11 長男誕生
私と恭子の家族計画では、「子どもは2歳差で2人」と決めていた。家の間取りも1階に子ども部屋2部屋、2階にリビングと客間、3階に寝室…4人家族前提で購入している。
2006年2月…恭子が第2子を妊娠した。これは計画通りである。恭子が日勤帯のみの勤務になったことに加え、私も保育特休を申請し、通勤緩和と残業制限の恩恵にあずかったことで、森山家は何とか生活が回っていた。
9月末…恭子と明日香は芦屋の佐倉家へと帰っていった。明日香の保育園は3ヶ月間休園する。やはり佐倉家からは、里帰り中の生活費の要求があった。明日香の保育料が浮いた分から工面して渡すことにしたが、どうも納得がいかない。私の意識が変なのかと思い、いろんな人に話を聞いてみたが、里帰り中に生活費を要求されるなどという話は聞いたことがないという。やはり私は間違っていなかったようだ。
10月某日の未明、恭子から陣痛が始まったとのメールが来た。長女・明日香の時は、陣痛開始から出産まで約10時間…。夜中ゆえ公共交通機関も動いていない。朝起きてから電車で動いても問題なかろうと返答したら怒られた。すぐに来い。こっちは大変なのだと。
やむなくバイクを引っ張り出し、夜の高速道路を淡々と走る。10月の夜にしては暖かく、いつもは風が強い海辺の道がこの日は凪いでいたのを今でもよく覚えている。
長男・仁が誕生したのは、お昼の2時頃であった。
仁の名付け親というか…名前を選んだのは義父である。長女の時にひと悶着あったため、今回は恭子とも事前に相談の上、複数の名前を用意していた。
佐倉家では、男の子の名前は一文字で、音読みをするという決まりがあるらしく、恭子の兄もそうである。義父は躊躇なく「仁」を選び、「ジン」と読んだ。そして半紙を取り出して「仁」と書き、壁に張り出して腕組みをし、頷いた。今回はこれがいいといって聞かない。
そして恭子は、今回は「産後うつ」には見舞われなかったものの、親父が産院に面会に来るのを拒んだ。仁は森山家の跡取りである。意味がわからない。
この頃から、私は森山家の主ではなく、佐倉家の婿養子であるかのような感覚を覚えていた。恭子と相談して決めたことも、数日後には佐倉家の意向でひっくり返されることが次第に多くなっていった。森山家の主としての私の存在が次第に薄れていく…。