中途半端洗濯さん
毎回毎回時間をかけて最善の選択をしてきたのに
後から後悔してしまうのは何故なんだろうか
コロナウイルスによって契約が切られ職を失った。
隣の人が「全国で2位になりました」とここがアピールポイントですよ
と言わんばかりに声を張って言った。
「落ちたな」
一気にやる気がなくなった。
この後どんなに私が頑張ったって隣の人がヘマをしたって前科がない限り私の負けだ。
あんなに面接練習したのに。
人柄重視って記載したの忘れてんのか。
仕事がないと生きていけないし貯めるとしつこく送られてくる年金も払えない。
これ以上家族にも迷惑をかけるわけにもいかないし。
帰りたいが最後まで頑張らねば。
コロナウイルスが流行らなければこんなことにならなかったのに。
今頃オーストラリアで自由に毎日楽しく生活を送っていただろうに。
大学で皆がインターンや履歴書、OB訪問なんて色々やっているのを片目に私は働いた。
毎月休みなんてほとんどつくらず少しでもお金が欲しかった。
夢があったから。
生まれ育った日本ではなく、どこか他の場所で生活したいという夢があった。
この夢を見つけるまでは世間一般で言う常識という道を踏み外さなかった自信がある。
この夢が悪かったのだろうか。
でも夢を持つことは悪いことじゃなかったはず。
毎年あなたの夢はなんですか?って聞いて聞いたじゃない。
世界征服をしたいわけでもないし人を傷つけることでもない。
実際2ヶ月だけ、よその国に住めた。
とても楽しかった。
スーパーでわけのわからない食品を買ってみるのも
現地料理を食べるのも。
街を歩く時の現地の人からの目線でさえ。
私はこの国で外国人なんだ。
と日本でない国に居る実感がした。
日本にいたらできなかった人と友達になれた。
全て一言で楽しかったこの言葉しか浮かばない。
非常事態宣言が出て2ヶ月がたった。
同じ2ヶ月。
どうしてこんなに違うのか。
同じようなことを考えている人は世界中にいるだろう。
あの時皆と同じように就活していたらこんな事にはならなかったのだろうか。
いや、自由に行動できなくなった世界で逆のことを考え後悔していただろう。
でも私は行けた。
自分の目標、夢を少しだけど、叶えることができた。
自分の力で。
叶えられた夢を持っていた事すら気がつかなかった。
私は私。
よく耳にする言葉なのに、自分のものにできている人はどれくらいいるうのだろうか。
全てにおいて言い切れるようになるには、あとどれくらいの時間がかかるのだろう。
私はこのために生まれてきた。
そう歌える日は来るのだろうか。
その日はどんな天気で、どんな場所で、
どんな瞬間、どんなことがきっかで、誰かと一緒にいるのかもしれない。
もしかしたら瞬間的なこと、ではなく
思い返した時に、あああれが青春だったのか。
年配者が言うあのセリフみたいなものなのかもしれない。
書き出してみたら
私には夢を叶えた経験があって努力したことがあることに気づいた。
私は私。
そう思える自信を得るために過ごす過程が私のこれからの人生だと思っていたが
選択に自信が生まれた時を楽しみにして今を過ごし積み重ねたものを人生とする方が
私にはあっているみたいだ。
あー楽になった。
楽しみだ。
たまには書いてみるのもいいみたい。
今一番のおすすめ。