3 出会い
金沢係長から預かった封筒を開けたのは、数日経った後だった。酔ってて封筒の存在を失念していたのが真実である。
結婚式か何かの写真…?暗くて手振れもあり、写真の主の雰囲気しかわからない。背は高いが、佐倉さんの雰囲気にどこか似てはいる。佐倉さんとの今後の関係を考えると、無下にお断りするのも…と思い、とにかく一度、娘さんとやらに会ってみることにした。
5月中旬の日曜日の朝11時。私はJR大阪駅・桜橋口にいた。ほとんど時を同じくして、佐倉さんと、若い女性…後に妻となる、佐倉さんの娘…佐倉恭子がやってきた。
写真で見るよりも数段綺麗な女性で、上品な雰囲気の佐倉さんとは対照的に、活発な雰囲気の女性…ショートカットがなおのことその印象を強くしている。阪神間の高級住宅地に住む母娘は非常に仲がよく、連れ立って買い物に出かけることも多いと聞く。まさにそんな雰囲気の佇まいであった。
そこで佐倉さんとはお別れかと思いきや、一緒についてくるという。一緒にレストランで食事をしたり、喫茶店でコーヒーを飲んだり…4時間ほど一緒に過ごしたが、恭子は積極的に私に話しかけてくるわけでもなく、終始佐倉さんの動きを気にしている感じ…私と佐倉さんの会話時間の方が圧倒的に長かった。
佐倉母娘と別れた後直感的に、「この話はもうないな」と感じた。実はこれまでにも数度、職場の上司や親父の知人の紹介で、お見合い的なことをしたことがあるが、私の直感は全て当たっていた。今回もそれと同じ空気を感じたのだ。
5月下旬、残業中に携帯電話が鳴った。見知らぬ電話番号…出てみると、恭子であった。一度2人で会って食事をしたいという。綺麗な若い女性との食事…私に断る理由はない。次の日曜日の夜、梅田で会うことになった。
2人での食事は思いのほか盛り上がり、お互いの趣味のこと等、気がつけば3時間近くも話し込んでいた。年齢も私が1つ年上で、誕生日はちょうど5ヶ月違いの同じ日…何か縁のようなものを感じ、とりあえずお付き合いしましょうかということになった。
それにしても、先日佐倉さんを交えて会った時とは印象がかなり違う…。これが恭子の本来の姿なのか…?それとも、佐倉さんに「何とかものにしてこい!」と上品に命令されたのか…?
この時は前者かなと思っていたが、月日が経つにつれ、後者に近い状況であったことがはっきりしてくる。
「一卵性親子」という概念がある。簡単にいえば、お母さんと子どもの距離が近すぎて共依存状態になり、親は子どもを手放せず、子どもは親の意思なしでは何も出来ないという悪循環を引き起こしている状態のことを指す。
佐倉さんは恭子の将来のために私をあてがおうとし、一方の恭子は、母親である佐倉さんからの無意識の圧力に逆らえなかったということではなかろうか? 普通に考えて、私みたいな何の変哲もないアラサー男に、引く手あまたであろう美人の恭子が興味を示すはずもない。
恭子との縁は、私にとっても渡りに舟であった。親父との2人暮らしも4年近くになり、そろそろ独立をと考えていたところに舞い込んだ話…母親である佐倉さんとも仲が良く、恭子も美人で、妻として迎えるには見栄えも良い。
そして何より、親友たちが続々と結婚していく中で焦りを感じていた。これまでの約30年の人生の中で、難関といわれる高校・大学、そして就職氷河期で希望者が殺到し、とんでもない求人倍率になっていた大阪府庁の福祉職の試験を突破し、「大抜擢」で本庁にも勤めた…いわば、同世代の中で、常にトップ集団にいたわけである。そんな私が落伍するわけにはいかなかったのだ。
「恋愛と結婚は別問題やよな」
とか、自分の都合の良いように理由をつけ、私は誤った道を進み始めた。佐倉母娘という「一卵性親子」に、これからやって来る30代の10年間を、さんざん引っ掻き回されることになるとも知らずに…。