第0本目: 髪は死んだ。
「やあ、目覚めの気分はどうだい?」
目の前のひげを蓄えた男は、事務作業中だろうか、何かを記入しながらそう言った。
「気分はどうって……いったい何が起こったのかって感じなんだが」
そう答えながら俺は周りを見た。ここはどうやらどこかの施設の一室らしい、少しだけさび付いた窓と、真っ白なドア、そして真ん中には机があり、男は相変わらずそこで作業を続けている。
「まあ、端的に言うとあんたは死んじまったのさ。いま手続き中だから少し待ってくれ」
男は相変わらずこちらを見ずにそう言った。
「俺が……死んだ?」
「ああ、トラックに轢かれて死んじまったみたいだな。22歳か、若いのにかわいそうだねぇ」
男の憐れむような発言を受け、俺は自分に何があったのかをうっすらと思い出した。確かコンビニに行くために夜道を歩いていたのだ、そしたら突然後ろから強い光が……。
そこから先は思い出せない。きっと即死だったのだろう。俺はどこか冷静に自分の状況を分析すると同時に、未だに自身の死を受け入れることができないままでいた。
「はい、書類の作成が終わったよ。じゃあこれから、あんたの今後について説明するからしっかり聞いてくれな」
男はようやくこちらの顔を見て、次のように言った。
「まず、これからあんたには今まで生きてきた世界とは違う世界に行ってもらう。どの世界に行くかはあんたの生前の行いの結果を踏まえて、こちらの方で適当に選ばせてもらったよ。あんたの世界は、『スキルと魔法の世界』だね。この世界の住人は、皆何かしらのスキルを持っているか、魔法が使える。まあ、より詳しい世界観については、転生後自分で確認することだね。後伝えるべきことは……」
男は、机の引き出しから青色のファイルを取り出してぺらぺらとページをめくりながら、話を続ける。
「あ、転生後は同じ年齢でスタートするからね。あと、スタート地点は『アバンダン荒野』だから、いろいろと気をつけてね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、情報量が多すぎて理解が追い付かないんだが……。それに、いろいろとは?」
俺はすかさず尋ねる。
「まあ、魔物とかもたくさんいるから、くれぐれも転生してすぐ死んだりしないようにねってこと」
男はにやりと笑いながらそう言った。まったく笑えないんだが、と思いつつ一つ質問してみることにした。
「俺はもう、元の世界に戻れないのか?」
「死んでそのまま元の世界に転生というのは無理だ。規則で一度生きた世界には、別の世界での人生を挟まない限り、転生することができないことになっている」
俺の問いに、相変わらずファイルをめくりながら、男がそう答える。
もともとの世界に未練らしい未練というものはなかったが、もう元の世界には帰ることが出来ない。この事実を実感し、少しさびしさを感じた。だが、もはや俺には自らの死を完全に受け入れ、これからの人生を楽しむことにしかできないようだ。
「では、これよりスキルの譲渡を行うよ」
男は引き出しから何かを取り出した。
見た目としてはガチャポンのような形をしている。全体的に黒みがかっていて、左右にはそれぞれ小さな翼のようなものが付いていた。
「このガチャポンを回して、出てきたものが君のスキルだよ! さあ、回して」
あ、ガチャポンなんだ。
そう思いつつ、俺は男の指示通りに回した。ポコンッと音をたてながら、金色の箱が出てくる。
「おお! これはレア度5のスキルの箱! チート級だよ」
男は目を見開きながら、金色の箱を俺に渡す。チート級と聞いて俺は少し安堵した。これで少しは転生後の人生も楽しいものになるだろう、と。
昔、小説で読んだことがある。異世界に転生した主人公がチート能力を存分に使い、無双していく物語を。いったいどんな能力が手に入るのだろうか? 超能力、超回復魔法、はたまた世界を牛耳ることができるような能力か……。
俺は期待に胸を躍らせながら、箱を開けた。
「これは、『スキル:自身の頭髪を一本抜くごとに、全てのステータスを一定時間十倍ずつ増加する』だね」
「すまない、もう一回言ってくれないか?」
俺はすかさず聞き返す。髪の毛を抜くと聞こえたが気のせいだろう。
「だから、『スキル:自身の頭髪を一本抜くごとに、全てのステータスを一定時間十倍ずつ増加する』だよ」
男は、めんどくさそうに答えた。俺の聞き間違いであってほしかった、と心の底から思った。
髪の毛を、抜く……本当にこんなスキルがチート能力なのか……?
俺が困惑している間に、男は淡々と作業を進めていた。
「はい、これでスキルの登録は終わったよ。じゃあ、そこの扉を出たらあとは転生完了だから、セカンドライフ、楽しんでね!」
男はサムズアップを掲げながら笑顔でそう言い放った。もはやどうすることもできまい。足取りの重い俺は男に一礼して、無機質な扉を開けた。瞬間眩い光に全身が包まれてゆく。
このよく分からないスキルとともに生きていくしかないのだ。そんな事を光に包まれながら俺は考えていた。
こうして、俺の異世界転生は幕を開けるのである。