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5話:病院の地下にあったもの

「う……」

 夢の世界を彷徨っていた俺は、寒さを感じて意識が現実の世界へと呼び戻されるのを感じた。

 目をこするために腕を持ち上げようとして、身体に走った激痛に息が止まる。

 急速に五感が研ぎ澄まされていく。暗くて辺りの様子は全く分からない。胎児のように丸まって横たわる俺の左半身は、固くて冷たい地面に押し付けられ痺れていた。

 つめていた息をゆっくりと吐き出し、今度は慎重に、そろそろと動き出す。

 どうやら打撲だけで出血はしていないようだ。

 まだ少しフラフラする頭を抱えながら、俺は胸ポケットから小型ライトを取り出した。

 細い光で周囲を照らしていると、離れた場所に通信機があったので拾い上げる。だが落下の衝撃で壊れでもしたのか、イヤホンからは何の音も聞こえなかった。

 自分がどのぐらいの時間、失神していたか分からない。おまけに仲間と交信することもできない。

 だが仲間たちは……少なくとも隊長は、俺が穴に落ちるところを見ていたはずだ。

 こんな時は下手に動き回らず、じっとしているに限る。

 俺は痛む身体をなだめつつ体育座りをすると、膝の間に頭を埋めて眠ることにした。


「……待たせたな、ボーズ」

 再び目を覚ました時には、それほど時間が経っていなかったはずだ。

 顔を上げると、シュアファイヤーという強力な懐中電灯を持った隊長がロープ伝いに降りて来るところだった。

 その姿を見たとたん、不覚にも俺の目には涙が浮かんできた。慌てて俯くと指先でこっそりと目尻を拭う。

「怪我はないか?」

 すぐ側に来た隊長を見上げて無言で頷くと、差し出された手にすがって立ち上がった。

「上は……どうなったんですか」

「ほとんどの隊員は病院の外で野営の準備をしている」

 野営。では、外はもう夜になっているということか。

「じゃあ建物内のゾンビは、あらかた片付いたんですね」

 しかし俺の問いかけに、隊長の顔には妙な表情が浮かんだ。

「それが、ちっとばかり妙なことになってな……」

 歯切れの悪い口調とは裏腹に、その顔はどこまでも真剣で、険しい。

 答えを催促して見つめ続ける俺の前で、隊長は上を向いて瞳を閉じた。

「襲ってきたゾンビの中に……ダンクが居たんだ」

「ダッ……!」

 俺は驚愕して目を瞠った。

 ダンク。ダンカン=マクドゥーガル。

 それは当初、この病院に送り込まれた精鋭部隊の仲間。

 四十半ばの彼は故国イギリスに妻子のある身で、「俺にも同じ歳の息子が居るからな」と俺のことを気にかけてくれる存在だった。

 この任務に出かける前に見せてくれた、父親らしい頼りがいのある笑顔が脳裏に浮かぶ。

「なんでダンクが……!」

「分からん。だが、もしこれが人為的なものであるなら……俺はそいつを許さない」

 呟く隊長の目には、部下を殺されゾンビにされたことへの怒りがたぎっていた。

 その厳格なまでの険しさは近寄りがたい冷たさを纏っており、俺は思わず息を飲んだ。

「ところで……ここは何だ?」

 急に隊長が顔を戻し、周囲を見回す。それにつられて隊長の手の中のライトが、穴の中をゆらゆらと映し出した。

 穴の中は左右に続くトンネルになっており、どこからか冷たい空気が流れ込んできていた。

 その幅は大人二人が並んで歩いても余裕があり、どこに続いているか分からないほど長かった。

「……行ってみるか」

 隊長はポツリと呟くと、懐中電灯をベルトに挟みこんだ。

 無線機のマイクを口元に引き寄せ、穴の外に居るであろう仲間の隊員たちに話しかける。

「俺だ。しばらくこの穴の中を探索してみる。一時間経っても戻らなかったら外に戻れ」

 そして油断なく銃を構えると、廊下を歩き出そうとして「ああ、そうだ」と俺を振り返った。

「ほら」

 手渡されたのは、使い慣れた二十二口径の拳銃だった。

 その重みに何となく安心した俺は、数歩先の隊長の後を追いかけた。


***


「行き止りだ」

 廊下の角を曲がると、すぐに行き止まりになっていた。

 しかし壁があったわけじゃない。廊下の先には何も無かったのである。

 そこだけ四角く切り取られたかのように、ぽっかりと穴が空いた向こう側に星空が見えていた。

「うわぁ……」

 穴の縁に立ち、恐る恐る下を見た俺は本気で腰が抜けそうになった。

 深い谷と、谷底を流れる川。下から吹き付ける冷たい風の勢いは、面食らってしまうほど強かった。

 どうやらこの穴は、崖の途中に空いているらしい。

 慌てて後ずさると、平気な顔で谷を覗き込んでいる隊長の背中を見つめた。

「すげぇな、これは……」

 感心したように呟くと、顎を押さえて何やら考え出す隊長。

 だが俺は、ここから立ち去りたくて仕方がなくなっていた。

「隊長、早く行きましょうよ……」

 我ながら情けないほど震える声で懇願する。

 こちらを振り返った隊長は、何だかビックリしたような変なものを見たような表情を浮かべていた。

 だが苦手なもんは仕方ない。何と言われようと仕方ない。

 高所恐怖症の俺が、命綱も無くこんな所に居られるもんか。

「あ、ああ。分かった」

 隊長は頷くと、驚いたような表情のまま穴の側を離れた。

 俺はその目つきが何だか気になったが、とにかくこの場から離れることで頭の中はいっぱいだったので、気にせず隊長の後を追いかけた。


 崖の穴から離れるにつれ、俺の心は段々と落ち着いてきた。

 廊下に響く足音の質が変わったことに気づき視線を落とすと、いつの間にか足元は、土ではなく人工的に整備された床に変わっていた。

「行くぞ。気をつけろ」

 曲がり角まで来た隊長が低い声で警告し、俺は無言で頷く。

 壁に背中をつけ、角の向こう側の気配を探っていた隊長は、意を決すると銃を構えて飛び出した。

 緊張の一瞬。だが、隊長がフーッと息を吐き出して身体の緊張を解いたので、俺も止めていた息を吐き出した。

 人差し指をちょいちょいと動かして俺を呼ぶ隊長に続き、角を曲がると、廊下の少し先に簡素な扉が現れた。

 開け放たれた扉の向こうに、病院内と同じような廊下と壁が続いている。

 俺と隊長は目顔で頷き合うと、扉の内部へと歩を進めた。


 その建物の中は、冷え冷えとした空気が満ちていた。

 白で統一された廊下と壁は、衛生的と言えば聞こえは良いが、病院というよりは何かの実験施設のようだった。

 窓も無く行き詰るような細長い空間が、どこまでも続く。

 十五分ほど歩いた時だっただろうか。ようやく目の前に、これまでとは違う光景が広がった。

 行き止まりの左手側に階段があり、上から微かな明かりが差し込んできている。

 そして俺たちの右側には、ガラス窓のはめられた実験室が現れたのである。

 見たところ室内には誰も居ない。

 隊長に続いてドアをくぐった俺は、呆然とその場に立ち止まった。

 俺に専門的な知識があるわけではないが、所狭しと並べられた実験器具が、比較的新しいものだということは分かる。

 部屋の奥に目をやるとドアのついた壁があり、その向こうに手術室や滅菌室があるのも見えた。

 だが俺の足を止めたのは、この室内に充満する濃厚な……血の臭い。

 あらゆるところに残っている「誰かが居た」痕跡。

 間違いない。この部屋はつい最近に使われている。

 俺を残して部屋の中を探っていた隊長が戻ってきた。

「科学的な証拠や、医療的な証拠は応援を呼ぶしかないな。だが、あの手術室に染み付いた血の臭いは……尋常じゃない」

 そこで口を閉ざした隊長が、じっと俺を見つめる。

「床の片隅に地下への入り口があった。……行くか?」

 俺の顔は青ざめたままだったが、隊長の瞳を見つめるとしっかりと頷いた。


 蓋も何も無い、地下への入り口。

 実験室の床下には牢獄が広がっていた。

 どうやら今は誰も収容されていないらしい。だが試しに動かしてみると、鉄の扉はスムーズに動く。

 今も現役で使われていることは疑いようが無かった。

 息を殺し、無言で歩く俺と隊長はやがて、牢獄の奥に黒塗りのドアを見つけた。

 ドアノブに手をかけて回してみる。鍵はかかっていない。

 俺は何かに吸い込まれるようにドアを開けた。

「おい!」

 隊長が慌てて止めに入る。何か罠があったらどうする気かと。

 だが俺は構わなかった。ここにそんなものは無いと、直感で理解していた。

 目の前の光景に、隊長ですら声を失って立ち尽くす。

 正方形の小さな部屋の中を、炎をたたえたロウソクが立ち並び、中央の祭壇を取り囲んでいた。

 祭壇に置かれているのは、蓋がガラス張りになった小さな黒い棺桶。

 その中には二歳前後と見られる少女が瞳を閉じて、静かに横たわっていた。

「……ロザリア・ロンバルド……」

 俺の口から掠れた声が漏れた。

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