った数名の僧兵たちが控え。シオンの背後には、機甲服に身を包み、刀剣で武装した彼の親衛隊達が、臨戦態勢で悠然と控えていた。
「どういう、意味か・・・?」
一瞬の沈黙の後、シオンは静かに彼女に問うた。白銀の髪が微かに揺れる。
それ以上、語ろうとしない彼女にシオンは殺意を込めて目を細めた。
「どういう意味かと、聞いている!」
彼の怒号と同時、周囲の均衡が僅かに崩れた。
突発的に、刹那、複数の剣の鞘走る音と、雄叫びが、その場に湧き上がる。
抜刀!
緊張に耐え切れず、僧兵達は一気にシオンに向かって踊り掛かっていた。
そこは既に必殺の間合い。逃す筈はない。しかし、事態は彼等の思い通りにはならなかった。
「下がっておれ! 下郎共が!」
シオンの一喝と同時、彼も腰の太刀を、目にも止まらぬ速さで引き抜いていた。
何人の僧兵が彼に斬り掛かっただろうか、だたの一人の切っ先もシオンの身体を捉える事は出来なかった。…届きさえもしなかった。
どころか、斬りかかった僧兵達は、類例無く甲冑ごと胴を薙ぎ払らわれ、血飛沫と共に、ただの肉塊と化して、冷たい石の床の上に転がって行った。
あまりも洗練された滑らかな動きに、それがあたかも公開演技では無いかと、疑う段階の優雅さであった。
舞う様に刀身が動きを止めた時、太刀の切先は、巫女の喉元を狙って突き付けられていた。しかし、彼女に追い詰められた者の悲哀は無い。反対に動揺も無い。…何かしらの反動が、まるで見受けられない。
巫女は魂を抜かれた人形の様に、相変わらず微動だに動かない。
「私が知りたいのは、そんなありふれた聖論の一説ではない。言え、『ロココの魂』はどこにある。…『ロココ』聖論末章。『ロココの巫女は神聖唯一にして、ロココの魂への道標なり。』 残りの選択は貴女に任せよう。しかし、私が僅か一歩を踏み出すだけで、貴女を容易に屠れることを、常に考慮に入れておくが良ろしかろう…。」
淡々と舞台の台詞回しの様にクドイが、どこか勝ち誇ったようなシオンの声。
巫女は、悠然と、それに応えて問う。
「シオン。『シディア』をして『西方』の王たる貴君に問う。父を殺し。母を売り。自らの民を血の海に沈めて、尚、更に『ロココの魂』を探り出し、これ以上、貴方は一体何を望むと言うのか?」
「知れたこと。誤った旧態を突き崩し、新たな秩序を作り上げる。…我が悲願でもある。」
「貴方が覇者となって?!」
「必要とあらば…」
シオンは不敵に口元を綻ばせる。
「…失格です。貴方には資格が無い。貴方に『ロココの魂』を渡す訳にはいかない」
毅然と、かつ厳かに言い放つ巫女。
「これ以上貴方と話す事はありません。速やかに『西方』にお帰りなさい。」
口調はユックリと静かだが気迫は衰えない。
「ハッ!?」
小馬鹿にする様に、シオンは愛刀の切先で巫女のベールを切り払った。
威迫に対して、姫巫女はやはり微動だにしない。
しかし、周囲には『オオッ』と喊声が起こった。
水晶の様な眼。
細く艶やかな白銀髪。
白い極め細やかな肌。
非の打ち所なく整った顔立ち。
露わになった容貌が、あまりにも人間離れして美しかったから。しかし、シオンも動じない。
「嫌だと言ったらどうする?」
詰問を続ける。巫女はしばし黙考した後で、
「ならば、仕方ありませんね・・・。」
ユックリと一歩前に踏み込んだのだった。
あまりにも自然に、殺意なく。…躊躇いもなく。
切っ先は、まるで洋菓子を切り分ける時の様に、彼女の首筋を切り裂いていった。
鮮血が噴き出す。瞬く間に、シオンの身体を赤色に染めた。
彼女の死に往く姿は、美しく清らかで、彼は終始、そこから目を反らすことが出来なかった。
「西方より来たりし狂気の皇帝シオンよ…。ロココの姫巫女の呪いの血を受け取るが良い。我が身を穢れた刃で恥ずかしめた罪を、…未来永劫悔やむがいい。」
彼女は最期に、そう言葉にしつつ、シオンの胸の中に崩れ落ちた。
結局、最期まで彼女の表情が、激情に振り舞わされることは無かった。
そのまま、彼の身体を伝って、巫女の身体はアッケなく冷たい石畳の上に倒れ伏して行った。
「ロココの血の呪いと、俺の天運、どちらが上か? 我が身を滅ぼすも、また一興かな…」
それを、成るがままに見送った後、シオンは己が顔面に飛び散った姫巫女の返り血を拭い取りながら、簡単な目的を果たした後で、二度と振り返らず、兵を引き連れて、その場を後にしたのだった。
後は死と静寂が支配するのみだ。
だが、死は終焉では無い。少なくともこの二人にとって…。
☆
「陛下、その血はいかがなされました!」
鮮血に塗れたシオンが、神殿奥の祭壇から姿を現すと同時、彼の柱石らしき老人が、驚嘆してその側に駆け寄って来た。小柄だが頑強そうな体躯。頭頂まで届きそうな広い額が特徴的な老人である。
「案ずるな老バトラ、ただの返り血だ」
「みっ、巫女の、でございますか?」
老バトラが表情に隠し切れない不安を湛える。
彼等世界で巫女の血とは呪いの触媒と同義だ。特に不遇の最期を遂げた姫巫女の、自らの血を使用した最期の呪いの凄まじさは、国一つを地上から消し去った事があると言われるほどの伝説級である。
「祟りや呪いは迷信にすぎん」
動揺を隠し切れない老バトラを尻目にシオンは静かな口調で、しかし、強く嗜める。
次の瞬間には、周囲の状況を冷静に確認していた。既に戦闘は終結している。
『アルデラ』大聖堂前の広間には、生き残った『ロココ』の僧兵達が武装解除して引き出され、円形に固められて座らされている。祭壇から現れた兵団の先頭にシオンの姿を認めると、
「悪魔め!」
「呪われるがいい!」
彼等は口々に呪いの言葉を吐いた。たちまち騒然とする僧兵達を、周囲に控える『シディア』の機甲兵が空に向かって銃を乱射して黙らせる。…再び静寂が戻った。
「うまくやったようだな、…老?」
シオンが言うと老バトラは嬉しそうにコクリと頷いていた。遠方に陸上戦艦の雄姿が映える。
「陛下の仰せのままに万事滞りなく。巫女の血族も既に確保してございます」
老バトラはそこでわざとらしく改まって、
「シテ、…この者達の今後の処遇は如何に?」
シオンに聞いていた。
「知れたこと。こいつ等には、既に人質としての価値すらない。百年以上に渡り『西方』の民が受けた怒りと悲しみ、その屈辱を、存分にその身に教え込んで屠り去ってやるが良い…」
「ハッ!」
老バトラは一礼して、僧兵達を囲む『シディア』兵に右腕を上げて合図していた。
同時に、周囲に再び空を切り裂く機関銃の連射音が充満する。
シオンはそれを無表情で眺めながら、暇潰しに、どこから取り出したのか血が付いた円筒形の紙切れを取り出し、それを手元で宙に放って、キリキリと回して弄んでいた。
硝煙と血の臭いが入り混じって周囲に拡散してゆく。
機関銃の連射音が止まった時。
「見るがいい老、これが『ロココ』教、最大の禁忌『最後の正論』だ」
シオンは得意気に、それを老バトラの前に掲げてみせた。
兵達の動き回る音と、止めを刺す単発の銃声がその後も幾度となく鳴り響く。
「オオッ、これが! おめでとうございます陛下。これさえあれば『破壊の伝承』は、もはや陛下の手中にあるも同じこと…。」
「うむ、これさえ手に入れば、最早こんな荒れ寺に用はない。見せしめだ! 軍撤収後、この寺院を街ごと焼き払え! 跡形も残すな! 本日より我々は再び修羅に入る!」
「ハッ、御意のままに!」
老バトラはシオンの命に即座に隷服する。
兵達は処刑を完了すると整然と隊列を組んで、血飛沫で赤みを帯びているかの様に見える大聖堂の大広間を後にしたのだった。…ここでも、後に残る屍の山に一瞥もくれることなく。
『アルデラ』の要所要所に散開していた各部隊も、号令一過、戦闘を切り上げ、整然と船腹に巨大な赤い『シディア』の紋章を輝かせる陸上戦闘母艦『バルナラント』と、その隣に滞空する陸上戦艦『ガルラ』へと撤収して行ったのだった。
小一時間を要する事もなく『シディア』は恐るべき統率力で撤収を完了させていた。
生き残った街の住人達は、その後ろ姿を見送りながら、ホッと安堵の溜息を洩らした。
巨大な二隻の陸上戦艦が、ユックリと船首を回頭させ、砂上を滑る様に地平の彼方に、小さく見えなくなると、街の砂防城壁に上って初めて歓喜の歓声を上げたのだった。しかし、その直後、街の至る所に立ち上った爆炎の中に、『ロココ』教団南方寺院都市『アルデラ』はその姿を消して行ったのである。
後はただ、『砂海』の流砂が、跡形も残さずに街を呑み込んで行くのだろう。
☆彡
サラサは華奢な攫われ体質。
狂気の宣導師『オルグ』の登場