21 家計が回らない
2012年1月…また新しい年がやってきた。お正月気分も抜けた頃、恭子が深刻な顔をして私に声をかけた。
「直樹さん…食費が足りない」
予想したことが起こった瞬間…いや、予想していたよりも相当早いぞというのが本音である。
これまでなぜ私が家計を握ってきたのか…理由は明白である。下町の貧乏家庭で育った私と、お嬢様育ちの恭子…金銭感覚に大きな隔たりがあった。
既報の通り、私は地方公務員である。世間的には公務員は高給取りのように誤解されているが、大雑把に言えば、公務員の賃金は世間の賃金相場の平均値付近に定められている。賃金は年功序列であり、30代の子育て世代にとっては、お世辞にも十分な賃金が保障されているとは言い難い。
ましてや森山家は「共働き」と言いながらも、恭子は非常勤職員である。昨年4月に長女・明日香が小学校に上がり、若干負担が軽減されたとはいえ、子どもを預けて働くにも、高額な保育料がかかる。
つまるところ、佐倉家のような金銭感覚でいると、森山家は破産するということである。
私は恭子からキャッシュカードを取り上げた。予想通り、佐倉家…義母から猛攻撃を受けたが、今回は決して譲らなかった。私は森山家の主である。外野にとやかく言われる筋合いはない。
価値観の違い…私と恭子の間では、同世代ゆえに共有できる部分もあったが、共有できなかった部分の方が大きい。象徴的なのが、「食卓」である。
下町の森山家では、「ちゃぶ台」を囲んで家族3人で食事を摂る。一方、佐倉家では「テーブル」を囲み、「椅子」に座って食事を摂る。テーブルには「ランチョンマット」が敷かれている。
この点、我が家ではどうしても折り合いがつかず、リビング内に「テーブル」コーナーと「ちゃぶ台」コーナーが共存していた。これは、現居、旧居通じて変わらない。
森山家家族5人の時は、子どもたちの希望に応じて「テーブル」「食卓」いずれかで食事を摂る。しかし、義父母がやってきた際には、テーブルの定員的な問題もあるのだが、義父母と恭子、子どもたちはテーブルで、私はちゃぶ台で食事を摂る。恭子は義父母の前では絶対にちゃぶ台は使わない。
11年…実質的には10年足らずの結婚生活の中で、価値観の相違というのは埋めきれることはなかった。埋め切れなかったとしても、共存できれば問題ないのだが、結局それすらできなかった。
話は前後するが、毎年お正月には、私の伯母(亡母の姉)・川中孝子宅に顔を出す。後から聞いた話であるが、伯母は、2012年のお正月は、恭子や3人の子どもたちに会う最後の機会になること…すなわち、この年に森山家が崩壊することを雰囲気で感じていたという。
さすが亡母の姉である。