魔女グレーテルの兄を捜す旅
──魔女狩り。
主にヨーロッパで、十五世紀から十八世紀にかけて発生した社会現象である。魔女だと告発された人々は裁判にかけられ、拷問され、火刑に処された。一方で、生き残った者がいることも事実だ。
そして、十六世紀末。魔女狩りはピークに入ることになる。
勿論、魔女狩りの殆どは冤罪である。しかし、中には本当の魔女もいたとかいなかったとか……。
魔女兄妹の兄ヘンゼルが家を出て早数年。グレーテルは一人きりで心細く……なんてことはなく、のびのびと過ごしていた。
なぜなら、ヘンゼルは目に余るドジっ子。そのくせして何かやろうとするものだから、グレーテルはいつも家事にプラスヘンゼルの尻拭いをしてきた。
しかも、なにかに付けてハグやキスやおっぱい揉み揉み等の過度なスキンシップをかまそうとしてくるものだから、一日家で過ごすだけでグレーテルはへとへとになる。
確かにヘンゼルが家から姿を消してから三日は寂しかった。が、森にはたくさんの動物達もいることだし、四日目にこの生活の安らかさに気付き、心細さは払拭された。正直一生帰って来なくても構わないかもしれない。
しかし、そうも言っていられないことが起きてしまった。
森の家は木で作られている。そこそこ頑丈に出来ているが、どうしようもない欠点がある。
火だ。森の中で……しかも近くで火事が起きれば、ひとたまりもない。
小さな火事ならグレーテルの魔法でなんとかなるが、大きくなってしまうとグレーテルの手には負えない。
そして、家は燃え尽きてしまった。グレーテルはなんとか必要なものを纏めて空へ逃げたが、被害は相当大きくなるかもしれない。
その心配は杞憂に終わった。箒の上から一望していたところ、恵みの雨が降り、森への被害は小規模に留まった。雨はすぐに止んだが、炎を消すには充分だった。
ああ、これからどうするか。師匠や兄なら魔法でちょちょいと家一つ建ててしまうのだろうが、グレーテルにはそんな力はない。
彼女は家を失ったショックで、呆然と森を眺めていた。
すると、突然どこからか銃声が鳴り響く。銃声は一度では終わらなかった。鳥が一斉に飛び立つ様子から場所は特定できた。
この森の動物が襲われているかもしれない。家は守れなかったから、せめて友達は守ってみせる。そう意気込んでグレーテルは方向転換し、現場へと急降下して行った。
結局、襲われていたのは動物ではなく、グレーテルより遥かに大きい男性だった。
彼を襲っていた人達は獰猛な狼達の協力で追い払い、彼の傷も癒してあげたが、この体勢は一体何なのだろう。
男性はグレーテルの膝に頭を乗せて眠っている。傷を癒したら彼はまるで死んでしまうかのように眠りに落ちたのだ。息はしているから生きているのだろうが、彼がグレーテルの膝を占拠してからだいぶ時間が経つ。
そろそろ足が痺れてきた。
足を組み直そうとしたら、ようやく彼が目を覚ました。少し見つめ合うと彼は体勢を変えて再び寝ようとしたので、とりあえずグレーテルは膝で彼の頭を蹴って起こした。
首の後ろを痛そうにさすっているが、これぐらいはいいだろう。
「あいつらは?」
彼は目の前でくつろいでいる生き物に指をさした。
「狼達のこと? 私のお友達だよ」
「正気か?」
「それはこっちの台詞だよ。なんで丸腰で、銃を持ってる相手に追われてたの。馬鹿じゃないの?」
「狼を引き連れてやって来たお前に言われたくない」
そうしなきゃ死んでいたくせに。グレーテルは目の前の男をよく観察した。見たところだと兄ヘンゼルと同い年か、もしくはそれ以上か。
男は自分の怪我を探していた。
「ないよ。私の血を飲んだんだもの。傷は全部綺麗に塞がってるはず」
グレーテルの言う通り、男の撃たれたはずの箇所は何も無かった。
「は?」
「私、魔女なの。私の血って妙薬になるんだ」
「は?」
珍動物でも見つけたかのような顔をされた。
「それ他の人間には?」
「他の人間? そもそも私、森から出たことないの。師匠と兄さんは森を出ちゃったし」
「なら、そのまま秘密にしろ」
「なんで?」
「殺されるぞ」
全身が凍った気がした。彼は今、何を言った?
「魔女じゃなくても殺される時代だ。魔女だと告げれば即火あぶりにされるだろうな」
グレーテルは暫く言葉を出せなかった。ぱくぱくと口は動いているのだが、声が出ない。
じゃあ、兄さんは? 師匠は?
手先が冷たい。かたかた体が震える。
二人が行ったきり帰ってこないのは、もしかして……?
「この森は魔女の森と呼ばれてる。近々ここも焼き払われる予定だ」
──あの火災のことだ。このままでは、自分の身も危ない……?──
グレーテルは震える声を絞り出し、彼に問いかけた。
「兄と師匠が何年も帰ってこないの……それって……」
男は何も言わない。
グレーテルは唇をかみしめ、俯いた。一瞬、泣いているのかと思われた。しかし、男が声をかけようとしたとき、彼女はぐっと顔を上げ、凛々しい顔つきで言ったのだ。
「あの二人が死ぬはずない。ただの人間に負けるはずがない。私、捜すよ。絶対に合流してみせるんだから!」
グレーテルの旅は、こうして始まった。
始まったは良いが、何故かあの男がついてくる。一つ目の街はまあ森を抜けるまでは一緒かなと許してはいたが、二つ目、三つ目、ついには四つ目の街まで彼はついてきた。流石に怒る。
グレーテルと男は宿の一階である飲み屋で会議を始めた。
「まずね。あんた、名前は!?」
「メルダー」
「メルダー?」
「アイク」
「どっち」
「……メルダー」
何だよアイクって。
グレーテルは深いため息をつき、仏頂面の男を睨みつけた。
「あのね。森に追い込まれて撃たれて、なんて、あんた絶対に訳ありでしょ? 私一人で充分訳ありなのに、二人も爆弾が一気に一つの街へ行ったら、もしものときどれだけ迷惑かけると思ってるの?」
「もしもが起こらきゃいい」
「そういうことじゃないの」
そもそも、どうして彼はついてくるのだろう。グレーテルの分まで払おうとする所を見る限り、お金に困っているようでもなさそうだ。
いいや、彼のことについて考えるのはもうやめよう。埒が明かない。
グレーテルは頭を切り替え、師匠と兄のことを思った。行く街殆どの人に聞き込みをしているが、未だこれといった情報は手に入っていない。
しかし、この街で一人だけ、随分前にグレーテルと同じ人を捜している男性が来たと教えてくれた人がいた。同じ人と言っても、それは一人で兄のことは含まれていなかった。
だが、もしその男性が兄のことならば。兄が、師匠を捜していたとしたら。随分前という点が気にかかるが、グレーテルの進んでいる道は間違いではない。
突然、グレーテルが思考の底から引き上げられた。どこからか悲痛な叫び声が聞こえてきたのだ。
「違うんです! 信じてください!」
何事かとグレーテルは外を見るが、メルダーに動じる様子がない。知っていることでもあるのかと問い詰めようとしたが、よく気付けば他の客も誰一人動揺していない。
「告発でもされたんだろう」メルダーは言った。「よくある」
「よくあるって……」グレーテルは再び窓の外を見た。
遠いところで、数人の騎士と少女が揉めている。揉めていると言っても、少女は必死に抵抗しそこに留まろうとしているだけだ。
席を立とうとしたグレーテルだが、メルダーに手首を掴まれそれ以上動けなかった。
「お前は本物なんだぞ」
メルダーは他の人に聞かれないよう、小声だ。
「だからこそなの!」
そんな彼に対してグレーテルは大声を出して彼の手を振り払い、静止の呼びかけも聞かず、店を出て行ってしまった。
ついに少女が諦め連れて行かれようとしていた所を、グレーテルがやってきた。立ち止まった騎士達が怪訝な目で彼女を睨む。
「その子は魔女じゃないです!」グレーテルは少女の腕を引っ張って自分の後ろへ庇った。
「告発があった」
「この子のことを嫌う人が嘘ついたんでしょう」
「真偽は裁判所で行う。魔女をこちらに寄越せ」
裁判所で行うとか言いながら彼女を魔女と呼ぶなんて、めちゃくちゃだ。そう思いながらも、グレーテルは冷静な頭で言い返した。
「魔女なら常日頃から薬草を使うので、手から独特の匂いがする筈です。あと、日を嫌う偏屈ばかりなので、もっと顔色も悪い筈です」
「魔女をよく知っている口ぶりだな」
「私の知り合いに処刑された魔女がいまして……」
「さては、お前も魔女か?」
そうですけども!! 話を最後まで聞け!
まずい展開になりそうだ、とグレーテルは一旦口をつぐんだ。それが騎士達に確信を与えてしまったのか、リーダー格の騎士が何やら指示を与えている。
このままではグレーテルまで連行されてしまう。冷静だったはずの脳が焦りだして、うまい切り抜け方が思いつかない。
いっそ魔法で撹乱してしまおうか。どうせ本当の魔法を見たことなんかないだろうから。そうグレーテルが企んだ時だった。
「お待ちください、騎士様!」
遠い所からしわがれた女性の声が飛んできた。声の主と思われる修道女が走って来て、リーダー格の騎士の足もとに跪く。
「この子は孤児院に果物を送り、子供たちとよく遊んでくれる熱心なカトリック信仰者です。そんな子が悪魔に心を奪われた魔女だなんて信じられません! 誰の心無い告発だかなんだか存じ上げませんが、この子を魔女という烙印を押せばきっと神のお怒りを買うことでしょう。どうか、どうか賢明なご判断を!!」
「シスター……」少女が泣きそうな顔で修道女を見つめる。
ここまで言われてそれでも連れていくようなら、今度こそこいつらを猛獣の餌食にしてやる。
そうグレーテルが意気込んだが、騎士はさっきまでの横暴さは何だったのかと思うほどあっさりと引いた。グレーテルの胸にもやもやが残った。
シスターの話によれば、少女が連行されようとしていたことを知ったのは、メルダーが教えてくれたからだったそうだ。当の本人は少女が案内してくれた彼女の家に寛いでいた。メルダー曰く、修道会へ帰ったあのシスターに道を教えて貰ったそうだ。
メルダーが聞き込みでも会ったことのない彼女と孤児院の仲を知っていたのは、その聞き込みで孤児院へ赴いた際に見かけたからだと言うのだ。彼の驚異的な記憶力とわずかな時間でシスターを呼んだ俊敏さには思わず拍手をしたくなるグレーテルだった。
夜、二人は少女の家にお世話になっていた。少しでも宿代を節約するためだ。
夕食を三人で囲んで、ようやく自己紹介が始まった。
「私はロミーです。お二人共、私を救ってくださりありがとうございます」
涙を浮かべて感謝を述べる少女に、グレーテルは頭を振った。「実際にあなたを助けてくれたのは私たちじゃなくてシスターだよ。お礼ならシスターに」
「確かに、グレーテルは何もしていない」
グレーテルはメルダーのテーブルの下で足を踏み付けた。彼が恨みがましい目で見てくるが知ったことではない。
「私はグレーテル。そこの失礼男がメルダーね。私は人を捜して旅しているの。こいつは知らない」
「……そうですか」少女は反応に困ったように笑んだ。「では、よろしかったら、この街にいらっしゃる間は私の家に寝泊まりしてください」
「いいの?」
「お二人がいらっしゃらなければ、私は今頃むごい目にあっていました。私に出来ることがあれば、なんでも致します」
グレーテルの中で少女ロミーの好感度がMAXに達した瞬間だった。彼女を助けてよかった、と思った矢先にメルダーが「お前何もしてないだろ」と視線で訴えかけてきたので、とりあえず再び足を踏みにじってやった。
少女の家は他よりも大きいようで、宿よりも幾分か大きめの寝室に案内された。湯浴みも終えさあこれから寝ようという時に、何故かメルダーが寝室に入ってくる。
「今度は何?」
最近グレーテルのメルダーに対する態度が冷たいが、それは向こうも同じ……いや、初めからメルダーは冷たいので構わないだろう。むしろこれで公平になったくらいだ。
「夜這い」
グレーテルは一旦自分の耳を疑った。今までこんなこと無かったのに。まさか、彼が兄のようなことを言う筈が……。
しかし、彼が寝台に乗り上げて顔を近付けて来たので、凍結していたグレーテルは思い切り頭突きをかました。寝台の隅で額を抑えるメルダーが、あの恨みがましい目でこちらを睨んだ。
「なんで」
「こ、こっちのセリフだよ! いきなり何! 馬鹿じゃないの!?」
グレーテルは動揺しているため、口ごもってしまう。一方のメルダーは、痛みが引いたのか妙に真剣な瞳になり、じっと見つめてきた。シーツに手をついて、ゆっくりと距離を詰められる。
「め、メルダー……?」
グレーテルの心の中は馬鹿みたいに大騒ぎだった。顔に出ているかもしれない。しかし、おかしな雰囲気に呑まれたのか、兄には言えたやめろの一言がどうしても言えない。
しかし、顎をくいっと優しく上げられ、いつもと違う甘い色を見せる双眸で瞳の奥まで見られると、何も考えられなくなった。
唇に冷たく柔らかい感触がした。気づいた時には離れていて、何を思ったのか、グレーテルは名残惜しげに彼の唇を見つめてしまう。
グレーテルの視線に気付いたメルダーが、色っぽく舌なめずりした後また唇を重ねてきた。ゆっくりと体を押し倒される。
彼の顔がグレーテルの首に近づいてき……、
「調子乗ってんじゃないよ」
メルダーをヘッドロックしてやった。
「なんで!」
なんでじゃないよ。なんでいけると思うんだよ。
苦しそうだったから放してやったら、また恨みがましい目で見てきた。
二人共体を起こし、寝台の上にいることは変わりないが、距離をとって向き合った。
「急に何?」
「随分といいベッドだから」
「意味がわからない」
この男は何を馬鹿なことを言ってるんだ?
でも、まずいことになった。グレーテルは自分の唇に触れ、相手の顔を見た。
メルダーは懲りていないのか、まだ熱の篭った視線を送ってきてる。いや、これは違う。懲りてないんじゃなくて、キスをしたからだろう。
「自分の部屋に戻って」
「嫌だ」
「嫌じゃないの! 戻って!」
彼はどこか寂しそうな顔をしてから、部屋を出ていった。
本当にまずいことになった……。
あんなことがあった翌日でも、聞き込みは続けた。めぼしい収穫はなかったが、その後、気の強そうな女性に遭遇し、信じられない話を聞いた。丁度メルダーがいないときだった。
「あなたと一緒にいる男の人、あなたの恋人?」
全力で否定した。しかし、それが何故か彼女の勘違いに確信を与えてしまったようだ。
「あの女には気を付けた方がいいわよ」
彼女は明後日の方向を見つめてる。その瞳にどこか憎悪に似た感情が宿っているのをグレーテルは見逃さなかった。
「あなたが告発したんだね?」
彼女は驚かない。随分肝の据わった女性だ。
「なんでそんなこと……」
「あの女は魔女よ」被せるように、言ってきた。「正真正銘のね」
数日前のことだと、彼女は言う。女性の親友は、幼なじみであり婚約者である男性と結婚式を挙げる予定だったそうだ。そして、彼女の親友にはこの女性以外にも仲のいい友達がいたそうだ。それがロミー。
しかし、ロミーは裏切った。ロミーだけじゃない。彼女の親友にベタ惚れだった筈の婚約者も。
なんと、婚約者は夜ロミーの家へ通っていたのだ。それを知った親友さんは、結婚式前夜に首を吊って死んだそうだ。婚約者も親友さんの亡骸を見た後、すぐ首を切って死んだ、と。
「ロミーと出会って数日後くらいから、彼の様子もおかしかったのよ……全部あの女のせいよ」
魔女にも色んな種類がある。精霊や妖精と契約する者、たまに神と契約する者もいる。とはいえ聖書と同じように悪魔と契約する魔女が殆どだ。
夢魔と契約した魔女はそりゃ大変だそうだ。力はたいして大きくないくせに性欲はガンガン湧いちゃうもんだから、以前は素晴らしい人間だったが魔女になってから性格が大きく変わってしまうものが殆どだとか。
正直、グレーテルが騎士に言った魔女の特徴は全て嘘だ。魔女は同志でも見分けられない。
夢魔と契約した魔女に誘われた者は意識が奪われてしまうため、まず抵抗すらできない。彼女の言うことが真実ならば、ロミーが夢魔と契約した魔女である可能性は高い。
メルダーが標的にされたということか……。ならば問題は無い。聞き込みを続けよう。そうグレーテルは決意した。
したはいいが。出来なくなった。
連行されたのだ。告発されて。あの女性は連行されるグレーテルを見て焦っていたので、告発したのは別の人間……ロミーかもしれない。メルダーと二人きりになるのにグレーテルは邪魔だ。有り得なくはない。
いい子だと思っていたのになあ、とグレーテルは牢獄で落胆した。
大人しく連行されたグレーテルだが、もちろん意図があってのことだ。街で聞き込んでも情報は少ないから、いっそ捕まった先で情報を集めようというわけだ。
同じ牢獄仲間に聞いても情報は得られなかった。彼女たちはそれぞれ疲弊しきっていて、痛みに耐えられず呻いている。あまりにもむごくて、血を分け与えてしまった。
やってはいけないとわかっていた。今は治っていいかもしれないが、彼女達はそれが魔女だという証拠にされてしまうかもしれない。
そして、師匠にも禁止されていた。
幼い頃、本当は師匠と兄と三人で、魔女とは隠して森の近くの村に住んでいた。友達もそれなりにいた。たくさんの友達に囲まれて森で遊んだりもした。
ある日、火事が起きた。師匠が影で恵みの雨を降らせてくれたから、被害は最小限に収まった。しかし、怪我をした人々を見て、グレーテルはいても立ってもいられなくなり、血を分け与えてしまった。
それから、何かがある度に村の人々はグレーテルの血を求めた。たった一滴が、次の一滴を呼び、気付けばグレーテルの腕は切り傷だらけになっていた。
師匠はそれでも止められないグレーテルを見て、森へ移住することに決めたのだ。
懐かしいことを思い出したものだ。これから裁判が開かれるからだろうか。恐怖が無いといえば嘘になる。むしろ、かなり怖い。
いざとなればこんな所、いつでも出られるだろうが、高圧的な人間は怖い。自分の話を撥ね付ける人間はもっと怖い。
もっと辛い思い出が蘇りそうで、グレーテルは立ち上がって頭を叩いた。
そうしていると、騎士達がやって来た。法廷へ向かうとのことだ。
「名は」
「魔女のグレーテル。兄は魔女のヘンゼル。十二年前に師である魔女のフェリクスに拾われて、私は女神ヴェーヌスに選ばれ、魔女になりました」
ヘンゼル、そしてフェリクスの名を立て続けに告げれば、たちまち法廷はざわめいた。やはり、二人の名は彼らの世界の中では有名なのかもしれない。
裁判官に、小太りの男が何かを耳打ちしている。
「グレーテル・フォン・へクセ。自白に嘘はないか」
「はい」
「かの悪名高き魔女、ヘンゼル・フォン・へクセの妹だということもか」
悪名高き魔女?
「都で皇族殺しを行う最低残虐な男、魔女ヘンゼルの妹だと認めるのだな?」
皇族殺し?
「……それは本当に、ヘンゼル兄さんのことなの……?」
あの人が、人殺しの犯罪者?
「認めるのだな?」
嘘だ。
「あの人は、そんなことしません! なにかの間違いです!」グレーテルは身を乗り出して声を荒らげた。「あんな柔和を実体化したような男が、そんなことする筈ない! その人はヘンゼル・フォン・へクセじゃあない!」
だって今頃、師匠を捜しているはずで。
「かの有名な魔女フェリクス・フォン・へクセの焼死体を抱きながら、騎士団長でもあらせられた第七皇子を含めた計五十名を殺め逃走した。未だ奴は摩訶不思議な力で人を殺め続けている」
がつん、と頭の奥を殴られた気がした。
「グレーテル・フォン・へクセ。一ヶ月間処刑場にて拷問と晒し刑の後、火あぶりの刑に処す」
ヘンゼルを、おびき寄せるために。
そう言われた気がした。機能しない脳みそで、それだけ理解した。
この人たちは、ヘンゼルを捕まえるために、一ヶ月も用意したんだ。
──そんなのいけない。
ヘンゼルならきっと飛んでくるだろう。優しくて心配性で、とてもグレーテルを愛しているから。
そんなのだめだ。ヘンゼルから事の顛末を聞かなければいけない。師匠が死ぬわけもないし、ちゃんとヘンゼルと話し合わなきゃいけない。
──逃げなくては。
そう思った頃には、グレーテルは行動に移していた。
自分を拘束する鎖を分解し、法廷を照らす火を操って近付けないよう自分を囲んだ。その瞬間、人が我先に逃げようと席を立つ。混乱の中、炎を纏ったグレーテルは堂々と法廷を後にし、意外と豪華な廊下を走った。
長く炎を保てず、火が消えてしまった頃には追っ手はいなかった。誰も燃えてる女を追いたくはないだろう。
走っていく先に、騎士が見えた。ロミーを連れ去ろうとしたあのリーダー格の騎士だ。
丁度いい。
グレーテルは彼のもとへ走ってくると、向けられる剣を避け顔を自分に向けさせ、情熱的にキスを仕掛けた。
キスの間、彼女は目を瞑らなかった。彼の瞳が自分と同じ色に光るのを見逃さないためだ。
思惑通り、そろそろ終わらせようとする頃には彼はグレーテルの腰に手を回し、昔から愛し合っていた恋人同士のようにキスをしていた。グレーテルが顔を離そうとしても噛み付くように口付けされるものだから、これは効きすぎたと困ってしまう。
どうしたものかと考えていたら、騎士の向こうからメルダーが走ってくる様子が見えた。彼はそのまま騎士の首根っこを掴んでグレーテルから放してくれた。
「なんだお前は」邪魔されて不機嫌な騎士はメルダーを睨みつけた。
「……おいどういうことだグレーテル」
「彼に協力させてここを出よう。彼は今私の虜だから、何でも言うことを聞いてくれる。詳しい説明は後」
そうこうしている内に、後ろから他の騎士達が追ってきた。
「こっちだ!」
リーダー格だった騎士の案内で、二人は建物の外へと向かった。途中、追い付いた騎士に襲われかけたが、それはメルダーが追い払った。グレーテルの願いで、なるべく傷を付けさせられないのだ。
外は真っ暗だ。彼らは、闇夜に紛れて騎士の懇意にしている居酒屋まで向かった。
「メルダー、どうして私があそこにいると知っていたの?」
「おかしな女が来た」
ロミーを告発したあの女性のことだろう。
「そんなことより聞かせて欲しいな」彼は盛大に眉をひそめ、鋭い視線でグレーテルを射抜いた。「どうしてこの男とキスをしていた」
「私のキスには魅了の力があるの。元から愛がある相手には効かないけれど、彼のように私を嫌っていた人には強い効果があって。あそこを出るために利用させてもらった。それだけだよ」
「ならテーブルの下でいちゃいちゃと手を握るのはやめろ……! 俺にこの男を殺させたくなければ!」
手を握ってるんじゃなくて、隙あらば脚を絡めたり触ったりしようとするこの男を手ではらってるんだよ。
そうグレーテルが答えようとしたが、メルダーが寂しげに眉を寄せ視線を逸らしたから、上手く説明ができなかった。一体どうしたというんだ。
「……誰にでも唇を許すんだな」
「馬鹿なこと言わないで。今私はそれどころじゃないの」
「なら何だよ」
グレーテルは、法廷で得た情報をメルダーにも話した。その情報を全ては信用していないことも。
それを踏まえ、これからの進路についても話し始めた。
「都に行こうかと思うの。そのヘンゼルが兄さんかどうか見極める為にも。……私はまだ、あの人が殺人鬼に堕ちたなんて信じられない」
「ヘンゼル・フォン・へクセ?」リーダー格の騎士がグレーテルの頬に触れた。「貴女は、あの男の妹なのか?」
「うん」
「奴には借りがある。……そして、貴女が心配だ。その旅に、私も同行させてくれないか」
「助けてくれるのなら構わないよ。……メルダーは。メルダーは、どうする?」
「……変わらない。お前のいる場所が、俺の居場所だ」
ちょっと何を言ってるのかわからないけど、こうしてグレーテルの旅に二人の男がついてくることになった。
グレーテルは胸の中で師と兄を想う。必ず会いに行く、と。
同時刻、プラハの住宅街。
動く彫刻とも表現できるほど美しい男が、ぽつんと立っている。よく見れば、彼の顔のすぐ横に蝶のような妖精が飛んでいる。
「家が燃えて、グレーテルが街に出たみたい」
妖精が、鈴の音のような可愛らしい声を出した。男は妖精の声に耳を傾けるが、振り向きはしない。
「グレーテルは今どこに」
「ここからは遠い街。こっちに向かってる」
なら、まだ暫くここに留まろうか。
男は愛おしい彼女の顔を思い浮かべ、表情を綻ばせた。そして、踵を返しその場を離れていく。
男の背後には、数人の男女の死体が転がっていた。
10000字以内を目標に書いたのでめっちゃ展開を急ぎました。すみません┏○┓