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0 黒い穴

 君は“真の黒”というものを見たことがあるだろうか。


 “真の黒”、自身に当たる光をすべて吸収しまったく反射しないもの。そこから光が出てくることなどない、文字通りの暗黒。


 日常生活で黒いものといったらなんだろうか。

 例えばHBの鉛筆で書いた線。JIS(日本工業規格)で規定されている反射率は0.30~0.47(※用紙の反射率を1とした値)。

 また一般的なコピー機の黒の反射率は2.5%~4%程度。どちらも反射があるのだからとても“真の黒”とは呼べない。


 人類が手にした最も黒い物質と言われる「ベンタブラック」。自身に当たる光の99.96%を吸収し、どんなにデコボコした物体であってもそれでコーティングしてしまえば人の目では表面の形状を認識することはできなくなる。しかし0.04%は反射するのだからやはりこれも“真の黒”ではない。


 しかし今、哲也の目の前にはその“真の黒”があった。


 場所は高校へと向かういつもの通学路。自転車に乗って進む彼の視線の先に“点”が現れた。前方20メートルほどだろうか。何の前触れもなく空中に突然“黒い点”が出現したのだ。その“黒い点”はみるまに大きくなり、哲也がその正体を掴みかねているあいだに彼の身長より大きな“真っ黒な円”へと変貌した。


 それが2Dの円なのか、それとも3Dの球なのか、哲也にはわからなかった。そこに何らかの黒い物質でできた球体があるのとは明らかに違っていた。突然真っ黒な“穴”が現れたかのようだ。ただ普通の穴ならば地面に沿って開くはずだ。しかしその穴は地面に直立して開いていた。ブラックホールをその目で見ることができるのなら、たぶんこんなふうに見えるのかもしれない。


 “黒い穴”は下端が道路に着くまであと数センチといったところで拡大をやめた。その光景に思わず見入っていた哲也はハッと気づいて急ブレーキを掛けた。彼と彼の自転車はその穴の手前数メートルのところで前のめりになりながら止まった。


「悪い予感、また当たっちまったのかな」

 ぼそっとした声で哲也は言った。


 いつもそうなのだ、彼が何か良くないことを予感したときにはたいていそれは現実のものとなる。いやちょっと違う。たいていそれは“予想を超えた”良くないこととして現実のものとなる。

 逆に良い予感が浮かんだときにはたいていそれは現実のものとはならない。いやこれもちょっと違う。良い予感の対象はまったく思いもよらない方向から悪い出来事として彼の身に降りかかってくるというのがお決まりのオチだ。


 その日の朝もそうだった。玄関を出ようとしたその時に、何とも言えない悪い予感が彼を襲った。それは彼が今まで経験したことのない種類の予感だった。

 そしてその「悪い予感」はどうやら現実となったらしかった。彼は今まで見たこともない正体不明の暗黒の何かと対峙しているのだ。


 しかしそれがただの“黒い穴”ならばそれほど恐れる必要はなかった。距離はまだ数メートルある。たとえあれが地獄への穴だったとしても落ちなければいいのだ。自転車の向きを変え、引き返して別の道を行くという選択肢がある。

 しかしその選択肢を選ぶ自由は哲也にはなかった。なぜならその“黒い穴”は文字通りブラックホールのように哲也の体をそちらへ引きずり込もうとしていたのだから。


「まずいぞ」


 哲也の発したその言葉には二重の意味があった。ひとつはその穴に引きずり込まれるという恐怖に対してのもの。そしてもうひとつはその穴から湧きだしてくる何とも言えない「悪い予感」に対してのもの。そこに引きずり込まれたら何かとんでもない目に遭うだろうという。


 彼を吸い込もうとする“黒い穴”の力は強くなる一方だった。そしてその力に比例するかのように悪い予感が強烈に彼を襲い続けた。彼は必死に脚を踏ん張って耐えた。しかしスニーカーはズルズルと音を立てるばかりで穴との距離は縮まる一方だった。

 ついに彼の体が地面から離れた。もう抵抗するすべは残っていなかった。背中側から大きくらせんを描き、彼の体はその暗黒の中へと吸い込まれていった。


 人間はその死に際してこれまでの自分の人生を“走馬燈のように”振り返るという。今時の言葉に直すとフラッシュバックとでも言うのだろうか。

 しかしこのときの哲也の脳裏にフラッシュバックしたのは過去の自分の人生ではなかった。自分の人生で見たことも聞いたこともないような場面が次々に切り替わっていったのだ。


 どこか知らない街の物陰に潜んであたりの様子をうかがっている。


 どこかのビルの一室の物陰に潜み、捜索しに来た兵士らに発見されまいとしている。


 どこかの建物の中で銃を自分に向けた将校と対峙している。


 銃痕が生々しくつき内壁が崩れていく建物の中を必死にどこかへ走っている。


 そしてそのどの場面にも必ず、年格好が自分と同じぐらいの少女らしき人影がいるのだ。

 ただしその少女の顔はぼやけていてはっきりとはわからない。しかし哲也はその姿に何か暖かいものを感じていた。

 一方でまだ残っていた理性は、そのような少女に過去に出会ったことはない、と告げていた。


 しかしそんなことはもうどうでもよかった。視界の明るい範囲はどんどん狭くなり、彼は自分がどこかに落ちていくように感じていた。彼は肩越しに振り返り、自分の落ちていく先を見極めようとした。しかし彼の目に映ったのはただ暗黒の、そして底の見えない巨大な穴だけだった。


 彼は振り返っていた顔を元に戻した。そしてもうほとんど見えなくなってしまった“これまで自分が生きてきた世界”に向かって精一杯微笑もうとした。自分は自分の人生を精一杯生きてきたはず。悔いはないな。いやひとつだけあった。この世界では彼女ができなかった。もしこれから生まれ変わるのだとしたら、その世界ではかわいい美少女が彼女になってくれるといいな。

 そしてその思考が最後までたどり着いたか着かなかったかもわからないうちに、彼の意識は消失してしまったのだ。


 彼は自身の“転生”を望んだわけだがそうはならなかった。また彼の行く先は決して“異世界”などではなかった。そこは確かに2016年の現代とは異なる世界、しかし“剣と魔法の世界”とはある意味対極にある世界だったのだ。


 これはあるひとりの平凡な高校生が時空を超えて冒険を繰り広げる物語である。

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