4歳 シンリー(24歳) 【影の道】を行く 6
ちょっと大人になって席に着きお茶に口を付けると、
「少しは落ち着いたか? 全く、お前は家族が絡むとバカだな」
と、いつもバカな師匠に言われた。
今度はクロイが立ち上がり、みんなのコップにお茶を注ぎ足してくれた。
そして、クロイが席に着くと、
「俺が、あいつらから信頼を失う覚悟で話した理由は分かってるか?」
師匠が真剣な顔で訊いてきた。
「メアリー、怖くても悲鳴を上げないでしょうね……」
平静を取り戻した頭で考えて答えた。
「そういうことだ。だから、聖女作戦は中止しろ。カネなら、さっき言ったように貴族の奥様方や、なんなら旦那方からでも貰ってきてやるよ」
俺の答えを聞いて、厳しい表情で頷き……バカなことを真剣な顔で言ってくるバカな師匠。
「プーマ師匠が自分自身や家族の為にそうやって稼ぐ分には何も言いませんが……そんなお金、領費として使えませんよ。師匠があの子達との秘密を暴露したことは、あの子達、それからナタリーにも言いません。だから、わざわざ信頼を失うような真似をしないでください。師匠が泣く分には大丈夫かもしれませんが、チヨネ姉さんやキリカ君を泣かしたら、それこそ、あの子達、激怒すると思いますよ」
少し冷ややかな視線を投げながら言うと、納得がいかないのか憮然とした表情で、
「じゃあ、どうするんだよ。メアリーのやつ、他に収入源がないと1人でもやりかねないぞ」
と、俺と同じ見解……いや、多分あの場にいた全員の見解を述べた。
「どうもこうも……皆、そう思ったから、作戦が成功するように案を出してくれたんじゃないですか。それを実行するしかないでしょう。プーマ師匠も腹をくくってましたよね」
そう、この件は、もう方針を決めた。ただ、その時は、メアリーが自分の命を軽く見てることを知らなかったが……。
「さっき……少し昔のことを思い出していた。……ほんの少しでも、メアリーがあんな目に遭うのは嫌だと思った……。メアリーが大丈夫だと言っても……俺が嫌なんだ。言っておくが、俺がやったことなんて微々たるもんだからな。それでも、あんなこと…やりたくなか……」
反対理由を述べ、今度は師匠が泣き出した。
修行では絞め技で落として蘇生法を教えてくれたりしていたんだけどな。
「俺が……こんな思いをしながらやったのに……なんで……あいつは怖がらないんだよ……」
そして、俺と同じ様に、なんで……と言いながら怒っている。
「それはさっき言ったじゃないですか。メアリーは、師匠のことが大好きなんですよ。ついでに、師匠がこんな思いをしながらやったってことも分かってたと思いますよ。泣いてた師匠は気付かなかったかもしれませんが……師匠の頭を抱き締めた時のメアリー、初めて鶏を殺して泣くキリカ君を抱き締めていたチヨネ姉さんのような……凄く優しい顔をしていましたからね」
呆れながら、分かりやすく言ってやった。
が、俺が泣いている時、メアリーは頭をポンポンするだけで抱き締めてはくれないことを思い出し、
「プーマ師匠、殴りたいので表へ出て下さい」
と言うと、
「意味が分からない。お前バカだな」
と泣いてるバカに言われた。
クロイが見下すような視線を送ってきたので、話を戻すことにする。
「メアリーを危険な目に遭わせたくないという想いは俺も一緒です。なので……いっそのこと、わざと失敗するように仕向けましょうか。聖女だと思った諜報員にメアリーのいない所で、ヨーシャネさんやコージンさんから、こういう風にやっているとバラしてもらうとか……」
師匠の涙の所為で気持ちが揺らいだ。
そうして、失敗したと落ち込むであろうメアリーのことを想って、沈んだ声で言うと、
「そんなことをして……もしお嬢様にバレたらどうするんだ? お嬢様の【影】に対する信頼は相当厚いぞ。それが裏切られたとなると誰のことも信じられなくなって、何をするにも1人で抱え込むような人間になるかもしれないし、心配をかけたくないって理由ではなく……また裏切られると思って何も話してくれなくなるかもしれないぞ」
サーーッと波が引くように血が引いてしまうような、恐ろしいことをクロイが言った。
あの可愛い笑顔が失われる。そう考えるだけで胸が苦しくなる。
頼られるどころか嫌われて……目も合わせてくれないかもしれない……。師匠があの子達との秘密を守ってきた理由、こういうことか…。それでもまだ、師匠の秘密は俺とナタリーがあの子達を叱って、叱られた2人が師匠に可愛く怒るだけで済むだろうけど……今回のは一所懸命やろうとしているメアリーの邪魔をするんだもんな。これは確実に信頼を失う……。
メアリーより先に俺が落ち込んでいると、
「なぁ、モモヂ様は何て言ってるんだ?」
ずっと黙ってたベントさんが訊いてきた。
「え……モモ爺ですか? モモ爺は……総力を上げてメアリーを守るって言っていました」
思い出しながら素直に答えると、
「だったら、お前達がここで悩む必要はないだろ。モモヂ様はお嬢様が簡単に命を投げ出そうとするバカタレだって知ってんだから、お嬢様にどれだけやる気があろうが泣き喚こうが本当に危険だと思ったら中止する。可愛い娘や弟子のことだから心配でしょうがないのは分かるが、足並みが乱れると逆に危険だぞ」
そう言って、結構 豪快に涙を流すんだな……と呟きながら、プーマ師匠の泣き顔を嬉しそうに眺めるベントさん。
「因みにセーリュー領にいる諜報員の内の1人 ―― ゲンブー公爵の私用で動いてる奴についてだが ―― 本人は暴力を振るったりしないし、雇ってる人間も情報屋ばかりで、その情報屋も暴力は振るわない。まぁ、その内の1人は俺なんだけどな。ボーナスが欲しくてゲンブー公爵についてるんじゃなくて、同年代にそういう奴が多いから無駄な争いを避けて長い物に巻かれることにしているようだ。適当に報告して基本給を貰えればいいと、そういう奴だから……もしお嬢様の誘拐を指示されたとしても、北風ではなく太陽のやり方で事に当たると思う。
と、モモヂ様に報告しておいてくれ。本当は明日、俺が報告に行くつもりだったが手間が省けて良かった」
俺と同じくタオルで諸々を拭こうとして途中で手を止めた師匠に、ベントさんが悪戯っぽく笑って言った。
モモ爺、聖女作戦についても既に動いてたのか……。師匠が知らなかったのは昨日の様子から、そっとしておかれたのかもしれないな。
昨日も領主業を押し付けていたのに、ほんと……頭が上がらない。今日は休みだし、午後からも執事の仕事はほとんど無かったはずだから、ちゃんと休めているといいんだが……。
「それにしても、4歳にして、こんなに男を泣かすメアリーお嬢様に一目会ってみたいな。やっぱり、俺、自分で報告に行くわ」
ベントさんがメアリーに興味を示した!
「ダメだ! 俺がちゃんと伝える!」
「ダメです! 俺がちゃんと報告します!」
師匠と俺の声が被った。
ベントさん……髪の毛で顔を隠さないといけない【影】には不向きの目鼻立ちがはっきりした目立つイケメンだ! 孫がいるとは思えない色気もある! 体格が良く、声も低くて、落ち着いた話し方をする ―― 頼りがいがある男オーラ全開だ!!
ベントさんが俺とプーマ師匠の慌てっぷりを見て楽しそうに目を細めた! ヤバい! でも、あまりしつこくすると逆に興味を持たれるし……どうすればいい!? と焦っていたら、
「お嬢様でしたら、これの小型版です。今は髪型も同じで、そっくりです」
クロイが俺を指差して言った。
ベントさんの目の輝きが失われた。おいっ!
いや、これでいい、これでいいんだ。
報告はプーマ師匠がすることになった。
師匠が泣き止んだのを確認したベントさん。
「それじゃ、おやすみ。酒は無かったが楽しかったな。偶には、こうやって呼びつけてくれ」
と笑顔で言って、プーマ師匠を抱き締めて頭を撫でた後、夕食時の食器を持って家へ戻られた。
テーブルを端へ寄せて、リュックを枕にして3人で床に並んで寝る。
入口側に師匠、真ん中にクロイ、窓の無い一番奥に……坊ちゃんの俺。山で修行して洞穴で一夜を明かしていた頃の並びだ。
「これを下に敷いて寝ろ」
師匠が自分の分のシーツを畳んで、俺のお尻の下に差し込んだ。
そんなことをしなくても大丈夫だと言ったが、
「メアリーに頼まれたからな」
と言って、そのまま何も掛けずに入口の方へ体を向けてさっさと寝始めた。
クロイがシーツを横向きに広げ、そんな師匠と自分に掛ける。
これだと……なんか俺がお姫様みたいじゃないか!
俺のシーツも横向きしてクロイにちょっと掛けた。これでよし! さあ寝るぞ!
と思ったが、呪文を知らないので照明を消すことが出来ないから、眩しくて眠れ…な…ぃ…Zzz…。
翌朝。目覚めるとシーツが縦向きになって俺の体に被さっていた。
「いててててて」
と声を漏らしながら起き上がる。
お尻ではなく、普段使ってないと思われる筋肉が痛い。
師匠とクロイは、既に起きていて身支度を整えていた。
「まだキツイなら、もう少し寝ててもいいぞ」
師匠が気遣ってくれる。
「いえ、さっさと家へ行ってから、ゆっくりします」
と言うと、
「そうか。じゃあ片付けるぞ」
と言って、シーツを畳み始める。
その間にトイレへ行って、戻ると朝食の準備が出来ていた。
昨日は真っ暗で、こちらの様子しか映し出さなかった窓。今は解放されて、早朝の薄い日差しと共に濁りのない澄んだ空気を招き入れてくれる。
まだ気持ち良く眠ってるだろうな……。
子供達の油断しきっただらしのない可愛い寝顔を思い出して、少し切なくなる。
モーニングを美味しく頂いて歯を磨いてる間に、師匠がお礼のメモを書いてシーツの上へ。食器を濯いで水に浸け……さあ、王都に向けて出発だ!




