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9.慟哭

 翌日。

 鬱々としながら朝の身支度を済ます。シャツ一枚着るのも気怠くてやってられない。


「一緒に学校に……」


 望んでいたことだというのに喜べない。なんでだろうな。

 その真相がわからないまま、俺は家を出た。


「あん子ー、和泉くん来たよー!」


 黒木の家に行くと、黒木のお母さんが黒木を呼んだ。ああとうとう、黒木がやってくる。制服に身を包んだ黒木を見て俺は、「似合ってる」と言ってやるんだ。「一緒に行こう」とも。

 それから少しして、とん、とん、と。控えめで小さな足音が、階段のほうから聞こえてきた。


「よ、よお和泉」

「黒木…………制服、似合ってるな」


 姿を現した黒木は、本当に、可愛かった。新品のセーラー服がぎこちなさを感じさせる。その初々しさが庇護欲をそそられるというか……顔がにやけていないだろうか。キモいと思われたくない……。

 そして、そんな黒木の姿を見て、更に心がざわつき始めた。俺は自分が気持ち悪い、自分の感情がわからない。


「……じゃあ、行こうか」

「う、うんっ」


 不安気な顔をする黒木の手を、あの日と変わらず柔らかい手を引いて、玄関を出る。


「和泉くん、ありがとう」

「いえ、そんな……」


 渦巻くこのよくわからないネガティブな感情を自覚してしまうと、黒木のお母さんの感謝の言葉も素直に受け取れない。どころか罪悪感すら感じてしまう。

 胸を痛めながらも、黒木が玄関から足を踏み出したのを見届ける。それで一安心だと、手を離す。


「あっ……」

「どうした?」

「いや、なんでもない」


 黒木がまた不安気な……それとも少し違う切なそうな顔をした。


「まだ、怖いか?」

「そ、そうだよそうなんだよ! ……だから、手、握っても、いい……か?」

「どうぞ。ほら」


 差し出した俺の右手に、黒木の左手が恐る恐る伸びる。そして控えめに触れ、ついには握られた。その様子がまた可愛らしい。

 ……恥ずかしがりながらも、怯えながらも、学校に行こうとする黒木に俺は。


「怖い、ならさ…………行かなくても、いいんじゃないか」

「えっ……?」


 そんな、考えうる限り最悪のことを提案していた。

 俺の邪悪でドス黒い感情がそうさせていた。

 これはなんなんだ、この感情はなんと呼べばいい? 恋心だって自覚してしまえば気が楽になったが……これにも名前があるのだろうか。


「なんだよ和泉、お前、一緒に…………行きたいって、言ってくれたじゃないかよ!」

「そうだその通りだほんとにな……」

「和泉……?」


 黒木が俺の顔を覗き込む。その顔は酷く悲し気で、ああ俺のバカ野郎、黒木にこんな顔させてんじゃねえや、黒木には今までの分まで笑っていてほしいんだよそんなのは自分が一番わかってるはずだろうが——。


 あっ。


 もしかしたら。

 俺はこの感情の正体がわかった気がした。しかしそれが真実なのだとすればそれは本当に、自分のせせこましさに嫌気が差す。


「黒木、俺はお前が好きだ」

「…………ええっ!?」


 黒木は顔を真っ赤にして目を見開いた。


「初恋ってやつらしい。どこがどう好きだとか、理論立てて説明したりはできないが本当だ。お前の一挙一動に一喜一憂する自分がいて、その理由に昨日、ようやく気がついた。

「この前の土曜日なんかな、思い出しただけで心臓がバクバクいうぜ。お前がファミレスでハシャぐ姿も、顔も、手の柔らかさも、はっきりと思い出せる。自分でもキモいくらいだ。

「あの日はお前のいろんな一面が見れた気がしてすげー楽しかった。お前のあらゆる側面を見たいと思った。

「それで、それを見られるのは、俺だけがいいと思った」


 独占欲。俺の中に渦巻くそれは、恐らくそんな名前が付けられていることだろう。


「俺だけの黒木でいてほしい! 誰かに取られたくなんてない! ……もちろんこんなのは俺のワガママだ、お前は誰のものでもない一人の人間、黒木あん子なんだからな。

「…………あーすまん、忘れてくれ。ええっとだ、俺が変なことを言っちまったのは、そういう理由、なんだと思う。

「悪かった。俺の身勝手で、お前を振り回しちまって」


 俺は深く頭を下げる。

 俺の身勝手で、黒木の楽しみを損なうようなことをしてしまった。

 思い返せば俺は黒木に対して、ずっと身勝手で、振り回して、力になりたいだなんてのは、自分のやったことを都合よく解釈しただけで。結局は、全部俺のワガママだった。

 そんな奴が、黒木のことを好きだとか、笑わせる。黒木のことが好きなら、黒木のことをもっと考えてやれよ。


「ははっ、駄目だな、俺は。黒木のことを好きになる資格なんて、これっぽっちもない」


 乾いた笑いが溢れた。そして、涙も。

 泣いていた。たぶんあれだ、これは失恋というやつなのだ。

 だとすればやっぱり身勝手だ。勝手に恋をして勝手に失恋して、一方的だ。

 そんなことを、自嘲的に思っていると。


「そんなことないっ!」


 不意に、黒木が叫んだ。


「お前はっ、私を外の世界へ引き戻してくれた! 手を差し伸べてくれた! 小さなメモ一枚が、私にとっては希望だった!

「朋佳と仲直りだってできた、一緒に映画見たりしたのは楽しかった。自分がしたこと、忘れてんじゃねえっ!

「お前が私にしてきた、全部が、私の大切なものだ! それを忘れて、勝手に謝るほうがよっぽど身勝手だろうが!

「私も、好きなんだよ、お前のことが…………」


 気がつけば、黒木も涙を流していた。

 しかし黒木は、溢れる涙を力強く拭い、続けた。


「好きになるのに資格がいるんなら、私だってそんなもんない。お前に甘えて、自分じゃ何もしなかった。駄目なのは私だ。

「だが私はお前を諦める気なんて全くない! これから一緒に学校に行くんだから、いつだってアプローチしてやる!

「って、思ってたんだけど、さ…………。

「またお前に、先手を取られた。すげー嬉しかったよ」


 そう言って、恥ずかしそうに笑った。

 俺はそんな黒木を、思わず抱きしめていた。


「おわっ! なんだよ急に! こんな、道端で」

「すまん、気持ちが抑えられなかった」

「……そうかよ」

「……なあ黒木。俺と——」

「待った!」


 言って、黒木は俺の言葉を遮った。


「私に……言わせてくれ」

「うん、わかった」


 俺の腕の中、黒木は深呼吸をし、こちらを真っ直ぐに見据えて。

 一言。


「私と、付き合ってください」

「…………ああ、喜んで」


 俺はそう言って、もう一度力強く、黒木を抱きしめた。

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