気だるい
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外は雨降りだ。部屋にいるあたしも気だるい感じがしていて、ベッドの上に寝転がり、モーツァルトのクラシック音楽を聴きながら幾分力を抜く。サイドテーブルにはコーヒーの入ったカップが一つ置いてあり、ホットで淹れていたにも拘らず、冷めてしまっていた。深呼吸して体調を整えようとするが、やはりダメだ。雨の日は何かと心を病みがちである。特に繊細に出来ているあたしにとって……。普段からずっと家の中で創作活動をしている。あたしの仕事は出版社に送る小説の原稿を書くことだ。心身ともに疲れるのだが、こういったことをずっと続けている。もう十年以上前から。デビュー作はサスペンスだったが、徐々に推理からも離れて、今はミステリーやサスペンスに加え、恋愛小説やエロスなども書き綴っている。出版社はとにかく原稿が欲しいらしく、何度も督促の電話やメールが来る。筆を絶やすことはない。毎日継続してきっちり二十枚ほど書く。そして午後三時過ぎには業務を終え、書斎を出て、リビングに設置してある地デジのテレビにセットしてあるDVDレコーダーに録っていた映画や連続ドラマなどを見ていた。大抵コーヒーを淹れ直し、寛ぎながら番組を見る。あたしの自宅マンションは通りに面しているので、学生などが騒がしくしながら通るのだが、別に気に掛けてない。まるで非常識で他人の迷惑を考えない、大人気ない若者たちを量産するのが今の学校の実態だと思っていたのだし……。
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雨が降り続いていて、小降りになることはないものと思われた。ずっと一日中雨模様が続くのだが、気候には勝てない。しばらくは晴れないものと思い、ゆっくりと構えていた。くどいようだが、あたしは現役の職業作家である。原稿を書くのが仕事だ。ただ、作家である前に人間でもある。毎日パソコンに向かっていると、気だるさがどうしても付きまとうのだが、致し方ないと思う。つい数年前、晴れて直木賞を受賞して文壇から認められ、ようやく専業となれた。それまでは会社に勤めながら、アフターワークの時間に原稿を書いていたのが現実だ。これが職業作家じゃない人間の実態である。特にその苦節の期間、ホントに苦労が絶えなかった。ずっとパソコンのキーを叩けるようになるまでに、かなりの時間を要したのだ。現にその葛藤している間も絶えず原稿を書き、出版社に入稿していたのだし……。創作家は誰もがほぼ例外なく、売れない時代を経験する。プロになった作家でも苦労話を語る人は大勢いるし、あたしもそういった方たちから励ましてもらいながら、創作を続けていたのだった。ずっとパソコンのキーを叩きながら、作品を書き綴っていた過去を思い起こす。あの頃のことが数年経てば笑い話となってしまったのだが……。とにかくあたし自身、今作家活動が出来るのは、当時恩師で推理作家の西岡淳太先生だった。西岡先生に目を掛けられて作家として成長し、今があるのだ。これは一種の恩義である。受けた恩義を安易に忘れてしまうような人間は決して成功しない。それに未だに西岡先生には頭が上がらない。出版記念パーティーなどがあったときは、いつも駆けつけてくださる。七十代後半でご高齢であるにも拘らず、常に来てくださった。そして仰るのだ。「村島君、君は筆を絶やしちゃダメだよ。ちゃんと書き続けなさいね」と。その言葉通り、メジャー作家となってもずっと継続的に原稿を書き続ける。今日はたまたま雨降りで、ちょっとだるさを覚えていたのだが……。
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夫はいない。ずっと独身で来たから、これからも独り身を通すと思う。あたし自身、過去に交際した男性がいなかったと言えばウソになる。もう今から二十年ほど前ぐらいに付き合っていた彼氏はいたのだが、その男性もすでに結婚して成人した子供、それに孫までいる。独りの方が何かと楽だ。気を使うこともないのだし……。それに住んでいる街自体、田舎で出会いなど皆無に等しかった。自転車などに乗り、ちょっと目抜き通りに出てきたとしても、通りにはチラホラと人が見えるだけで誰も相手してくれない。あたしなど単なるオバサンにしか見えないのだ。別にセレブなどじゃなかったし、普通に職業作家でも貧乏している。金銭感覚は実にしっかりしているのだった。無駄なものは一切買わない。日用品はスーパーで買うにしても、家電などは割引があるネット通販などを利用し、なるだけ安いものを購入している。いくら直木賞作家といっても、収入などはギリギリ生活できるかどうかぐらいなものだ。よくご近所からは「村島さんは直木賞までいただいた作家さんだから、原稿料とか印税なんかがたくさん入ってくるわよね」などと言われるが、大間違いである。日本でも売れている作家などほんの一握りだ。あたしなど出した本はやっと増刷が掛かるぐらいで、三版ぐらいされれば上出来だった。ずっと家にこもって原稿を書く。これでもまだ相手してくれる出版社の編集者がいるからこそ頑張れるのだった。ずっと作品に向かっている事実に変わりはないのだから……。
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街のホテルのフロアを一つ借り切って、出版記念パーティーなどが開かれれば豪勢な料理を食べることが出来るのだが、普段はスーパーの惣菜コーナーを覗いてタイムセールで安くなるものを買ったり、豆腐などの一番安い食料品を購入したりしていた。相当倹しいことに変わりはない。そういった生活感が作中にも滲み出てくる。貧乏生活をしているライターや画家など、あたしの小説にはそういった人間たちが多数登場していた。これは悪いことじゃないと思う。下積みをしたからこそ生活感が出てくるのだし、決して場の雰囲気を壊すようなバサラなどが出てくる小説は書かない。確かにあたし自身、パーティーなどには幾分お洒落して行くのだが……。いくらアラフォーでメイクの乗りも若い子たちに負けていたとしても……。ゆっくりと作家業を続けていくつもりでいた。最近は携帯小説などが流行っているし、電子書籍端末なども発売されて、紙から電子へと需要が移りつつある。乗り遅れないよう、あたしもネットを使って作品を発表していた。まあ、一種の流行と言えばそれまでだったが……。仮に出版形態が変わったとしても、ずっとまるでワープロ職人のようにキーを叩き、原稿を書き続けるのが仕事であることに変わりはない。そして不意に思い立ったとき、気だるさが抜けてしまえば外出することもある。特に一作、中長編などを書き下ろして入稿した後などは気分転換に家を出て、自転車で近くの海へと向かった。ほんの自宅から十五分ぐらいのところに海があるのだ。波が絶えず打ち寄せてきて、この幾分冷える季節でも海水の流れが途切れることはなかった。美しい海を見つめながら目を保養する。常にパソコンのディスプレイを見つめているのだし、疲れが溜まるのは感じていたからだ。
そして海を見た後、停めていた自転車のサドルに跨ると、また気力や体力が湧き上がってきた。何も言うことなしに自宅へと舞い戻る。波間の中に一瞬、パラダイスを見たことを感じながら……。また新たな作品の原稿を書く地味な作業が始まる。気だるさを感じやすかったのだが、晴れた日は窓を開け放ち、新鮮な空気を入れてからパソコンに向かっていた。雨の日はいつも言いようのない倦怠を覚えてはいたものの……。
(了)