バリスタさんと雪ウサギ 【小話集01】
【雪の日はのどかに珈琲を】
ジャズが流れるカフェは、雪の降る所為か客はまばら。年齢層は中高年であり、客はお喋りよりも珈琲や紅茶を好み、店内は静かだ。
「明智さん! タンポポが食べれるって知ってますか!」
明智の目の前の常連の少女を除いては。
ワクワクと差し出すのは泥だらけの根まで付いている。
「私、タンポポの珈琲が飲みたいです!」
コイツはカフェを何だと思ってるんだ!
大体タンポポ珈琲は根を洗い、何週間も掛けて乾燥させ、荒微塵に切って丁寧に何時間も焙煎するという、膨大な時間と手間暇を掛けたものなんだぞ!
「明智さんは珈琲への愛で出来てます。タンポポの珈琲も淹れられますよね!」
止めろ。キラキラした目でこっち見んな。
コイツ実はわかってやってないか?
チコリ珈琲のカフェオレを淹れてやれば少女はご満悦。ムカついてよく伸びる頬をむにーっと摘んでやる。
兄弟喧嘩の様に賑やかで他愛ない光景に、常連客達は今日も平和だと微笑ましくティータイムを過ごした。
(タンポポは明智が持って帰った。そのタンポポがどうなったかは別のお話……。)
【泣いた烏が何とやら】
「木ノ下さん」
定休日のカフェでは静かなクラシック音楽が流れ、バイヤーの木ノ下が仕入れた商品を整理している。
「緑茶も紅茶も元はオンナジはっぱなのに、なんでこんなに色も味もちがうんですか?」
定休日に寒い雪の中を歩いているのを見かね、木ノ下が店に招き入れてから定休日にもやって来る常連の少女は、ティーカップを揺らす。
「発酵の度合いが違う。緑茶より烏龍茶の方が発酵させてる。一番発酵させてるのが紅茶」
バリスタ姿でカウンターに立って賄いを食べる明智が口を挟む。彼は珈琲を愛するあまりに客に珈琲を飲ませたがる厄介な男だった。今では客に強要はしないが、少女が木ノ下の淹れる紅茶にホクホクしているので少々機嫌が悪い。
心の狭い男だ。
「え! 烏龍茶ですか~っ?」
素直に驚く少女に少し気を良くしたのか、明智は発酵度合いの違う他の中国茶も説明する。
泣いた烏が何とやら、と木ノ下は微笑ましく二人を見守りながら片付けに精を出した。
【雪の日に来る常連客】
定休日。それはこのカフェでは、バイヤーが仕入れた商品を整理する日であり、たった一人の客を迎える日でもある。
常の控えめなジャズではなく、静かなクラシックの流れる店内では、常連客の少女がニコニコと焼き芋のバニラアイス掛けを、幼い子供に食べさせている。
アレが食べたいです! こうゆうの飲みたいです!
彼女の要求は常に唐突で、普通じゃない。
メニュー表から注文しろよ、とバリスタの明智はいつもくたびれるが、今日はモヤモヤしていた。
「ママー、もっと!」
子供はべったりと、少女の膝に座り、手ずから食べ物や飲み物を貰っている。
微笑ましい筈だが、明智は子供という道理の通らぬ生き物が理解出来ず非常に苦手で、子供もそれが判るのか、非常に警戒される。
子供と明智の間には、結果、妙な緊張感があった。
……近付けん……。
からんっ。
ベルが忙しく鳴り、慌ただしく若い女性が駆け込んで来ると、少女の服を離さなかった子供が駆け寄り、コアラの様に飛び付いた。
そう、少女の子供ではない。少女は十六才で、四、五才の子供の母親の筈はない。
少女が連れて来た迷子だ。
保護された安心感からか、べったりと少女に引っ付いていただけの。
母親は声もなくボロボロ泣く子の頭を撫でてあやしつつ、頻りに頭を下げ、何度も詫びと礼の言葉を述べて帰って行った。
「明智さん、カプチーノ下さい」
少女は来る度妙なものを注文するが、決まってカプチーノかカフェオレも注文する。
「バカの一つ覚えみたいに」
「ハイ、バカですよ? だから明智さんが何でおへそ曲げちゃってるのかわかりません」
別にへそは曲げてない。
「今日のラテアートはお任せで。今の明智さんの気分をカタチにしてください」
明智のなかにあるものはカタチに出来る様な感情じゃない。
だが、もし敢えてカタチにするなら……。
少女の前に耐熱グラスを置くと、彼女はふふっと笑った。
「本当、明智さんは雪ウサギさんが大好きなんですね~」
大好き、だと……!?
明智が固まっているのも知らず、少女は今度雪ウサギさん作ったらプレゼントします、と無邪気に笑った。
明智の後ろで、木ノ下バイヤーがクスクス笑ったが、このカフェのスタッフが雪の日に来る常連の少女を雪ウサギと呼んでいる事を知らぬ当人は不思議そうに首を傾げるだけだった。
【耳が赤いのなんて寒い所為に決まってる。】
からん。ベルが鳴る。
客の入店にバリスタは入り口を振り返る。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは明智さん、今日のマカナイはなんですか~?」
常連客の少女だ。
「……お一人様ですね。カウンター席が空いておりますのでそちらへどうぞ」
「今日のマカナイなんですか?」
明智の嫌味に全く気付いていない。
「今日は良い豆が入ってる」
「いつものカプチーノと、マカナイで」
賄いを客に出せるか。
「今日は明智さんがマカナイ作る当番ですよね。何作ったんですか? 何食べたんですか?」
少女は明智に興味など無い。
明智にはそんなこと解っている。
まな板が殺伐とした音を立てるのに、少女の目が丸くなった。
耳が赤い理由など、彼女は知る由もないだろう。
【寄ると触ると喧嘩する……喧嘩する程仲が良いのか、それとも?】
「だから! 勉強すれば良いだろうが!」
「だってだって、解らないんですもん!」
抑えた声音ながら男が怒鳴れば、少女は噛み付く様に反論する。
どこまで行っても平行線だった。
二人は大抵喧嘩しているが、今日のは随分と賑やかだ。が、生憎と此処は教室ではなく静かなカフェなので、騒がれては困る。
「なんで数学は呪文なの~!?」
呪文じゃない! と男は吠え、それから大きく息を吐いてからくしゃりと前髪を掻き上げる。
「パニックを起こさないで教科書をよく読め」
やや荒っぽい彼らしくなく声を落とし、乱暴な彼らしく少女の後ろ頭を軽く掴んで教科書の方に向け、説明する。
「良いか? 珈琲にミルクを足せばカフェオレになる。それと同じ様にちゃんと法則があるんだ」
理論の男と感覚で生きる少女。これっぽっちも噛み合わない。
「……で、こうなる」
「え!? そ、それはなんでですか!?」
「っ、~~……だからな? 此処がこうなって」
「おお~、……ナルホド!」
理解は亀の歩みだった。
そして。
「明智さん、ありがとうございます! 大好きです!」
くたびれはてた男は、大好きな珈琲で疲れを癒そうとしたところに落とされた言葉に、盛大に咽せた。
「……はあ!? おま、な、何、何言って!?」
「ダイジョブですか、明智さん? ゆでダコさんみたいですよ? マスター、水くださ~い!」
何で平然としているんだ、今のは空耳か? と混乱した明智は少女の両頬を摘んで引っ張った。
「もう~っ、ヒドいです!」
せっかく見直したのに! と、ぷうっと膨れた少女と明智は再び、今度は他愛ない喧嘩を始めた。
「明智、ちょっと休憩行け」
頭冷やして来い、とマスターはバリスタである筈の明智に言う。
そう、此処はカフェである。
普段は静かなのだが、若者二人が顔を合わせるとどうにも賑やかしくなってしまう。
殺伐としたものは困るが、他愛ないものには慣れっこで、みな、気にしないわよと微笑んでいる。
外は雪が降っているが、あったかいカフェなんである。
【雪ダルマさんにリボンを巻いて】
「明智さん! 一面粉砂糖まぶしたみたいにまっしろですよ!」
来てください! と少女は誘う。
甘党な彼女は表の雪にケーキでも重ねて見ているのだろう。
子供の様だ。
「明智さん! 冷蔵庫貸してください!」 冷たい空気とハシャいで興奮してる所為で頬が紅潮している。
「貸せって言われて貸せるもんじゃない」
此処はカフェ。店の冷蔵庫を何だと思っているのか。
どうせ他愛ない事だろう。
ぷうっと頬を膨らませ、じゃあいいです~、とテイクアウトのクッキー箱を開け、袋詰めの中身を取り出す少女。
店の入り口でしゃがみ込んで背を丸めてもそもそと何を。
不意にくるりと振り返り、少女は笑う。
「可愛く出来たんでプレゼントです!」
ちゃんとリボン掛けましたから! と、彼女は明智が先刻渡した箱を差し出した。
中身は彼女の鞄の中だが。
じゃあ、と手を振って、彼女は楽しげに雪の中に消えて行った。
カウンターに置かれた箱の中で、彼女の好きなスノーボールクッキーに似た雪ダルマが、誇らしげにリボンの結ばれた胸を張っている。
「歪んでやがる……不器用め」
明智は吹き出し、雪ダルマの頭の角度を直そうかどうしようか束の間手を彷徨わせ、結局冷たいおでこを軽く突付くに留めた。
「冷凍庫入れとけ」
マスターに言われ、明智はギクリと肩を揺らした。
「帰る時ちゃんと持って帰れよ? 女の子からのプレゼントなんだから」
反論する前に、さっさとしないと溶けちまうだろうが、と畳み掛けられ、明智は逡巡した後結局それを冷凍庫に入れた。
家に持って帰り、それが溶けてなくなるまで、冷凍庫を開ける度ソレが目に入る時……彼が果たしてどんな表情を浮かべたのかは、ヒミツである。