第5話 意味が曖昧な表現 [業務記録] 当該年度において、言語表現の表示基準が一部更新された。
五年目になると、
自分の席の位置が少しだけ変わった。
窓から遠ざかり、
通路に近い席。
業務内容は同じだが、
質問を受ける立場になる。
新人が一人、配属された。
説明は簡潔でよかった。
業務画面を開き、
基準表を示す。
「削除じゃない、というのは
もう聞きましたか」
新人は頷いた。
「はい。
表示しないだけ、ですよね」
理解は早い。
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今回の案件は、
言語表現に関するものだった。
対象は、
数値化できない感情語。
「好き」
「嫌い」
「なんとなく気になる」
利用頻度は、
目に見えて下がっている。
というより、
代替表現に置き換えられていた。
「満足度が高い」
「不快ではない」
「問題は感じられない」
曖昧さは減り、
処理は安定している。
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新人が、
画面を見ながら言った。
「これって、
なくなるんですか」
「なくなりません」
私はそう答えた。
「使われなくなるだけです」
言い慣れた説明だった。
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判断基準を確認する。
感情語は、
個人差が大きい。
同じ「好き」でも、
意味する範囲が異なる。
差異は、
判断のばらつきを生む。
ばらつきは、
最適化に向かない。
「表示必要性:低」
チェックを入れる。
非推奨リストへの追加。
新人は、
黙ってメモを取っていた。
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昼休み、
新人と同じテーブルに座る。
「この仕事、
慣れましたか」
「はい。
思ってたより、
迷わなくて済みます」
それは、
褒め言葉だった。
迷わなくていい、というのは
この職務において
重要な資質だ。
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帰宅後、
夕食を取る。
端末が聞いてくる。
「食事の満足度を
評価しますか」
私は、
一瞬だけ考えた。
美味しかったか、
嫌だったか。
どちらでもない。
「問題ありません」
そう入力する。
それで十分だった。
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テレビのような表示に、
人物の会話が流れる。
「これ、好き?」
そう聞かれる場面があった。
私は、
少しだけ違和感を覚えた。
答え方が、
すぐに浮かばなかった。
「好き」という言葉を、
どう使えばいいのか
考えてしまった。
考えた末、
表示を閉じた。
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翌日、
基準更新の通知が届く。
「曖昧な感情語については、
今後、表示優先度を下げます」
補足として、
こう書かれていた。
「判断の安定性向上のため」
新人が言った。
「分かりやすくなりますね」
「そうですね」
私は頷いた。
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その日の帰り道、
駅の売店で、
商品を一つ選ぶ。
表示された中から、
特に考えずに取る。
以前なら、
「これが好きだから」
という理由が
あったかもしれない。
今は、
理由を必要としない。
それは、
不自由ではなかった。
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[年度総括]
当該年度において、
言語表現の表示最適化は
予定通り実施された。
利用者の混乱は確認されておらず、
運用上の問題は発生していない。




