第1話 削除ではありません [業務導入記録] 当該期間において、研修は予定通り完了した。
配属初日、最初に言われたのはその一言だった。
「削除、という言い方は使いません」
講師は穏やかな声でそう言い、画面を指し示した。
表示されているのは、いくつかの短い文章だった。
挨拶文、案内文、通知の冒頭に使われていた定型表現。
「これらは、不要になったわけではありません。
ただ、現在は表示する必要がないと判断されています」
“不要”と“表示しない”は違う。
そう説明された。
理由は明確だった。
使われなくなっている。
代替表現が定着している。
表示頻度が下がっている。
どれも数値で示されていて、反論の余地はなかった。
「削除ではありません。
非推奨化です。
存在は保持されます」
私は頷いた。
新人研修の初日としては、分かりやすい内容だった。
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業務は単純だった。
候補として挙げられた文言を確認し、
利用頻度、誤解発生率、代替表現の普及度を見る。
条件を満たしていれば、
チェックを入れる。
それだけだ。
判断に迷うことはない。
迷う要素は、最初から除かれている。
最初の案件は、
ある挨拶文の一部だった。
以前は広く使われていたが、
今はほとんど表示されていない。
「再表示の要望:なし」
画面にはそう書かれていた。
私は確認し、
チェックを入れた。
処理時間は三十秒ほどだった。
「早いですね」
講師が言った。
「皆さん、大体このくらいです。
最初は緊張しますが、すぐ慣れます」
慣れる、という言葉に違和感はなかった。
覚えることは少ない。
間違える余地も少ない。
良い仕事だと思った。
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昼休み、庁舎の食堂で食事をとった。
メニューは自動で選ばれている。
栄養、混雑、過去の選択履歴を考慮したもの。
味に問題はなかった。
隣の席の同僚が、軽く会釈をした。
「研修、どうでした?」
「分かりやすかったです」
それ以上、会話は続かなかった。
沈黙は自然だった。
誰も急いでいないし、
誰も暇そうでもない。
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帰り道、駅へ向かう途中で、
すれ違いざまに挨拶をされた。
「お疲れさまです」
私は、ほんの一瞬だけ、
返す言葉を考えた。
以前なら、別の言い方もあった気がする。
だが、どんな言い方だったかは思い出せなかった。
結局、同じ言葉を返した。
「お疲れさまです」
違和感はなかった。
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自宅に戻り、端末を置く。
今日の業務ログが表示される。
研修完了。
処理件数:一件。
判断精度:基準値内。
特に問題はない。
ベッドに横になり、
天井を見つめる。
今日、何かを消した、という感覚はなかった。
ただ、
使われていないものを確認しただけだ。
それは、
誰かの生活を壊す行為ではない。
むしろ、分かりやすくするための整理だ。
そう理解している。
理解できていることが、
少し誇らしかった。
明日も、同じような案件が来るだろう。
そのどれもが、正しい判断になる。
問題が起きない仕事だ。
それが、この職務の価値なのだと、
私は疑いなく思っていた。
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[初年度総括]
当該職員は、
削除判定業務を適切に理解し、
規定通りに遂行した。
特筆すべき問題は確認されていない。




