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待つ人

 白瀬(しらせ)珠子(たまこ)が宇宙局から緊急の呼び出しを受けたのは丁度、朝の支度をしている時だった。

 すぐに来てくれ。夫である太陽(たいよう)に関する重要案件だ、と言われた。

 太陽の名前が出た瞬間、珠子の心臓はどきりと脈打った。

 この3年半の間、恐れていたことがついに現実になってしまった予感がしたからだ。


「わかりました。すぐに行きます。

あの、主人は?太陽の身に何かあったということでしょうか?」


「すみません。

私は珠子様に今のメッセージを伝えろと命じられただけですので」


 相手の言葉は丁寧であったが、知らぬ存ぜぬの繰り返しだった。本当に知らないのか、それともとぼけているのかは言葉の調子ではわからない。詳しいことを知りたければ宇宙局に行くしかないということだ。

 珠子は携帯を切ると手早く準備を整え外に出た。

 外に出ると既に無人タクシーが待機していた。宇宙局が手配してくれたものだ。珠子が乗り込むとタクシーはすぐに走り出した。

 タクシーは高速から更に政府機関専用レーンに入り、ぐんぐんと加速していった。

 やがて宇宙局のある中央科学技術センタービルが姿を現した。普通の交通機関を使ったら1時間近くかかるところを僅か15分で到着した計算だった。

 それでも今の珠子にとっては亀の歩みに思える。無人タクシーが来客駐車場に止まると自らドアを開け、受付に足早に向かった。

 受付で名前を告げると200階にある宇宙局へ行くように告げられた。

 奥にある直通エレベーターで一気に地上1000メートルの高さまで登ると、そこに宇宙局の入口があった。

 身分証の提示と指紋、網膜によるやけに厳重な本人照合を経てようやく中に入ることができた。

 廊下には銀色のいかにも宇宙局とおぼしき制服を着た男が待っていた。浅黒く彫りの深い顔立ちにアラブ系だろうかと珠子は内心思った。


「白瀬珠子様ですか?」


 男は恭しくお辞儀をすると聞いてきた。自動翻訳機ではない地の声による流暢な日本語の出迎えに珠子は少し驚いた。

 「はい」と答えると名刺サイズの銀色の物を向けられた。


「失礼します」


 カシャリとシャッターの落ちる擬音がした。


「これを胸に付けて下さい。このエリア内にいる間は常につけていて下さい。

付けずに禁止エリアに立ち入りますと最悪拘束されますのでご注意ください」


 男はシャッター音を発したその銀色の物を珠子に手渡しながら言った。

 渡されたものには珠子の名前と顔写真が表示されていた。

 珠子はそれを胸に付けながら、写真を撮られるならもう少し念入りに化粧と服に気を使えば良かったと一瞬思った。

 案内されたのはかなり広い部屋だった。

 正面の壁には一面大きなスクリーンがかけられている。中央には白い長机。そして、その長机を囲むように椅子が何脚も並べられていた。

 部屋には既に先客がいた。

 頭に白いものが混じりはじめている年配の男、そして若い女がひとり。

 珠子が中に入ってくると二人とも珠子の方へ視線を向けた。

 女の方には見覚えがあった。

 確かに太陽が宇宙に出発する時に見かけた。記憶が確かなら太陽と同じ探査船のクルーの一人と抱き合っていた。おそらくはそのクルーの妻か恋人なのだろう。それとも妹か姉か。美しい金髪を持つ若い女性だった。本来なら愛らしいその顔立ちも今は真っ赤に泣き腫らした目が痛々しかった。

 年配の男の方は見覚えがない。ただ、アジア系の顔立ちから、こっちの方も探査船のクルーの一人の関係者ではないかと珠子は思った。

 確か名前はカレン・ツァン・リーと言う名のクルーがいたはずだとぼんやりと考えていると


「後もうお一人来られます。それまで暫くお待ちください」と、部屋に案内してくれた男はそう言って出ていってしまった。

 珠子は仕方なく近くの椅子に静かに腰かけた。

 誰も一言も喋らなかった。

 珠子が部屋に案内されてから20分程して一人の女が入ってきた。珠子はその女性の名前も顔も良く知っていた。

 アウラ・エリクソン。

 彼女もまた太陽と一緒に探査船に乗り組んだトーマス・エリクソンの妻だ。

 太陽とトーマスは、二人が探査船に乗り組む前からの友人であり何度かホームパーティーで招いたり、招かれたりした仲だった。


「ここ、いいですか?」


 アウラは珠子を認めると近づいてきて言った。珠子は曖昧な笑みを浮かべただけだったが、アウラはそれを肯定と受け取り隣に座った。


「トーマスたちになにかあったということかしら?」


 少しの沈黙と後、声をひそめてアウラは言った。

 珠子は力なく首を横に振った。


「分かりません。でも、この部屋に集められた人の顔ぶれを見ると探査船になにかあったのでしょうね」


「トーマス、いえ、トーマスやタイヨウは無事なんでしょうか?」


 わたしもそれが知りたいのだ、と答えようとした珠子は口を閉じた。

 ドアが(ひら)き、一人の男が入ってきたからだ。

 男は珠子他、部屋でまたされていたすべての視線を浴びながら(少なくとも見かけ上は)平然と歩き、正面の壁に掛けられているスクリーンのきっかり真ん中で止まり、直立不動の姿勢をとった。


「皆さん、大変お待たせしました。

本日は不躾な呼び出しにも関わらず、集まって頂き感謝いたします。

わたくしは、カール・フェデリーニと申します。

木星圏有人探査プロジェクト『エウロパ エンゲージ』の推進責任者です。

お察しかとは存じますが、本日、皆様にお集まり頂きましたのは、このプロジェクトの遠太陽系探査船『テーセウス』についてです。

現在、探査船『テーセウス』は57時間前より定期通信が途絶えております。

私たちプロジェクトチームは、慎重かつ徹底的な調査を行った結果、誠に遺憾ではありますが、探査船『テーセウス』に何らかの事故が発生したと判断いたしました」

 

 木星圏有人探査プロジェクト『エウロパ エンゲージ』


 それは、人類最初の木星への有人探査の計画だった。目標は木星の衛星であるエウロパへの軟着陸とAI制御の無人基地建設だった。探査船『テーセウス』は木星へ行くための探査船の名前だ。

 『テーセウス』の船長が珠子の夫である白瀬(しらせ)太陽(たいよう)

以下、機関長兼副長のトーマス・エリクソン。

通信、医務担当のカレン・ツァン・リー。

航法、コンピューター担当、エリック・ベルクマンの総勢4名となる。


 ある程度は予想していたが、『事故』の二文字を聞いたとき、珠子は気絶しそうになった。

 気絶しなかったのはひとえに前に座っていた若い女性がかな切り声をあげたのとアウラがひどく強い力で珠子の腕を握ったからだった。

 アウラの方を見ると顔面蒼白で口を一文字に噛み締めていた。それでいて目だけが爛々とこの不幸を告げた男の顔を睨み付けていた。

 さっきかな切り声をあげた女性は机に突っ伏し、さめざめと泣き崩れ、年配の男は取り出したハンカチでしきりに顔を拭いていた。

 誰もなにも言わなかった。

 いや、なにか言わなくてはならないのは分かっていたがみんな、頭が混乱して考えがまとまらないのだ。


「それで、夫は、いえ、『テーセウス』のクルーたちはどうなったのですか?

無事なんでしょ?」


 珠子はかすれた声で何とかそれだけ質問することができた。

 

「最後の通信が『エンジントラブル』という緊急通信でした。それ以降通信が途絶えたため詳細は分かりません。

しかし、その数時間後に火星や月、地球の各観測基地で強力な電磁波障害が発生しています。

太陽系外からの突発的宇宙線バーストにより『テーセウス』の電子装置がなんらかの致命的なダメージを受けた可能性が推定されます」


「私が聞きたいのはそういう話ではなく、乗組員は、私の夫や乗組員が今、どういう状態なのか?です。

そして、深刻な事態に陥っているとして救助は進んでいるのか?です。」


 的はずれなカールの回答に少しイラつきながら珠子は言う。珠子が今一番知りたいのは太陽の安否だけだった。それに対して、カールはほんの一瞬だけたじろいだような表情を見せたが、すぐに答えた。


「大変もうしわけないのですが、えー、Frau(フラウ)珠子。

『テーセウス』のクルーの安否は絶望的と言わざるを得ません」


 珠子は頭から血が下がるのを実感した。


「『テーセウス』は計画では、火星と木星の中間、アステロイドベルトの手前ぐらいを航行中でした。しかし、通信が途絶えているために正確な位置は分かりません。

仮に正確な位置が分かったとしても助けにいく手段がありません。

現在、アステロイドベルトまで行ける船は世界中で『テーセウス』以外には存在しないのです。つまり、だれも『テーセウス』を助けにいけないのです」


「そんな、位置も分からなければ、助けにも行けないなんて……」


「いかに『テーセウス』のクルーが困難な状況かご理解頂けたでしょうか」


「ふざけるな!

そんな話があるか。娘を、娘を返せ!」


 突然男の怒声が上がった。さっきまで椅子に座っていた年配の男がカールに殴りかかるような勢いで詰め寄る。

 珠子も同じ気持ちだった。男が詰め寄らなければ自分が詰め寄っていたと思う。


Herr(ヘル)リー。落ち着いてください。

我々も『テーセウス』の捜索に最善を尽くしているのです。

ただ、ご家族の皆様におかれましては、状況をご理解頂き最悪の事態に備えて頂きたいのです」


 カールは胸ぐらを掴まれた状態にも関わらず、顔色一つ変えずに淡々と答えた。

 それに毒気を抜かれたのか、リーと呼ばれた男は手を放すとへなへなと近くの椅子に腰かけた。


「すみません。どこで事故が起こったのかとか、今何をやっていて、今後何をするつもりなのかをもう少し詳しく説明してもらえませんか?」


 そういったのはアウラだった。


「分かりました。でば、チャートを交えてご説明いたしましょ」


 アウラの要請にカールは軽くうなずくとポケットから取り出した小さなリモコンのスイッチを押した。

 正面のスクリーンに太陽系の絵が写し出された。


「『テーセウス』から最後の通信を受けた時間から推定した位置がここです。

この座標を中心に各種センサーを使って『テーセウス』を捜索しております。

しかし、いまだに発見はできていません。

更に先ほどもご説明しましたが、仮に発見できたとも我々には救助する手段がありません。

なので『テーセウス』の位置を把握できた場合、指向性の強いレーザー通信での交信を試みる予定でいます。

それにより……」


 カールはスクリーンに写し出されたチャートについて熱心に説明を始めた。

 珠子はそれをぼんやりと眺めていた。

 何か夢を見ているような気分だった。

 珠子は自分で自分の腕を抱き締める。

 体が小刻みに震えていた。

 怖くて、孤独で、そして、無性に寒かった。



2019/05/19 初稿

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