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内と外とわたしと先生

作者: 狸太

 

 横読みを強く推奨します。

 人によっては物語の“オチ”が非常に不快なものであるかもしれません。

 最後まで読んで頂けたら嬉しいです。


 



 多分に私事ではありますが、あえて述べさせてもらうなら名前は小鳥(ことり)卯舞(うぶ)、地元の公立中学に通う二年生女子です。生来より、小柄で運動も不得意で、それでもなんとか学力の面では中程を維持している、ありていに云わばそんな、道端の砂利みたいに無害で個性の没した女生徒です。


 気の合う友達と小規模なコミュニティーを形成し、ばつが悪く一人ぽつんとクラスで孤立する子では決してないし、かたや際立ってはっちゃける事とも縁がない、わりかし落ち着きのある、楽しい学園生活を過ごしています。――いや。

 厳密には、それも今は昔の清き思い出。

 

 楽しい生活はどこへやら、わたしこと卯舞は現在、十二年の生涯において経験した試しのない大きな障害に頭を抱えている最中なのでした。



 歯が痛い。えげつなく痛い。

 それはもう、右下の奥歯を基点に小人の群れが在住して大規模な突貫工事でも敢行しているのではないかと、ずきずきずきずき四六時中、悪症にさいなまれているのです。

 

 虫歯だ……と結論付けるのに、そう時間はかかりませんでした。

 既述したとおり、卯舞は普通の女の子です。甘いお菓子を食べます、食べすぎます。歯磨きを蔑ろにします。後手後手に面倒だとまわして、ベッドで横になるうちに微睡み、熟睡してしまいます。そして朝ごはんをいただきます。

 こうしてわたしの白玉のように純朴な歯は、着実に、その光沢を削がれていったようです。


 わたしはわたしが憎いです。

 どうして怠惰な生活から抜け出そうとしなかったのか、楽観的な視座に座してしまったのか。

 しかし悔やみきれない愚行をいくら追及しても、症状の悪化した奥歯がどうなるわけでもありません。真摯に現実を受け止めよう、そして戦おうじゃないか!


 さて、ならばどうしたものか。諸悪の根源、この虫歯を治す方法、根絶やしにする手段、策を模索するにあたって――。


「なにか、妙案は浮かびませんか?」


 煮え切らずに質問を投げ掛けると、これまでのわたしの告白に憮然として耳を傾け、スツールに腰を据えていた男は苦笑いをしてから、


「いや、だから、虫歯だから歯医者(うち)にお越しいただいたんでしょう?」


 そう応じて、簡素な白衣の胸ポケットに刺さった『阪実』と記載された名札を揺らし、机上のデンタルレントゲン写真に手を伸ばす。サカミ歯科の受付で保険証を渡したのち、案内された狭い個室で撮ったものである。


 わたしと先生がいるのは、医療器具と簡易ベッドの配置された治療室だ。平日の昼間とあってか、ほかに患者は見当たらない。四台もあるベッドはいずれも空であった。

 部屋のもっとも手前の診察台で仰向けに寝ているわたしにも見えるよう歯並びや歯茎やらを撮影したレントゲン写真をかざしてから、阪実先生は本題に入った。


「小鳥さんが話してくれた通り、やはり右の奥歯を中心として、かなり酷い状態ですね。ほら、分かりますか? ここから、ここまでのダークゾーン、それからここも、相当放置していたんですねえ」


 指で促す箇所を順に追ってみると、なるほど、これは深刻だと素人目にも理解した。得体の知れない奇妙な黒色が、うすく広く、砂浜に浸透する海水のように浸食している。

 わたしは息を呑み、漠然とした恐怖のうちに孕ませた可能性に怯え、意を決して「あの、先生……」と質問を切り出してみた。


 三十代半ば辺りに見受けられる、からくも若い部類に該するであろう先生は、「どうしたんだい」と診察時に着用するマスクを耳に掛けながら訊き返した。


「わたし、このまま死ぬんでしょうか?」


「――んん?」


 微妙な間を空け、阪実先生は首を傾げる。マスクと底の四角形の帽子に覆われて大半の表情は隠されているのだが、困惑の色は濃厚に感じとれた。

 台から体を起こし、背凭れから背筋を離してわたしは続けた。


「その、歯から転移した雑菌が視神経を伝い、目や脳にも影響を及ぼしてしまったりとかしないんでしょうか。わたし、正直、怖いんです……。もし虫歯が原因で死んでしまったらってイメージすると、もう怖くて、怖くて……」


「あ、ああ、そうだったのか。心配はいらないよ。虫歯で人が亡くなるってのは極稀なケースだからね、そうそうおこり得ることじゃないさ」


「でも、百パーセントじゃあないんですよね? ――怖いです」


「大丈夫ですってば」


「うぅう……。“虫歯に命を奪われた美少女”とか銘打たれてテレビの特集に組まれ、地上波に流され、ひな壇芸人にはネタにされ、驚異的な視聴率を叩きだしたくなんてないのに……。世界仰*ニュースで“太り過ぎて窒息死しかけた女”とかと同系列に“虫歯に命を奪われた美少女”が放映されたらと思うと、今も寝つけません」


「ちょっと口数減らしてください。それと、危険ですので絶対に寝つかないで下さい」


「ふぅん――」


 無愛想な応対に、わたしは内心むっとした。唇をすぼめて、不機嫌をほのめかせてみる。

 しかしそうとは知らずに先生は、ひょっこり現れた受付嬢に対し、口早に指示をだしていた。それに肯首した彼女は、治療室と待合室とをつなぐ通路へと向かい、そこにあてがわれたドアの内へと消える。治療器具をとりに行ったのだろうか。


「それじゃあ、ちょっと失礼します。体を後ろへ倒して、そうそう……あ、少し顎を引いて下さい」


 居住まいを正すと、腰をもたげた先生が毛髪を掻き分け、手袋を着装した指でわたしのうなじに触れた。使い捨てエプロンの紐を巻こうとしているのだろう、ごそごそと指先と指先の弄り合っている感触があった。するとそのせいで――。

 彼のマスクと帽子に埋まった面貌が意図せず接近する。互いの顔の距離はおおよそ三十センチメートルか。わたしは目のやり場を決めあぐね――。

 

(ぐああ……。鼻がちかい、ちかいちかいちかい……ちかいぃい……。)


 “それ”には素知らぬていを装っていた。

 前掛けを巻き終え、ふたたび顔を上げた阪実先生が「苦しかったら遠慮せずに言ってね」とやんわり告げる。それからはたと、高揚したわたしの頬を見遣って、


「あれ、顔あかいよ? 大丈夫ですか、どうぞ不調なら遠慮しないで……」


「幻覚の類いじゃないですかねえ」


 言葉を強引に遮られた若い医師はそれでも「いや、だって……」と喰いついたのだが、わたしが「幻覚の類いじゃないですかねえ」と恫喝気味に反復すると、かかずらうのに嫌気が差しただけかもしれないが、やっと神妙にしりぞいた。

 そこへコップのような金属の容器に、先端にこぶりな鏡や鉤を生やした棒状の物の具を揃えた女性が戻ってきた。


 感電したように二の腕がさっと粟立った。

 これまた銀色のトレーの上でかっちりと整列したそれら一式。それら器具で虫歯が掘削される場景を、自分は拒んでいるのに鮮明に、いやがおうでも鮮烈に連想してしまう。


 診察台で仰向けに臥するわたし――。大口をあけるわたしに、わたしの口内をペンライトで照らして凝視する覆面男。それを補助する看護師。彼女も職業柄、いたいけな女子中学生の口腔を注視する。

 前者も後者も寄って集って、これでもかってほどに視線を配って、わたしの≪うちがわ≫をねめまわして、わたしの≪うちがわ≫に土足で踏み込んで、わたしの≪うちがわ≫をさも当然のように視察して、≪うちがわ≫に働きかけようとするし≪うちがわ≫を犯そうとする。


 そのくせ当の自身は常套句で、あるいは肉で皮膚で、かたくなな外壁を凝らして練って≪うちがわ≫を決して公開しようとはしない。そのくせ当の自身は、自覚の有無はまた別個としても、ぐいぐい他者の≪うちがわ≫を知ろうとするうら、決して己の≪うちがわ≫を間違ってもおおやけにしたりはしない。

 自分は相手の人間性を感得しようとはするのだが、自分の人間性を相手に感得させようとはしない。

 これを不公平と呼ばずしてなんとする。


 少なくともわたしは、これこそ文明人が文明人たりえる≪遠慮≫と云う名の贅肉をつけすぎたあげく、醜く肥大化してしまった、ある種のエゴイズムなのだと意見したくなるのであって――。


「――先生、その、治療の前に折りいって相談が」


 ベッドに凭れる体勢から、ふちに腰掛けて両脚を垂らすように移り、わたしはおずおずと言った。


「ええ、はい。構いませんよ、どうしましたか?」


「あまり声を大にする話題でもないので、あの、出来れば二人きりで」


 要望を聞きいれ、彼は隣りの助手へ黙って頷く。彼女も頷き返してそれきり、受付のほうへと発った。

 待合室へと入室したのを見届けてからマスクをのけ、口元を自由にした先生はわたしと向かい合うように座りなおした。


「えーっと。で、相談というのはですね、そのお……うぅう~ん」


 しばらく挙動不審に視線を散らせ、なんとも切りだしあぐねていたわたしを見兼ねた先生が後押しするような声色で一言、「遠慮しないでね」と微笑をたたえる。


 その物言いに弾かれ、はっと顔を上げたわたし。やや心持ち強張ってはいるが、いくぶん楽になった気がした。これはきっと、そう、先生の一言に芯から励まされたにほかならない。

 ≪遠慮≫なる概念をものともしない先生なら、もしかすると……。この≪うちがわ≫で煮える気持ちを、共有できるのかもしれない。――そんな気がした。

 そんな気がすると、わたしの≪うちがわ≫はわたしの勇気を焚きつけた。


「それでは」と前置きをしてから畳み掛ける。

「それでは先生! ――つきましてはこんにち、是非とも先生には“全裸に着替えた後に”、わたしの歯の治療をおこなって頂けるようお願いしたいんですが」


 瞬時に硬直する彼の返答を待たず、更にわたしは≪うちがわ≫の想いを発言に重ねた。


「かなり驚かれている様子ですね、心中お察し申し上げます。ですが先生、確認の意でいま一度繰り返します、“全裸で虫歯の治療をして頂けませんか”。そこは言わずもがな、わたしも全裸になります。ええ、いっし纏わぬすっぽんぽんで治療を受けます、よろこんでっ」


 先生が椅子から転げ落ちた。ひどい狼狽ぶりである。


「……莫迦な。き、君は、なにをいって」


 それから床に膝を落としたまま立ち上がろうとしなかったので、わたしは、自然とこちらから彼を見下ろす位置で畏れ多くも相談を進めることにした。


「わたし、両親から授かった名前を読んで字の如く初心(うぶ)でして、ようは恥ずかしがり屋なんです。ここサカミ歯科へと訪れた経緯にしても、行きたくないと駄々をこねるわたしに、お母さんが激昂し、保険証と僅かばかりの金銭を懐にされ自宅から叩き出されたに過ぎません。そうでなければ独りで遠出なんてしませんよ、恥ずかしい。ましてや歯医者なんて、羞恥の塊じゃあないですか。

 あっと……、失礼。歯医者なんて――では語弊がありましたしあまりに無礼でした。ごめんなさい。

 ただね、先生。歯科にしろ耳鼻科にしろ、自分でもまんじりと観察したためしのないデリケートな部位を、秘蔵の洞窟を、医師免許を取得したって事実以外は素性の不明瞭な赤の他人にすぎない人物に好いようにされてしまうんですから、それってどこの入り組んだ路地裏にひっそり佇むアダルトなお店のマニアックなプレイコースですかっ、信じられません。

 わたしぐらいの恥ずかしがり屋じゃないにしても、誰しも、これには多少なりとも抵抗を覚えて然るべきでしょう」


「はあ……」


「しかし、れきとした医師のたしかな技量で治療を施してもらない限り、この辛抱しがたい痛みを抑える手立てはない。それに先ほどは先生も大丈夫だと豪語しておられましたが、さいあく命も落としかねない。そんなのは厭だ。死因が虫歯なのは厭だ。

 この板挟み……恥じらいを捨てるべきか、命を捨てるべきか究極の二者択一。

 ここへ足を運ぶあいだ、とっても憂鬱だったんです。だってまったく、これだと即決するような妙案に行きつかなかったんですもの。わたし、先生と対面した劈頭でお尋ねしましたよね、『なにか妙案はありませんか?』って。結局そこでも良策はなすじまい。あぁあ、もう駄目だなあと、ここは観念して一時の恥辱に身を投げこむしかないんだなあと、いよいよ思考の放棄に逃げようかとしていたやさき……、こう、ピーンっときました。

 なにを隠そう先生が、わたしの頸部にエプロン……みたいな件の前掛けを着けようとしていた折りも折り、閃きました。この人とだったら――阪実先生とならもしかしてって具合で。まあ閃いたと表現するよか、なにかこう、日頃は眠っているような本能の第六感――シックスセンスって云うんですかね――そんなインスピレーションがびびっと湧きまして、抜群にグッドな折衷案を考えたんですよ」


 いったん語りを休め、わたしは明後日の方向に咳払いをする。と、しばらく沈黙を守っていた阪実先生が、ゆっくりとした口調で「それで、その折衷案がなぜ全裸になるんだい?」と相槌をうった。

 わたしは口角をにやりと湾曲させ、その座談をつぐ。


「ちょいと飛躍しましたけど、つまりこう云うことです。

 小鳥(わたし)は花も恥じらう年頃の乙女。そのプライベートゾーンをまさぐられにゃいかんのです。大切な家内にも、大切な親友にも、大切な恋人にもペットにも見せたことない恥ずべきプライベートゾーン、≪うちがわ≫への干渉を、否が応でも許諾せにゃならんのです。

 へえぇ、小鳥ちゃんの臼歯ってこんなふうになってるんだあ、小鳥ちゃんのべろってそんな軌道でうねるんだあ、小鳥ちゃんのお気に入り歯磨き粉のアロマは苺の果汁なんだあ……と、これほどの生理的嗜好が漏洩しているのにも、不甲斐なく口をあけて、じっと羞恥心を噛み殺していなければならんのです。ひいい、恥ずかしい、なんてハードなはずかしめ。――っていうか、口をあけて感情を噛み殺すって。ぷぷぷ、日本語って難しいですね。

 そこで、です。

 患者が気持ち抗する様のないよう、ここはいっちょう、担当の医師も同様に恥ずかしい≪うちがわ≫を視覚的に明示すべきだと思うのです! 例えわたしの≪うちがわ≫が公開されようとも、先生ふくめ、双方が≪うちがわ≫を公開しようものなら何てことありませんから、ねえ?」


 わたしに水を向けられ、阪実先生は目をしばたたかせてから、


「……うん。そうか、そうだね。つまり君は、こう言いたいんだね」


 すっくと起立して臀部にしわの寄った白衣をこき下ろし、悩ましげにこめかみを親指と中指でぐりぐり刺激し、嘆息交じりに話をまとめた。


「君は歯の加療を、まあなんだ、恥辱の類と捉えてやまないと。なぜなら口の中を診られるのが非常に恥ずかしいから、だね?」


「はい、そうです」


「で、その実に関して君の言い回しを拝借するならば、小鳥さんは≪うちがわ≫を曝してしまうってのが我慢ならないと。女子の口内とは、民衆がおもてに出るさいに洋服で肉体を掩蔽するに同じく、人目にさらすのが恥かしい≪うちがわ≫であると、そう云うことだね」


「はい、まさにその通りです」


「――で、その敏感な感情を克服するには、僕も真似して≪うちがわ≫をオープンしなきゃならない。ここで示す≪うちがわ≫のオープンとは全裸になることであり、ようやく初めてそこで、君は素直に治療を受ける気になれる……」


 げっそりとした様子で先生は深いため息をついた。ポケットに突っ込んだ手をそわそわと握ったり擦ったりを繰り返し、わたしを見据えている。


「それじゃあ僕はともかく、君がまっぱになる意義は?」


「ああ、それは……なんというか、もし≪うちがわ≫を展開した時に発生するめいめいの心理への被害を数値化したとして、わたしの場合は四十ダメージだけど、先生の裸は百ダメージぐらいあるのかなあって感じで、いくらなんでも先生の傷が甚大すぎるなあって……。どうせ≪うちがわ≫を見せ合いっこするなら、対等な立場で見せ合いっこしてこそ真価があるというもので」


「――お、おいおい、ちょっと待ってくれ」


 突然、たどたどしく先生が割って入った。わたしの勘案した配慮のどこかに、質すべきおかしな点でもあったのだろうか。


「そのダメージ云々の数値にも異を唱えたい気はするが、ここはあえて慎んでそこは呑もう。……しかし、口がダメージ四十で全身が百だとして、口をおっぴらいて尚且つ君まで全裸になってしまったら、数値がまたぞろ食い違うだろうに」


「え?」


「僕がダメージ百でも、対して全ての要素を統合した小鳥さんはダメージ百四十になってしまうよ」


「ああっ」


 ああ、そうか、言われてみればそうだ。目から鱗がぼろぼろと落ちた。


「それにむしろ、小鳥さんへのダメージを増加させるんではなく、僕へのダメージを百から四十に軽減させれべきじゃないのかなあ。基準は曖昧模糊としてるけど全裸が百なら、四十は上半身のみの素肌にするとか。それなら対等な立場になれるよ」


 と、先生の新たに講じた妥協案に、わたしは「はい」と即答出来なかった。それとない挙動から精神の揺らぎが見て取れたのか、彼は表情を曇らせ、「なにか不都合でも?」


「……別にそんな、わたしはそれでも結構ですけど」


「わたしは――とは、どういうことだい?」


「先生は、それで納得するんですか?」


「はあ、ぼくぅ?」


 途端に若き医師は目を丸くして、自分の顔へ指の矢印をつきつけた。勇んで縦に首をこくんと振ると、そんな莫迦なと鼻で笑い飛ばす。

 これみよがしに揶揄する態度をとられ、わたしはまたしても内心むっとして――、同時に、根拠のあまりに乏しい推測の確証を得たことによる実感から、そぞろな強気がせり上がった。


――やっぱりそうだったんだ。エプロンを巻いてくれたあの時、もしかしたらこの人は……って閃いた“あれ”は正鵠を射ていたんだ。

――あらあら、図星なもんだから先生、大仰に否定しちゃってて、正直な男性ですね。


 膝元から手を剥がし、そのまま両頬をクリームを塗るような手つきでなぶった。上目使いで彼の姿を覗いてみる。女の愛嬌を武器にしてみたつもりだ。


「本当に、先生はわたしが裸にならなくても納得するんですか?」


「――当たり前だろう」


「それ嘘です」


「あのなあ……」


 よれよれになったTシャツの襟元を引っ張ると、動揺した先生はさっと俯いて、やるせなさ気に吐息を漏らす。


「ああもう、大人を冷やかすのも大概にしなさい。もうこの話題はやめだ、やめやめ」


 いささか熱っぽい語気で捲したてて、彼は茶を濁そうとするのに必死だ。


「言わせてもらうけど僕はね、治療に先立つ相談って前提があるがゆえに脱衣だの何だの、君のとんちんかんな対話に付き合ってただけなんだよ、それも仕事だからね。だが我慢の限界だ。あいにく営業妨害には割いている余暇はないんだ」


「じゃあ先生、最後に幾つか確認させてください。単刀直入に、ずばりお訊ねしますよ。――どうして、先生はさきほど」


「うん……?」


「――どうして、先生はさきほど故意に、“わたしの胸を触ったのでしょうか”?」


――ついさっき、使い捨てエプロンの紐を巻こうとしていたでしょう。ごそごそと指先と指先の弄り合う感触が首筋にありました。

――そのふしに、先生の右肱は狙ってわたしの胸に這いよって、しだくように動いて下着ごと乳房をつつき回していたようなんですが……執拗にぐにぐにと、陰湿にぐにぐにと、ねえ。心当たり、ありますよね?


「莫迦なっ。君が自意識過剰なだけだろう。心当たりなどない、あるはずがない!」


「そうですかあ? では……」


――その瞬間、先生の顔面とわたしの顔面が、目安で測って約三十センチメートルにまで急接近してましたよね。かなり度肝を抜かしましたし、鼻持ちなりませんでした。

――あれ、“必要以上に近づきすぎてましたよ”。

――そうとう歯痒かったんじゃないですか? わたしの芳香、そのマスク越しからでは嗅ぎづらかったでしょう。随分と先生は、女子中学生の発汗、体臭に興味をお持ちのようですねえ。


「それに万一、阪実先生が心の底から澄んだ歯科医師であったなら、こんなにだらだらと異性と――しかも未成年の女児と――衣服を脱ぐ脱がないの討論はしてないでしょうよ」


「だから、それは致し方なくで……」


「実際問題、期待してたんじゃないですか? どこかで旨い塩梅に相談が進行してくれれば、法律の管轄下、生で女子中学生のあられもない肢体を……とか」


 わたしはベッドから滑り降り、室内用のスリッパに素足を潜らせた。


「だ、唾棄すべき妄言だ。こんなのは全部でたらめ、性質の悪い難癖でしかない――」


 さながら茹で蛸のように憤然と赤らんだ先生は、ところがわたしに抱き着かれると、転じて喉をひゅっと鳴らしたきり粛として静かになる。背丈の差分からして、それでかなり劣っているわたしは、彼の胴腹から背骨へと上肢を巻き付ける体勢になった。


 顔を腹へぐりぐり押し当てる。

 乱調に騒ぐ心音が耳へ、頭の天辺から心臓へ脈々と伝播して――緊張は濃密に感染して、自分自身の体幹もじんと火照らせた。おっかなびっくりの手つきで彼が抱擁を倣っても、それに抗するわたしの体力や気力は今や廃れていて。と云うか、そもそも抱かれることを拒絶する謂れをわたしは持ち合わせていなくて、これに順応して腕へと注ぐ力量を増やしてみて――。


 蕩けて熔解したような居心地だ。毛穴から爛れた混合液に混入ていた先生の≪うちがわ≫とわたしの≪うちがわ≫が調和して混ざって昂ぶった。

 先生の尻臀を円を描くようにゆっくりと平手でなぞりながら、わたしは小声で≪うちがわ≫を――彼の≪うちがわ≫を耳元で刺激すると。常套句で、あるいは肉で皮膚で、かたくなな外壁を凝らして練って閉じ込めた≪うちがわ≫は容易く煮沸して、とめどなくぼろぼろと流出して――。

――せんせい、わたしのはだかみたいの?

 小声で≪うちがわ≫を――彼の≪うちがわ≫を耳元で刺激すると、(そんな莫迦な)常套句で、あるいは肉で皮膚で、かたくなな外壁を凝らして練って閉じ込めた≪うちがわ≫は、(僕は医師だぞ)容易く煮沸して、(大人を冷やかすのも大概にしなさい)とめどなくぼろぼろと流出して――。

 うん、みたい。……せんせいはわたしのはだかがみたいの? 

 うん、みたい。……せんせいはわたしのはだかがみたいの? うん、みたい。

 ……せんせいはわたしのはだかがみたいの? うん、みたい。……みたいのせんせいははだかをわたしの。……はだかをみたいのせんせいはわたしのはだかをみたいのはだかを。……せんせいはみたいのわたしのはだかをせんせいははだかをせんせいがみたいのわたしのはだかをみたいの。


――みたい。みたい。

 だらしなく伸びた面の皮を器用に拉げた恍惚の形相で、阪実の≪うちがわ≫はそう答弁して嬉々としている。童心に帰ったのか彼の≪うちがわ≫が幼稚であったのかは定かでないが、ともかく純な趣旨からわたしはそれを気持ちが悪い――生理的にきもい――と解し、「放してください」と変質者の拘束から脱出した。で――。


 デッサン人形が如くしばし歪なポーズをとっていたところ、ふと記憶が蘇ったかのようにあらゆる関節をねじって向きを転換した先生。そのぎこちなさは、錆び付いて反応のにぶった旧式ロボットを彷彿とさせる。なのに、落ち窪んだ眼やひょっとこのように尖らせた口がパーツとしてそこに散りばめてあるせいで、愛嬌は絶無に、この悪寒へと輪を掛けることになった。


 顔色が優れていない。真っ白だ。本物の人形、ちょうど蝋人形そっくりである。

 白衣を纏った蝋人形。

 さすがに気のせいだろうか、彼の黒目までもどこか白濁とした色素に毒されているような……。


「ご協力、ありがとうございました」


 わたしが慇懃に一礼しても蒼白な人形は無反応だったので、歯の治療終了後、友人と午後から合流する約束をしていたのを顧慮して、矢継ぎ早に謝辞を述べることにした。


「それと……わたしは先生に、謝らなければなりません。わたしは先生を騙していました、ごめんなさい。本当にごめんなさい。

 ぶっちゃけますとね、とりわけて先生の裸体を観賞したくは無いですし、わたしが裸婦になるのもまっぴらです。ならばどうして虚言を上塗りしてまで先生を騙したのか、それはですね、阪実先生の“本性”……≪うちがわ≫がどんなものか承知して置きたかったからですよ。まあ結果として、想像してた明後日へと黴た≪うちがわ≫を知っちゃいましたけどね。あっ、治療は対等の立場が望ましいってのは本心からです。――だからこそ、対等な立場を望むからこそ、わたしは阪実先生の≪うちがわ≫を知らなければならなかった。知らずにはいられなかった。

 わたしは口の中、すなわち≪うちがわ≫を先生に開示する。これへ先生は対等に、己が本性、すなわち≪うちがわ≫をわたしに開示する。≪うちがわ≫と≪うちがわ≫の見せ合いです――。

 これで初心なわたしでも気兼ねなく≪うちがわ≫を啓ける。だって先生の≪うちがわ≫を把握していますから、どっちもどっちで対等な立場ですから、“恥ずかしくない”ですから。

 しつこいかもですが締めとして、先生、この度は寛大なる処置を下していただき、親切な御協力をしていただき、誠にありがとうございました」


 と、ここで改めて額衝いた。

 けれどもとうとう先生は再稼働しなかったので、わたしはやれやれと肩を竦めながらも診察台にみずから登り、「さあさ、ちゃっちゃと済ませちゃって頂戴ね」

 歯に衣着せず。

 大口を叩いた。









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