反撥
翌日の、学校。
昨晩、ベフトはよく眠れなかった。
街中で拾った新聞の見出しが脳裏に焼き付いて、頭から離れなかった。
殺人鬼、ステルスについてだけを考えていたのではない。寧ろ、ステルスは色々な事を考えるきっかけとなった。
現世の事、将来の事、この世界の歴史の事…。
万感の想いが脳裏で犇めき、ベフトには大声で喋る教師の言葉が入って来なかった。
教師の話を聞いて、何になるのだ。
机の上に置かれた参考書には様々な魔術が掲載されている。
グライゴア族には闇の魔法という属性魔法を使う事が出来る。
闇の魔法は現世の人間には使えない。
今、目の前の教師が話している内容は、闇の魔法に関する事だった。
ベフトは幼い頃から魔術師としての才が周りと比べて秀でていた。
しかし、魔法を覚える事に関心があった訳ではない。何故か闇の魔法であればすぐに習得する事が出来たのだ。
ベフトの才能に周りからは羨望の眼差しや嫉妬心が向けられたが、ベフトには一切それらが気にならなかった。
寧ろ、どうでも良かったというべきか。
興味の有るものに対しては他の事が一切合切気にならない性格だが、興味が無いものに関しては視界にさえ入れたくないと思っていた。
彼にとって興味の無い人物は戯言を放つノイズでしかない。
闇の魔法はいとも容易く習得する事が出来るが、積極的に学ぼうとは思えなかった。
ベフトには自分は強くなりたいのか、地位や名声が欲しいのか良く分からないのだ。
生きる意味を見出せていない、最近は事あるごとにそう思っている。
ずば抜けた魔法の才能を持つばかりに周りの人間とは分かり合えず、ベフトは孤立していった。
一人になったお陰でベフトは自分が元々、群れる事や人と関わる事が嫌いな人種だと気付いた。
ベフトは窓の外を見た。相も変わらず外は暗い。闇には慣れたが光が無ければ遠くを見渡せない景色。
現世では移ろう季節と共に景色を見渡せて、風情も感じられるという。
最近のベフトはヴァニタスの事を考える度に現世の事を引き合いに出してしまっていた。
自分は現世に行きたいのだろうか。
今の自分がしているのは無い者強請りなのだろうか?いや、自分は強請ってなど居ない。ただ現世の景色を見てみたいだけなのだ。
この世界が、退屈なだけなのだ。
「おいベフト、聞いているのか?」
ベフトは声がした方にゆっくりと目を向けた。気付かない内に教師がベフトの座っている席前まで来ていた様だ。
教師は顔に怒りの感情を浮かべている。彼は魔法の実技の科目を担当している教師だからか、少し気性が荒い。
「悪いけど、内容が全く頭に入って来ない。」
「なんだと?さっきからずっとお前を見ていたが、目の焦点が教科書に合っていないし挙句は窓の外を見詰めて上の空。俺を舐めているのか?」
悪びれる素振りさえ見せないベフトに、教師はイラつきを隠せない様子だった。
ベフトにはこの教師が怒りの矛先を自分に向けようがどうでも良かった。
「正直、舐めてるさ。でも、俺を怒るより興味を持たせられるような授業をしていない自分を反省した方が良いよ。」
「なんだと、てめぇ!」
教師の拳が、自分に向かって飛んでくる。
ベフトは、わざと教師の神経を逆撫でするような事を言ったのだ。
武術の実力もこの教師より自分の方が上だという自負があり、それを確かめたかったからだ。
案の定、教師の実力はベフトの予想の範疇内だった。ベフトは教師の腕を左手で跳ね除け、右の拳で腹部を殴った。
「…ッ!!」
声も出せず、痛みに悶えながら教師はスローモーションのように静かに崩れ落ちていった。
「あんたが強い人っていう事は知ってるんだけどさ、戦争で兵士として選出さえされなかった癖に俺に拳を向けるなよ。」
跪き、腹部を抑えて俯く教師を見下ろしながらベフトは言った。目も開けられない程の苦痛を味わっているようだ。
客観的に見ても、今の自分はきっと冷ややかな目をしているのだろう。ベフトはそう思った。
周りがざわざわと騒ぎ始める。
ベフトの反撥が面白かったのか、楽しそうににやつく者。
まるでこの後は自分が殴られるのではないか、と怯えた表情をしてこちらを見る者。
急いで教室を出て、この騒動を大人達に伝えにいく者。
色々なアクションを起こす他の生徒達の行動を、ベフトは尻目に見ていた。
騒ぎ立てる声。ベフトにとっては何を言われてもどうだって良い。
嗚呼、どうでも良すぎて周りの声が耳鳴りのようなノイズにしか聞こえない。
(俺は、どうしたいんだろう。)
ベフトは腹部の痛みに悶え続けている教師を見下ろしながら、漠然とそう思った。