8話:スタン・カブレイ
仮にビスコが政府軍による抹殺の手を逃れていたとしても、その後どうしていたのか。
病院内に居たゾンビたちを生み出したのが彼だとして、なぜ今なのか。
「今はまだ、証拠が少なくて憶測の域を出ないが……全員、今夜はもう休め」
隊長の声に、隊員全員が溜め息をついて立ち上がった。
俺は身体の調子を取り戻すのが先決だということで、見張りの任務は免除された。
他の仲間たちが見張りのローテーションを話し合っている間に無線車から出ようとした俺は、鼻先に銃口を突きつけられて後ろに飛びのいた。
すぐ後に続いていたマリアさんにぶつかりバランスを崩し、更に椅子に引っ掛けて無様に倒れこむ。
車内に響き渡った轟音に、全員がこちらを振り返った。
「お初にお目にかかる……かな。Sの諸君」
開け放たれたドアの向こうには、銃を構えた軍服の男たちが車を取り囲むように立っていた。
テントの中に居たはずの他の隊員たちが、銃を突きつけられ両腕を上げて雨の中に立っていた。
黒い軍服を纏った屈強な兵士たちを従えて、くすんだ赤い軍服を身に着けた老齢の男。
短く刈り込んだ白髪の下から、鷹のように鋭い眼光を放つ目。
軍服につけられた幾多の勲章を見るまでも無く、その場の全てを圧倒する威圧感が「この場のリーダーは彼だ」と物語っていた。
「これはこれは。将軍閣下のお出ましとは恐れ入ったねぇ」
相変わらずの憎まれ口を叩いたスタンの声に、俺は自分が床に転がったまま目の前の男を見上げていたことに気がついた。うろたえながら立ち上がり、脇にどく。
「私の顔を知っているということは……本日、我が軍のコンピュータに不正アクセスしたネズミは君のようだね?」
目を細めて顎を上げた将軍の前で、みるみるスタンの顔が歪んでいく。
「くそっ。見つかっていたか……」
「我が軍の技術者たちを甘く見ない方が良い。君が侵入した当初からこちらは君の動きに目を光らせていたよ」
悔しそうに歯をむき出して唸るスタンの傍らで、隊長が無表情で口を開いた。
「それで? 俺たちに銃を突きつけている理由は何だ?」
「それで、だと?」
将軍は不愉快そうに口を曲げると、尊大な態度で告げる。
「国家の機密情報に不正アクセスし情報を入手した。……それだけで立派に処刑の言い訳は立つと思うがね」
「I国は依頼主だ。俺たちは依頼主の要望通り、ゾンビを駆逐する。だが依頼主が誤った情報を俺たちに与えた場合、依頼主に忠実である必要は無い、というのが俺の持論でな」
両手の指で三角形を作った隊長が、その上に顎を乗せ静かに告げた。
隊長と将軍。睨みあう二人の間で静かな炎が燃え上がる。
車内の隊員は皆、緊張で身体をこわばらせていた。
やがて重々しく口を開いたのは、将軍の方だった。
「……君たちの任務は終了した。つい先ほど国政会議で、この病院を建物ごと焼き払うという合意が得られたのだ。後の始末は我々に任せて帰りたまえ。報酬は契約通りに払おう」
聞きながら俺は眉を潜めていた。
なぜ突然? 焼き払うのであれば、元々外部組織である俺たちになんか依頼せず、さっさとそうすれば良かったではないか。機密情報まで見られるような事態にはならなかったはずだ。
それとも……今まで、焼き払うことが出来ない理由があった?
「断る、と言ったら?」
片眉を上げた隊長が尋ねる。
将軍が無言で片手を上げると、後ろに控えた兵士たちの銃口が一斉にこちらを向いた。
隊員たちが己の銃にサッと手を伸ばし、そのまま双方の睨み合いが続く。
俺はとっさにマリアさんを背中に庇いつつ、腰の銃にそろそろと指を伸ばした。
チラリと背後に視線をやると、彼女の顔は青ざめていた。だが俺は、その白くて華奢な手が銃を握り締めているのを見て目を丸くした。
FNファイブセブンとか言っただろうか。訓練の時に見せられた銃に良く似ているそれは、スライドとグリップ部分に繊細な装飾が施されていた。
花と蔦と……イニシャル? 明らかに特注品だ。
戦闘とは無縁の世界に見える彼女の容姿とは不釣合いな、鈍い色の鉛の塊。
一体この白衣のどこに隠し持っていたのだろう。
自分の危機的状況も忘れてそれを見つめていた俺は、再びスタンの声で現実に呼び戻された。
「ちょーい待ち。アンタら、俺のハッキングに気づいたんだよなぁ? じゃあ置き土産の方は見つけたかい?」
スタンが声を上げると、将軍は戸惑った顔で「置き土産……?」と呟いた。
ニヤリと笑ったスタンは心底嬉しそうで、まるで歌うように言った。
「俺様のコンピューター・ウイルス。じ・げ・ん・ば・く・だ・ん」
「なっ……」
細く口笛を吹くライノ。将軍は目に見えて狼狽していた。
***
「あと百時間でウイルスが活性化するようになってるんだよねぇ。そうしたらアンタらの機密情報、全世界に流れちゃうぜ」
ニヤニヤ笑いながら言うスタン。
だが、さすが年の功と言うべきか。将軍はすぐさま冷静さを取り戻し、落ち着き払って口を開いた。
「……仮にそれが本当だとしても、我々が君にウイルスを取り除かせればいいことだろう。仲間の命がかかっている状況で、それを拒否するかね?」
その言葉に、兵士たちの銃がそれぞれ近くの隊員たちに狙いをつける。
ああ。しかし。俺には分かっていた。そんな脅しが何の意味も持たないことを。
「俺にゃ関係ないね」
……ほらな。
あっさりと言い切ったスタンの言葉に、将軍が怯んだ。
「なに?」
「俺にとっちゃ自分の命の方が他人の命より大事なわけ。仲間を殺すってんならどうぞ」
驚く将軍とは対照的に、隊員たちは顔色一つ変わらない。
皆、スタンのこういう性格を熟知しているから、彼の言葉を平然と聞き流していた。
「し、しかし、自分の命も狙われていることを忘れているのではないか?」
「俺を殺したら、正に自殺行為だね。他にウイルスを取り除ける奴は居ないんだから」
将軍はそこで口を閉ざすと、フッと口元に笑みを浮かべた。
「見くびるな。我が軍にはいくらでも優秀なプログラマーが居る。貴様を殺したとて、ウイルスの除去など自力でやってみせるわ」
「俺の仕掛けたウイルスに気づけなかったような奴等に?」
馬鹿にしたようにスタンが言うと、将軍はキッと口を引き結んだ。
しかし彼は、あくまで自軍のプログラマーの方がスタンより上だと信じているようだ。
その頑固な様子にスタンはやれやれと首を振った。
「あ、そー。そう思うなら殺ってみれば? で、必死になってウイルス探し出して除去するんだね。このスタン・カブレイ様が作り出した『ルーシー』を」
指を突きつけて挑発するように言われ、怪訝な表情を浮かべる将軍。
しかし背後の兵士たちから悲鳴じみた声が上がり、ギョッとして振り返った。
「スタン・カブレイ?!」
「あのウイルス・メーカーか!」
「馬鹿な! 奴は一匹狼だ。組織に所属するはずがない」
「まさか……死んだと言われていたのに」
「それに『ルーシー』だと?!」
「十五年前に生み出されて以来、未だにワクチンの作られていない、アレか!」
ざわざわと騒ぎ出す兵士たちを、驚愕の瞳で見回す将軍。
その後ろでスタンが「死んでねーよ」と憮然として口を尖らせている。
将軍はこちらに背を向けたまましばらく無言で立ちすくんでいたが、ようやく振り返ったときにはその表情が今までとは違っていた。
警戒するような用心深い表情になり、畏怖と疑いのこもった瞳でスタンを睨みつけながらゆっくりと口を開く。
「……貴殿なら、そのウイルスを解除できると?」
下手にスタンを刺激しないよう、慎重に言葉を選んでいるのが伺える。
「というより俺じゃないと無理だ」
キッパリと言い切ったスタンの顔は、自信と嫌味に満ちていた。
「諦めた方が良いだろう」
沈黙した将軍に対して、静かに声をかけたのは隊長だった。
「この男はうちの組織で随一のコンピュータ・スペシャリストだ。その情報処理能力、ハッキングともにずば抜けているが、中でも特に長けているのがウイルスに関すること……『他人に迷惑をかける』ことに関しては、本人の趣味もあるんだろうが……世界中の誰も適わない」
若干、呆れたような疲れたような声で苦々しく言った隊長の言葉に、その場に居合わせた科学班の隊員たちが揃って頷いた。
皆の顔に諦めの表情が浮かんでいるのを見て、俺は何だか可哀想に思った。
将軍も、どう反応して良いのか分からないような困惑した顔で一同を見回している。
言われたスタンの方は、相変わらず不遜な笑みを浮かべたまま立っていたのが印象的だった。