第4話 スライムとカキ氷
「ダーリン、暑い~……!」
妻のぽよ美が、リビングでとろけている。
言うまでもなく、文字通りの意味だ。
ドロンドロンのベチョンベチョンのグチョングチョンにとろけ切っている。
スライムは暑さに弱い。
それにしたって、あまりにもひどい。
べつに今に始まったことではないのだが。
「また地獄が暴走してるんじゃないのぉ~?」
先日の一件を思い出す。
地獄の熱暴走によって、このアパートの気温が上昇の一途をたどった。
とはいえ、あのときは結界が張ってあったせいで、異常なほどの高温になったと言える。
今日はエアコンも冷蔵庫も動いているのだから、まったく違う状況だろう。
そもそも、またしても地獄が熱暴走を起こしたのであれば、大家さんから連絡くらい来るはずだ。
つまり。
今日の暑さは、普通に暑いだけなのだ。
「う~~~~、暑い暑い暑い暑いぃ~~~~~!」
「そうやって暑い暑いって言うなよ。聞いてるこっちまで暑くなるだろ?」
「だって、暑いんだもん~!」
ぽよ美の辞書に我慢の二文字は存在しない。
ま、仕方がないだろう。なにせ、ぽよ美だし。
それより、エアコンの調子が悪いのが一番の問題だな。
今日は普通に気温が高い。
気温が高ければ暑いのは確かだが、エアコンを動かしていてもなお、暑い。
それもひとえに、このエアコンの勢いが弱いからに他ならない。
「う~ん……」
オレは部屋の中をぐるっと見回してみる。
どこもかしこも、緑色のゲル状物体が付着している。
ぽよ美が動けば、粘液が飛び散る。
スライムである以上、どうにもならないことではあるのだが……。
「そりゃあ、こんな環境じゃ、エアコンもすぐ壊れるよな」
諦めの境地。
いや、実際のところ、頻繁に掃除はしている。
ただ、掃除したそばから、粘液はどんどん付着していくことになる。
ぽよ美が部屋にいれば、それは避けられない。
いつしか、無駄な労力は使うまい、と思うようになっていった。
それでも、汚れがひどすぎる場所の掃除くらいはしているわけだが。
「ダーリン~、暑くて死にそうだよぉ~!」
「まぁ、そうだな……」
オレ自身もこのままでは厳しい。
とりあえず、冷たい飲み物でも飲むか。
そう考え、冷蔵庫に入れてあったビールを取り出そうとしたのだが。
「む……。1本もない……?」
おかしい。数日前に箱買いしてきたばかりだったよな。
それを全部冷蔵庫に突っ込んでおいたはずなのに……。
こういう場合、犯人はひとりしかいない。
「ぽよ美、ビール全部飲んだのか?」
「…………てへっ♪」
「てへっ、じゃない! 飲み過すぎだ!」
さて、困った。
他の飲み物もないわけではないが、どうやら量的に残り少ない状態のようだ。
ここは買い出しに行くべきか……。
しかし、また別の問題が見つかってしまう。
冷蔵庫の調子も悪くなっているらしい、ということだ。
うちではあまり食材を入れたままにはしていないが、これではビールを買ってきたとしても冷やすことができない。
そしてさらに別の問題もある。
単純に、買い出しに行くのがかったるい、ということだ。
暑さのせいで、気力も萎えてしまっているのだろう。
ここは一端、冷たいものでも食べるべきだと思うが……。
こんなときに限って、隣の冷華さんは外出中だったりする。
珍しく低橋さんのバイトが休みだとかで、冷華さんは久しぶりのデートだとはしゃいでいた。
……年甲斐もなく。
と、そんなことを言ったら悪いか。
何歳になっても、また、結婚してからどれだけ時間が経っていても、デートを楽しめるのは素晴らしいことだ。
あんな風に、いつまでも仲よくいたいものだ。オレとぽよ美も。
もっとも冷華さんの場合、嬉し泣きどころか嬉し冷気によって、相手を凍らせてしまうだろうからなぁ……。
低橋さん、今ごろ大変なのかもしれない。
隣の住人と考えれば、中泉もいるわけだが。
こちらはこちらで、違った問題が発生しかねない。
これだけ暑いと、とんでもない薄着で生活している可能性もあるからな、中泉の場合。
先日の地獄の熱暴走の際には、ビキニの水着姿で出てきたし。
無論、それがイヤということはない。
むしろ目の保養にはなると思うが。
そんな状況を、ぽよ美が放っておくはずがない。
中泉がオレを誘惑してるとか、ありもしないことを叫びながら、どろどろに溶けた全身で飛びかかってくるだろう。
そうなったら、液体状の妻の体の中で溺れるという、凄惨な結末が待っていることになる。
誰かが助け出してくれなければ、オレは室内にいながらにして溺死してしまう。
中泉なら、アルコール類を大量に保有しているのは確実なのだが……。
本人は来なくていいから、飲み物だけ来てくれないものか。
「佐々藤ってば、ひっどいこと考えてるでしょ!?」
「うおっ!?」
その中泉が、突然目の前に現れた。
あまりにタイミングがピッタリすぎて、怖いくらいだ。
盗聴器でも仕掛けられてるんじゃないか?
「あのねぇ。盗聴器なんてなくったって、隣の部屋で大声を上げてたら聞こえてくるってば。
カベの薄っすいボロアパートなんだから!」
「……そんなこと言ってると、大家さんに消されるぞ?」
「ま……まぁ、あっしはこのアパート、すっごく気に入ってるけどね!」
オレがぼそっと進言すると、中泉は慌てて取り繕っていた。
いくら大家さんでも、こんな軽口を聞きつけて飛び込んできたりはしないとは思うが。
……いや、絶対にないとは言い切れないか。
で、そんな中泉だが。
薄着ではあるものの、意外にも普通の格好だった。
半袖の黒っぽいTシャツに膝丈くらいの紺色のスカート。中泉にしては普通すぎる。
「ま~た、ひっどいこと考えてるような顔してるな~、佐々藤は……」
「お前、いったい何者だよ」
完全にエスパー状態だ。
オレが顔に出やすいタイプってだけなのかもしれないが。
安堵しているオレに、不意打ち攻撃が襲いかかる。
「まぁ、服の下はノーブラノーパンだけど」
「すぐに帰って下着をつけてこい!」
そんな格好で部屋を出てくるのもおかしいが、それを言ってしまうのも精神がおかしいと言わざるを得ない。
Tシャツが白じゃなくてよかった。
……だが、ちょっと残念だった気もするな。
「ダーリン、また変なこと考えてる~!
鼻の下伸ばしてたら、許さないんだからね~?」
すかさず、ぽよ美からもツッコミを受けてしまう。
ただ、暑さで気力もないからか、ぽよ美が飛びかかってきたりはしなかった。
溺死の機器が訪れることがなかったのは、不幸中の幸いだったと言えよう。
中泉がビールや缶チューハイなんかを持ってきてくれて、オレたちは少し生き返った気分だった。
だが、中泉の家の冷蔵庫も調子が悪くなっているらしく、冷たいとは言い難い状態だった。
「うちも水好が毎日のように水芸してるような環境だからさ~。
そりゃあ、電化製品だって壊れたりするよね~」
「お互い大変だな」
しみじみと感じる。
オレは妻がスライム。中泉は旦那が河童。
普通の生活が送れるはずもない。
「覚悟した上で水好と結婚したわけだし、あっしはべつにいいんだけどね~。
佐々藤だって、そうでしょ? ぽよ美さんがいてくれて、幸せだよね?」
中泉は恥ずかしげもなく言ってのける。
こういうところは見習うべきだよな。
「ああ、そうだな」
オレも素直に答える。
「ダーリン~~~♪」
ぽよ美が嬉しさでとろけたような声を響かせる。
まぁ、言うまでもなく実際にとろけまくっているのだが。
しかし、飲み物が微妙にぬるかったことで、余計に冷たい物が食べたくなってきた。
ともあれ、冷凍庫の中にあるものなんて氷くらいで……。
「それだよ、ダーリン!」
ぽよ美がぱーっと笑顔を輝かせて立ち上がる。
スライム形態でも立ち上がるという表現でいいのかは、疑問が残るところだが。
それはともかく。
氷か。
「氷を食べれば、少しは涼を取れるよな」
「ノンノン! 違うよ、ダーリン! これだよ、これ!」
なにやらぽよ美が、薄汚れた箱を持ち出してきた。
箱には、シロクマのような絵が描かれている。
それは確か……。
「じゃ~~~~ん! めんどくさくて全然使ってなかった、カキ氷製造機だよ~!」
製造機なんて大それたものではないと思うが。
それはシロクマの形をしていて、頭の部分を外して中に氷を入れるようになっている装置だった。
頭を閉め直し、その上にあるハンドルを回せば、下に置いた皿にカキ氷が溜まっていく。
そういえば、そんなものを買ってあったっけな。
カキ氷用のシロップも残っていたはずだ。
去年買った未開封のままのものを、冷蔵室の奥に押しやっていた記憶がある。
シロップは開封前なら1~2年くらい持つらしいから、使っても大丈夫だろう。
「よし、じゃあ氷を取り出して……」
うちの冷蔵庫は水を入れておけば勝手に氷が出来ているタイプだ。
氷が少しでも減っているようだったら、すぐに水を入れて補充している。
それなのに、随分と少ない。というか……。
「なんか、かなり溶けちゃってるね~?」
冷蔵庫の調子が悪いことの影響は、こんなところにも及んでいたようだ。
かといって、今から氷を作るのも時間がかかるし、調子が悪くて温度が下がらないなら、しっかりと氷が作れるかもわからない。
「なら、あたしにお任せ♪」
ぽよ美が元気いっぱいに宣言する。
こういう場合、不安しかないわけだが……。
「この包丁を使えば、無事に解決するよ!」
「うわっ! いきなり刃物を取り出すなよ、危ないな!」
「てへ♪ ……でね、まずは今ある氷をカキ氷製造機に入れます」
「カキ氷機、くらいでいいと思うぞ」
「細かいことはいいのよ~!」
ぽよ美が氷をシロクマ型装置の頭の部分に放り込む。
やっぱり、量が足りない。
ひとり分ならどうにかなるかもしれないが、中泉もいるし、三人分には到底足りそうもない。
「そこで、かさ増し大作戦の決行となります!」
「ほうほう」
「包丁で……こんな風に切ります。えいえい、ざくざく♪」
「おおうっ!?」
ぽよ美がなにをし始めたのか。
一瞬自分の目を疑った。
包丁を使って、手を切り落とし、それをカキ氷機の中へと入れたのだ。
「って、ぽよ美!?」
そりゃあ、野菜を切ったりしても、指(と思しき部分。スライム形態だと、完全な区別はつかない)を混入させるのが日常茶飯事のぽよ美ではある。
だとしても、最初から切り落とすつもりで切るとか、どんな神経してるんだ!?
「お前……痛くないのか?」
「ん~、痛くはないかな。言葉にするとしたら、ぐちょいって感じ?」
「わ……わからないよ……」
なんだよ、ぐちょいって。
スライムの感覚を正確に表現する日本語なんて、存在していなくて当たり前だとは思うが。
とりあえず、痛いわけではないのなら、まぁ、いい……のか?
いや、あまりよくはないよな。
かさ増しのためとはいえ、スライムの体の一部を混ぜ込んだカキ氷なんて……。
オレが止めようとする前に、ぽよ美は既にカキ氷機のハンドルを回し始めていた。
「ぐ~るぐ~る、ぐ~るぐ~る♪ これ、結構面白いよね~♪」
心底楽しそうに、自分の指らしき部分が入った氷を削っていく我が妻。
いったいどんな反応をすればいいものやら……。
しかもこれを、中泉にも食べさせるとか、どう考えてもありえないだろう。
オレが止めようとする前に、またしても既に事は進んでいた。
「はい、過去ちゃん! シロップはお好きなのをどうぞ!」
「わ~、ありがとう、ぽよ美さん! シロップをかけなくても、緑色になってるけど!」
「スライム味、きっと美味しいよ!」
「シャクシャク……うん、結構いいかも! 青汁味のカキ氷!」
なんの躊躇もなく食べてしまうあたり、中泉の変人ぶりがうかがえる。
というか、青汁味のカキ氷が美味しいってのも、おかしい気がするのだが……。
正しく言えば、青汁っぽい風味であるスライムの味のカキ氷、ってことになるか。
「はい、ダーリンも! スライム成分、多めにしといたよ~!」
「あ、ああ、ありがとう」
できれば普通の氷成分多めでお願いしたかった。
まぁ、色は近いし、メロン味のシロップでもかけて食べてみるか。
暑さで味覚もおかしくなっていたのだろうか。
オレは意外と美味しく、カキ氷をたいらげることができた。
味はともかくとして。
カキ氷を食べたことで、少しは体を冷やせた。
そろそろ、買い出しにでも行くか。
そう思った矢先、またしてもこの部屋に勝手に入ってきた者がいた。
「カキ氷と聞いては、黙っていられないわ!」
真っ赤な髪の毛を逆立て、真っ赤でど派手な服に身を包む、雪女の雪子さん。
「……ってことで、こんにちは」
そして雪子さんの旦那で、ぽよ美のいとこでもある、ぽよ太郎。
ふたりが突然現れたのだ。
どうでもいいが、中泉も含めて、完全に不法侵入になるのでは。
まぁ、オレに訴えるつもりがないのだから、罪にはならないだろうが。
それに、これは願ってもないことだ。
ぽよ太郎はともかくとして、雪子さんは雪女なのだから。
暑さを凌ぐためには最高の人材と言っていい。
……見た目は真っ赤っかで、とっても暑苦しいのだが。
「この部屋、エアコンの調子が悪くて暑いんですよね。
雪子さん、もしよかったら、少しだけ冷やしてくれませんか?」
あまりにも失礼なお願いだったかもしれない。
それでも、雪子さんは嫌な顔ひとつせず、要望に応えてくれた。
「わかったわ! この部屋を永久凍土にしてあげる!」
「いや、そこまではしなくていいですから!」
何事もほどほどが一番だ。
やりすぎはよくない。
そんな教訓、このアパートにいたら役に立つはずもないのだけど。
しばらくして、部屋は充分に涼しくなった。
若干寒くなりすぎたところで、ぽよ太郎から雪子さんに甘い言葉を投げかけてもらい、ラブラブな熱気で調節する作戦が成功したのだ。
異常事態に遭遇しても、慣れてくれば冷静に対処できる。これも日ごろの精神鍛錬のたまものだな。
「たまたま上手くいっただけなのに、さもすごいことを成し遂げた、みたいな顔してるね、佐々藤」
中泉は相変わらず、エスパー染みた能力を発揮してくるな。
一応こいつは、普通の人間のはずなのに。
で、その後はどうなったかというと。
「それじゃあ、場も和んだところで、カキ氷パーティーを始めましょうか!」
雪子さんからの提案で、カキ氷パーティーが開催される運びとなった。
氷がなくなっていたが、雪子さんがいれば水を瞬時に凍らせることもたやすいだろう。
といったオレの予想に反し、雪子さんは別の方法でカキ氷を準備した。
「では、行きます! こぉぉぉぉぉぉぉぉ~~~~っ!」
雪子さんはカキ氷を盛る透明の皿を手に取ると、口からカキ氷を吐き出したのだ。
吹雪を吐き出すことができるのだから、カキ氷くらい出せてもおかしくはないが……。
そうすると、このカキ氷はつまり、雪子さんのだ液から作られていることになるのでは……。
「ささ、どうぞ!」
全員分のカキ氷を準備し終えた雪子さんは、それをみんなに笑顔で配っている。
もちろん、オレの目の前にも。
これを食べたら、雪子さんと間接キスだ~とか言って、ぽよ美が暴れ出しそうな気がする。
ちらっ。
ぽよ美に視線を向けてみると。
既にカキ氷をぱくっと口に含んでいた。
「にょほぉ~~~っ! これ、すっごく美味しいよ! ダーリンも、溶けないうちに早く食べなよ!」
「お……おお。そうか、わかった」
どうやら大丈夫みたいだな。
どれどれ。
ぱくっ、と。オレもひと口、いただいてみた。
シロップもかけてあったが、まずは素材の味を確認とばかりに、カキ氷だけの部分を食べたのだが。
これが実に絶品!
味があるわけではない。それなのに、食感と冷たさだけで、いくらでも食べられそうな満足感を得られる。
「ふふっ、純度100%だからね。そんじょそこらのカキ氷なんかには、絶対に負けはしないわ!」
雪子さんも自信満々に言い放つ。
純度100%ということは、だ液から作られているとか、そういうわけではないのだろう。
確かにこの出来であれば、カキ氷の専門店をオープンさせたとしても充分にやっていけそうだ。
むしろ大評判になって、全国から食べにくる客が後を絶たない、テレビでも紹介されるような店にもなれるに違いない。
そんなこんなで、カキ氷パーティーは順調に進んでいった。
さすがにカキ氷を食べすぎて体が冷えてしまったが。
それくらい、この絶品スイーツを堪能できたのだから、耐えてしかるべきと言える。
と、この時点で随分と時間が経っていた。
もう夕方くらいだろうか。
そうなると、デートに出かけていたお隣さんも帰ってくることになる。
冷華さんが帰宅すれば、隣の部屋に雪子さんがいることなど、すぐに察知して飛び込んでくるのは、想像に難くない。
「ゆっきー! また性懲りもなく来てたのね!?」
「ふふっ、レイレイ、あなたも食べる? 私の絶品カキ氷」
「食べないわよ! それよりも、夏ならやっぱり、冷やし中華でしょ!」
雪女に加えてレイスまで登場したことで、部屋の温度はぐんぐん下がっていったものの。
女の戦いは熱さを増すばかりだった。
だが、こんなのはいつものことだし、詳しく語る必要もないだろう。
なお、そこから先には、さらに宴会へとなだれ込む展開が待ち受けている。
……というのも、やはりいつものことだから割愛させてもらうとしよう。