第1話 スライムとごくありふれた日常
「ふっか~~~~つ!」
オレの妻、ぽよ美が初夏の日差しのように明るい声を響かせる。
ビールを片手に、輝き溢れる笑顔を伴って。
こんな顔を見せられたら、思わずとろけてしまいそうになる。
……いや、むしろ実際にとろけているのは、ぽよ美本人の方なのだが。
ぽよ美はとても可愛らしい。
結婚して一年以上経った今でも、心からそう思える。
昼間からビールを飲みまくっている姿を見ても、この想いは変わらない。
料理が下手(という領域を超えているかもしれない)とか、
サプライズと称してちょっと悪質な驚かせ方をしてくるとか、
物事を知らなすぎて、色々と大変だとか――。
そんな欠点もないわけではないが。
それらの欠点なんて吹き飛ばすほどの大きな特徴が、ぽよ美にはある。
彼女はスライムなのだ。
……自分で説明していても、おかしいとは思う。
だが、事実なのだから仕方がない。
スライム。
粘液状の体を持つ、不定形生物。
某ゲームのような愛らしい姿ではなく、深い緑色をしたゼリーのような物体だ。
目の前で笑顔をこぼしまくっている彼女は、普通に人間の姿をしているわけだが。
これは変身しているだけで、本来の姿はグチョグチョでウニョウニョな物体となっている。
……物体なんて言ったら、ぽよ美は気分を害してしまうだろうな。
ぽよ美のゲル状の体で全身を包み込まれて、オレは骨の髄まで溶かされてしまうかもしれない。
でもオレ、佐々藤泉夢は、こんなぽよ美が大好きだ。
「どうでもいいが、復活ってなんだ?」
オレは尋ねてみた。
最近暑くなってきたから、ずっと我慢していた、あるいは手元になくて飲めずにいたビールを、ようやく飲むことができて生き返った、という意味だったら、わからなくもないのだが。
それはありえない。
なにせぽよ美は、今飲んでいるビールの前にも何本もビールを飲んでいたのだから。
「復活は復活だよ~! りざれくしょんだよ~!」
とろけたような笑顔を、いや、実際にスライム形態に戻りかけ、とろけ始めている笑顔を見せながら、ぽよ美は答える。
完全に日本語的な発音とはいえ、ぽよ美の口から英単語が飛び出してきたのには、ちょっと驚いたが。
まぁ、部屋にこもっている時にはよくテレビを見たりしているのだから、様々なことを覚えて吸収していても不思議ではないか。
……ぽよ美の場合、吸収という表現をすると、なんとも生々しく感じてしまう気がするな。
それはともかく。
「なんかね、気分的にそんな感じなんだよ~! どうしてかは、あたしにもわからないけど~!」
「あ~……。確かに、オレもそんな気がするな」
なぜだか不思議な解放感のようなものがあるのは、紛れもない事実だな。
例えて言うなら、しばらく凍結していた時間が、唐突に流れ始めた感じだろうか。
いや、まったく例えにはなっていないかもしれないが。
現実には、オレたちの生活は何も変わってなどいない。
ぽよ美は毎日のようにオレに笑顔を向けてくれるし、
仕事から帰ってきたオレに、粘液(および、ぽよ美の体の一部となるゼリー状の物体)まじりの食事(ほとんどが買ってきたお惣菜などを盛り付けただけだが)を振る舞ってくれるし、
毎日のようにビールを飲んで、お気に入りのソファーにべちょーっと寝っ転がっているし。
少し前に、ぽよ美を含めた近所の住人たちがいなくなって、大騒ぎしたことはあったが。
あれ以降はずっと、普段と変わらない日常を続けていた。
それでも、ただただなんとなく、本当になんとなくだが、復活したんだな、という実感が心の奥底から湧き上がってくるのだ。
「でしょ~? だからね、ここはやっぱり、アレしかないよね!」
「ああ、そうだな」
アレ。
言うまでもなく――。
「それじゃあ、宴会だ~♪ あたし、みんなに声をかけてくるね~!」
☆☆☆☆☆
そんなこんなで、宴会が催されることになった。
もちろん、これまでも数日おきくらいの頻度で、なにかしら適当な理由をつけて開かれていたわけだが。
会場はアパートのオレとぽよ美が暮らす部屋。
参加メンバーは同じアパートの2階に部屋を持っている住人たち。
これが宴会を行う場合のデフォルト仕様となっている。
「にゃふふふっ! やっぱりみんなで集まると、楽しいね~!」
ぽよ美は上機嫌で飲みまくっている。
ビールだけじゃなく、隣人が持ってきてくれたワインや焼酎、ウイスキー、日本酒なんかも含めて、大量に胃の中に流し込んでいる。
思いっきりとろけまくり、100%スライム形態に戻っている状態だ。
「あ……ああ、そうだな……」
若干顔が引きつっているのは、後片付けをするのがオレになるから、という現実を見据えてのことだったりする。
ま、そんなのはいつものことだし、今さら気にしていても仕方がないか。
「佐々藤! どうしたの~? 飲みが足りないんじゃない?」
不意にオレの首に腕を絡めてきたのは、隣人の中泉過去。
中学校時代に好きだった、オレの初恋相手だ。
初恋相手といっても、今ではお互いに既婚者だし、もう全然気にしてなどいない。
ただ、近寄った瞬間にふわっと甘い香りが感じられると、思わずドキッとしてしまう。
もっとも、漂ってくるのはアルコール臭の方が断然強かったりするのだが。
ちなみに中泉はさっきから、一升瓶をラッパ飲みしていた。
そもそも、うちに買い置きしてあるビール以外のアルコール類を持ってきてくれたのは、この中泉なわけで……。
「ん? あっしの顔になにかついてる? っていうか、飲んでないからテンション上がらないのよ!」
そう言いながら、一升瓶の酒を飲まそうとしてくる。
というか、その瓶はさっき、お前がラッパ飲みしてたヤツだろ……。
この年齢になって、間接キスだのなんだのと、べつに気にするつもりはないのだが。
しかし、気にする人間もいるのだ。
違った。
気にするスライムもいるのだ。
「ちょっとダーリン! なに、過去さんと間接キスしようとしてんの!?
っていうか、抱き合ってるし! 浮気だ~~~っ!」
ぽよ美がドロドロの体をぐちゃぐちゃと引きずりながら、オレに詰め寄ってくる。
「いやいや、抱き合ってはいないし! 中泉が勝手にくっついてきてるだけで……!」
「あ~! その言い方は、ひどいんじゃない~? あの夜の言葉は嘘だったの~?」
酔っ払いふたり(片方は酔っ払いスライムだが)に絡まれたら、オレに勝ち目などない。
……だが、さすがに否定しないわけにもいかないだろう。
「おい、こら! あの夜ってなんだよ!? 捏造するな!」
「あっ! やっぱりあのお泊りの時、何かあったんだ! ダーリンの浮気者~~~~っ!」
「……ぽっ」
「って、中泉! なんだよ、その反応は!? 何もなかったんだから、ちゃんと否定しろよ!」
我ながら間抜けな話だが……。
10年以上ぶりに中泉と再会した際、誘われて家まで行き、酒を飲んで不覚にも眠ってしまい、気づいたら朝になっていた、ということがあった。
その時には本当に何もなかったのだが、ぽよ美という妻がありながら、あまりにも不注意だった感は否めない。
それにしたって、今さらそのことを蒸し返す必要もないだろうに。これだから酔っ払いは、たちが悪い。
「ダーリンのバカぁ~~~~~! ダーリンを殺して、あたしも死ぬ~~~~! がるるるるるる!」
涙やらヨダレやら粘液やらを周囲にまき散らしながら叫ぶぽよ美。
近所迷惑もはなはだしいが。
おそらく、近隣の家に住む方々はもう慣れっこなのではないだろうか。
もしくは、大家さんの力で騒音が響かないようになっているとか……。
「ふふふっ。相変わらず、ぽよ美さんと泉夢さんのケンカを見ていると、冷やし中華が進むわね~」(ずるずる)
長いストレートの髪をなびかせながら、冷華さんが冷やし中華の麺をすする。
あなたは年がら年中、冷やし中華が進んでるでしょ! とツッコミを入れたいところだが。
ぽよ美ににらまれ、今にも飛びかかられようとしているオレには、そんな余裕はなかった。
冷華さんは中泉の部屋とは反対側の隣に部屋を持つ住人だ。
落ち着いた雰囲気の美人なのだが、その実態はレイスだったりする。
念のため解説をしておくと、レイスというのは、西洋の幽霊の一種のこと。
そう考えると、人ではないのだから、住人と呼ぶのも微妙なのかもしれないが。
それを言ったら、他の住人たちだって同じになってしまうので、ここは華麗にスルーしておく。
冷華さんも既婚者で、旦那は自称ミュージシャンの人間なのだが、その人は今はバイトのため、この場にはいない。
ついでに言っておくと、中泉の旦那である水好さんもまだ仕事から帰っていないから欠席だ。
もし水好さんまでいたら、事態は確実に混迷を極めたことだろう。
「ウチは静かに暮らしていたいのに……。でも、これはこれで、寂しくなくていいかも……」
部屋の隅っこでチビチビ飲んでいるのは、宇佐美みみみちゃん。
見た目は小学生くらいの女の子だが、人間年齢に換算すれば立派な成人女性だ。
そんな彼女の正体はウサギだったりする。
ウサギだから、寂しがり屋なのも頷ける。
寂しいと死んでしまうと言われているくらいだし。
実際には、ウサギもみみみちゃんも、寂しさが原因で死ぬなんてことはないのだが。
トントントンシュッ。
トトトシュシュットントトトン。
こちらに冷たい視線を向けながら、無言でスマホの画面を素早く操作しているふたりの男女の姿も、この部屋にある。
ぽよ美&冷華さんに強制連行されてきた、織姫さんと彦星さんだ。
ツナガッターアプリ(通称ツナ)でメッセージのやり取りをしているのだろう。
ちょっと前まではガラケーを使ってメールでコミュニケーションを取っていたはずだが、いつの間にかスマホに変えていたようだな。
「このまま泉夢さんがお亡くなりになれば、ワタクシ本来の仕事ができますデスね。クックック……」
全身黒ずくめのローブに身を包んだ、怪しげな男性が、なにやら不穏なことを口走っている。
この人は死神の夜露死苦さん――通称ヨロシクさんだ。
顔はガイコツだが、喋り方などから総合的に考えるに、性別は男性だと思われる。
死神に性別と言う概念があるのかどうかは知らないが。
不吉さを助長させるような笑い方だが、あれはヨロシクさんの癖なので気にしてはいけない。
きっと、先ほどのセリフ自体が、冗談のつもりなのだと思われる。
とはいえ、死神から言われたらまったく笑えないので、正直やめてもらいたいところだな。
同じアパート――「コーポ錠針」の2階に住んでいるメンバーでの宴会は、こうしていつも通りの騒がしさを持って執り行われた。
やがて、冷華さんの旦那、低橋薄微神さんも加わり、ギターをかき鳴らして騒音レベルがアップ。
中泉の旦那である水好さんも帰ってきて、中泉にベタベタくっつかれているオレを見て激怒し、さらに騒音レベルがアップ。
酔いが深まっていくにつれ、それぞれの声も益々大きくなり、テッペンを超える頃には騒音レベルはMAXに。
メンバーの多くが人間ならざる者という、魑魅魍魎宴会ではあるが。
これがオレたち夫婦にとっては、ごくごくありふれた日常となっている。
そして、さんざん騒ぎまくった末、参加者たちはそれぞれの部屋へと戻っていった。
「オレは明日も仕事なんだけどな~……」
静かになった部屋に残された空き缶や空き瓶などを整理しながら、オレはポツリとつぶやく。
ぽよ美はお気に入りのソファーでべちゃ~っと横になり、完全にスライム形態となった寝姿をさらしている。
まったく、いつもいつも飲み過ぎだろう。
「ダーリン、大好き……むにゃむにゃ……」
そんな寝言をこぼす妻にそっとタオルケットをかけ、オレはほっぺた(と思しき部分。スライム形態だと判別しにくいのだ)に軽くキスをした。
「これからもよろしくな、ぽよ美」
小さく声をかけると、
「……うん……♪」
寝たふりをしていただけだったのか、それとも起こしてしまったのかはわからないが、心底嬉しそうな返事が返ってきた。