椅子取りゲェム
「それで、冷凍ポッドの太陽さんの容態はどうなのですか?」
男は珠子に質問する。男の名前は速水工。弁護士だ。
歳の頃は四十を少し越えたぐらい。弁護士と呼ばれる人種とこれまで無縁で生きてきた珠子にとって、速水が弁護士として若いのか若くないのか分からなかった。
いや、珠子が速水に求めるのは若さではなく能力なのだろうが、その点でも彼が及第点に達しているのか定かではなかった。なにしろ原子復元の問題を扱って良いという弁護士が殆んどいなかったのだ。原子復元自体が新しい技術のため今回のような事例はまさに初めて事だった。さらに相手が連邦政府ともなれば誰もが尻込みをした。そんな中、何日もかけて様々な人脈を使ってようやく確保できたのがこの速水だった。
今、珠子は速水と月子と太陽について相談しているところだった。
「月面基地で診てもらった結果、やはり月面では覚醒はできないと判断されたそうです。
2日後に地球に輸送して、専門施設で再検査の上、覚醒処置に入るそうです」
「どのくらいの時間がかかるのですか。
後、成功率はどのくらいと言っていましたか」
「輸送に2日。再検査に3日。そこから処置計画に依るとのことですが3日から1週間と言われました。
成功率については答えられないとしか、言われませんでした」
「そうですか。猶予は長くて2週間程度ですね。
他にはなにか?」
「検査の結果、脳にダメージがあるそうです。
うまく覚醒できたとしても障害が出る可能性が高いと言われました」
「具体的にはどのような障害なのですか」
「脳のダメージ具合や出る箇所によって変わるらしいです。言語障害、記憶障害。運動機能に問題が出る場合もあるそうです」
「ふ~ん。その情報は使えるかもしれませんね」
「使えるとは?」
「つまり、どちらがオリジナルの太陽さんに近いかということです。
今の話が本当なら無理に冷凍ポッドの太陽さんを覚醒させたとしてもオリジナルの太陽さんにはならない。むしろ、今、セカンダリーに認定されている太陽さんのほうがオリジナルに近いと言える。だから、この際、セカンダリーとプライマリーの設定を変えてしまう――」
「ち、ちょっと待って下さい。
それだと今度は冷凍ポッドの太陽が処分されてしまうことになってしまいます」
珠子の言葉を聞いて、速水は小さくため息をついた。そして、珠子をじっと見つめる。
「珠子さん。この話を引き受けるとき、行動する上での優先順位について話し合いましたよね。そして、決めましたよね」
そこまで言うと速水は一旦言葉を切った。
そして、ゆっくりと一言一言噛み締めるように珠子に問いかけた。
「話し合いの結果を。
優先順位を言ってください」
「えっ、わ、わたしはただ……」
「優先順位を言ってください」
速水からは、優先順位を聞くまでは一歩も先に進まないぞ、という強い意志が伝わってきた。それを感じ、珠子は観念する。
「月子です。月子。
あの子の身の安全が一番です。
でも、後のことは、後のことはダメです。
わたしには優先順位がつけられません。
……
最初わたしの中では、夫はセカンダリーと呼ばれている太陽でした。だって7年共に生活してきたんです。
月子の父親なんですよ!
でも、冷凍ポッドで眠っている彼を見たら、ええ、月からの映像でしかなかったけれど、それとやっぱり太陽なんです。
そしたら、何だかよく分からなくなって……
必死になって戻ってきたあの人を見棄てることもやはりできない。
だから、だから、幾ら考えても順位なんてつけられないんです。
これが精一杯なんです。勘弁してください」
声を震わせ珠子は答えるとテーブルに顔を埋める。速水はその様子を無表情で見下ろしていたが、やがて、引き結んだ口元を緩めて言った。
「すみません。あなたを追いつめるのが目的ではないのです。しかし、しっかりと優先順位をつけておかないと、決断を迫られた時に迷ってしまい、結果として全てを失ってしまうものです。
今、あなたたちが置かれている立場がそうだと言うとこを常に忘れないでいていただきたいのです」
珠子は顔をあげる。興奮で頬は少し赤らみ、涙ぐんでいる。
「はい、分かっています。
すみません、取り乱してしまって」
珠子は目尻を拭い、答えた。
「とにかく月子さんを最優先との前提でこれからの私たちの行動を考えていきましょう」
「あの……
やはり、どちらかの太陽を犠牲にしないといけないのでしょうか?
無理に一人にしなくても二人が生きていても一向にかまわないではないですか。
一緒にいると不都合だというのならどこか遠くでそれぞれ暮らすとか色々な方法があると思うのですが……」
「仮に二人を同時に生かすとして、珠子さん、あなた、ご自身の身の振り方はどうされるおつもりですか?」
速水の予想外の質問に珠子は窮した。
「仮にどちらの太陽さんも生存できるとしましょう。どちらか太陽さんとご夫婦関係を持つおつもりですか?
だとしたら、どちらの太陽さんと暮らすおつもりですか?
どちらを選ぶにしても、選ばれなかった太陽さんは不満に思うでしょうね。
つまり、なんでもかんでも半分っこにはできないのです。ちょっと考えただけでうんざりするような問題がいくらでも発生するでしょう。
そして、人権の問題もあります」
「人権の問題?
プライマリー、セカンダリーなんて訳の分からない選別をして、片方を殺してしまうほうがよほど人権に問題があるとわたしには思えますが」
「原子復元の複製元と複製されたものは全く同一である、これが原子復元の基本概念です。
この基本概念の元、原子復元運用規則が構築されています。
私たちがこの世にどう生み出されたかを考えてみてください。
男と女が運命的な出会いをして、と言うような文学的な表現は一先ず置いて、ようは不特定な男女が全くの偶然で出会い、様々な経緯を経て行為に及び、億分の一の確率で遺伝子の結合によってようやくこの世に生み出される。
それを神の壮大な計画と言っても良いし、運命とは言い換えても一向にかまいません。
私が言いたいのは、そういう人智では制御できない力で私たちはこの世に生み出されているということです。いわば、私たちはこの世に存在しても良いという切符を手に入れた結果、今、ここにいられるという訳です」
「切符?」
「そう、この世に存在するための許可証、指定席券みたいなものです。
この世に存在する人間は皆、この指定席券を持っているのです。
ただし、その券は一人にただ一枚きりです。
生まれも頭の良し悪し、貧富の差も関係なく一人につき一枚きりしか持っていないのです。
それは人類、いいえ、生命が誕生してからずっと続いている基本ルールでした。
原子復元の技術が発明されるまではね。
原子復元はいわば、このこの世の指定席券を無断でコピーして世の中に居座る技術です。
そしてこのような行為は、本来この世に存在するべき人たちの権利を侵害するものと考えられています。
指定席に行ったら既に別の人が座っていた、と言うような感じでしょうか」
「正直、良く分かりませんわ。
そんな技術なら最初から許可しなければ良いではないですか」
「危険なものでも効果が高ければルールを決めて使う。認知されていないだけで、世の中にはそんなものがたくさんあります。
昔、心肺停止が死の概念でした。しかし、心臓移植が可能になった時に脳死という概念が作り出されました。これは心臓移植を成功率を上げたいがためです。勿論、そのお陰で沢山の命が救われた。社会がそれを是としたのです。
現在では必要な臓器は自前の細胞で製造できるので、脳死の概念が取りざたされることもないですが、脳死の概念が出てきたときはかなり胡散臭いものとして扱われたものです。
原子復元はかなり胡散臭いものではあります。いや、脳死以上にグレーでしょうね。
一応許可はされていますが、未だに一部の宗教団体や自然保護団体は熱心に反対運動をしています。
結局のところ、大きな利権があるので政府のごり押しで認可されているのです。
それゆえ、この問題は禁忌とされている事例なんです」
「禁忌とされている?」
「そう、一応理論武装されてはいますが色々穴も多い。変に騒がれて世間の注目を浴びたくない。騒がれて制度自体の見直し運動に発展することを政府は極度に恐れている。
例えばてますね、先程の指定席券理論で言うのなら、有効期間論法と言うのがあるのです」
「有効期間論法?」
「誰かが事故で亡くなったとします。
原子復元規則は単に紛失した指定席券を再発行する手続きだから紛失したことを承認できれば再発行しても問題ない、と言う考えですが、そもそも事故に遭うこと自体がその人の運命であり、そこで指定席券の有効期限が切れていると考えるのが、有効期限論法です。これによると有効期限が切れた指定席券を幾ら再発行しても、その人が存在して良いと言う根拠にならない。従って、原子復元は如何なる理由があっても認めては駄目だ、となります。
先程、少しお話しした反対運動をしている団体はこの考え方です」
「なんだか、頭が混乱してきます。
変な理屈をこねているだけで大事なことがすっかり抜け落ちているような違和感があります。それが月子を助けることになるんでしょうか?」
「ありません。むしろ月子さんの身を危うくする理論です。
今回の件は判例がないため、規則を作った根本まで立ち返らないと駄目だなのです。
原子復元が審議されたのは今のところ21件、これには『テーセウス』の4件も含まれてます。その内、審議で復元の許可が下りなかったのは3件。最終承認者で復元が拒否されたのが2件。ご存知と思いますが、その一つがカレン・ツァン・リーです。
原子復元が重複した事例は太陽さんのただ一件。まして、セカンダリーの子供の人権をどう考えるかなど判例どころか議論すらされたことがありません。
さんこうとするものが全くないのです。このような場合、先ほど言ったように規則の根拠に立ち戻らなくてはなりません。有効期限論法は原子復元そのものを否定する考えのため、月子さんを助けることはできません。
ただ、法とは突然誰かが適当に決めたのではなく、それなりの論拠を持って決められるということをご説明したかったのです。
やはり私たちが取れる方法です。
一つは、先ほど提案したプライマリーとセカンダリーの交換を狙っていくのものす」
「それはどのくらいの勝算ですか」
珠子の質問に速水は少し考えてから答えた。
「三割ですかね。上手くいって三割です」
「なんでそんなに低いんですか。
月子は私の子供でもあるんですよ。
あの子の人権はどうなるんですか!」
珠子はふつふつと沸き上がる怒りを抑えることができずに叫んだ。
あの子になんの罪があるというのか。
まだ6歳なのだ。それをよってたかって自分あちの都合でなかったことにしようなんてとんでもない話だ。
「セカンダリーと認定されれば、それは存在しないことになるのです。
存在しないものからは何も生まれない、故に月子さんは存在しない」
大声を上げそうになるのを懸命にこらえていた珠子だったが速水の言葉はその努力を打ち砕いた。かっとを目を見開く。
「ふ・ざ・け・な・い・で!!
月子はいます。存在しないなんて絶対に言わせない」
珠子はドンドンとテーブルを叩き、速水を物凄い形相で睨み付けた。
「珠子さん、落ち着いてください。
私がそう思っているのではありません。
私たちか相手をしようとしている者たちが、そう言う考えでいるのです。
そんな連中に対抗する方法を考えているのをお忘れなく」
怒り狂う珠子を前にしても速水は動じない。
落ち着いた、諭すような言葉に珠子の怒りは見事に肩透かしをくらう。
確かに、速水の言うことは正しかった。
泣き叫んだり、怒鳴り散らせば気分は晴れるかもしれないが誰も救うことはできないのだ。
珠子は心を落ち着かせようと、両手で顔を覆い、ゆっくりと深呼吸をした。
1分ほどそうしていると、ようやく冷静になることができた。珠子は顔をあげた。
「そうね。そう。すみません。取り乱してしまって。月子のことを考えると、すぐ頭に血が上ってしまう。
今は冷静にならなければいけないのですよね。
私がしっかりしないと……
それで他に、他に月子を助ける方法はないのてでしょうか?」
「後は月子さんは珠子さんのお子さんであることから半分の人権を主張してみる」
「上手くいきますか?」
「正直、かなり望み薄です。そもそも半分の人権という概念がありませんから。
次は原子復元の基本概念である同一性で押していくものです」
「同一性?」
「そうです。原子復元されたものとその元になったものは同じものであるという大前提です。
この大前提に従うなら、セカンダリーの太陽さんとプライマリーの太陽さんは同じと主張できるでしょう。なので、セカンダリーの太陽さんと珠子さんの間にできた月子さんは、プライマリーの太陽さんと珠子さんの間であっても同じように月子さんが生まれるだろう、とする考えです。故に月子さんはプライマリーの太陽さんの子供と考えられるです」
速水の説明に、珠子は困惑の表情する。そして、短くない沈黙の後、申し訳なさそうに言った。
「あの……
すみません。私、今の説明がよく分からないです」
「記号に置き換えてみましょうか。
簡単な三段論法です。
プライマリー、冷凍ポッドの太陽さんを『A』とします。セカンダリーの太陽さんを『B』とします。そして、月子さんを『C』とします。
『C』は『B』の子供。
これを『C』》『B』と記載します
これは良いですね」
「『C』は『月子』で、『B』は『太陽』だから……
はい、いいです。分かります」
速水がメモ書きした式を珠子はじっと見つめながらぶつぶつ呟き、やがて頷いた。
「原子復元の大前提から『B』=『A』
これを最初の関係式『C』》『B』を組み合わせると『C』》『B』=『A』
紛らわしいので『B』を消すと
『C』》『A』
先程の関係式から読み解くと、
『月子』は『(冷凍ポッドの)太陽』の子供
となります」
「う~ん、なるほど」
今度も、珠子はやや釈然としない顔だったが、かろうじて頷いた。
「こうなれば、月子さんはセカンダリーの太陽さんの属性から解放され、処分の対象からはずすことができるでしょう。
ただし、この場合はプライマリー、すなわち冷凍ポッドの太陽さんに月子さんを認知してもらわなければなりません。
月子さんが『プライマリーの太陽さん』の子供であると認める『セカンダリーの太陽さん』の念書も取っておく必要があるかもしれません。
恐らくこれが最も受け入れられる公算が高いですね。原子復元の基本思想に立脚してますので、相手も否定しにくい。
否定してくれば、原子復元自体の存在が揺らぐので、そこの議論を避けるためにあっさりと認めてくれるかもしれません」
珠子は黙ったままだった。それを了解と受け取った速水は言葉を続けた。
「それで私たちの方針ですが、1案は冷凍ポッドの太陽さんの健康不安をついてのプライマリーとセカンダリーの交換を要求するもの。
2案目は、原子復元の同一性論法で月子さんを守る方法。
2案目の方が通る確率が高いです。
半々かより上、つまり6割というところでしょうか」
「太陽はどうなるんでしょうか」
「1案目が上手く行った場合はプライマリーとセカンダリーが入れ替わりますので冷凍ポッドの太陽さんが処分対象になります。
2案目の方法の場合は現セカンダリー認定の太陽さんが処分対象のままです」
珠子はため息をつく。
「二人とも助ける方法はないのですか?」
珠子の言葉に速水は片方の眉を上げ、無言で見つめる。そして、答えた。
「また、ぐるりともとに戻りましたね。
どうしてもと言うのなら、原子復元を認可したこと自体が間違いであったと当局のミスを糾弾して二人の処分差し止めを請願する方法もあります。しかし、その場合、かなりの確率で当局は原子復元無効化に踏み切るでしょう。そうなればプライマリー太陽さんの覚醒正否に関わらずセカンダリー認定されている太陽、月子さんの処分が断行されます。
リスクが高すぎると思います。
珠子さん、あなたの心情は良く分かるのですが、これは二人を同時に救うことはできないトロッコ問題のようなものなのですよ」
2019/06/23 初稿




