4 佐倉家へ招待される
2002年6月…とある日曜日の昼下がり、私は佐倉家に招待された。佐倉家は、芦屋の高級住宅街にあるマンションの一室。阪神大震災にも耐えたというそのマンションは、なかなか貫禄のある建物である。窓からは大阪湾が一望できる最高のロケーションである。
佐倉家には3人の子どもがいる。恭子は末っ子で、2人の兄はすでに独立している。この日初めて、佐倉さんの夫…すなわち恭子の父である、佐倉雄二氏に会った。
堅物とまではいかないが、静かで知的な雰囲気のある男性…佐倉さんとは同郷で幼馴染だそうだ。もうすでに引退しているが、貿易関係の自営業を長く続けていたとのこと。
「大学を卒業して会社に勤めたんだけれど、水にあわなくてねぇ…」
と謙遜するが、芦屋の高級住宅地にマンションを購入できるだけの収入があったということである。素直に凄い人だと思った。
そんな雄二氏について佐倉さんは、「世間体ばかり気にして融通の利かない堅物」と評する。恭子は、「結婚するならお父さんみたいな人」という。そこだけゆったりと時間が流れているようで、会話をしていて、私とは住む世界の違う人たちだな…と思った。
しばらくすると、雄二氏がエプロンを着け、台所に立った。これから夕食の準備をするという。佐倉さんは雄二氏に、あれしてこれしてと、テキパキと指示を飛ばす…。現在は佐倉さんが外で働き、雄二氏は常に家にいる。だから自然とこうなるのか? と思っていたら恭子が、
「うちは昔からずっとこうなんです。母はずっと外で働いてましたし、父は自営ですから、お客様のところに出かける以外はずっと家にいました。私が小さい頃の幼稚園のお迎えは父で、お手伝いさんがいた時期もあるんですよ」
市営住宅で育ち、今は実家の連棟長屋で暮らす私とは180度異なる生育環境…こんな家にお邪魔していいんだろうか? そんな家庭の娘さんとお付き合いをしてよいのだろうか…? 恐縮に恐縮を重ね、変な汗が出てきた。
どうやら佐倉家では、父親である雄二氏とお手伝いさんが家事を担い、母親である佐倉さんは、あまり家事には積極的でなかったようである。恭子は、「父親が外で働いて稼ぎを得、母親が家事の中心を担う」という一般的な日本家庭の姿を知らなかったのだ。
男女平等という概念が浸透している現代社会…決して逆行…すなわち男尊女卑を肯定するものではないが、男が外で狩りをし、女が家を守るというのは人類が始まってから脈々と続いてきた流れであり、私自身は生物学的にも意味があると思っている。
私は亡き母親から、
「もし親が死んだら、お前は一人で生きていかなあかん。だから、自分のことは自分でできるように、常日頃から練習しとかなあかんねん」
と口酸っぱくいわれ、家事全般や家計管理の方法を叩き込まれてきた。したがって、家のことはほぼ万能であり、全く苦にならない。佐倉さんが私に白羽の矢を立てたのは、身持ちの固さのみならず、私の家事能力もポイントが高かったに違いない。
男性である私が家事万能であること…結婚する女性にとっては魅力的な要素の1つになるとは思うが、それは先述の「脈々と続いてきた流れ」を知っている者にとっての話であって、そもそも「流れ」を知らない者には全く意味を持たない。「家事なんかできて当たり前」と右から左へ受け流してしまう。
ここ佐倉家には、その「当たり前」の空気が充満していた。