一枚の絵日記(絵・檸檬絵郎さま)
檸檬絵郎さま(https://22105.mitemin.net/)のイラストに文章を付けさせていただきました。
ジャンル・必須要素は指定なしの作品です。
試験が近くなると、カーペットに落ちたスナック菓子の屑とか、タンスと本棚の隙間の埃とか、そういった些細なゴミがいやに目に付くようになる。
それだけ拾ってゴミ箱に詰めるつもりが、床にしゃがんだ途端に他のゴミまで目に入ってきた。
本棚の裏、壁との隙間に蜘蛛の巣が張っている。しかも薄茶かがった埃を纏って。
それを見てもう何年も模様替えをしていないことに気が付いた。明日は絶対に落とせない試験だが、まあいい。なんとかなるだろう。
それよりもこの汚れをそのままにしておく方が重大な危機に思えていた。
夜中ということもあって、堂々と掃除機をかけることは憚られた。極力音を立てないように気を付けながら、本棚を動かす。蛍光灯の光に曝された蜘蛛の巣は、微かな空気の循環で頼りなく揺らめいていた。
ゴミは摘んでゴミ箱へ入れた。蜘蛛の巣は短くなった鉛筆で巻きとって、それもゴミ箱へ。
床を這いずるようにして掃除していく。
拾っても拾ってもゴミはなくならない。
椅子をずらす。机の下に潜り込む。消しカスが落ちていた。
のそのそと動いてベッドに近付く。羽毛布団から溢れた羽毛がカーペットに落ちていた。
本棚に目をやる。本が埃を被っていた。本だけではない。下の方には昔遊んでいたおもちゃだとか、古い教科書やらプリントやらが雑然と詰め込まれている。
使わないから存在も忘れていた。
――これがなくなれば棚が広くなるな。
そんなことを不意に思ってしまう。現に机には本棚に入りきらなかった参考書が平積みになっているのだけど、今やるべきことはこれではない。
これではない、のだけれど……。
気が付くと、棚に詰められた物を引きずり出して分別している自分がいた。
いらない、いらない、保留、いる、いらない……――。
みるみるうちに不要な物が山となっていく。地域の指定ゴミ袋だとか、そういうことを気にしながら作業をする気にまではなれなかったので、とりあえず適当な箱の中に詰め込んだ。
母さんに頼んだら適当に処分してくれるだろう。
あらかたのガラクタを片付け終えて、大きく息を吐いた。これからが本番だ。
優に高さ十センチはありそうなプリントの束。一枚一枚に目を通して、これを分別していく。考えただけで気が遠くなった。
試験まで、あと何時間だ? もう切り上げるべきなんじゃないか?
そんな考えが頭をよぎる。けれど正座した足はカーペットに根を張ってしまったようで、手はのろのろとプリントの山に伸びる。
傍らに申し訳程度にノートを開いて置き、中身を拾い読みしながらプリントを整理することにした。
つい最近――と言っても半年ほど前になるが――のプリントから始まった山は、下へ進むほど時代を遡っていった。いつか使うだろうと残してあった資料も、思い切って処分に回す。
中学の時のテストが現れ、それが自身の取った最後の百点だったことを思い出した。プリントの束はもうあと少しになっていた。
一番下に眠っていたのは、小学生の頃の宿題だった。絵日記と読書感想文だ。
低学年は絵日記、高学年は読書感想文が課題として出されていた。読書感想文のために買ってもらった本も、何冊かはまだ本棚の上の段に残っている。
家族でキャンプをしたこと。自分の誕生日にケーキのロウソクを吹き消そうとしたら、弟に横取りされたこと。
絵日記をペラペラと捲っていくと、次々と記憶が蘇ってきた。
その中に、ひとつだけ見覚えのないものが混ざっていた。
「やまざき、……いちひろ?」
思い出した。
山崎一博。小二の夏休み明けに転校した同級生だ。
特に仲が良かったわけではない彼の絵日記が、なぜここに。
8月2日雨
2年1くみ 山ざき一ひろ
ぼくは今日、みんなできょうかいに行った。
きょうかいには大きいまどがあった。まどを見たら、カエルがいました。お姉ちゃんはカエルを見ました。
お父さんとお母さんは先に行きました。ぼくは「行くよ」とゆってお姉ちゃんを引っぱったけど、うごかないので、おいて行った。
そこで文章は途切れていた。
子供らしいちぐはくな文章。字だってやっとのことで読み取った。けれど、絵はなかなかに上手だった。黄色い服にポニーテールの人物が一博の姉だろう。それを水色の服の人物が引っ張ろうとしている。
同じ所へ連れて行かれて、同じように描けと言われても描けるかどうかわからない。
けれど、おおよそこの場所は教会には見えなかった。我が家はキリスト教とは縁もゆかりもないので正確なことは言えないが、一般的に想像する教会とは違うのだ。
教会という場所は十字架があったり、ステンドグラスがあったり、宗教画が飾られていたりするイメージだった。
ところが、ここはただの広い空間で、どちらかと言えば美術館か画廊なんかを彷彿とさせる。
子供の絵だからと言われてしまえばそれきりなのだろう。けれど、妙な引っかかりを覚えたのは確かだった。
先生からのコメントが書き込まれていないから、学校に提出されたものではないことがわかる。代わりに出してくれと頼まれた覚えはないし、そもそも夏休みに一博と会った記憶がなかった。
時計を確認して驚いた。もう深夜二時を回る所だ。
徹夜明けの頭で試験を受けては解ける問題も解けなくなってしまう。要点だけ攫って布団に潜らねば。
絵日記を机の上に投げ出し、床に散らばった物は適当に元の棚へ押し込んだ。
翌日。懸念していた試験はなかなか良い手応えで終わった。
そうなると昨晩見付けた絵日記が俄然気になってくる。帰宅するなり自室に向かうと、机の上に置いたはずの絵日記を探す。
参考書やらプリントやら色々なものが散乱しているが、そこに絵日記の姿はなかった。そんなはずはない。いくら乱雑だったとはいえ、寝る前、最後に置いたのが絵日記なのだから。どこか近くに落ちているはずだ。
机の周りをくまなく見て回るが、やはり見当たらない。
もしかすると母さんがどこかに片付けてしまったのだろうか。
「母さん、勝手に部屋入った?」
「え? どうしたの急に」
「昨日片付けしてたら絵日記が出てきた。しかも他の同級生のやつ。後で確認しようと思って机の上置いといたんだけど無くなっててさ。知らない?」
大まかな説明も合わせて済ませてしまうが、母さんは不思議そうに首をかしげただけだった。
「知らないわよ、そんなの。他の人って誰?」
「山崎一博って、小二の途中で転校した奴」
彼の名前を挙げると、途端に母さんの表情が曇った。
ということは。何かを知っているのだろう。無くなったからといって目くじらを立てるほどのものでもないが、知っているなら教えて欲しい。
「あんた、その子……――」
一瞬の沈黙の後、母さんが語り出したのは衝撃的な話だった。
同級生の山崎一博は転校したわけではなかったのだ。
夏休み初日、遠出をする途中彼の父親が運転する車が事故に巻き込まれた。それは山崎家の車の他に三台が絡む大きな事故で、全国ニュースでも取り上げられたらしい。
結果、彼の両親は即死。姉は辛うじて一命を取り留めたが足に障害が残ったという。そして、肝心の一博はといえば一時回復に向かっていたが容態が急変し、夏休みが終わる前に亡くなっていたそうだ。
まだ小さな子供たちに事実を伝えるのはあまりにも残酷なのではないか。そんな配慮から当時の自分たちには彼が「転校した」と伝えられたのだという。
だとすると、一つの疑問が残る。
――あの絵日記は一体誰が書いたのだろう。




