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15話:終焉

 白く眩い光に満ちた世界に俺はいた。

 どこまでも広がる、何もない白い世界。

 上空も足元も白一色で、自分が立っているのか横たわっているのか、それすらも分からない。圧縮された空気の塊に包まれているかのように、俺の意識も身体も宙を漂っていた。

 俺は虚ろな目で、ただぼんやりと見つめつづける。目に映る光景は、脳の中には届かない。知覚も視覚も嗅覚も……全てが鈍く、全てが働かない。意識はあっても思考を刺激しない。

 ただそこに存るだけ。ただ流されるだけ。俺にできることは、それだけ……。

 そのままどのぐらい経っただろうか。俺は、何かに気がついた。俺を取り巻くように伝わる空気の振動。それがやがて音となって聞こえてくる。けれど感覚の無い俺の耳は、音を音として認識しない。俺の身体の上を素通りする、意味の無い声。

 それでも声は消えてなくならない。何度も何度も聞こえる音に、俺の意識は徐々に引き上げられる。

 ……び……ひ……き……びき……ひび……

 ――――――響。

 それが俺の名前だと分かった時。誰かが俺の名前を呼び続けていたと分かった時。

 俺の眼球は力を取り戻した。目に光が戻ってくる。ゆっくりと目だけを動かして見回せば、俺の隣にかがみこんでこちらを覗き込んでいる一人の女性が見えた。

「母さん……」

 開いたままの俺の口から、小さな声が漏れた。だが俺の舌が取り戻した力は、その一言を呟くだけのもの。それ以上の言葉は話せなかった。

 母さんは優しく微笑むと、俺に向かって頷いて見せた。

 ――響。あなたはまだ、この世界に来てはダメ。あんなにも、あなたのことを待っている人が居る。

 母さんがそう言うと、それまで聞こえなかった声が聞こえてきた。どこか遠くから必死に俺を呼んでいる、複数の声。誰の声か分からない。聞き分けることが出来ない。なのになぜか、とても懐かしい。

 母さんの顔を見つめたままの俺の目から、涙が零れ落ちた。自分も泣きそうな顔をした母さんが、それを指でそっと拭ってくれる。

 ……せっかく、母さんに会えたのに……。

 そんな俺の思いを察したかのように、母さんが苦笑した。

 ――あなたはもう、ずっと前に親離れをしたはずよ。自分が望んでそうなったわけでは無かったけれど。でも強さを身につけた。誇りに思っているわ。

 母さんが俺の頬を撫でる。

 ――私はいつでもあなたを見ているわ。戻りなさい。あちらへ。そしてこの人を……助けてあげて。

 いつの間にか母さんの傍らに、一人の女性が佇んでいた。茶色の瞳に茶色の髪。どこかで見たことのある顔立ち。ひどく悲しげな顔をしている。

 急に俺の身体を奇妙な感覚が襲った。自分の意識と肉体が液体となって、背後に吸い取られていく。見えないどこかに強制的に引きずり込まれる恐怖に、パニックになる。

「母さん!」

 伸ばした俺の手を、母さんは一瞬だけ両手で掴んで、離した。

 ――大丈夫。行きなさい、響。あなたを待つ人の所へ。私はいつも……。

 母さんの最後の言葉は聞き取れなかった。耳が、顔が、伸ばした指の先が液体となって吸い込まれていく。

 そうして俺は、白い世界から弾き飛ばされた。


「響!」

 痙攣する瞼をやっとの思いで引き上げると、至近距離に隊長の顔があった。相変わらず視界は白く霞みがちで、はっきりと見ることが出来ない。それでも隊長が、ひどく焦った顔をしているのだけは分かった。

 目が合うと隊長は一瞬、ホッとしたようだった。だが俺の目が虚ろで、薄目を開けるのがやっとという状況を見て、再び険しい顔に戻る。

「アンディ!」

「やってますよ……ですがこれは……一刻も早く外へ連れて行くしか……」

 足元から聞こえた声に視線を移すと、歯を喰いしばったアンディが全体重をかけて俺の傷口を圧迫しているのが見えた。けれど俺の脚は、何も感じない。

「――隊長。弾丸は残り一発です」

 少し離れた所から聞こえたイサミの声は、苛立ちを抑えきれていなかった。

「くそっ! 応援部隊はまだか!」

 隊長が声を張り上げると、戸口の近くからイシスが「まだ小児科病棟の入り口です」と答える声がした。

 イシス。そうだ、彼女だ……。

 俺は瞼を閉じた。今まで目を開けるために使っていた力を、今度は話すことに使うために。

 僅かに開けた口から声を出す。今の俺が渾身の力で繰り出した声は、驚くほど小さく、消え去りそうな呻きにしかならなかった。

「……シ……シィス……」

「何だ、どうした?」

 気づいた隊長が、俺の身体を抱えなおす。聞き取りやすいように、自分の耳を俺の口元に持ってきた。

「イシス……」

「イシス!」

 俺が呟くと、隊長がそれを彼女に伝えてくれる。

「降霊……チャネ……リング」

 見えなくても、隊長の戸惑っている様子が伝わってきた。

「降霊?」

「ソ……ソフィアのた、ましい……」

 そこまで言うと、俺の意識は再び堕ちていった。全ての感覚が遠のいていく。

 なぜか俺には分かっていた。ここで意識を手放しても、もうあの白い世界に戻ることはない。あそこには二度と入り込めない。

 隊長が俺の身体をそっと横たえるのが、最後の記憶だった。


 次に俺が意識を取り戻した時、目の前にあったのはマリアさんの顔だった。

「気がついた?」

「ここは……」

「移動ヘリの中よ」

 本部から俺たちを運んできた、移動ヘリ。その座席に俺は横たえられていた。

 自分の身体が、自分のものでないような感覚。緩慢な動きで首を巡らせてみれば、俺の頭のすぐ側にスタンが座っていた。

「よぅ」

 なぜかブスッとした顔で右腕を押さえている。

「スタンの血液をあなたに輸血したの。一刻を争う状況だったし……」

 マリアさんが囁いた。

 俺は驚いた。確か彼は予防接種でさえ大げさに拒否するほどの注射恐怖症だったはずなのに。

 見つめる俺の視線に、スタンは気まずそうに顔をそむけてしまった。どこか照れているようにも見える。

「気分はどう?」

 優しく尋ねてくれるマリアさん。

「……スタンの血だと変態がうつりそうだ」

「おいこら。それが命の恩人に対する態度か!」

 スタンがこちらを振り返って吠えた。残念そうな顔をしたマリアさんが頷く。

「その可能性は否定できないわ。枕元輸血の問題点でもあるのだけれど」

「マリア……」

 この人は大真面目な顔を崩さないから、冗談なのか本気なのか分からない。

 恐らくスタンもそうなのだろう。なんとも微妙な顔でマリアさんの顔を見つめていた。

「この調子なら大丈夫そうね。もう来ても良いわよ、ニール」

 マリアさんが呼ぶと、隊長とイサミが俺の近くにやって来た。その背後で窮屈そうに立っているのはアンディとイシスだ。

 ああ……良かった。皆、生きていたんだ……。

 俺は安堵のため息をついた。

 隊長は俺の手を両手で握りながら、何が起こったかを話し出した。


 あの爆発は、援軍の到着を阻止するためにビスコが起こしたものだった。負傷した俺の身体を抱えて全員が物陰に隠れた時、俺たちの手元にあった銃は一丁だけ。

 囮になるために、イサミはその銃を手にビスコとリザベスの近くへと移動した。アンディと隊長は俺の応急手当に当たり、イシスは入り口の瓦礫を少しでも取り除こうとした。そして応援部隊が来るのを待っていた。

 けれど援軍はなかなか到着しなかった。ビスコの爆発によって何かのトラップが発動したのか、病院内には新たなゾンビが発生したのである。彼らに阻まれて、隊員たちは苦戦していた。

 さらに、応援が到着したとしても瓦礫を取り除くという問題があった。それまで俺の身体がもつ可能性は限りなくゼロに近かったのである。

 皆が次第に絶望的な気分になり始めても、隊長だけはずっと俺の名前を呼び続けた。そして一瞬だけ俺が意識を取り戻した、あの時。

 俺の言葉を聞いたイシスは、すぐに降霊を始めた。ソフィアの魂はすぐ近くに来ていたと言う。

 ――――あなた。

 ソフィアの魂を降ろしたイシスが呼びかけると、ビスコは雷に打たれたように身体を震わせた。限界まで見開いた目で、呆然とイシスを……ソフィアを見つめる。

 ――ビスコ。ああ、あなた。困った人ね。私もリズも、あなたが来るのをずっと待っていたのよ。

 ソフィアが微笑みを浮かべたまま、拗ねたような口調で言うと、ビスコは「ソフィー……」と掠れた声で呟いた。

 リザベスが不思議そうな顔でソフィアを見上げて「ママ……?」と呟いた。

 にっこりと慈愛に満ちた笑顔を浮かべて、ソフィアが二人に両手を差し伸べる。

 ――いけないパパですねぇ? リズを起こしたりして。いらっしゃいリズ。おねむの時間ですよ。

 リザベスは嬉しそうにその手を握りしめた。ビスコは座り込んだまま放心状態でソフィアを見上げている。

 ――あなた。待ってるから、早くいらして下さいね。

 彼女はそう言うと、ビスコの頬にキスをした。

「……ああ。ああ、もちろんだよ、ソフィア……」

 ビスコが銃を自分のこめかみに当て、引き金を引くのと同時にソフィアとリザベスの魂は還って行った。

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