第2話 スライムたちと絆と悪霊
大勢の死者が列をなす場所に、オレたちは集められた。
集められたのは、オレを含めて総勢8名。
集めた側は、いま目の前にいる2名ということになる。
「怖気づきもせず、よく来たねぇ~」
見た目は普通のおばさん、しかしてその実態はオレの住むアパート――「コーポ錠針」の大家さん。
さらにその正体は閻魔様という、このお方。
固有の名前は持たないらしいから、『大家さん』と呼ぶ以外にない。
「ふふふ、そういう命知らずなところ、嫌いではありませんわ」
もう一方は、また別のアパート、「女神ハイツ」の大家をしている、メリーさん。
その正体は複数の女神をバイトで掛け持ちしている、自称、女神(仮)さん。
とはいえ、今ではもう、ぽよ美が名づけた愛称、『メリーさん』で定着してしまった感がある。
そんなふたりの前に呼び出されたメンバーは、以下の通り。
まずはオレ。普通の(?)サラリーマン、佐々藤泉夢。
そしてオレの妻、粘液だらけのスライム、ぽよ美。
続いて、自称ミュージシャンでフリーターの低橋薄微神さん。
その妻、冷やし中華大好き、レイスの冷華さん。
お次は、恥ずかしながらオレの小学生時代の初恋相手、中泉過去。
その夫、キュウリ大好き、カッパの水好さん。
ここまでが、コーポ錠針の住人となっている。
最後に、オレの会社の同僚でもある、海端聡留。
その妻、泥団子大好き、泥田坊の羽似さん。
このふたりは、女神ハイツの住人だ。
以上8名が、大家さんとメリーさんの前に緊張の面持ちで正座している。
なぜ緊張しているのか。それは呼び出し理由がいったい何なのか、いっさい告げられていないからに他ならない。
ただ、怪しげなオーラがひしひしと感じられる黒い封筒に入った呼び出し状を受け取り、オレたちは今日、ここに集まっている。
集合場所はオレの住んでいるコーポ錠針の104号室。
ここは大家さん――すなわち閻魔様の仕事部屋となっている場所。
さっきからオレたちの背後を、死者たちが次々と通り過ぎている。
オレたちのいる辺りから少し離れたところに、黒い渦巻き状の空間がある。
そこからゾロゾロと死者が出てきては、反対側にある扉の中へと入っていく。
あの扉の向こうが、閻魔様が最後の審判を下す部屋、ということか。
――アイツラ、マダシンデナイ。ウラメシイ。
通りすがりの死者たちから、たまにそんな声まで聞こえてくる。
こんな状況だから、背筋も凍る思いなのはわかってもらえるだろう。
能天気なぽよ美、陽気な海端、落ち着いた(冷めた)雰囲気の羽似さん、物理的に冷たい冷華さん、人間離れした低橋さんですら、場の空気に呑み込まれて縮こまっている。
弱気な水好さんや、普通の人間であるオレなど、小さくなりすぎて消えてしまいそうなくらいだ。
そんな中、
「そ……それで、あっしたちを呼んだのは、どうしてなんですか?」
声は若干震えていたが、中泉が果敢に話を切り出す。
おおっ、さすが中泉! 怖いもの知らず女王! カッパを大きな尻に敷いてるだけはある!
「……佐々藤、今あっし、なんだかとぉ~っても不愉快な思念を感じたんだけど?」
中泉がジト目でこちらをにらんでくる。
こいつもまた、人間離れしてるよな……。
「き……気のせいじゃないのか!? そんなことより、今は大家さんたちの話を聞くべきだろ!?」
「……ま、それはそうだけどさ……」
まだ少々不満顔ではあるものの、中泉はしぶしぶ納得してくれそうだった。
……のだが。
「あははは! 佐々藤と中泉さんは仲良しだな~! 怪しい関係~? ぽよ美さんに嫉妬されるんじゃない?」
海端のヤツが、余計なことを口走る。
「ららら~♪ 初恋相手が現れたら~、心も揺らいでしまうもの~♪」
さらに低橋さんが、どこから取り出したのか、ギターをかき鳴らして歌い始める。
「って、なに言ってんだよ、海端! 全然怪しくなんてないから!
低橋さんも、変な歌詞で歌わないでください! オレは揺らいだりなんてしませんから!」
オレのぽよ美への愛は本物だ。
絶対に揺るがない自信がある。
と、そこで。
不意に笑い声が響き渡った。
「あっはっはっは! こりゃすごいねぇ~!
まさか人間の4人が先に私たちの威圧オーラから抜け出すなんて!」
「ふふふ、本当に驚きですわ。ですが、だからこそ今の生活がある、とも言えますわね」
大家さんとメリーさんが、笑みを浮かべてオレたちを見つめている。
とても温かな瞳で。
思わずキョトンとするオレたち4人。
いや、ぽよ美たちも含めた8名全員が、目を丸くしている。
「それじゃあ、本題に入ろうかねぇ~」
「そうですわね」
ふっ……と。
まじめな顔になる大家さんとメリーさん。
オレたちも反射的に背筋をピンと伸ばし、しっかりと話を聞く態勢を整えた。
☆☆☆☆☆
「ひと言でいえば、絆、ですわね」
「絆?」
メリーさんの言葉をオウム返しする。
「つまり、人間である泉夢さんたちと、物の怪妖怪あやかしの類であるぽよ美さんたちのつながりが、今後は重要になってくる、ってことなんだよ」
大家さんが解説してくれたものの、その意味はよくわからなかった。
実際にはかなり前、大家さんから似たようなことを言われた記憶はあるのだが。
ぽよ美をずっと愛し続けるように、といったことを。
それを思い出したからだろう。
「オレは、ぽよ美を愛しています」
恥ずかしといった気持ちもなく、本音を乗せた言葉が自然と口から滑り出していた。
「ひゅーひゅー!」
海端が茶化してきたが、そんなことは今さら気にしない。
「確かに、そうだねぇ~。それに、ほかの3組の夫婦もそうさ」
「ええ。それぞれの夫婦が、相手とのつながりを大切にしておりますわ」
「ふふっ、物理的にもつながってるものね~。きっと毎晩……」
冷華さんの発言はスルーしておくとして。
大家さんとメリーさんいわく。
オレはぽよ美の手料理で、文字通り手の一部なんかまで混入したものを食べている。
低橋さんは冷華さんの愛情(および、その他もろもろ)のこもった冷やし中華を年がら年中食べている。
海端は羽似さんの作った泥団子を、なんの不満もなく食べまくっている。
中泉は水好さんが丹精込めて育てたキュウリを、飽きることなく食べ続けている。
「あらあら、過去さんは水好さんのキュウリを美味しくほおばっているのね」
冷華さんの発言その2も、当然のようにスルーしておくとして。
オレたちはそれぞれの結婚相手から、体の一部やら心の一部やらが混ざった食べ物をもらい、食べていた。
それが大切なのだという。
「え? ってことはさ、僕たちは羽似たちの作った料理や食べ物で、洗脳されていたわけ……?」
海端が率直な疑問をぶつけた。
だが、すぐにメリーさんが否定する。
「いえいえ、そうではありませんわ。心のこもった料理で、精神的つながりが強まっている、ということです」
「人間と物の怪の類のあいだに生まれる絆ってのはね、とても不安定なものなんだよ。
だから、常日頃から絆を深めるための行動を、ぽよ美さんたちは取っているってわけさ」
食事は口を通して体内に入っていく。
しかも通常であれば、一日何度かは必要な行動となる。
つながりを強める目的としては、継続することで一番効果が見込めるのだという。
「絆を深める。それがわたくしたちのアパートの住人として、重要になってくるのですわ」
「うむ。そういうことさね」
……ん? アパート?
今までの絆うんぬんっていうのは、人間と人ならざる存在との友好とか、そういった次元の話ではなかったのか?
オレがそのことについて尋ねてみると、あっさりとこんな答えが返ってきた。
「そんな大規模な話じゃないよ」
「そうですわ。次回の大会に向けて、というお話でしたのよ?」
次回の大会……?
それって、ついこの間の……。
「そう。先日行われたアパート対抗の魑魅魍魎バトル大会。
あれの次回の大会には、人間も参加可能になると言っただろう?
そのあたりの詳細が、ついに決定したのさ」
特殊な大家を育成する学校、スペシウム学園の卒業生による、アパート対抗の魑魅魍魎バトル大会。
それに参加するため、ぽよ美を初め、コーポ錠針と女神ハイツを中心として、周囲に住まう物の怪妖怪などの存在が、みんなまとめていなくなったことがあった。
あのときは、もうぽよ美に会えないのではないかと思って、これ以上ないくらいに消沈していたっけ。
で、その大会の詳細というのが……。
「次回からスタートの新シリーズは、アパート対抗ではなく地域ごとの対抗戦で、全国規模の大会になる予定なのさ」
「ですから、次の大会では、わたくしとこのクソ閻魔は味方になるのですわ」
「そうなんだよ。このクソ女神が味方だなんて、足を引っ張りまくる結末しか見えないし、気が乗らないんだけどねぇ~」
「な……なんですって~!? そちらこそ、わたくしの崇高な作戦の邪魔だけはしないでくださいませ!」
「崇高な作戦ねぇ~。絶対に穴だらけの作戦だろうに」
「そ……そんなことはありませんわ! まだ何も考えてはおりませんけど!」
「穴が開く以前の問題だったようだねぇ~」
「うるさいですわ! あなたのアパートの住人には、絶対に負けませんからね!」
「何を言ってるんだい。うちのアパートの住人の方が優秀に決まってるじゃないか!」
なんというか。
味方になっても関係性は何も変わりはしていないようだ。
まぁ、ケンカするほど仲がいい、ってことなんだろうな。
「それにしても、オレたちの絆が大切、という話をするために、今日はここに呼び出したんですか?」
「そうだよ? なにか不満でもあるのかい?」
「いえ、不満ではないんですが、話をするだけなら、ここでなくても……」
コーポ錠針の104号室。大家さんの仕事場。
死んだ人間が来て、生前の行いを浄玻璃の鏡に映し、天国行きか地獄行きか決める場所だと聞いている。
以前、大家さん主催で宴会を開いた際には、大家さんの仕事はお休みだった。
そして、閻魔様としての仕事は別の場所にいる代理に任せている、という話だった。
でも今日は、オレたちの背後を普通に死者が通り過ぎている。
さすがに気分がいいとは言い難いし、落ち着いて話ができる環境とも思えない。
「なに、他にいい場所が思いつかなかっただけさね。
それに、別の場所にある浄玻璃の鏡は、現在メンテナンス中なんだよ。
今日はこの奥で代理が仕事中のはずだけど、よかったらのぞいてみるかい?」
「いや、遠慮しておきます……」
死者を天国へと導く様子だけだったらまだしも。
地獄に突き落とす場合だってあるだろう。
そんなの、見たくもない。夢に出てきそうで怖い。
と、そこで。
ある異変に気づく。
正確に言えば、気づいたのはオレではなかったが。
「あれ? 死者の列がなくなってます」
羽似さんが冷静な声を上げる。
さっきまで途切れることなく列をなしていた死者たちが、今は誰もいなくなっていた。
異変といえば異変かもしれない。
今日は代理に任せているという話ではあるけど。
閻魔様としての役割が仕事なら、ノルマとか時間とかで終了する可能性は高い。
オレはそう思ったのだが。
なにやら、大家さんとメリーさんの様子がおかしい。
「そんなバカな……っ! ヤツらが入ってくるなんて……!」
「ここには結界が張ってあるはずですわよね!? それなのに、どうしてですの!?」
「私にだってわからないよ。でもこれは……危険だねぇ……っ!」
危険?
大家さんとメリーさん、すなわち閻魔様と女神様が、今この場にいるというのに?
ふたりがいれば、どんな相手が現れても安全そうなものだが。
そんなオレの考えは、大家さんには筒抜けだった。
「そもそもこのクソ女神はバイトの掛け持ち女神なんだからね、大した実力なんてないのさ」
「ひ……ひどいですわ! これでも、日々精進しておりますのよ!?」
「いくら努力しても実らないことなんて、世の中にはたくさんあるもんだよ」
「キーーーーーッ! そういうあなただって、徐々に管轄するエリアを狭められてるではありませんか!
それは絶対に、実力不足と評価されているからでしょう!?」
「うぐぐ……っ! 痛いところを突いてくるねぇ~。でも、実力がないわけじゃないんだよ」
「だったら、ズバリ! 歳ですわね!」
「……あんた、自分が同級生だったこと、忘れてるんじゃないだろうねぇ?
もうそこまでボケが進行しているなんて、そっちこそ老化が著しいんじゃないかい?」
「わたくしは、見た目の年齢があなたよりずっと若いですから! 老化なんて全然ありませんわ!」
「若作りも大概にしないと、訴えられるレベルになると思うけどねぇ~」
いつもながらの口喧嘩を展開し始めたふたり。
だが、危険だというのは本当のこと……なのか?
不安になってきたのは、オレだけじゃなかったようだ。
「あの、どう危険なんです? あっしたち、ここにいて大丈夫なんですか?」
中泉が問いかける。
「うんうん。危ないなら逃げるよ! ダーリンを置いて!」
ぽよ美も体をプルプル震わせている。
いつの間にかスライム形態になっているから、プルプル感も増し増しだ。
「って、おい、ぽよ美! それはひどくないか?」
「え~っ? だって、ダーリンは愛する妻がいなくなったら悲しいでしょ~?」
「まぁ、それはそうだが……」
「ほら! だから、あたしはまっ先に逃げるべきなのよ! 羽似さんも冷華さんも、一緒に逃げるべきなの!」
「なんだよ、その理屈は……。だいたい、置いて逃げて、オレがいなくなったら、お前は悲しくないのか?」
「悲しいけど~。でもしょうがないよ~。人間は基本的に先に死んじゃうものだし~」
そうなのかもしれないが、なんとも納得のいかない主張だ。
ところで今、逃げるメンバーの中に、カッパである水好さんが入っていなかった。
それは、男性だからなのだろうか?
「違うよ~。水好さんは~、もう手遅れだし~」
「は?」
どういう意味だ?
などと悠長に考えている時間は、これっぽっちも与えてもらえなかった。
「にゃう~っ!? あたしもなのぉ~!?」
「きゃ~っ、さとるん~!」
「うふふっ、ぬるぬるの触手に絡まれてしまったわ~!」
ぽよ美、羽似さん、冷華さんの3人が、なにやら細長くて真っ黒い、触手のような物体によって、一気に引きずられていく。
さっきまで死者が次々と歩いてきていた、真っ暗な渦巻き状の空間の方へと。
そちらには既に、体の半分以上が渦巻きの中へと引き込まれている水好さんの姿も確認できた。
「な……っ!?」
なんだ、この状況は!?
そう口にすることすらままならないほど、驚きに支配される。
「あ……悪霊の集団だよ。しかも、最凶最悪で有名な……」
「死者を地獄でも天国でもなく、『無』へと引きずり込む……厄介な霊たちですわ!」
大家さんとメリーさんが、額に脂汗を浮かべながら解説してくれる。
その悪霊集団が、あの渦巻き空間の向こうから、ぽよ美たちを引っ張っている、ということか。
でもそれなら――。
「死者じゃないぽよ美たちには、害がない……?」
「そんな状況に……見えるかい?」
「う……」
物の怪妖怪などが、なすすべなく引きずり込まれている。
大家さんとメリーさんも、動くことすらできない。
そのふたりの表情には、焦りと怯えがありありと浮かんでいる。
こんな様子を見て、安全だと結論づけられるはずがなかった。
「それだけでは、ありませんわ。生きている人間だって、吸い込まれてしまいますのよ……!」
「吸い込まれたら最後、暗黒世界を……永遠にさまよい続けることに、なるだろうね……」
オレも、海端も、低橋さんも、中泉も。
ただ黙って事態を見守ることしかできないでいた。
だが……。
そんなの、知ったことか!
「オレはぽよ美を助けたい!」
「僕も!」「俺もだ!」「あっしだって!」
オレに続き、他の3人も一斉に気合いの声を上げる。
4人が一丸となり、走り出そうとした瞬間、静止がかかった。
「待ちな! 人間には無理だよ! 無駄死にするだけだ!」
「そうですわ! あなた方は、ここから外へ逃げてくださいませ!」
大家さんとメリーさんが、苦しそうに叫ぶ。
苦しそうなのは、ふたりが空間を引っ張っているからだ。
引っ張られた空間の裂け目の奥には、コーポ錠針の前にある道と住宅の風景が広がっている。
「この場所は今、通常の出口が……封鎖されている。ヤツらの力でね……」
「わたくしたちのパワーで、どうにか……少しだけ、空間を切り裂いて、おります。さあ、早く中へ……っ!」
オレは海端、低橋さん、中泉と顔を見合わせる。
さっき、ぽよ美は言っていた。
危なくなったら、オレを置いて真っ先に逃げると。
立場は今、完全に逆になっている。
そもそも状況的に見て、オレたちにどうにかできるとは思えない。
閻魔様と女神様も逃げるよう勧めている。
「大丈夫……ここで逃げても、誰もあんたたちを責めたりはしないさね……!」
「逃げて、生き延びるのですわ! 愛する者の分まで……!
さあ、早く! わたくしたちのパワーが尽きる前に……っ!」
大家さんとメリーさんに促され、オレたち4人は力強くうなずく。
そして、一気に駆け出した。
愛するパートナーが引き込まれようとしている、真っ黒い渦巻きの方へと向かって。
「な……っ!? あんたたち……!」
大家さんの驚く声が背後から聞こえてきた。
しかし、当然の判断だ。
このまま逃げて、愛するぽよ美を救えなかった罪悪感に包まれながら生きたって、なんの意味もない。
他の3人も同じ思いで、こうして走っている。
オレはすぐにぽよ美のもとへたどり着いた。
「ダーリン!」
スライム化したぽよ美の体を、オレは全身で抱え込む。
ぬるぬるしていて、引っ張りにくい。
せめて人間に変身してくれたらいいのだが、そんな余裕もないのだろう。
ここまで来て、改めて事態の大変さに気づかされる。
渦巻きへと引きずり込まれるのは、なにも触手に絡め取られているからだけではなかった。
真っ黒な渦巻きそのものが、すぐそばの空間を丸ごと呑み込むかのように、激しい吸引力を持っている。
オレは愛する妻と抱き合うような形で、真っ黒い渦の中へと引き込まれた。
海端も、低橋さんも、中泉も同じだ。
それぞれのパートナーを愛おしそうに抱きしめながら、真っ黒い空間の中へと消えていく。
「ぽよ美……オレたちはどこまでも一緒だ」
「……うん。たとえ火の中水の中、地獄の底にだってくっついていくよ!」
「べっちゃりとな」
そして視界が暗くなる。
オレはぽよ美のぬめっとした感触を全身に感じながら、果てなき暗黒世界の奥底へと沈んでいった。
☆☆☆☆☆
「というわけで……」
「合格ですわ!」
大家さんとメリーさんが笑顔で拍手を送ってくれている。
なんとなく、そうじゃないかとは思っていたが……。
さっきの一件は、ふたりが仕組んだことだったのだ。
絆を深めることが大切。
ふたりはそう言っていた。
そのための特訓の一環だったとのこと。
悪霊なんて話は真っ赤な嘘。
触手や真っ黒い渦なんかも、大家さんの能力で出現させただけだった。
104号室の中は、大家さんの能力が伝わりやすい空間になっている。
だからこそ、あの部屋を集合場所にしたようだ。
結果としては、無事に合格点をいただいて終了。
特訓によって絆はよりいっそう深まったと言えるだろう。
「もし逃げていたら、どうなっていたか。……聞きたいかい?」
「……遠慮しておきます」
そんなこと、今さら聞いても意味がない。
だいいち、逃げるなんて選択は、オレたちにはありえない。
なにせ、それぞれの夫婦が、こんなにも愛し合っているのだから。
オレを含めた4組の夫婦は、各々、パートナーを強く抱きしめている状態だ。
なんともラブラブな光景。
そんな光景を、周囲にいる人たちが眺めている。
……ん? 周囲にいる人たち?
全然気にしていなかったが――、
ここは、アパートのすぐ目の前じゃないか!
さほど多いわけではないものの、それなりに人通りもある、休日の真昼間の住宅地。
そんな場所で、4組の男女が抱き合っていたら、視線にさらされるのも当然というものだ。
しかも、それらの視線は、主にオレの方へと向いているようで……。
いや、オレじゃない!
「ぽよ美! お前、スライム化したままだ!」
「あっ!」
慌てて人間形態に変身するぽよ美。
だが、その様子までバッチリ見られてしまったわけで……。
これは……マズいんじゃないか?
恐怖! スライム人間出没!
そんな記事がデカデカと新聞の紙面を賑わすことに……!?
無論。オレの心配は杞憂に終わる。
なにせ、閻魔様と女神様がいるのだ。記憶操作なんてお手の物。
もとより、妖怪やら何やらが住むこのアパートが存続できているのも、誰にも気にされなくなる結界が張ってあるかららしいし。
「それじゃあ、今回はこれにて解散だよ」
「皆さん、お疲れ様でした。次の特訓も、楽しみにしていてくださいね」
「ふふふふ……」「うふふふ……」
大家さんとメリーさんの笑みに、なにやらどす黒いものが混じる。
このふたり、絶対に楽しんでるだけだ。間違いない。
とはいえ。
どんな特訓を課せられたとしても、ぽよ美と一緒なら絶対に乗り越えられる。
オレは人間の姿になった妻をぎゅっと抱きしめ、熱烈なキスをした。