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うさぎおおかみ

 どろりとした感情がまとわりつく。

 まるで狼と兎だ。私は思うがままに響をいたぶれる。響は為す術もなく蹂躙されるだけ。響が恨めしげな目で私を見る度、胸に宿った感情はより昂るのだ。いま、この時みたいに。


「…………ごめん」

「て言うわりに全然反省の色が見えないけど?」


 放課後の校舎裏。私は響を呼び出した。ここなら誰もこない。二人きりだ。二人きりになると、深海さんやクラスメイトの前じゃとても見せられない私の本性が牙を剥く。


「アンタまた深海さんに声掛けようとしてたでしょ」


 響の肩がびくっと震える。壁を背にした響はどこにも逃げられない。どこにも逃がさない。


「深海さんもかわいそうね?アンタみたいな嘘つきで卑怯な奴の相手を3年間もさせられてたなんて。深海さんがアンタに傷つけられる前に奪って正解だったわ。おかげで私と深海さん、『本当』の親友になれたよ。ねえ、怒らないから正直に答えて。深海さんに声掛けようとしてたよね?」


 微笑みながら響に問う。散々いじめたのが身に染みてるのか、響はあっさりと頷いた。

 パンッ、と乾いた音がする。私が響の頬を引っぱたいたのだ。


「…………怒らないって、言ったじゃん……」

「嘘付きはアンタの専売特許だろ」


 反論した罰としてもう一発平手打ちした。響は赤くなった頬を押さえて、それでも私から目をそらさなかった。


「…………結、演劇続けてるんだってね」

「はぁ?それが何。関係ないでしょ」

「………そうだね。あたしは結にひどいことしちゃったし、ひどいこと言っちゃったもんね……」


 自虐的な台詞とは裏腹に、やけに鼻につく響の言い方に、私はこぶしを握り締めた。


「そうよ。全部アンタのせいでしょ。今更掘り返してどうするつもり?私が演劇を続けようが続けまいが興味ないんでしょ?それとも得意のお友達ごっこでもまたしようっての?」

「…………よく覚えてるね。ありがとう」


 最後の一言が我慢ならなかった。一応、断りを入れておく。怒りに声が震えた。


「――ねえ。ぶん殴っていい?」


 響は目に恐怖の色を滲ませたが、小さく頷く。

 次の瞬間鈍い音がして、響の身体は左に大きく傾き倒れた。


「はあ、はあっ……」

「…………こうやって殴られたの、初めてだ………痛いんだね」


 こぶしが痛い。呼吸が荒い。心臓がばくばく鳴っている。

 響はふらつきながら立ち上がった。


「…………もっと殴りたいなら、いいよ」


 響の右の頬は腫れて、おたふくのようになっていた。鼻血も出ている。私は狼で、響は兎だ。狼は獲物に容赦しない。足腰立たなくなるまでいたぶってやる。


「…………もう殴らないの?」


 あたしのことが憎いんでしょう?と暗に響が挑発してくる。そうだ、私は世界で一番響が憎い。視線は交錯したまま、なのに私の身体は動かない。動こうとしない。動けないのか、動きたくないのかわからない。

 しばしの沈黙を先に破ったのは、響のほうだった。


「…………結の気が済んだんなら……あたし勉強しないといけないから、帰っていい?」

「………勝手にすれば」


 血をぬぐい、よろよろとその場を後にする響の背中を私は見送った。


(――たくさん想像してたのに)


 響が苦しみ、悲しみ、痛みに喘ぐ様を。どれもこれもが私の糧になると信じていた。


「………」


 視線を落とすと、右手の甲に響の血が付着していた。汚い。さっさとハンカチで拭き取ればいいのに、私はしばらくそれを眺めていた。



***



 その週の舞台公演終了後。


「すみませんでした!」


 頭を下げたのは私より8つも年上の先輩だ。下げられているのは私。


「今回は私がニーナの台詞を覚えてたからフォローできたものの、もしそうじゃなかったらどうするつもりだったんですか?」


 答えに窮する質問は意地悪だろうか。


「双葉さん。小保方さんも反省してるみたいだしその辺で……」


 先輩の男性団員が出した助け舟を私は座礁させる。


「みたい?みたいじゃだめなんですよ先輩。本当にしっかり反省してもらわないと。またしょうもないミスを繰り返してしまいますから」


 劇団春のトップを張る私は、劇団一の嫌われ者だ。小保方という女性団員は目に涙をためている。年上のクセに情けない。


「あと小保方さん、前から気になってたんですけど、サ行が結構抜けますよね。発声練習が足りて無いんじゃないですか」


 抜ける、というのは歯の隙間から声が漏れ出てしまう現象を指す。サ行は特に注意しなければならないが、毎日発声練習をしていれば簡単に克服できる程度のものだ。要するに練習不足なのだ。それが私には勘弁ならなかった。


「サ行には細心の注意を払ってしっかりとスムーズに台詞を言えなければプロとは言えません。そう思いませんか、小保方先輩?」


 さしすせそを全て含ませた嫌味をぶつける。


「すみません………」

「ほら、また抜けた」


 小保方先輩は泣きながら私にもう1度深々と頭を下げた。その拍子に落ちた涙が床を濡らす。ふんと鼻をならし、私は稽古場を出ていく。ミーティングはいつもそんな調子だった。



***



「今年に入って3人目だ」


 座長室に呼び出される時は、大抵そんな話しだった。呼び出される度、数字が増えていく。


「いや別に責めてるわけじゃない。そこは勘違いしないでくれ。双葉のおかげでウチの人気は更に上がってる。それはみんなわかってるんだ。式羽ちゃんも双葉のファンだしな」

「ならどうして私が呼び出しくらってるんですか」

「ハッハッハ」

「笑ってごまかさないでください」


 座長の金田仁かねた・ひとしはマッシュルームみたいな髪をぽりぽり掻いた。パッと見韓流スターっぽい。実際生まれは日本ではないそうだ。永遠の二十歳で、秋葉原が第2の故郷らしい。しょっちゅう私を口説いてくる。


「つまりこう、なんてーかな、誰にでもミスはあるだろ?」


 金田座長の言いたいことはわかった。とりあえず大人しく頷く。


「双葉の演劇にひたむきに取り組む姿はとても頼もしいし、その努力に見合った以上の実力も持ってる。本当にいい買い物をしたと思ってるよ。だけど、もーちっと周りに対する優しさもほしいかなー、なんて」

「わかってます」

「およ、素直じゃん」

「頭ではわかってますって意味です」

「うわ、確信犯かよ。それならせめて無言でぷいってそっぽ向いてくれた方が萌えるのに」


 あの日の出来事以来、私はミスに対して異常なまでに敏感になってしまった。自分に対しても他人に対しても。それを誰かに話したことはない。話したところで理解されるとは思ってないし、理解されたいとも思わない。なぜなら、この秘密こそが私の成功の秘訣になり得たからだ。


「もしもーし、俺の声きこえてる?きこえてないならチューしちゃう」

「――きこえてるのでやめてください」


 気付くと眼前に座長がタコ唇を作って迫ってきていた。むぎゅ、と彼の顔を押しのけ、


「言っておきますけど犯罪ですからね。私に手出したら」

「双方の合意の上だったんだ!俺は悪くない!」

「何わいせつで捕まった犯人みたいな釈明してるんですか」

「だってJKだぜ!?華のJKだぜ!?」

「あーもううるさい。帰りますよ」

「ごめんごめん。とにかくさ、もうちっと楽しくやろうって言ったら変かもしれんけど、許す勇気も必要だろ?」

「……許す勇気、ですか?」


 私たちはプロだ。プロに甘えや妥協は許されない。それを甘受した瞬間、芸の質は落ちる。座長だって勿論それは心得ているはずだ。だけど敢えて口にしたであろうそのフレーズはやけに印象深かった。座長は続ける。


「そうさ。双葉がこれからずっとウチでやっていくにしろ、お茶の間デビューするにしろ、銀幕デビューするにしろ、どこでもうまくやっていくには必ずコツがいるんだ。許す勇気はその1つだよ」

「それ、座長が考えたんですか?」

「いや、好きな映画の受け売り」

「なんて映画ですか?」

「ぐふふ。大きな声では言えないんだが、18禁の――」

「失礼しました」


座長室を出て、すぐ近くのエレベーターで1階におりる。都心の一等地にある劇団春のスタジオビルを見上げると、既に灯りはまばらだった。駅までは歩いて10分。オフィスビル群の間を歩いて進む。時刻を確認するため携帯を開くと、21時を回ろうとしていた。小腹が空いてたので最近TVで取り上げられた人気のスイーツ店『妖精のいたずら』で窯焼きシューを買った。


(電車でも余裕だけど、おじさんに電話しようかな)


 でも、車で迎えに来てもらうまでの待ち時間がもったいないと思った。携帯を閉じ、座長の言葉を反すうしながら誰もいない歩道を歩く。


「許す勇気、か」


 サクサクした皮のシュークリームを頬張る。控えめな甘さが調度良い。私は駅までの道をのんびり歩いた。夜風が肌に気持ち良かった。

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