16 元旦早々
2009年元旦。新居で新年を迎えた。通常、恭子と2人の子どもは年末年始を通じて芦屋の佐倉家に帰省しており、芦屋の環境に馴染めない私は自宅で年を越し、元旦に芦屋へ。そして佐倉家で一泊だけして一緒に帰ってくるパターンであるが、この年末は義母が体調を崩し、恭子たちは12月28日に一旦帰省していたものの、大晦日に強制送還されてきていた。
私の年越しは、中学時代の悪友たちと、年またぎの初詣に出かけるのが恒例である。この時しか会わない友人もおり、いわば「同窓会」的な要素もある。恭子たちが家にいたが、私は予定通り年またぎの初詣に出かけ、初日の出を見届けてから自宅に戻ってきた。
その日のお昼前、私の体調に異変が起きた。持病である「心房細動」の発作が始まったのである。
私の「心房細動」はいわゆる「孤立性」であり、ベースに基礎疾患はない。主治医からは体質的なものであろうといわれており、治療は対症療法しかない。発作が起これば「抗不整脈剤」を点滴もしくは服用することで、概ね24時間以内に発作が収まる。
これまでも発作が起きると、かかりつけ医に飛び込んで処置を受けることで事無きを得てきた。しかし今は年末年始である。かかりつけ医はもちろん、どこも病院は開いていない。
とりあえず、看護師である恭子に状況を伝えた。しかし反応はない。動くのも辛いため、客間で横になっていると、仁が入ってきた。
「仁。お父さんしんどいねんて。だから出ておいで」
それだけかよ…。恭子はあてに出来ない。自力で何とかせねば…。
以前主治医から、緊急時は大学病院のER(救急外来)を頼れと言われていたのを思い出し、自分で電話を架けて受け入れ依頼をした。すぐに来てもらって構わないとのこと。しかし、どないして行くよ…。何とか体は動くし意識もはっきりしている。我が家から大学病院までは、車で15分くらいである。よし、自分で運転していこう。
恭子に大学病院へ行く旨伝え、車で家を出た。見送りもなく一人で…。
13時頃、大学病院に到着した。ERの窓口に着くと、すぐに車いすに乗せられて処置室へ運ばれた。看護師さんに、
「付き添いの方は?」
と聞かれたが、一人で車を運転してきた旨を伝えると驚かれた。ありえないと…。
心電図検査では、典型的な心房細動の波形が出ていたとのこと。即点滴治療が開始され、私は前夜ほとんど寝ていないこともあって、そのまま深い眠りについた。
4時間ほどが経過し、私は看護師さんに起こされた。発作はまだ収まっていないので、このまま入院した方がよいと…。しかし、正月を病院で過ごすのはどうも気が進まない。主治医と相談して一旦帰宅し、翌朝まだ発作が収まっていなければ入院させてくださいということで、再び自分で車を運転して病院を後にした。
帰宅すると、恭子が仏頂面をしてリビングに座っていた。
「なんで病状を知らせてくれへんの!」
「おかえり」も「大丈夫?」もなく、第一声がそれである。
「ERで点滴に繋がれて眠ってた。その状態で連絡できるわけないやろ!」
普段は温和な私もさすがに切れた。
「なんで発作が起きたかわかってる?」
心房細動の症状は人によってさまざまである。自覚症状がある人ない人、症状の強い人弱い人…。私は「自覚がある症状の強い人」に該当する。発作が起こる原因は、主治医ですら「わからない」というタチの悪いタイプである。
「医者は、発作につながるきっかけはわからないと言っている。おまえも以前、元木先生に聞いたやろ?」
「いい年して夜遊びなんかするからやろ!正月早々…私の正月どうしてくれるの!」
私の妻である以前に、看護師としてその態度・言動はどうなんだろうか? 既報の通り、恭子は一度感情的になると手がつけられない。私は恭子を無視し、寝室にこもった。昼食も夕食も食べていない。お腹が空いた…。
結局発作は一晩中続き…1月2日朝。私は入院の支度をし、台所にあったお餅を食べて、再び車を運転して大学病院に向かった。恭子たちはまだ寝ていたが、その方が都合がよい。相手をするのも面倒臭い。
大学病院に着いて、再びERへ…。「とりあえず心電図検査しましょう」と看護師さんに案内され、検査室に入った。検査が終わると…
「森山さん、心電図が正常に戻っています。良かったですねぇ…。念のため、お正月明けに主治医の元木先生の診察を受けてください」
発作が…収まった…。私はヘナヘナと力が抜けた。
帰宅すると、恭子は相変わらず無言である。しばらくして後、私に自分のスマホを差し出した。電話の相手は義母である。
「直樹さん、大丈夫?あなたもいい年なんだから、自分の行動を改めないと。一家の大黒柱としてそんなことでは困ります!」
正月早々キンキン声はやめてくれ…。
この出来事は私の中で、恭子への不信感として根強く残っていくことになる。3年と少し後に起こる、森山家大崩壊へのカウントダウンが始まっていることに、この時はまだ気付いていなかった。