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6話:マリアさんの告白

「……ロザリア・ロンバルド……」

「あぁ?」

 俺の呟きに、隊長が声を上げる。

 ロザリア・ロンバルド。

 それは、イタリアにある、世界一美しいミイラの名前。

 彼女の肉体は朽ちることなく生前の姿を保っており、まるで眠っているだけのように見える。

 科学的には「死蝋しろう」と呼ばれる現象で、様々な要因が重なって出来た偶然の産物なのだが。

 死蝋化した遺体を「神に選ばれた聖人」としてまつりたてる輩も少なくない。

 半ば無意識に隊長に対して説明しながらも、俺は目の前の光景から目を離すことが出来なかった。

「じゃあイタリアにあるはずの死体がここにあるってことか?」

「いや……これはロザリア・ロンバルドじゃない。ただ、死蝋化した遺体であることは間違いないと……思う」

 そう。目の前の少女はロザリアではない。では一体これは誰なのか。

 黒い棺桶の中に横たわる、無垢な少女。

 だがその純粋さとは裏腹に、少女を祀る祭壇も周囲の空気も、禍々しいことこの上ない。

 俺は気分の悪くなってきた胸を押さえて、その場にうずくまった。

「おい、どうした……おい!」

 隊長の声が遠くに聞こえる。

 身体から冷たい汗が噴き出し、堪えるように目を閉じた瞬間、俺の意識は遠のいていった。


***


 ひんやりとした手が額に乗せられ、俺は再び目を覚ました。

「気がついた?」

「マリアさん……」

 俺を覗き込んでいた美しい顔が、慈愛に満ちた顔でニッコリと頷いた。

「貴方が自覚している以上に疲れてたのよ。身体は正直ね」

 起き上がった俺は、首を振って頭をはっきりさせようとした。

 白衣を着たマリアさんの、スマートな後姿を見つめる。白衣の裾から覗く美脚がまぶしい。

「あの、隊長は……」

「貴方を担いでここまで来た後、医療班と科学班をつれて例の実験室に行ったわ。私も行こうとしたら、ダメだって言われちゃった」

 肩をすくめて笑うマリアさんの顔は、どこか苛立っているようにも見えた。

 俺のことは放置していくつもりだったのか?

 物言いたげな俺の視線に気づいたのか、マリアさんが慌てて弁解する。

「ち、違うのよ。貴方は私がついていなくても大丈夫……じゃなくて、休息をとれば大丈夫だって分かってたから……テントの中で温かくして寝ていれば回復するし……えーと、つまり……」

 言えば言うだけドツボにはまると気づいたのだろうか。

 最後の方はもごもごと意味不明な言葉を呟いて口ごもったマリアさんは、真っ赤になって俯いた。

 意外と可愛いな、この人。

「マリアさん、何で隊長と別れたんですか?」

「えっ……」

 俺の質問に、完全に不意をつかれたマリアさんが顔を上げた。

 戸惑ったように視線を彷徨わせ、陰のある表情で俯く。

 俺も自分自身に驚いていた。なぜ急にこんなことを聞こうと思ったのだろう。俺に何の関係がある?

 他人のプライバシーに踏み込むなんて、いつもの俺からは考えられないことだったし、やってはいけないことだと普段から思っていたことなのに。

 返事がなくても当然だ。怒られても仕方が無い、と覚悟を決めていた俺は、マリアさんが返事をした時には心底意外に思った。

「……あの人、子供を欲しがらなかったの」

 小さくて弱々しい声。力なく微笑んでいたものの、その声には苦悩が込められていた。

 俺は何と言って良いか分からなくて、ただ「そうでしたか」と答えただけだった。

 だが、彼女の次の言葉には息を呑んだ。

「そもそも私と結婚したくなかったの、あの人」

「……」

「私から懇願して結婚してもらったのよ」

「……なぜ」

 マリアさんほどの美人であれば、引く手あまただったろうに。なぜ懇願してまで、結婚したがらない男と一緒になろうと思ったのか。こう言っては何だが、あの隊長はそこまでの魅力がある男とも思えない。

「理屈じゃないのよ。どうしようもなく惹かれてしまって……一緒になりたいと、思わずには居られなくなってしまったの」

 それはおおよそ、冷静で理性的なマリアさんらしからぬ台詞だった。

 恋、いや愛ゆえなのだろうか。

 俺には、今までの人生で、恥も外聞もないほど……理性的な考えを打ち消してしまうほどに、感情を高ぶらせたことが無い。

 経験もないのに簡単に相槌を打つことも許されないような気がして、黙ってマリアさんの話を聞いていた。

「私、知っていたのよ。あの人が私と結婚したがらない理由も、子供を欲しくない理由も。こんな仕事をしていると、いつ死んでもおかしくないでしょう? ……残された妻や子供に、夫と父親を亡くす悲しみを味あわせたくない。彼はそう考えているの」

 本当は優しい人なの、と微笑むマリアさんを見ながら俺は隊長を思い出していた。

 口が悪くて、ぶっきらぼうで、胡散臭いオヤジ。とても厳しくて、でも部下全員に対して正面から向き合ってぶつかるからこそ、厳しいんだということを俺は知っている。

 短い間、隊長と過ごしただけの俺でも知っているんだから、マリアさんがそれを知らないはずがない。

「そこまで知っていてどうして……」

 離婚なんか、と続けようとした俺の台詞は、再びマリアさんが口にした言葉に遮られた。

「理屈じゃないの」

 頭では分かっている。隊長の気持ちも、想いも。だけど自分の感情を納得させることは出来なかった。子供が欲しいという気持ちを抱えながら、その気持ちをどうにか抑えようと毎日を葛藤して過ごすことに耐えられなかった。

 俺はマリアさんの寂しい笑顔を見ながら、彼女の心を読み取っていた。


***


 テントの入り口に足音が聞こえ、俺とマリアさんは振り返った。

 幕を上げて上半身を覗かせたのは、ナターシャだった。

「良かった。目が覚めていたのね。……これから無線車の中で緊急会議なの。マリアにも来て欲しいんだけど」

 マリアさんが頷く。だが、俺はナターシャの顔を見て眉を潜めた。

 いつもの元気で明るい彼女らしくない。何か心に引っ掛かっていることでもあるのか、そわそわと落ち着きが無いし、顔色も悪い。

 血の気の無い顔は、赤毛のせいか紙のように白く見えた。

「ナターシャ。大丈夫なのか?」

 思わず疑問を口にした俺に一瞬ビクッとした彼女だったが、とってつけたような笑顔を浮かべると、わざとふざけた口調で言い返した。

「病人に心配されるほど落ちぶれちゃいないわよ。それよりスタンにからかわれるから、覚悟しなさい。倒れたことはもう、部隊中に知れ渡ってるんだからねっ」

 そう言うと彼女は出て行った。

 だが俺にはどう見てもカラ元気にしか見えなかった。

 俺はベッドから降りると、ブーツに足を突っ込んで紐をきつく締めなおした。


***


 マリアさんと一緒に無線車へ行くと、すでに主だった仲間たちが集合していた。

 その中心で、隊長が腕組みをして椅子に座っている。

「……来たか。座れ」

 俺たちは入り口に近いところに腰かけた。

 無線車の中に入るのは初めてだ。かなり広い車の内部は、様々な機器が所狭しと置かれていて、その隙間に隊員たちが窮屈そうな様子で収まっていた。

「ではこれより、あの実験室で俺たちが見つけたものについて情報交換をしたいと思う」

 隊長が重々しく口を開き、俺は慌てて意識を集中させた。

「科学班と医療班に、あそこにあったデータや器具を調べてもらった。そこで俺たちは、ある記録を見つけた。紙ベースのものからコンピュータに入ったものまで、膨大な量だったために持ち出すことはかなわなかったが複製はとった」

 隊長が高性能小型カメラを掲げ、科学班のエリックが数枚のMOを広げて見せる。

「これらの中身を確認し、総合的に判断して、俺たちは一つの結論にたどり着いた。これは……人体実験の記録だ」

 いつの間にか降り出した雨が、無線車の屋根を叩いていた。

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