濡れ衣で婚約破棄された嫌われ令嬢は獣人の旦那様と可愛い双子に囲まれて幸せな結婚生活を送る
「なぁラウラ、そろそろ俺の気持ちに答えてくれないか?」
「……何度も申し上げておりますが、困ります。私には婚約者もおりますし……」
「そう言わずにさぁ。今日は部屋を用意してあるんだよ……いいだろ?」
「――い、嫌です! やめてください! 離して!」
夜会でいつものようにバルニエ伯爵から迫られて、必死に逃げようとしていた時――。
「何をしている」
「うるさいっ! 邪魔をする、な……ひっ、獣人!」
「嫌がっているではないか、手を離せ」
「……ぁっ……く、クソっ!」
バルニエ伯爵は掴んでいた私の手を離すと、一目散に逃げて行く。
「大丈夫だったか?」
「は、はい!」
私が答えると、その方は驚いた表情で私を見つめる。
「……君の……。いや、なんでもない。――では、私はこれで失礼する」
「……あ、あの、ありが……」
お礼を伝える前に、去って行ってしまう。
艷やかにきらめく銀色の髪と、同色の耳と尻尾を持つ狼獣人の方。
人の要素の方が色濃いのか、顔は私たちと同じような作りであった。
「嫌われ者の私を助けてくださるなんて……」
この世界に、あのような方がいるなんて……。
お礼を言いそびれたことを後悔する。
次に会えることがあるのなら、ちゃんとお礼を伝えようと決めて、ホールへと戻るのであった。
◇
――数週間後の夜会の日。
助けてくれた獣人の方は居るだろうかと探していたら、見知らぬ女性に手袋を投げ付けられて驚く。
「……なっ!?」
「あなたが私の旦那を誑かしてるバカ女ね! 人の旦那に手を出すなんて、最低のクズよ! バカ淫乱女!!」
あまりの言い分に、呆然としてしまう。
「……あ、あの、何を言って……?」
「私はバルニエの妻よ! うちの旦那が、あなたに言い寄られてるって迷惑していたわ!」
「……バルニエ伯爵……」
なぜ、そんなことになっているの? 言い寄られてるって……バルニエ伯爵が私に……?
「ねぇ、あなた。そうなんでしょ!?」
「そ、そうだ! 俺はその女に言い寄られて迷惑していたんだ!!」
後ろにいた伯爵が私を指差して、怒鳴り付けてくる。
「……ば、バルニエ伯爵……なぜ、そんな嘘を……? あなたが私に、声を掛けて来ていたのではないですか……」
「言い訳は、およしなさい! 見苦しい! あなた、その美貌とスタイルで様々な男を誑かしてきたんですってね?」
「誰がそんなことを……」
私が驚いて尋ねると、バルニエ伯爵夫人の周りにぞくぞくと人が集まり、私を見下ろす。
「私の夫も、この女に唆されましたのよ!」
「わたくしの婚約者もですわ!」
「みんな、この女に骨抜きにされてしまいましたのよ!」
「何て恥知らずな方なのかしら!」
彼女たちのパートナーが、後ろで気不味そうに私を見ていた。
……いったい何の話しをしているの? 誑かす? 唆す? 誰が、誰を? 全く記憶にないことを口にされて困惑する。
「先日の夜会でもバルニエ伯爵とラウラ嬢が、ひとけのない場所で密会しているところを見ました!」
「私も見ましたわ!」
「よその旦那様と二人きりで密会だなんて、なんて厚顔無恥な方なのでしょう!」
「あ、あれは、私がバルコニーで休んでいたところにバルニエ伯爵がいらっしゃって、いつものように愛人になるよう迫られていたのです!」
「……っと、おっしゃってますけれど?」
「違う! 俺じゃなくて、その女が俺の愛人になりたいと声を掛けて来たんだ! とんだ毒婦だなっ! 恥を知れ、バカ女!!」
意味が分からない……。
怖くて呼吸が浅くなり、胸を押さえていると聞き馴染みのある声に名前を呼ばれて振り返る。
「……ラウラ」
「……リュオ、さま……?」
そこには、婚約者のリュオ様がいらっしゃった。なぜ、ここに彼が? 今日はご欠席だと聞いていたのに……。
「――全て聞いたよ、君が何をしていたのか。……君のことを信じていたのに、残念だ……」
「ち、違っ……」
「君のような、ふしだらな女性とはやって行けそうにない。婚約を解消させてもらう」
視界がぐらりと揺れる。
婚約破棄? なぜ? どうして、こんなことになっているの? 倒れそうになるのを何とか堪える。
「……そ、んな……」
「ふふっ、ざまぁないわねぇ。人の旦那に手を出そうとするから、こんな目に遭うのよ」
「リュオ様と婚約破棄だなんて……くすくす」
「彼の家の後ろ盾がなくなったら、マイヤール子爵家はどうなるのかしらね」
「お可哀想ぉ」
「あら、自業自得ですわよ」
「「くすくす……くすくす……くすくす……」」
なぜ、こんなことになったの? 私が何をしたというの?
訳がわからないまま、私はその場で項垂れた。
◇
――後日、父が新しい縁談を持ち掛けてきた。
「お前の新しい嫁ぎ先が決まったぞ!」
「……え?」
あんなことがあった私に、新しい縁談?
「相手は獣人だが侯爵家だ。お前には勿体なさすぎる縁談だぞ! すぐにでも嫁入りして欲しいそうだ! ははは、これで家も安泰だ! また、いくらでも酒が飲めるぞ! おい。何をぐずぐずしている、早く支度をしろ! お前は、本当に鈍臭いな!」
……獣人……その言葉に助けてくれた、あの方を思い出す。
いえ。仮にあの方だったとしても、私の社交界での醜態はご存知のはず。
どういう意図があって、私なんかを結婚相手に選んだのだろうか……。
不安を抱えながら、私はお相手の――ヴェルチェ家へと向かうのだった。
◇
嫁ぎ先は、それはそれは立派なお屋敷で、たくさんの使用人たちがいた。
――そして……。
あのとき、私を助けてくれた獣人の方がそこには居た。
この方が、クロード・ヴェルチェ様……。
「……あなた様は……」
「急がせてすまなかった。来てくれて感謝する」
「い、いえ。……あの時は、ありがとうございました!」
「……あの時……ああ、夜会の。私は何もしていない」
「そんなことありません。お陰で助かりまし……あら?」
クロード様の後ろから、小さな双子の女の子が顔を出す。
柔らかそうなチョコレート色の髪と、同じ色のお耳がピクピクと動いている。彼女たちも狼獣人なのだろうか?
「あの、この可愛らしいお嬢さん方は……?」
大きなぬいぐるみを抱えて、私をじっと見つめる同じ顔をした女の子たち。
「私の子だ。正確には、亡くなった姉夫婦の子だな。二人は私が引き取った」
「お姉さまの……」
私は二人の前で、しゃがむと目線を合わせる。
「初めまして。私はラウラと申します」
私の言葉に二人は何度も瞬きを繰り返すと、ぽつりと小さな声で呟く。
「……きれいな声……おかあさまのお声みたい」
「お母様……?」
「君の声は姉のものに良く似ているんだ。よければ、読み聞かせをしてやってくれないか?」
「は、はい。喜んで!」
勢いよく答えると、荷物の中に詰めてあった幼い頃からのお気に入りの児童書を手に取り、近くのソファーへと二人を招いて座る。
「……ん、こほん。――その小さな妖精は、湖の女神に一輪の花をプレゼントするために……」
「ニコ、このご本だいすき!」
「しっ!」
二人のやり取りに、ふふっと笑みを零すと読み聞かせを再開する。
「女神は美しい花を見て、枯らすのは勿体ないと……」
しばらく読み進めていると、小さな寝息が聞こえて来る。
「……ふふ、愛らしい寝顔」
私は可愛らしい二人のこめかみに、ちゅっとキスをすると、すぐにぱっと距離を取った。
「す、すみません! 私のような人間が大切なお姉さまの子たちにキスをするなど……」
「……なぜ謝るんだ?」
「わ、私のような、嫌われ者が触れるのはお嫌かと……」
ぴくりと、クロード様の柔らかそうな耳が反応する。
「いや。そんなことはないが……君はなぜ自分のことを、そんなふうに卑下するんだ?」
透き通った空のような目が、私を射抜く。
「……その、私は……昔から、人に嫌われやすくて。誰かと仲良くなれたかと思っても、その方の想い人や恋人や婚約者の人たちに頻繁に声を掛けてられて……」
ここで一呼吸置いてから、再び口を開く。
「もちろん、ちゃんとお断りしています。迷惑とも伝えています。……でも、そうすると次はその方たちが私の悪口を言い始めて……気付けば皆さんに嫌われているんです……」
――私の母は美しい人だった。たくさんの方に見初められて言い寄られて大変だったと……。
そんな母を父が射止めたものの、私が幼い頃に事故で亡くなってしまった。
それ以来、父は人が変わったように酒に溺れて、ろくに仕事もしなくなってしまって……。
私に持ち掛けられる縁談も、家柄は勿論のこと、どれだけ持参金と援助をしていただけるかで決めていて……。
母譲りの美貌を持っている私なら、幾らでも釣り上げられる。それしか取り柄がないのだから、役に立てと言い続けられて来たのだった。
視線を落としていると、クロード様のため息が落ちる。……呆れられてしまったでしょうか……。
「……君も、ずいぶんと苦労したのだな」
思いがけない言葉に顔を上げると、何処か寂しそうな彼の顔が見えた。
「見た目など、生まれ持ったもので外野に騒がれ振り回されて。……こんなのは気休めでしかないが、少なくともこの屋敷では、そういったこととは無関係で過ごせるはずだ。気を張らずに過ごしてほしい」
「あ、ありがとうございます……」
優しい言葉に、胸がきゅっとなる。
この方も獣人ゆえに様々な苦労があったのだろう……。今でも獣人というだけで、忌み嫌い恐れる人達がたくさんいる。
「では私は仕事に戻るが、少しの間その子たちを任せてもいいだろうか?」
「もちろんです!」
勢いよく答えると、整いすぎてて冷たく見える表情が和らぐ。
「よろしく頼む」
そう言って去って行かれた。私は双子の頭を柔く撫でると、小さく息を吐く。
「……上手くやって行けるといいな……」
◇
――数週間後。
「おねぇちゃん。今日はこのご本を読んで!」
「ニアずるい〜! 今日はわたしの番!」
「ふふっ。じゃあ、今日は両方読んじゃいましょうか!」
「「わーい! やったー!」」
◇
「奥さま、何をなさっているんです?」
「今日は、皆様にお茶をご馳走しようと思いまして」
「そ、そんな、奥さま手ずから……」
「私、こんなに親切にいていただいたの初めてなんです。だから、お礼をさせてください。こう見えても、お茶を淹れるのは得意なんです!」
「で、ですが……」
「せっかく奥さまが淹れてくれたんだし、皆でいただこうじゃないか」
「ええ。ぜひ召し上がってください!」
◇
「素敵なお花! 私も育てても良いかしら?」
「奥さまがですか!?」
「はい、一度育ててみたかったんです! 実家だと父が無駄なことはするなと、させてくれなかったので……」
「そうなんですね……。でしたら、育てやすいものを……」
「綺麗に咲いたら、クロード様にプレゼントしたいです!」
◇
扉をノックすると、どうぞと返事があり室内へと入る。
「クロード様、お茶を淹れてまいりました。少し休憩にいたしませんか?」
「……君が淹れたのか?」
「はい!」
「……そうか。ならば、いただこう」
クロード様は書類から目を離すと、親指と人差し指で眉間を揉む。
「お疲れのようですね」
「ああ……まあ、そうだな」
「そんなクロード様には、こちらを――」
私はクロード様の輝く銀色の髪に、花冠を乗せる。
「ニアちゃん、ニコちゃんと一緒に作ったんです」
花冠に手を触れ、小さく笑みを零すクロード様。
「君たちは、本当に仲が良いな」
「はい! 二人とも凄く懐いてくれてて。今朝も読み聞かせをしたあと、三人で花壇のお手入れをしていたんです」
「そうか」
「はい! 明日は三人でクッキーを作る予定ですので、焼き上がったらお持ちしますね」
「ああ。楽しみにしている」
◇
最初の頃は上手くやって行けるか不安でいっぱいだったけれど、ニアちゃんとニコちゃんはとても可愛らしく、使用人の皆さんも優しく穏やかな方ばかりで。
ときどき訪れる獣人の方も、皆さん気さくで親しみやすく、本当に楽しい毎日を送らせていただいています。
ただ、旦那さま……クロード様とは、夫婦らしいことは何一つしていないかもしれません。
もともと私の声が、お姉さまと良く似ているからという理由で迎えてくださったので、仕方がないのかもしれませんが……。
「おねぇちゃん、今日はなにするの〜?」
「今日は、一緒に近く森へお散歩に行きませんか?」
「いくー!」
「わぁい! たのしみ!」
二人の反応に小さく笑うと、たくさんの食べ物と飲み物を入れたバスケットを持って森へと向かう。
「わぁ! うざぎさんだー!」
「ニコ、まってよ〜!!」
「二人とも、あまり遠くに行ってはいけませんよ〜!」
「「はーい!」」
そのとき、ふと奥の方で何か音がする。警戒した護衛の方が、見てきますと言って奥へと行ってしまった。
私は、とりあえず双子のためにお昼の用意をしておこうと敷物を取り出そうとした時――。
「よう、久しぶりだな」
「…………え?」
聞き覚えのある声に顔をあげると、そこにはバルニエ伯爵が居た。
「…………な、ぜ?」
「ラウラ、元気にしてたか?」
「……なん、で……あなたが、ここに……?」
へらへらと笑いながら、バルニエ伯爵が口を開く。
「お前が結婚したってきいてな、調べたんだよ。そしたら獣人が相手でビックリしたよ」
「……何をしに、ここへ?」
「そんなの、お前を迎えに来たに決まってるだろ!」
「……は? 夜会でのことをお忘れですか? よく、私の前に姿を現せましたね」
「……なんだよ、怒ってんのかよ」
バルニエ伯爵は、バツが悪そうに頭を掻きむしる。
「あのときは、悪かったな。お前に声を掛けてたことが妻にバレちゃってさぁ……俺、婿養子だったし……ラウラなら分かってくれるよな? なっ?」
伯爵は止まることなく、喋り続ける。
「でも、もう大丈夫だ。俺、離縁してきたんだよ! これで心置きなく、お前だけを愛することができる。さぁおいで、ラウラ!」
何を身勝手なことを……。
「行くわけがないでしょう? ……どうぞ、お帰りください」
私は、彼を相手にすることなく踵を返す。
「な、何でだよ! もう俺たちを阻む物は何もなくなったんだ! なぁラウラ、俺と結婚してくれよ! 俺のものになってくれよ! なぁ!!」
「あなただけは、何があろうと絶対に嫌です! そもそも、今の私には大切な旦那さまと子供たちがいます。あなたの出る幕などありません!」
「……は? 子供? お前、まさか妊娠してるのか……?」
「……そ、そういうわけでは……」
「おねーちゃーん?」
「その人、だぁれ?」
そのとき、帰って来た双子に声を掛けられる。
「二人とも、来てはいけません!!」
「……なんだ、その子供? もしかして、それがお前の言ってた子供か?」
バルニエ伯爵が、顔を歪めて双子を見つめる。
「獣人の子供じゃないか……なあ……そいつらのせいで、お前が俺のものにならないんだよな?」
「……なにを……」
「じゃあ、殺しちまえばいいんだ! 獣人とはいえ、あんなガキなら俺でも殺れる!!」
「ふざけないで!! ダニエル、何処に居ますか!? ダニエル!!」
先ほどの護衛を大声で呼ぶ。
「さっきの護衛なら来ないぞ。今ごろ俺が用意したゴロツキの相手をしているだろうからな」
「なっ……!?」
双子の方へと、行こうとするバルニエ伯爵。
私は咄嗟に、手に持っていたバスケットで彼をぶん殴る。
「いっでええええ!!」
「この子たちには、絶対に手を出させません!!」
私は力任せに殴って殴って殴りまくる。
「帰ってください! 帰って!!」
「――このっ!!」
逆上したバルニエ伯爵が私を取り押さえて、その場に押し倒す。
「お、おねえちゃん!!」
「うわあぁぁん!!」
「逃げなさい、お二人とも! 逃げてっ!!」
叫ぶと二人は、泣きながら森を出て行く。
――良かった。
ほっと息を吐くと、バルニエ伯爵が私の上でニタニタといやらしい笑みを浮かべていた。
「なに安心してんだよ。お前、これから俺に何されるか分かってんのか?」
「――あの子たちが無事なら、それだけで十分です。けれど、私もあなたの好き勝手にされるつもりはありません!」
「言ってろよ!」
息の荒いバルニエ伯爵。その気持ち悪さに眉を顰めると、彼の顔が近づいて来る。
私はそれを避けると、伯爵の耳に思い切り噛み付いた。
「ぎゃああああああっ!!」
上体を反らし耳を押さえるバルニエ伯爵。私は口の中に残る血をペッと吐き出す。
「クソクソクソクソクソ!!!! クソが!! なにするんだ、このバカ女がよ!!」
バルニエ伯爵に頬を殴られ、ワンピースに手をかけられた次の瞬間――。
――ゴッ!!
凄まじい音と共に、私の上に乗っていたバルニエ伯爵が吹き飛ばされる。
「…………え?」
唖然としながら視線を上げると、クロード様が怒りに満ちた表情で、吹き飛んだバルニエ伯爵を見ていた。
「……クロード、さま?」
「ラウラ、大丈夫か!?」
「……は、はい!」
「…………」
クロード様は私の顔を見て表情を強張らせると、着ていたジャケットを脱いで私の肩に掛けてくれる。
「少し待っていてくれ」
バルニエ伯爵の方へと向かうクロード様。倒れていた伯爵が起き上がろうとするが、クロード様に気付いて尻餅を付く。
「……ひ、ひぃぃ、来るなっ!!」
「貴様、私の妻に何をしてくれた?」
「な、何もしていないっ! 誤解だ! ……そ、そうだ、俺はそいつに誘われただけだ! 俺は騙されただけなんだ! その毒婦が俺を……がっ……!」
クロード様がバルニエ伯爵の顎を掴み、持ち上げる。
「言いたいことは、それだけか?」
「……あっ……ぐっ……ぁ……やぇ……っ」
「夜会の時も、そうやって嘘を付いてラウラを貶め全ての責任を彼女に押し付けたのだろう? 最低だな、反吐が出る。……いっそ喋れぬように全ての歯を折ってしまおうか?」
掴んでいる手に、力を込めるクロード様。伯爵の顔からゴリュッという音が聞こえる。
「……ごっ、……ごふぇ……な、さ……」
「……それとも、二度とラウラの姿を映せぬように目を潰してやろうか?」
今度は伯爵の目頭に親指を差し込む様子が見えた。
「ひっ……ひぐぅぅぅ……」
持ち上げられているせいで、少し浮かんでいるバルニエ伯爵の下に大きな水溜りが出来る。
クロード様が、その上に伯爵を落とすと顔面に思いきり蹴りを入れた。
「……ごっ……ぉ……っ……!」
気を失い倒れるバルニエ伯爵。
「じきに騎士団も来るだろう。……ラウラ」
「は、はい!」
クロード様が私の方へと戻って来ると、抱きしめられる。
「無事で良かった」
「……クロード様」
私は震える手で、クロード様を抱きしめ返す。
「……手が震えているな。怖かっただろう……」
その言葉に、ぱっと離れるとクロード様の目を真っ直ぐに見つめながら口を開く。
「わ、私、生まれて初めて人をバスケット殴りました! 耳にも噛みつきました! 私、頑張れましたか!? 役に立てましたか!?」
「……君は……」
目を丸くするクロード様。その時、騎士団の人たちやって来る。
「……はっ……く、クロード様、早すぎます……」
「いの一番に走り出すんだもんな………」
「ぜぇ……ぜぇ……や、やっと、追いついた……」
「お前たちが遅すぎるんだ。……今度、強化訓練を行わせよう」
「「えええ……」」
騎士団の人達の後に続いて、双子が走って来た。
「うわぁぁぁぁん! おねぇちゃあああん!!」
「おかお、ちがでてるよぉぉぉ!!」
「ひどいっ! ひどいよぉぉぉ!!」
私の胸に二人が飛び込んできて、泣きじゃくる。
「大丈夫です。悪い人は、クロード様がやっつけてくれましたから! ……二人が無事で良かった」
双子の、ふわふわの柔らかい髪を撫でる。
「いや。ラウラが頑張ってくれたから、この子たはちは助かったんだ。君のお陰だ……ありがとう」
「……クロード様」
「だが、頼むから無茶はするな。――あとのことは頼む」
クロード様は双子ごと私を抱えると、後のことは騎士団の人たちに任せて屋敷へと戻って行った。
◇
泣きつかれた双子を休ませると、私は寝室で手当てを受ける。
「……っ……」
「すまない、沁みただろうか?」
「だ、大丈夫です! あの……クロード様が来てくれて、助かりました。ありがとうございます」
私は深々と頭を下げると、顔を上げて微笑む。
「それと、私のことを信じてくれて嬉しかったです……皆さんには、私が伯爵のことを誑かしたと責められてしまったので……」
「当たり前だ。あの夜会の時も、君は拒んで逃げようとしていたではないか」
……ああ、この方は私のことを最初から疑ってなどいなかったんだ。嬉しくて思わず泣きそうになる。
「私……クロード様と、結婚できて幸せです」
クロード様が私の両手を柔く握って、穏やかな笑みを浮かべる。
「――私もだ。最初は、あの子たちのために君を迎え入れたのだが、気付けば楽しそうな君をいつも目で追っていた」
私を真っ直ぐに見つめながら、伝えてくださるクロード様。
「……あの子たちを引き取った際に、私は独り身でいることを決めた。――だが夜会で出会った君が婚約を解消したと聞いて、ラウラの声があの子たちの安らぎになるのではと思い、迎えたんだ。
今では、あの子たちよりも私の方が君との時間に穏やかな喜びと幸福を貰っている。――私も君と結婚できて幸せだよ。ありがとう、ラウラ」
嬉しくて、嬉しくて……いよいよ本気で泣いてしまいそうだ。
「……それと」
「はい?」
こほん……と咳払いするクロード様の白皙が赤く染まっていた。
「そろそろ、君に触れてもいいだろうか?」
思いがけない言葉に私の頬も赤くなる。
「……は、はい! もちろんです! で、ですが、その、お手柔らかにお願いします……」
ふっと柔らかく笑うクロード様。
「善処しよう」
顔にさらりと落ちてくる銀色の美しい髪の毛に少し擽ったさを感じながら、私は静かに目を閉じた。
◇
その後――バルニエ元伯爵は留置場に入れられ、私が伯爵を誑かしたというのがデマだったということが広まり、今度は私を糾弾した伯爵夫人たちが後ろ指をさされているのだとか。
そのこともありバルニエ伯爵夫人からは謝罪のお手紙をいただきましたが、返信はしておりません。
それと、元婚約者でもあるリュオ様からも謝罪のお手紙をいただきました。
あの日、彼を呼び出したのはやはりバルニエ伯爵夫人だったらしく、長々と言い訳が書かれてありました。もう一度やり直したいとも書かれていましたが、手紙を破り捨てたあと丁重にお断りしました。
――私はというと。
無事に旦那さまと結婚式を挙げ、今も四人で仲良く賑やかな毎日を過ごしております。
「ママ! こっちのお花きれいに咲いたよ!」
「こっちのは、ニコがそだてたやつだよ!」
「まあ。……きれいに咲きましたね。お父様に持って行って差し上げましょう」
「「うん!」」
執務室をノックすると、返事があったので扉を開けて中に入る。
「どうした、皆して」
私たちを見て、旦那さまの表情が優しくなる。
「ニアたちのそたでたお花がきれいに咲いたの!」
「パパにもおすそ分け!」
二人は、それぞれ手に持っていた花を書類のたくさん積まれた机の上に置く。
「ああ、愛らしいな。ありがとう」
「「うん!」」
「旦那さま、そろそろ休憩にしませんか? 皆でお茶にしましょう」
「ニコお外でお茶したい!」
「ニアも!」
「ふふっ。では、先に行って準備をしてもらえますか?」
「「はーい!」」
双子が部屋を出て行くのを見送ると、席を立った旦那さまに後ろから抱きしめられる。
「あら。どうなさったのですか? 甘えてこられるなんて珍しい」
ふふっ、と笑うと旦那さまが小さなため息を落とす。
「少し仕事が立て込んでいてな……君に甘えたくなった」
「あら、可愛らしい」
私は、抱きしめてくれる彼に身体を預けて微笑む。
「今日のおやつは、今朝三人で作ったチェリーパイですよ」
「楽しみだ」
ちゅっと、こめかみに口付けを落とされる。その口付けが、うなじや肩口にも落とされて制止する。
「これ以上はダメですよ」
「ダメか?」
後ろに居て見えないけれど、愛らしいお耳と尻尾が下がっていることが手に取るように分かる。
「二人が待っていますからね」
私は旦那さまの腕の中から抜けると、かかとを上げて端正な頬に口付けを落とす。
「夜になったら、いっぱい甘やかしてさしあげます。だから今は、お茶会へ急ぎましょう?」
旦那さまの手を取り促すと、彼が穏やかに微笑む。
「ならば私も、今夜は君を徹底的に甘やかそう」
その言葉に、頬が熱くなる。
「お、お手柔らかにお願いします……」
私の言葉に旦那が大きく笑うと、二人で手を繋いで外へと向かう。
使用人たちと一緒に準備を終えて、待っていてくれた双子に大きく手を振ると、花々の咲き誇る美しい中庭で楽しいティータイムが始まるのだった。
◇おわり◇