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3.紫陽花(その2)

翌日、両親が出かけてそろそろ1週間、なんとか乗り切れそう。そう思っていると、突然激しい雨粒が店のガラスを叩き始めた。

今は日曜日の午後、高校生組も来ないだろうし、もう店を閉めようと出入口のロールカーテンを下ろし、扉の鍵をかけた。

シャッターは雨足が弱まってから下げることにして、閉店業務と掃除を進める。


時刻は17時、結局雨が弱まることはなかったため、レジ横の定位置でタッチペンを滑らせていた。

シャッターを下ろして自宅に帰ろうと外に出る。


「ひゃっ!」


ビクゥッ!!


一体いつから居たのだろうか、視界の端で黒く大きな影が動いた。視界の端で捉えたまるで濡れた野犬のような影は、目を向けると店の軒下でおじさんが雨宿りしていただけだった。心なしか昨日より、顔色が悪い気がする。こちらの出方を伺うその目は、ひどく臆病に見えた。まるでこれ以上傷つかないよう、周囲との間に見えない壁を作っているような……。そういえば、初めてお店に来た時も、彼はそんな目をしていた気がする。


「ごめんなさいっ、人がいると思わなくて。」

「いや、こちらこそすまない。雨が降ってきたので、軒下をお借りしていた。」

「もしかして、お買い物予定でしたか?すみません。中には居たんですが鍵をかけてしまっていて……。」

「こんな天気だから、早めに閉めるのは間違ってない、と思う。シャッターを下ろすんだろう?邪魔をしてしまってすまない。良ければ手伝おう。」

「えっ?いや、お客様にそんな事……。」

「この天気だし、俺なら棒がなくても届きそうだ。」

(確かにこの人なら背が高いから届くかも)

「それでは、お言葉に甘えてお願いします……。」


予想通り、私と違っておじさんは手を伸ばすだけで次々とシャッターを下げていく。

(背、高いなぁ……。あ、そうだ、お礼言わなきゃ!)

「あの、昨日はありがと……っ」

言いかけて、言葉が詰まった。視界に入った彼のつなぎは、絞れるほど水を吸って変色していた。

(一体、いつから雨の中にいたんだろう。……やっぱりこの人、どこか放っておけない)

「?……なにか間違っていただろうか?」

「いえ、そうじゃなくて……。あのっ!よろしければ家この裏なんです!良かったら雨宿りして行きませんか?」

「は?いやいや、さすがにそれは迷惑だろう!」

「大丈夫です!それにこの軒下じゃこの横殴りの雨は防げないですし、昨日のお礼もしたいので嫌でなければ是非。」

(昨日?あぁ、あれか。それよりも本当に迷惑じゃないのか?いやでも、このままだとスマホの画面も雨粒でよく見えない。このびしょ濡れ具合だ。申し訳ないが、ご家族にお声掛けして玄関だけお借りしよう。最悪、兄貴には悪いが電話して迎えに来てもらおう。)

「……」

「あの〜?」

「すまない。お言葉に甘えさせてもらってもいいか。少しの間だけ、玄関先をお借り出来ればいい。」

「はい。それでは傘を持ってきますので、自転車も一緒にどうぞ。」


傘を渡して二人で裏手に回る。

「自転車もそのまま一緒に入ってください。多分入ると思います。」

「はい。ん?自転車も?」

「はい!それじゃあ、タオル取ってきますのでお待ちください。」

私は玄関の引き戸を開けて、おじさんを呼び込む。

玄関の鍵をかけて、トタトタと早歩きでタオルを取りに行く。

(そうだ、新品のTシャツとかまだあったよね。)


「お待たせしました。これ使ってください。もう1枚は自転車に。よく知らないけど、そういうかっこいい自転車って高いんですよね?」

「あ、あぁ……。ありがとう。」

「びしょ濡れですし、良かったらシャワー使ってください。これ新品の着替えです。脱衣所に乾燥までできる洗濯機ありますので、服は入れていただければ……。」

「さすがにそれは迷惑なので、このまま玄関先さえお借り出来れば……。それよりもびしょ濡れで悪いが、まずはご家族にお礼をしたい。」

「あ、今両親いないんです。明日辺りまで東京行ってて、私しかいないのでどうぞシャワー使ってください。このままじゃ、風邪ひいちゃいます。」


ゴホッ!

(!??)

「大丈夫ですか?やっぱりすぐにシャワー」

「いや、これは風邪ではなく……いやいやいや!尚更ダメだろう!」

「? そのまま玄関にいられると、私心配でずっとここに居ますよ?」

「……〜〜〜!!(ああ、もう!)」

おじさんは頭をガシガシと掻きむしる。

「分かった。シャワーをお借りする。」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

玄関から広いと思ったが、でかい家だな……。

言われた通り自転車ごと玄関に入ってはみたが、本当に入り切るとは思わなかった。

というか、なぜ俺は家族のいない一回りは下の女の子の家でシャワーを借りてるんだ?正気の沙汰じゃない……。もしかして、なにか試されてるのか?いや、あの感じはきっと何も考えてないやつだ。あんなに警戒心がなくて、生きていけるのか?

「ダメだ……考えるのをやめよう。」

「えっ?なにかダメでした??まさかお湯出ないですか??」

(!!??)

反射的に、扉が開かないように手を伸ばす。

「だ、大丈夫だ!なんでもない!!それより、どうかしたか?」

「あ、着替え置いておきますね。もしかしたら、サイズちょっと小さいかもしれませんが。お洋服乾くまで我慢して貰えたら。あ、洗濯機は回しておきますね。ドライヤーも使ってください。」


バクッバクッ


自分でも驚くくらい心臓の音がうるさい。

もう一度身体を流してから、シャワーを水にして頭だけ被った。


「っ……はぁ〜……。」

脱衣所には、先程とは別のバスタオルと着替えが用意してあった。見るからに新品の着替え、ただ一点おかしなことがある。

「なんで下着まであるんだ……あ゛ー、クソ。最悪だ。」

下着が用意されていたこと以前に、自分が洗濯機の中にびしょ濡れの下着を放り込んだことを思い出した。

兄貴には悪いが、このまま雨が止まないなら洗濯が終わる頃に電話して迎えに来てもらおう。

柔らかいタオルから洗剤とは違う香りがする。さっきは雨の匂いで分からなかったが、今ならわかる。気づけば、外では雷も鳴り出しているようだった。普段はドライヤーの後に上を着るが、人の家では何が起こるか分からないので、先にTシャツを着ておいた。


ゴォォォー


着替えとして用意されていたのは、お父さんのものだろうか。……いや、にしては独特な、所謂イラストチックなデザインだ。どこかで見覚えがあるような、ないような……。考えを振り払うようにドライヤーを強に回した。


……スゥン

髪が乾いたところで、洗濯機の残り時間を確認する。

(あと2時間くらいかーーー)


ドンッー!バキィッ!!

バツンッーーー


「えっ?……」


地響きのような雷鳴と共に、近くで何かが弾ける音がしたと思ったら、いきなり視界が真っ暗になる。

(停電!?ブレーカーか!? まずは彼女を見つけないとーーー)


スマホのライトをつけて俺は脱衣所を出た。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

停電の少し前


(昔描いたイラストで作ってもらったTシャツだけど、サイズどうだったかな?)


〜♪〜♪


スマホから、着信を告げる音がする。


「もしもし、パパ?用事の進捗はどう?明日辺り帰って来れそう?」

「もしもし?それがなぁ、ちょっと想定外のことが起きてて、しばらく帰れなさそうなんだ。」

「えっ……。しばらくってどれくらい?」

「3ヶ月くらいかなぁ。お店はどうだ?配達くらいは行けそうか?無理はしなくていいから、正直に言ってくれ。」

「お店は大丈夫だよ。この1週間お店を開けながら、配達も出来たし。少しお休みは増やすかもしれないけど、大丈夫!」

「そうか。ありがとう。来週また電話する、その時はゆりさんにもかわるよ。」

「うん、パパもママも身体に気をつけて。叔父さんによろしくね。」


電話が切れた廊下には、外の雨音と雷鳴の音だけが響き渡る。

(どうしよう。明日からも、またしばらくこの広い家に一人……)


ドンッー!バキィッ!!

バツンッーーー


「キャッ……」


地響きのような雷鳴と共に、近くで何かが弾ける音がして、反射的に耳を押さえて、目を閉じて蹲る。再び目を開くとそこは真っ暗闇の空間だった。


(どうしよう。何も見えない。)


ここは見知った空間のはずなのに、何も見えない不安が大きくなる。


(パパもママもいない……はっ、そうだ、スマホのライト!)


近くを手探りで探すが、さっきの雷に驚いて落としたのか指先にそれらしい物が触れることはない。


廊下には雨音と雷鳴だけが響き渡る。

どうにかしてブレーカーまで辿り着きたいが、上手く息ができない。


(どうしよう、暗闇に一人きり。さっきまでドライヤーの音がしていたはずなのに、今はもう雨音と雷鳴の他には自分の乱れた呼吸音しか聞こえない。上手く息が吸えない。もう、どうしたらいいの……っーーー)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

脱衣所を出て、手に持ったスマホのライトでザッと周囲を照らす。彼女はいないーーー。が、玄関側天井付近にブレーカー見つけた。

上げ下げして確認してみたが、変化はない。

(予想はしてたが、やっぱり停電か。)


彼女を探そうと廊下を進むと、奥の方で音がする。


「そこにいるのか!?」


「……っおじ、さん……!」


ライトで照らして見つけた彼女は、廊下でへたり込んでいた。近づいて気づいたが彼女の目には、今にも溢れ落ちそうな涙が見えた。パニックなのか、呼吸が上手くできてないようだった。

しゃがみこんで、目線を合わせて背中をさする。


「落ち着け。ゆっくりでいいから深呼吸だ」


ふっ、ふー…ふー……


「よし、いい子だ。」

「……ありがとうございます。」


落ち着いたところで、キッチン横のリビングに移動して、ブレーカーではなく停電だろうということを伝えた。


「暗いの苦手なら、スマホのライトずっとつけとくから。」

「いえ、暗いのは大丈夫です。ただ先程、両親から電話があって、しばらく帰れないって言われたんです……。その後すぐに停電になってしまったので、パニックになってしまって。」

「そうか、じゃあまだしばらく店を一人で回すのか。」

「本当は配達だけで良かったんです。でも近所の高校生たちとか皆さんも来てくれるので、つい開けてしまって……。」


真っ暗なリビングで机を挟んで、それぞれソファに座って会話をする。ふとスマホを見ると、兄貴からの着信が数件入ってた。良かった電波は、まだ死んでないみたいだ。


「すまない。1件だけ電話する。」


〜♪

ワンコールと待たずに繋がる


『もしもしっ!?大丈夫か?』

「兄貴か?俺は大丈夫。ちゃんと、雨風凌げるところにいる。もういい歳してるから、大丈夫だ。」

『悪い。ただこっちは田舎だからな、東京みたいにそんなにポンポン家もないし、停電も心配でな。お前以外は家にいるから、住所くれたら車で迎えに行くぞ?』

「ありがとう。そっちも停電してるんだな?なら、車出して何かあったら怖いから、雨が止んだら自力で帰るよ。」

『そうか。気をつけて帰ってこいよ。』


当初の予定では、迎えに来てもらって帰るつもりだった。ただ家も停電してる今、あまり迷惑はかけられない。それにさっきパニックになっていた彼女の様子を思い出して、1人にはできないと思った。


「お兄さんいらっしゃるんですね。私は一人っ子なので、羨ましいです。兄と姉のようなそんな人たちはいますけど。」


グ~……


「ご、ごめんなさいっ……。気が抜けたらお腹空いちゃって、お昼も食べてなくて。あ、冷蔵庫!どうしよう。そんなに中身ないけど、いただいたおかずとか残ってるのに。」

「冷蔵庫は、なるべく食べきった方がいい。冷凍庫は開けなければ、1-2日は大丈夫だ。」

「そうなんですね……。じゃあ、良かったら夕飯一緒にどうですか?温めたりはできないかもですが、近所の皆さんがお裾分けしてくれたおかずがあるんです。その……もったいないので、手伝ってもらえると助かります。」

「そういうことなら、いただこう。火は着くだろうけど、何が起こるか分からないから止めよう。」

「わかりました。それじゃあ出していきますね。」


いただいたおかずは、どれも家庭料理といった感じで、懐かしい感じの味ばかりだった。

水道も問題なかったので、2人で後片付けをしてソファに帰ってきた。


お互い特に話すことも無く、真っ暗な空間に雨音だけの静寂が訪れる。視界もだいぶ暗闇に慣れ、いつの間にか雷鳴は止んでいた。

どれくらい経っただろうか、突然目の前の影が横に傾くーーー


「おいっ!」


反射的に伸ばした手は何も触れることなく空を切る。


スー……スー……


向かいの影は、規則正しい寝息を立てている。


近くにあったひざ掛けを持ってきて、起こさないようにそっとかけてから、元の位置に戻る。



(知らない男を家族のいない家にあげて、シャワーまで貸して、なぜ寝れる……無防備すぎるだろう。……はぁ、もう今更なのか。)


先程までは停電などもあったが、夕飯を食べてリラックスしてきて、不安の糸が切れたのかもしれない。

そんなことを考えているうちに俺の意識もどこかへ旅立って行ったーーー。


…………


ガバッーーー


どれくらい眠っていたのか、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。普段、家でもなかなか眠れないのに、見ず知らずの人間の家で眠ってしまったことに驚いている。あまりにも警戒心のない彼女に引っ張られてしまったのか、それとも借りたタオルやシャツから香るこの懐かしい香りでリラックス出来たからなのか。そんなに長い時間眠ってしまったわけではないはずなのに、スッキリしている。


少しだけ雨戸とカーテンを開ける。寝ている間に雨は止んだらしく、窓から月明かりが差し込むーーー。

反対側の彼女はまだ眠っているようだった。


スー……

「ん?……っ、……あ、おじさんおはようございますzzZ……もしかして、私だけ寝てましたか?」

「いや、俺も少し寝てしまっていた。借りたタオルの洗剤かな?とても懐かし香りがして、リラックスしていたみたいだ。」

「嬉しいです。私も一番好きな香りなんです!!」


そう言って笑った彼女の笑顔は、間違いなく知り合ってから一番の笑顔だった。


少しの静寂の後、目の前の彼女が座り直して、真っ直ぐこちらを見る。

やはり他の人とは、違う不思議な雰囲気の瞳だ。


「あの、おじさん。毎日来てるってことは無職ですよね?うちで働いてくれませんか?」

グサッーーー


突然、真正面から刺されたような感覚がする。

(さらっと悪気もなく酷いこと言ってくるな。まぁ、たしかに無職みたいなもんか。ん?今なにかすごいことを言ったな……)

「本気で言ってるのか?こんな見ず知らずのおじさんを?」

「突然すみません。でも昨日も今日も助けていただいて、話も聞いてもらって、優しい人だなって。正直、しばらく一人でお店をやっていくのは怖くて。それに何よりこの香りを好きって言ってくれたから、悪い人じゃないって。おじさんが隣で話を聞いて手伝ってくれたら、頑張れるかもって思って。」

「俺が本当は、悪い大人だったらどうする?」

「おじさん、本当はあんまり人好きじゃないですよね?ちょっと寝ちゃったあとも、今も私に一定の距離を保ってくれてる。そして、こんな唐突な話もただ黙って聞いてくれてる。やっぱり優しい人だと思います。」


目の前の彼女は、なんの疑いも持たない目でこちらを真っ直ぐ見つめてとんでもない提案をしてきた。


(夕方も思ったけど、真っ直ぐすぎる……。真っ直ぐ過ぎて、危うい。それにこの目に真っ直ぐ見つめられると断れない気がする。あ゛ー仕方ない、保護者みたいなもんか)

「……わかったよ。明日からでいいか?」


「はい、ありがとうございます!明日、10時にお店にお願いします。」


詳しいことは店でということで、家に帰ることにして玄関へ向かう。もちろん洗濯物は回収済だ。


「そうだ!ちょっと待っててください。」

そう言うと彼女は家の奥へと小走りで向かう。


「これ、私が使ってるディフューザーです。気に入ってくれたみたいなので、良かったらどうぞ。」

「ありがとう。じゃあ……その明日からよろしく。」

「はい。それじゃあ、行ってらっしゃい。」

「行ってきます。」

変な挨拶な気もするけど、なぜだか悪い気はしなかった。

玄関の扉が開くと、雨上がりの山の間からは朝日が差し込み始めていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


雨の日に拾った見知らぬおじさんを雇いました。


さっき目が覚めたとき、停電中でまだしばらくこの広い家に一人だと思ったら、怖くなった。でも月明かりに照らされたおじさんを見つけて、一人じゃないことに気づいてすごく安心した。

どこか放っておけない雰囲気がある、不器用だけど優しい人ーーー。

明日から二人で頑張ります!


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