白雪姫は再び
※KHM(グリム童話)53番より抜粋。
白雪姫というとても美しい王女がいた。彼女の継母(グリム童話初版本では実母)である王妃は、自分が世界で一番美しいと信じており、彼女の持つ魔法の鏡もそれに同意したため、満足な日々を送っていた。
白雪姫が7歳になったある日、王妃が魔法の鏡に「世界で一番美しい女性は」と訊ねると、白雪姫だという答えが返ってくる。王妃は怒りのあまり、猟師に白雪姫を森に連れて行き、白雪姫を殺し肝臓(※作品によっては心臓、となっている)をとってくるように命じる。白雪姫を不憫に思った猟師は彼女を殺すことができず森の中に置き去りにし、イノシシの肝臓をかわりに持ち帰る。そして王妃はその肝臓を塩茹にして食べる。
白雪姫は、森の中で7人の小人たちと出会い暮らすようになる。しかし、王妃が魔法の鏡に「世界で一番美しいのは?」と聞いたため、白雪姫がまだ生きている事が露見。王妃は物売りに化け、小人の留守を狙って腰紐を白雪姫に売り、腰紐を締め上げ息を絶えさせる。
帰ってきた7人の小人が腰紐を切って白雪姫を助け出すと、再び魔法の鏡により生きている事が露見する。毒つきのくしを作り、白雪姫の頭にくしを突き刺して白雪姫は倒れる。しかしまた、7人の小人がくしを抜き蘇生させる。
そしてまた魔法の鏡により生きていることが露見する。王妃は、白雪姫を殺そうと毒リンゴを作り、リンゴ売りに化けて白雪姫に食べさせる。白雪姫は小人たちから「家の扉は開けてはいけないよ」と言われていたため、はじめは抵抗したが、王妃が「わたしはただのリンゴ売りです」と言ったために信じ、その毒リンゴを食べて息絶える。
白雪姫は帰ってきた小人たちに発見されるが、小人たちは白雪姫が倒れた原因を見つけることができず、白雪姫は死んだと悲しみに暮れ、白雪姫をガラスの棺に入れる。そこに王子が通りかかり、白雪姫を一目見るなり、死体でもいいからと白雪姫をもらい受ける。
家来に棺を運ばせるが、家来のひとりが木につまずき、棺が揺れた拍子に白雪姫は喉に詰まっていたリンゴのかけらを吐き出し、息を吹き返す。
その後結婚披露宴で、王妃は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊らされる。
※この物語は、グリムの他の物語同様に様々な変遷を経た。
***
月曜日。放課後。
あたしは倉橋先生から学校案内をするように言われ、結と1階の廊下を歩いていた。
一緒に行くと浅子はいってくれたが、あたしは断った。浅子は部活で忙しいのを知っているし、邪魔をしたくなかった。
「ダイエットでもしてんの?」
今朝と全然違う様子の結が訊いてきた。
「……ううん………どうして?」
「お昼、何も食べてなかったじゃん」
「……ちょっと食欲なくて」
「ふうん?そーなんだ」
あたしは今朝から飲まず食わずだった。朝は時間がなかったからだけど、その代わりお昼にたくさん食べようと思っていた。だけどおなかは減らなかった。胃だけが軋むように痛かった。
「……ここが、職員室」
「ンなの見りゃ分かるわよ」
「……ごめん……次は部活とか案内するね……」
結の身長はあたしと同じくらいだった。髪は浅子と同じくらいの長さでポニーテールにしていた。顔立ちが整っていないと似合わない髪型だから、結にはぴったりだった。目は黒以外の色素が見当たらないくらいに深い黒。すっと通った鼻筋に、薄い唇。赤ちゃんのようなピンクの唇だった。
あたしはブラシの通りが悪い短い髪に、低い鼻に、ちょっとカサカサしてる唇が嫌になった。
「あ、中間のテスト結果出てるじゃん。響の順位はー……あは、107位だって!」
「………あたし、理系とか苦手で――」
「黙れ。要はバカって事だろ」
「……………ぅん」
あたしの言葉を遮った結の言葉が胸に刺さる。面と向かって馬鹿と言われて、心がズンと重くなった。
「勘違いしないでね?響、アンタに反論する資格なんて無い。それとも3年経てば時効なの?勝手に許されたとでも思ってんの?ねえ、どうなの?答えて?」
結は優しく微笑みながらそんなことを言った。
あたしは怖くなって体が震えた。それでも精一杯否定した。
「……ごめんなさい………許されるなんて、思ってないよ………」
「当然でしょ。許されるなんてほざいたらタダじゃおかないから。アンタはこれからずーっと私の奴隷。覚悟してね?全部『台無し』にしてあげる♪」
「……………」
愉しそうに結は宣言する。あたしはスカートの端をきゅっと掴んで、うつむくことしか出来なかった。
***
帰り道の途中。
アーチ型の緑道で掃除のおじさんと会った。
あたしは挨拶もおじぎもしないでおじさんとすれ違う。
掃除だけしてればいいなんてうらやましいと思った。
あたしがそう思ったことをおじさんは気付いたかも知れない。
だけどおじさんは黙々と落ち葉を掃き続けていた。
月曜日。就寝前。
あたしはベッドにうつ伏せで寝そべりながら、ふと本棚をみた。
「……………」
古びた1冊の本がある。手を伸ばしてそれに触れようとした時、机の上の携帯がぶるぶる鳴った。浅子からメールが届いたらしい。あたしは本を諦め、ベッドから起き上がった。
『大丈夫?』
主語がないからいつもはワケわかんないのに、不思議と今だけは。
『うん』
とそっけなく一言だけ返した。再びメール受信。
『電話していい?』
と来た。いつもならそんなこといちいち聞いてこないくせに。中学3年間を一緒に過ごした親友の目はふし穴ではなかった。だからあたしは、
『ごめん。だめ。もう眠いから。また明日ね』
と締めくくり、携帯を閉じてベッドに倒れこんだ。
10秒もしないうちに着信が鳴り始めた。
「……………」
留守録設定をし忘れていた。鳴りやむのを待つしかない。
だけど一向にやむ気配がない。5回、10回、15回………しつこい。
あたしは毛布を引っ張って頭までかぶり耳を塞ぐけど、防音効果はほとんどなくて。さすがに段々不愉快になり、思わず電話に出てしまった。
「……だめっていったでしょ……?」
「どうしても話したかったの~」
「……なにを」
浅子の声はリラクゼーション効果抜群で、
「キョーちゃん双葉さんが来てからずっとつらそうだったから~」
「………べつに、そんなことない………」
辛い時や悲しい時に聞いてしまうと、
「うそだ~。だってキョーちゃん声が震えてる~」
「………うるさぃ」
あたしの難解なココロ回路に異常をきたし、ショートを起こすのだ。
「無理しなくていいよ~。キョーちゃんが話したくなった時で~。いつでも話し聞くから~」
「……この電話に出るのだって………結構無理したんだけど………」
「えへ~」
笑って誤魔化されたけど、怒る気になれなかった。
「……ありがと………誰にも言えなかったけど………浅子には今度話す………」
「うん~。私はキョーちゃんの秘密ならどんなことでも大歓迎~」
「………知ったら絶対…………あたしをケーベツするよ」
「しないよ~」
「………なんでそう簡単に言い切れるのよ」
「なんでだろ~。根拠のない自信があるの~」
「……頼りない自信じゃん」
全く、浅子には敵わないと思った。
コンクリート詰めにされて東京湾に沈められた様だったあたしの気持ちを引き上げてくれた。水浸しだけど、それは仕方ない。
浅子にもう1度お礼を言って通話を終えた。
あたしは部屋の明かりを落とし、それから枕元のスタンドライトを点ける。本棚に手を伸ばし、古びた1冊の本を手に取った。
大した厚さもないのにずっしりと重く感じるのはきっと――。
本のタイトルは『白雪姫』。
あたしの手の中でライトアップされた、あまりにも有名過ぎる物語の台本。
だけど誰も知らない結末が2つある。
あたしと結だけの結末だ。