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7 こんな家いやだ!

 結婚式を済ませ、区役所に婚姻届を提出し、新居での恭子との生活が始まった。恭子は来年4月に近所の病院に転職することが決まっているが、それまでは、今の西宮の病院に勤める予定である。


 3交替制ゆえ、勤務を見ながら新居に帰ってきたり、芦屋の実家で泊まったりと不規則な生活である。私は残業こそ多いものの、完全週休2日制である。同居しているのか別居しているのかよくわからない、慣れぬ生活が始まった。


 家計はそれぞれの収入を考え、住宅ローンと光熱水費は私、食費は恭子というふうに、費目別にお金を出し合う形にした。こうすれば、どちらが家計を握るかという問題も起きない。そして、それぞれのお小遣いもキープできる。


 車は私が使っていたものを共用することにした。私は筋金入りのバイク乗りである。これだけは結婚しても続けさせてくれと懇願し、恭子の了解も得た上で、実家からバイクを運んできた。もちろん維持費は私のお小遣いから出す。


 そんな新生活が始まってしばらく後、仕事からの帰宅後に恭子がシクシクと泣き始めた。この家から引っ越したい。芦屋に帰りたいという。その日の朝、職場でも佐倉さん…義母に呼び出され、何が起きているのかと問い詰められた。その時は、一体何のことやらさっぱりわからなかったのだが…。


 恭子が落ち着くのを待って、事情を聞きだすことにした。それにしても、その姿はまるで聞き分けのない駄々っ子である。普段のはつらつとした様子からは想像もつかない。恭子の言い分を要約すると、どうやら私や親父との関係に問題があるのではなく、新居周辺の下町的な環境に馴染めないということのようである。駄々っ子を相手に冷静な話は出来ない。とりあえずその日は寝かせることにした。


 翌日、職場で義母に前夜の状況を伝えた。その上で、堺で生活することは結婚前に双方合意したことであり、今さら嫌だと言われても困ること。私からも恭子に話をするが、義母からもよく説得して欲しい旨お願いした。


 その際に知ったことであるが、佐倉母娘は「メール」というホットラインでつながっており、かなり頻回にやりとりをしていたようである。日頃の些細なこと、私の生活や言動に至るまで、かなり細かい情報までもが義母に伝わっているのには驚いた。


 次の週末、義母が一人で我が家にやってきた。雄二氏…義父さんは一緒ではないのかと問うと、


 「雄二さんは、恭子たち夫婦の問題だから放っておけばよいと言うんですよ。でも私は放っておけない。あんな冷たい人知りません!」


 とお冠である。


 結局義母からは、「郷に入れば郷に従え」的な話を…。私からは、近所の人たちは恭子から見れば近付きがたいのかもしれないけれど、皆親切な人たちであること。家を買うというのは野菜や果物を買うこととは全く質の異なるものであり、一度買ったものを返品したり、買い換えたりすることは容易ではないことを恭子に話をし、とりあえず騒動は収まった。


 ただし、あくまでも「とりあえず」である。仕事帰りに実家に寄ったまま帰ってこなくなったり、休日に芦屋の佐倉家に出かけた帰り道、車の中で泣き出すということがしばらく続いた。

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