0歳 男爵令嬢 誕生!
しんしん ── 世界中に溢れる音を全て吸収しているかのように静かに雪が降る。
いくつもの国が存在する大きな大陸にある小さな半島。そこを国土とする〝ネテマテ国〟には、中央に〝王都〟と呼ばれる国随一の街があり、その賑やかな街の北東 ── 王の住まう城の裏にある小さな山の上には〝キーモン領〟という小さな領を統治する男爵家の屋敷がひっそりと隠れるように建っている。
その、殆ど人が訪れることがない静かな屋敷の一室で、2月 ──
泊まり込みで来てもらった助産婦指導のもと、夫やメイドと共にお産に励む男爵夫人がいた。
『すぅ~はぁ~すぅ~はぁ~』
『頭が見えてます!』
『頑張ってください! 奥様!』
『この手、もっと強く握ってくれていいぞ!』
『さぁ、奥様! もう一度! 大きく目を開けて、いきむのです!』
『すぅぅぅぅ……ふん゛っ~~~~~~』
『あっ! あっ! お顔が出ました!』
『もういいです! いきまないでください!』
『わっ、わっ、わっ、わあーーっ! お産まれになりました! お、女の子です!』
『あ……先生! どうしましょう! 背中をさすってもお泣きになりません!』
『はぁはぁ……そ、そんな……』
『どうにかできないのか! 先生!』
『キーモン男爵……誠に申し訳ございませんが……。今、お産まれになられたお嬢様を逆さ吊りにして、思いっきり背中を叩かせていただきます!』
『なにぃっ!』
『あっ! 待ってください! 先生!』
『どうしました!』
『何か、赤ちゃんの様子が……』
『……ふ…ふ…ふぁっくちゅんっ! ん……あぁ~っふっ……ぁむぁむ……スースー』
『だ、大丈夫です! くしゃみをして、あくびをなされて……そのままお休みになられたようです!』
『何ですと! 助産歴二十年、様々なお産をお手伝いして参りましたがこのようなことは初めてです! 兎にも角にも、元気に呼吸されています! おめでとうございます!』
『あ……良かった……』
『お疲れ様。……とは、まだ言えないな』
『ええ、とりあえず胎盤を出さないことにはゆっくり休めないわ……』
『おっ、どうやら無事に産まれたようだな』
『坊ちゃん。今日から坊ちゃんは兄様ですよ』
『にいたま?』
『さようでございます。人生の先輩ですから、これからはご自身のことを名前ではなく〝僕〟と言うようにして、生まれた赤ちゃんにも “ 僕、兄様だよ ” と挨拶なさってください』
『ぼく、にいたまよ!』
『おっ! いい感じですね!』
『妹を守るヒーローという感じが出ていてカッコイイですよ』
『ふふふ。こうして皆が坊ちゃまに話し掛けるように、坊ちゃまもたくさん赤ちゃんに話しかけてあげるとよろしいですよ』
『あい!』
そんな、一風変わった出産から4ヶ月 ──
『ねぇ、あなた……。あの子、一度お医者様に診てもらった方がいいんじゃないかしら? 目の前で誰かが話し掛けても全く無反応だし、排泄やお腹が空いても泣かないなんて……やっぱりおかしいと思うわ。身障者なら身障者でどうやって育てればいいのか教わらないと……』
『そうだな……。今年も領へは帰れそうにないし……。念のため、こっちの医者に診てもらうことにするか……』
そうして、厭々山の上へやって来た低位貴族御用達の医師によって、女の子の診察が行われた。
その数日後 ── 伯爵家で開催されたティーパーティー
『皆様、お聞きになられまして? キーモン男爵のご令嬢! 起きている間もずっと眠たそうに呆けていらっしゃるそうよ』
『ええ、伺いましてよ。診察なされたお医者様によると体にこれといった異常はなく原因が分からないそうですわね』
『まぁ! それはきっと神様の御心ですわ! どのような手をお使いになられたのかは存じませんが……もし普通の子でしたら、初歩の簡単な魔法すらできない方がナロン殿下の乳母になるところでしたもの!』
『ですわね。いくらナロン殿下が男爵家出身の伍の方のお子様とはいえ、さすがに平民確定の娘と乳兄妹では可哀そうですもの。神様がそのように取り計らってくださったに違いありませんわ』
『本当……浅ましい両親の所為で神様に見捨てられたなんて、その子が可哀そうでなりませんわ』
『 “ 神様に捨てられた ” ですか……。皆様はそのようなお考えでいらっしゃいますのね』
『あら? あなたはそうお思いになりませんの?』
『ええ。私は……その子を見捨てたのは神様ではなく、母である男爵夫人だと思っておりますわ。男爵様の出世を願うあまり、娘の魂を悪魔に売り渡されたのではないかと……』
『まあ! いくらご自身が神様や親に見捨てられたからといって、神様に仇なす悪魔に頼るなんて……。信じられませんわ!』
『いえ、よく考えたら、その可能性は充分にございますわ。キーモン男爵……陛下の御厚意で学園の卒業と同時に秘書官の部長に任命されたそうですが、すぐに降格なされて、今は一職員になっておいでですもの。返り咲きたくもなるでしょう』
『ええ! まさに、その通りなのです! これは城に勤める父から聞いた話なのですが……来年の春から秘書官の長官は、学園を卒業なされるフィージ殿下が担われるそうですの。そして、その際、キーモン男爵が長官補佐としてお仕事の進め方を指導するようにと、陛下からご命令が下っているらしいのです』
『何ですって! あのような出自の者が王弟殿下の御指南役を!?』
『そう……。一時的とは言え、秘書官の副長官の任にお就きになられると……。どうやら本当に、悪魔と契約なされたようですわね』
『なんて惨いことを……。可哀そうに。キーモン男爵のご令嬢はこれから先もずっと呆けたままお過ごしになるのね』
『そのような状態では婚姻を結んでくださる方もいらっしゃらないでしょうから、とても寂しい思いをなさるわね。きっと』
『あら? そのように気に病む必要はないのではなくって? 呆けていらっしゃるのだから、それすらも分からないと思いますもの』
『まぁ! さようでございますわね! それを見越して魂をお売りになられたのかしら?』
『あら? 大変ですわ、皆様! 後ろに男爵夫人がいらしてよ!』
『あらあら、大変! とてもシンプルなドレスをお召しになられていらっしゃるから、気付きませんでしたわ』
『あら、本当。当家の奴隷だとばかり思っておりましたわ。失礼いたしました。改めまして、ようこそ我が家のティーパーティーへ。体も落ち着かれたでしょうから、ゆっくり楽しんでくださいませね』
『ありがとうございます。このような素敵なパーティーにお招きいただいたうえ、そのようにお気遣いくださるなんて、とても嬉しゅうございますわ。伯爵家のお庭を拝見することができるなんて、そのような機会、滅多にございませんから、とても楽しみにしておりましたの』
『あら? 気が合いますわね。私も、お噂の夫人に漸くお会いできることができて、とても喜んでおりますの』
『私もですわ。ご参加なさると伺って楽しみしておりましたのよ』
『私もです』
『私も! 是非、我が家のパーティーにもお越しくださいませね』
『え……ええ。ありがとうございます』
そんな状態が6ヵ月続き ──
『このままでは君が参ってしまう。とても寂しくて泣きたくなるが、この子たちを連れて領で暮らしてくれ。向こうには既に連絡してあるし、腕の良い料理人を二人雇うことにしたから、自分たちで料理をする必要がなくなる分、人数が増えてもちゃんと対応してくれる』
『ごめんなさい、あなた……。私が不甲斐ないばかりに……』
『何を言っている。悪いのは嫉妬に駆られてバカなことを言ってくる奴らだ。君が謝ることはない。と言うか……謝るのは俺の方だ……。初めて行く場所なのに、一緒に行ってやれなくて申し訳ない』
『それなら大丈夫よ。頼りになるお二人が送り届けてくれるし、何より私にはあの子たちがいるわ。それに、キーモンはあなたを領主として受け入れてくれた優しい領ですもの。不安に思ったりしないし、男爵夫人として認めてもらえるよう頑張るわ。だから、あなたはここで、陛下や皆様と一緒に奴隷制度の撤廃を成し遂げてくださいまし』
数日後 ── キーモン領の屋敷に到着
『『『 奥様! 坊ちゃま! お嬢様! お帰りなさいませ! お待ちしておりました! 』』』
『ぼく、ロンリー! こっち、ねんねする、ミャーリー! よよちくおねがいちまちゅ!』
『『『 はい! よろしくお願いします! 』』』
『初めまして。ナタリーです。これからお世話になります。あの……結婚したのに一度も顔をお見せすることができなくて、大変申し訳ございませんでした』
『お気になさらないでください。立て続けにご懐妊なさっておられたのですから、当然でございますよ』
『妊婦が馬車に乗ることがどれほど危険なことか、全ての領民が百も承知しております』
『もちろん産後の体がすぐに安定しないこともです!』
『あ、ありがとうございます。そこまでお気遣いいただけるなんて……本当に素敵な領なのですね』
『はい! 裕福ではありませんが自慢の領です! 今度の土曜日、領内を案内がてら領民にご紹介いたしますので、それまではお屋敷でゆっくりなさってください』
『あちこちで歓迎されると思いますが、お疲れになられたらすぐに仰ってくださいね』
『それで気分を害する者はおりませんし、これからいくらでもお目にかかれるのですから遠慮はご無用です』
『もちろん身障者を見て、神だの悪魔だのと言う下半身丸出しのようなバカもおりませんから、安心してください』
『あ、ありがとうございます。……グズッ……』
『かあたま……』
『奥様……。あの……王都でのことは聞いておりますので……良かったら私の胸で泣いてください!』
『え゛?』
『それがいいですね。坊ちゃんとお嬢様のことは私どもが見させていただきますので、旦那様の代わりに彼女に抱きしめてもらってゆっくり泣いてください。こちらのメイド頭ですから、どんどん甘えると良いですよ』
『な、何を言ってるの! そんなのダメよ! 二人共 御者をしてくれたうえ、明日には王都へ向けて蜻蛉返りしなくちゃならないんだから、私よりも二人が休まないといけないわ!』
『あっ! そっちですか! 私、嫌われたのかと思いましたよ』
『いえ、そんな! 嫌うだなんて!』
『全く奥様ったら……。私達なら何度も休憩させていただきましたから、大丈夫ですよ』
『それを言ったら、私は休憩し続けたことになりますから、私の方こそ大丈夫です!』
『なるほど。聞いていた通りの素晴らしい奥様ですね』
『安心してお仕えできます!』
『あ、私ったら……すみません。なかなか上品な言葉遣いができなくて……』
『大丈夫です。旦那様で慣れておりますから、誰も気にしませんよ』
『と言うか……貴族の奥様らしくビシバシ命令口調で話していただかないと!』
『そうですね。領主の代行をなさるのですから、嫌でもそのようにしていただかなければなりません。今日は屋敷内でささやかですが歓迎会を行ないますから、そこで打ち解けながら練習いたしましょう』
『あ、お手柔らかにお願いします』
『ふふっ……先に到着した料理人二人が腕を振るってご馳走を用意しておりますので、楽しみになさってくださいね』
『1時間後に屋敷の中をご案内させていただきますので、まずはこちらでゆっくりお茶をお召し上がりください』
『今後の食事のこともございますので、後ほどお部屋にて皆様の健康状態を診させていただきます』
そうして、あれよあれよという間に4ヵ月が過ぎ、ひらひらとピンク色の花びらが風に舞った或る日の午後 ──
『かあたま! たいへん! ミャーリー、おねちゅ!』
『えっ! 大変! 病院に合図を送って先生に帰ってきてもらわないと!』
『私がやっておきます!』
『ロンリー、教えてくれてありがとう』
『うん! ぼく、にいたま! ミャーリー、まもりゅの!』
・
・
『ふむ……。発熱以外の症状は見当たりませんのでただの風邪ですね。暖かくなってきましたから、寝汗をかかれて冷えたのかもしれません』
『そうですか……良かった……』
『辛いようでしたら教えてください。解熱剤を用意しておきます』
『わかりましたわ』
『ミャーリー、らいじょうぶ?』
『ええ。大丈夫のようですよ。坊ちゃんまで風邪を召されては大変ですから、今日はお1人で遊びましょうね』
『あい……』
そうして熱が続いた2日後の夜 ──
『あ……奥様。坊ちゃん、大人しくベッドで横になられましたか?』
『ええ。自分のことはいいから早くメアリーのところへ行けって言われたわ』
『ふふっ……。まだ小さいのにしっかりお兄ちゃんをなされてますね』
『王都のお屋敷にいる時に張り切った執事に鍛えられたのよ。と言うことで、私が看ておくからあなたは休憩してきて』
『畏まりました』
5分後 ──
『……はっ……はっ……』
『え……何、この苦しそうな呼吸! すぐに先生を呼んでくるから待っててね!』
バタバタバタ……
『……はっ……はぁぁぁっ……くちゅんっ!! ん……』
お読みいただき、ありがとうございます。ペコリ