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1.文句

 高校入学から一か月弱、俺はいつも隣を眺めていた。

 窓から射し込む日の光に照らされる、茶色の天板。先輩方が彫ったであろう知らない人と知らない人の相合傘がチャームポイント。教科書をしまうところは若干の変形が見られ、足も錆びた色になっている。セットになった椅子が比較的新しいものであるため、余計に古めかしさを感じる仕上がりとなっている。

 そう、机。俺の隣には、机があった。


 人はいない。


 入学以来、現在俺の左隣、窓側最後列の席の生徒は学校に来ていなかった。いわゆる登校拒否というやつだ。しかも家庭訪問に行った先生ですら一切話したことがないという、筋金入り。

 だからこの未確認の同級生について、知っている情報はたったの三つ。

 まず性別、女子。次に名前、黒木(くろき) あん()。最後に住所、俺の家(うち)の隣……。


「じゃあ和泉(いずみ)、このプリントを黒木に。頼む」

「了解です」


 そんなわけで、俺は黒木への届け物係となっている。

 宿題なりの提出物があれば、どうぞ俺の下へ。と、そこまでウェルカムでもないが、断る程のことでもないから引き受けた。

 しかし俺は、黒木と顔を合わせたこともなければ声を聞いたこともない。黒木のお母さんに提出物を渡し、翌日黒木のお母さんから提出物を受け取る。ただそれだけだ。


 となると、どこか虚無感を覚えてしまうというもので、ずっと続けるのも馬鹿らしい気がしていた。俺は善人でもないし。

 だから今日は、少しだけ文句を言ってやろうと思った。文句、といっても直接言うわけではない。プリントと一緒に小さいメモを渡すだけ。


(なんて書こうか……)


 黒木は高校入学に合わせてこちらに引っ越してきたから、登校拒否を続ける理由も知らないし、「学校来いよ」とか無責任なことは言えない。デリケートな問題だろうから。

 となるとどうしたものか。顔も声も知らない同級生に言えることなんてあまりないし……でも何か言ってやりたい気もするし……。

 そうだ、俺はまだ声すら知らないんだ。


「声くらい、聞かせてくれ……っと」


 メモ用紙にシャーペンで、一言。……なんとなく緊張して綺麗に書いてしまった。ま、まあ字が綺麗で損ってことはない。第一印象は大切だ。しょっちゅう届け物をしている時点でいい印象を抱いていてほしいところだが。


 ……にしても、これちょっと気持ち悪くないか? 「声聞かせろ」って、ストーカーくさいっていうか。これで余計学校来る気なくしたら、責任は俺にあるわけだし、迂闊なことはしないでおくべき……?

 いや! 何も言わずにただ物を届けるだけってのは、使いっ走り感があって嫌だ! このくらい言ったって許してくれ!


 勢い任せに、メモ用紙を黒木用の連絡袋に入れて、鞄にしまう。よし、あとはいつものように届けるだけ。

 ……やっぱりなんとなく緊張している。さっさと済ませてしまおう。こういう時、帰宅部で良かったと思う。


 今朝来た通学路を引き返す間、いつもより黒木の存在を大きく感じる。淡々と事務的に、言われた通りに関わるのとは違うからか、どうにも意識してしまう。

 告白でもするのかってくらい心臓がバクバクいってるけども、どちらかといえば爆弾処理の緊迫感に近いと思う。どっちも経験ないけどさ。


 未知との遭遇、ってのが一番近いか? それも第一種をトばして第五種接近遭遇を図ろうっていうんだから、緊張するのもさもありなんというわけで。


 そんな緊張感を携えて歩く帰り道はやけに短く、あっという間に黒木宅へと到着した。

 改めて黒木宅を前にすると、圧倒される……ということもなく。いつも通りの、若干生活感のない、引っ越したばかりという様子の家だ。それまでの緊張がバカらしくなる程、普通だ。そりゃそうなんだけど。


 木製の門扉を開け、短いアプローチを進んだ先の玄関前にて。程よく気の緩んだ俺は、インターホンを鳴らした。いつも通りに。


「はーい、ああ和泉くん」

「こんにちは、これプリントです」

「いつもごめんなさいね、届けてもらって……」

「いえいえ、大丈夫ですよ」


 黒木のお母さんの顔は、少し影を落としているように見えた。いつも通り。


「では、また」

「ありがとうね、和泉くん」


 黒木のお母さんに見送られ、俺はすぐ隣の自宅に帰った。

 住み慣れた我が家はやはり落ち着く。さっきまでの落差といったらない。

 さて、黒木にプリントを渡すということは、俺にも出さなきゃならないプリントがあるということ。今日は数学の宿題だ。

 こういうのはちゃっちゃと済ますタイプなんだ俺は。


「ええっと、公式はー、これか」


 だけど数学は苦手なんだよなあ……。公式覚えて応用して、って。中間テストが心配だ。

 さてさて次の問題は——


(あれって……)


 ふと目を向けた窓の外。そこには向かいの家、黒木の家の窓がある。

 いつも通りであれば厚手のカーテンで閉ざされているその小さな窓が、今日はレースのカーテン一枚だけだった。部屋の光が漏れ、それを遮る人影の動きがわかる。


(黒木 あん子……)


 なのか?

 今まで一度も開くことのなかったカーテンの向こう、蠢く影に、未だ知らない同級生を想像する。


(ま、いいや)


 カーテンが開いたからってなんなんだ。気分の問題だろうそんなもの。

 まだ梅雨前だってのに暑いし、俺も涼むために窓を開けてるんだ。黒木だって同じようなものだろう。


 さあて宿題も終わったし、俺が気にするのは明日の黒木の反応だ。ま、なんの反応もないってのが予想なんだけど。

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