18 係長昇任、そして再び大阪府庁へ。次女誕生。
「森山直樹。生活保護課係長に補する」
2010年4月。私は係長として、4年ぶりに本庁生活保護課に出戻りした。当時とはメンバーがガラッと変わっていたが、「即戦力」ということで歓迎を受けた。
昇任の話は、恭子はもちろん、親父と義父母にも報告した。恭子は私がさらに忙しくなり、自分の家事育児負担が増えるのではないかということばかりに興味が行った様子。もちろん祝福の言葉はない…というか、昇任の値打ちがわかっていないようである。
親父は大喜びし、30代も後半になっている男に小遣いをくれた。おそらく亡き母親の霊前にも報告したのだろう。義父母はまったく興味を示さず…。義母はともかく、義父も恭子同様、「昇任」という出来事の値打ちがあまりわかっていないようである。
ちなみに私の職場では、「主任」と「係長」では待遇が大きく異なる。「係長」になれば「幹部職員録」にも名前が載り、給与体系もガラリと変わる。もちろん、職員からの目も変わる。とりわけ、本庁の係長ともなれば、それなりに責任は重いのだが…。
2010年6月、次女・絵美が誕生した。恭子は今回も、里帰り出産を選んだ。ただし、里帰り期間は1ヵ月半に短縮。明日香と仁…孫が2人に増えており、義父母の負担軽減のためと思われるが、私は相変わらず蚊帳の外である。保育園は在籍のまま、欠席扱いとなった。保育料は丸々かかるが仕方がない。ちなみに、名前は義父母に相談せず、夫婦で考えた。
里帰り中の佐倉家からの生活費の要求は相変わらず。それに加え今回は、2人を芦屋の保育園の一時利用をするので、その費用も負担して欲しいといい始めた。それならば、2人は堺の森山家に置いて、慣れた保育園に通わせればよいのではないか? 私もさほど仕事が忙しくないので、対応は可能である。
すったもんだの挙句、一時保育の利用料は佐倉家で負担するということで、恭子たちは7月中旬まで芦屋の佐倉家に滞在した。佐倉家の意図がわからない。宇宙人だ…。
さておき、絵美の妊娠が判明した際にはちょっとしたエピソードがある。恭子が親父に妊娠を伝えた時、親父が…
「直樹は…喜んでいるのか?」
と不安な表情を見せたというのだ。もちろん恭子は激怒し、内緒メールで佐倉家にもその話は伝わった。
私は「孫」命の親父がそのような態度を示した理由は何か? と考えてみた。長男・仁が生まれた時に、産院に来るのを拒否されたのがトラウマになっているのか…?どうやらそうではないらしい。私は実家に出かけ、親父に真意を問うた。
「…恭子ちゃん、3人も子ども育てられるやろうか?」
的を射ていた。絵美には悪いが、私も恭子の家事育児能力での3人の子育てには不安を感じていた。実際、恭子にもそのことは伝えたが、恭子の中には佐倉家のモデル(3人兄妹)があり、さらには義母が強くけしかけたらしい。そうなると恭子は無意識に反論できなくなる。ここでも「一卵性親子」が…。
ここだけの話、私は自衛していた。でも…出来てしまった。何故か…? 真相は闇の中である。
表面的には「安定期」に入っていた森山家…「内緒メール」は脈々と続けられ、私の知らないところで一卵性親子の共依存は続いていた。
そして、絵美の誕生が…。私の不安、親父の不安が的中することになる。
森山家大崩壊…また一歩、カウントダウンが進んだ。