5 家を買う
2002年7月、私と恭子の結婚が決まった。出会いから2ヶ月…驚異的な早さである。
早く身を固めたい私、身持ちの固い家事万能男を娘にあてがえば将来安泰だという佐倉さんの意向、無意識のうちに母親にコントロールされ、母親の意向に逆らう術を持たない恭子…全ての利害関係が一致したのだから結果は早い。
この時雄二氏は蚊帳の外…どうやら佐倉家の主導権は、佐倉さんが握っているようである。しばらく後、恭子の伯父さん、すなわち佐倉さんの兄に会う機会があったが、
「君は広子(佐倉さん)が選んだ恭子ちゃんの連れ合いだからねぇ…」
と意味深な笑みを浮かべられた。どうやら佐倉さん兄妹間でも、私のことはかなり話題になっていたらしい。
それはさておき、若い者同士は仲良く過ごしていた。恭子は、私が恒例にしている夏の信州旅行にも同行したいといい始めた。私は基本的に、行き当たりばったりの貧乏旅行である。お嬢様育ちの恭子がついて来られるかと思ったが、全行程4日間を無事に過ごすことが出来た。うん、これなら大丈夫だ。
結婚の時期はともかくとして、私は一足先に実家を出ようと考えた。住む地域をどうするか…? 堺…? 芦屋…? 私は生粋の堺っ子、大和川から北の地域での生活は想像できない。一方の恭子は、芦屋界隈のお洒落な地域での生活経験しかない…。
まだ若い2人、共働きであるといっても収入はたかが知れている。住居費のことを考えると堺やよなぁ…。でも、芦屋とは言わないまでも、阪神間での生活にチャレンジしてみるのもありかなぁ…。西宮なら、従姉のみちる姉もいるしなぁ…。
結局采配したのは佐倉さんであった。
「恭子、あなたは堺で直樹さんと暮らしなさい」
恭子は不安げな表情を浮かべながらも、半ば無意識に頷いていた。
当初は賃貸住宅を探すつもりでいたが、知人の不動産屋の仲介で、新築の一戸建てを購入することにした。頭金は私の預貯金から出し、2650万円、35年の住宅ローンを組んだ。家具や電化製品は、当面1人で住む私の価値観でセレクトし、費用は恭子と折半した。
新居は私の実家からさほど遠くない距離である。中学校区は同一で、私自身も土地勘があり、知人も多い。戦後の区画整理で生まれた住宅地で、出来た当初から暮らしている人たちが多い。すなわち、高齢化が進んでいるといってもよい。
下町育ちの私には全く違和感がなく、実家で近所のおばさんや高齢者に鍛えられてきた私からすれば、全く問題のない…それどころか、近所を味方につけられる環境であると言ってもよい。
生活が出来る程度に環境が整った頃、佐倉母娘を新居に招待した。恭子は、初めて住む一戸建て、それも新築で真新しい家に感激もひとしおだったようである。佐倉さんからも深々と頭を下げられた。娘がこんな家で結婚生活を送れるのは幸せだと…。
すべてが順風満帆に進んでいた。