10 中央児童相談所へ
私の心配をよそに、長女・明日香はスクスクと育ち、1歳の誕生日を迎える2005年11月から保育所に入り、恭子も職場復帰した。私的には、恭子の能力的な問題を考えると専業主婦の方がよいと思い、離職も提案したが、例によって例のごとく母娘メール合戦の末、「女性は働くべき」論を掲げた義母が勝利した次第である。やはり恭子は母親には勝てないというか、言いなりになってしまうのである。
私の職場がさほど忙しくなく、理解もあったので、夫婦で協力して何とかかんとか乗り切ったが、2006年4月に転機が訪れる。
「技術吏員・森山直樹 中央児童相談所勤務を命ずる」
3年間勤めた大阪府庁生活保護課を出て、再び児童相談所に戻ることになった。大阪府某所で世間をにぎわせた児童虐待事件が起こり、体制強化のための児童福祉司大量増員が行われたのである。本庁にいる有資格者は現場に戻されることとなり、私もそのあおりを食らった次第である。
「中央か…キツいなぁ…」
中央児童相談所は、地域の児童相談所としての機能をもちながら、府内に複数ある児童相談所を統括する立場にもある「基幹児童相談所」である。希望してもなかなか配属されるところではなく、人事的には喜ばしいことであるが、残業も極めて多く、土日の緊急連絡も頻繁に入る。そんな多忙な職場…我が家の現状を考えると、不安材料しか残らない。
異動直後、その不安は現実になった。私が職場での緊急対応に巻き込まれ、明け方4時半頃まで拘束される事態に陥ったのである。その日恭子は遅出勤務で明日香を保育所に迎えにいくことが出来ず、結局親父が迎えに行って、恭子が帰ってくるまで面倒を見てくれた。しかし、まともに子育てをしたことのない親父では限界がある。こんなことが続くと明日香のためにもよくない。
その出来事をきっかけに、恭子が正職員から非常勤職員に雇用形態を変え、日勤帯のみの勤務になるように配慮してもらった。恭子の収入は減るが、私の残業手当が増えるので、家計的にはトントン…皮肉な話である。
ちなみに、この窮地に芦屋の佐倉家が一切出てこない。あれやこれやと口を挟むが、現実的にサポートが欲しい時には役に立たない。