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王妃の喪失

 異変が起きたのは結が転入してきてから半月後のことだった。

 朝、あたしと浅子が教室に入るとクラスメイトたちの視線が集まった。

 でもそれは特別なことではないし、単に誰が入ってきたのか確認するための視線なのだろうと、あたしは呑気に考えていた。


「天上さん、深海さん、おはよー♪」


 既に席についていた結が人懐こい笑みで挨拶してくる。


「……おはよ」

「双葉さんおはよ~」


 浅子と軽く手を振って別れてからあたしは自分の席についた。鞄から教科書を取り出し机の中へしまっていると、結が変なことを聞いてきた。


「響、最近ちゃんと睡眠とってる?」

「……うん、どうして?」

「よかった。そのうち眠れなくなるだろうから、心配になっちゃって」

「………どういう意味」

「そのままの意味だよ?」


うつむき加減に聞き返したあたしの顔を下からのぞきこむように結は答えた。黒い瞳の奥は先の見えない暗闇みたいで怖くなって、あたしは結から視線をそらした。


「そんなに怯えないでよ。まるで私がイジめてるみたいじゃない」


 結の顔を見ることが出来ず、ただ黙ってHRの時間を待つしかなかった。ちくちくと胃を刺す痛みは、きっと今日もお昼ご飯を受け付けてくれない気がした。



***



 長い一日が終わり、放課後になった。

 今日は浅子が家に泊まりにくる。浅子といれば結のことも忘れられる。おまけに明日からは連休だ。


「深海さん、今日これから時間ある?」


 自分が呼ばれたわけじゃないのにあたしはぎくりとした。

 浅子に声をかけたのは結だった。


「ごめんなさい~。約束があるの~」


 あたしは浅子の返答に安堵し、同時に結がこれで諦めてくれるように祈るばかりだった。


「すこしでいいんだけど、だめかなあ?私、まだ深海さんとちゃんとお話したことなかったから、仲良くなりたいの」


結は食い下がった。そんなふうに言われてすっぱりと断れるほど浅子は冷たい人間じゃない。困った顔をする浅子に、


「約束って、ひょっとして天上さんと?」

「うん~。一緒に帰る約束してるの~」

「そっか。いつも二人一緒にいるもんね。残念だなあ……」


 含んだ言い方をしてあたしを見る結。

 秘密をバラす気だ、と思った。

 しかもあたしに視線を送るのは、結だけじゃなかった。結の取り巻きとなったクラスメイトたちもだ。そこで初めて気付いた、いくつもの、はっきりと敵意を込めた視線に。

 結は転入してきてからずっと彼らと親交を深めていた。授業の合間、お昼休み。男子、女子問わずだ。きっと色々な話をしたのだろう。中学校時代の話しや、小学校時代の話しや、あたしとの関係も。だとしたら、みんなのあたしを見る目も納得できる。

 そうだ、結は確かに言った。「台無しにしてあげる」って。

 結の容姿、声、仕草、それら全てが説得力となってみんなを説き伏せたのだろう。

 浅子以外とほとんど話さないあたしは元々クラスでも浮いた存在だった。だからみんなと打ち解けた結の意思ひとつで、あたしをみんなの『敵』にも『味方』にもすることは容易い。そして結の下した選択は間違いなく前者だった。

 みんなの視線が痛くて、怖くて、あたしは喉の奥からしぼりだすように言った。


「……いいよ浅子、あたし、一人で帰るから………双葉さんに付き合ってあげて」

「わあ、ありがとう天上さん♪ね、深海さんこれでいいよね?」


 浅子はあたしを見たけど、あたしは浅子を見ずに鞄をもって逃げるみたいに教室を出て行った。背後から笑い声が聞こえた。

 ず、と花粉症でもないのに洟が出るのをすすり、あたしは浅子を置いて一人で帰った。

 結は浅子に全部ぶちまけるつもりかも知れない。いや、絶対そうする。あたしが浅子に秘密を打ち明ける前にそれをされたらもう終わりだ。浅子はあたしを軽蔑しないと言ってくれたけど、あたしには自信がない。

 一緒に帰る約束を破ってしまったあたしを浅子はどう思うだろう。浅子が忙しいのを知っていて、その合間を縫って交わした約束を破ったあたしをどう思うだろう。不安になる。だけど教室に戻る勇気はない。あたしは結が怖い。浅子と交わした約束を破る後ろめたさ以上に、結のことが怖かった。



***



 台所でカレーをことこと煮込んでいた。

 お料理入門の本を見ながらたくさん料理を作った。お世辞にも美味しそうには見えない。それでも浅子なら食べてくれる。顔に似合わないきついアドバイスをくれながら食べてくれるはずだ。サラダも、こんな組み合わせありえない~とか怒られるのを若干期待して作った。デザートには浅子が絶賛していたプリンを買った。一人で先に帰ってしまったお詫びのしるしだ。ご飯を食べたらマインスイーパで遊んだり、おしゃべりしたり。恋バナというものについても触れておきたい。未だに中学1年生パジャマが着れちゃう貧相な身体の悩みも。お風呂がたまったら、一緒に入ろうって誘ってみよう。さすがにだめかな?でも、身体の悩みを解決するための的確なアドバイスがほしいし、こんなこと頼めるの浅子しかいないし。お風呂から出たら夜更かししよう。せっかくの週末なんだから。あたしのベッドはそこまでのサイズじゃないけど、浅子と二人なら入りきる大きさだ。ベッドの中で、浅子の体温とか息遣いが伝わってくるほどの距離で、おしゃべりしよう。秘密を告白するのはその時だ。長くなっちゃうけど、つらくなっちゃうけど、泣きたくなっちゃうけど、浅子はあたしの親友だから、全部受け止めてくれる。話し終わった時、浅子はどんな顔するかな。笑って許してくれるかな、それともすごく怒るかな。怒られるのはいやだけど、本当は怒ってほしい。笑って許されるのは楽だけど、楽じゃないから。浅子はあたしをこっぴどく叱ったあとで、ぎゅってしてくれるんだ。あたしはその時、泣いてしまうに違いない。そうしてもらえるのを、あたしは心から望んでいるんだ。




 そんな妄想に浸りながら、あたしは台所に立ってカレーをことこと煮込んでいた。

 腕をふるった料理の数々を食卓に並べ、あとは浅子が来るのを待つだけだった。

 振り子時計がボーン、ボーンと鳴る。帰ってから7回目だから、夜の1時だ。カレーの水分はすっかり飛んで、土みたいになってしまった。おたまがもう動かない。


「……う……ぐしゅっ………」


 それは玉ねぎのせいなんかじゃない。全部あたしのせいだ。

 みっともない嗚咽、涙、鼻水が止まらない。


「ひぐ……うあああああんっ……」


 おたまを持ったまま、あたしは声をあげて泣いた。

 こんな喪失感は初めてで、どうしたらいいかわからない。

 結に浅子を奪われたことに対してじゃない。あたしが浅子を見捨てたという事実に耐えられなくなってしまったのだ。あたしが浅子を見捨てずに抗い、結果として結に奪われたのならまだしも、あたしはそうする前に逃げた。自分の臆病さが、わが身可愛さの卑怯さがそうさせたのだ。

 あたしは台所で泣き、ぬるくなったお風呂で泣き、お風呂上りにリビングで泣き、いつまでたっても無反応な携帯をソファに投げつけて泣き、ベッドの中で泣きながら眠った。



***



中学校に入学して間もなく。


「……なんか用?」

「えへ~」


 あたしは東京に越してきたばっかりで友達が出来ず、かといって寂しいわけでもなく、平凡な毎日を送っていた。


「キョーちゃん一緒に帰ろ~?」

「…………あたしの名前はキョーじゃなくて、ヒビキって読むの。悪いけど………他の人と帰って」


 授業が終わり、帰り支度をしている時だった、その子が話しかけてきたのは。


「かっこいい名前だね~」

「………どうも」


 いつもへらへら笑っているような子だ。好きになれそうにない。なんか見ててイラつくから。あたしは席を立ち、すたすたと教室を出て行った。


「待って~」


 背後から廊下をぱたぱた走る音が聞こえ、次いで先生の「廊下を走るな!」に次いで「ごめんなさい~」の声。


(間抜け)


 心の中でつぶやき、あたしは構わず早足で歩いていく。


「キョーちゃん待って~」


 まだ言うか。あたしは無視して階段をおり、玄関で靴に履きかえた。


「やっと追い付いた~」

「うわっ」


 いきなり背後から抱きつかれ、あたしは前につんのめりそうになった。なんなのこの子、ちょっとおかしいんじゃないの。


「………重い、邪魔」

「そんな~」


 ショックを受けたような素振りでその子はあたしの身体を解放した。あたしはつま先でとんとんと地面を蹴り、靴を合わせてから彼女に向き直った。睨みつけるが、彼女は相変わらず笑っている。人を疑うことを知らなそうな笑顔だ。あたしは突き放すように言った。


「…………あたしに関わらないでよ」

「どうして~?」

「…………あなたには関係ないし、言いたくない」

「浅子だよ~。私の名前は深海浅子~」

「…………深海さんには、あたしと関わらなきゃならない理由なんてないでしょ?お願いだからほっといて」

「理由ならあるよ~」


 不審顔をするあたしに深海さんは言った。


「私はキョーちゃんと友達になりたいの~。これが理由~」


 意味がわからない。

 あたしは考える。

 深海さんには友達が多い。あたしには友達がいない。ああ、そういうこと。


「………あたしに同情してるんだったら、やめといたほうがいいよ」

「どうして私がキョーちゃんに同情するの~?」


 不思議そうな顔で聞き返され、こっちが戸惑ってしまった。


「……いや、あたし誰とも話さないから、それで深海さんが気を使って話しかけてきたのかと……違うの?」

「全然違う~」


 いよいよもってわからない。あたしと友達になって得することなんてなにひとつないのに。


「私は誰かに同情できるほど優しくないから~。ただ自分の欲求に素直なだけ~。キョーちゃんを初めて見たときからずっと友達になりたいなって思ってたの~」

「………なんで?」


 損得勘定なしに、そういうふうに思えるものなの?


「だから理由なんてないよ~。キョーちゃんは私のことキライ~?」

「………うん、わりと」

「ぐさ~」


 理由を聞かれたので、いつもヘラヘラしてるからと答えた。


「そんなにヘラヘラしてるかな~?」


 じゃあ直すといわれ、あたしは思いつく限りの深海さんを嫌いな点を挙げ連ねようとしたが――それ以上思いつかなかった。


「一緒に帰ろうよ~」

「……深海さんて、変」

「そうかな~?」

「……そうだよ」


 この子は、簡単に人の毒気を抜いてしまう。

 あたしが初めて出会うタイプの子だった。

 あたしはたぶん、その時笑っていたような気がする。

 あたしたちが仲良くなるまで時間はかからなかった。

 中学を卒業して、高校生になっても、その先もずっと仲良しでいたいなんて、子供じみた幻想をあたしは抱くようになった。浅子の優しさに甘えて、いつの間にかそれが当たり前だと思うようになった。




 目覚ましが鳴る前にあたしは目を覚ました。


「………浅子」


 名前を呼ぶ。のんびりした口調で返事をする親友の顔だけは簡単に思い浮かべることができるのに。

「キョーちゃん寝ぐせすごい~」って、笑いながら言ってよ。お願いだから。


「……浅子…………」


 あたしは何度も名前を呼ぶ。それでも返事は返ってこなかった。

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