最終話 定年日 [在職終了記録] 当該職員は、規定年数の勤務を完了した。
定年の通知は、
予告としては十分すぎるほど前に届いていた。
何年も前から、
端末の予定欄に表示されていた日付だ。
変更はなかった。
確認も不要だった。
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最終出勤日は、
特別な形式を取らなかった。
通常通り起床し、
通常通り身支度を整え、
表示された経路で職場へ向かう。
通勤路は、
これまでと変わらない。
違和感はなかった。
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席に着くと、
画面にはいつもの表示が出ている。
確認対象:なし
対応要否:なし
ここ数年、
この表示は変わっていない。
仕事は、
問題なく引き継がれている。
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午前中、
簡単な手続きがあった。
形式的な確認と、
最終評価の表示。
総勤務期間:規定値
業務適合度:高
判断逸脱:未検出
それを見て、
私は頷いた。
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昼前、
同じ部署だった人たちが
短い挨拶をしてくれた。
「お疲れさまでした」
私は、
同じ言葉を返した。
それ以上の言葉は、
必要なかった。
必要がない、ということが
はっきり分かっていた。
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私の職務は、
何年も前に統合されている。
その後も、
別の工程で働いてきた。
だが、
肩書きが変わるたびに、
業務内容は少しずつ軽くなっていた。
判断は、
ほとんど必要とされていない。
それでも、
勤務は成立していた。
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退職後の生活について、
説明が表示される。
起床時刻:自由(推奨あり)
活動内容:任意(最適化可能)
医療・移動・連絡:自動対応
不安はなかった。
むしろ、
今までと大きく変わらない。
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私物をまとめる必要はなかった。
紙の書類はない。
私的なデータは、
すでに整理されている。
「持ち帰るものはありません」
そう表示されていた。
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庁舎を出ると、
外は穏やかだった。
人の流れは一定で、
誰も急いでいない。
私が定年を迎えたことを、
誰かが知らなくても問題はない。
社会は、
それを前提に設計されている。
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帰宅後、
端末が一つだけ通知を出した。
在職期間は、
社会運用記録として
適切に保存されました。
保存される、という言葉に
特別な感情は湧かなかった。
必要な処理だ。
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夕方、
少し時間が空いた。
何をするか、
考えようとしたが、
考える前に提案が出る。
「休息を推奨します」
私はそれに従い、
椅子に座った。
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窓の外を見ながら、
ふと考える。
自分は、
何をしてきたのだろう。
問いは浮かんだが、
答えを求める気にはならなかった。
評価はすでに完了している。
問題はなかった。
それで十分だ。
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夜、
一日のまとめが表示される。
在職終了:完了
生活移行:安定
追加対応:不要
その下に、
最後の一文があった。
当該職員の退職に伴い、
社会運用への影響は
確認されていません。
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私は画面を閉じ、
照明を落とした。
明日からの予定は、
まだ決まっていない。
だが、
決まっていなくても問題はない。
必要なときに、
必要なものは表示される。
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[最終総括]
当該期間において、
職務・生活・社会運用は
一貫して安定していた。
特筆すべき問題は、
最後まで確認されなかった。




