虐げられた果ての溺愛で幸せになるお姉様の物語を義妹の私が全部壊すまで
基本的にこの世界の男女はお姉様を好きになる。
当たり前だ。楚々としながらも芯が強く控えめで外見に囚われず、誰よりひたむきで真っすぐで、危険があれば自分の身を犠牲にして誰かを守ろうとする女の子が好きじゃない人間なんていない。
全人類、お姉様のような女の子がひまわり畑で自分に手を振ったり、緊張気味の表情が自分を見てちょっと安心してくれるさまを求めている。
もしそうじゃない人間がいるとするならば、その人間は人ならざるわけではなく、まだ目覚めてないだけだ。花は開花状態でぽんと生えて来ない。種から芽が出て花となる。ゆっくりゆっくり時間をかけて。だからお姉様に惹かれない人間は、まだお姉様を好きになっていないだけ。嫌いでもまだ好きになっていないだけ。最終的にはみんなお姉様を好きになる。
だってお姉様はこの世界のヒロインだから。
この世界は、和風シンデレラ小説『宵の花嫁』という小説の世界だ。いわゆる異世界転生である。優秀で可愛い妹と比べられ、継母と実父から虐げられていたヒロイン──花織が、皇龍清明様と呼ばれる冷酷な貴族と政略結婚をした果てに、溺愛される物語だ。
すぐに結婚するので名字があらすじから廃されているくらい爆速で結婚する。
お姉様が虐げられている理由は無能だから。この世界にはあやかしという妖怪の別名なのか区別付かない存在がいて、それと戦える稀有な力をうちの人間は代々受け継いでいる。しかしお姉様にはない。そして妹は天才と呼ばれるほどの力を持ち、もてはやされていた。
でもお姉様は実のところものすごい力を秘めていて、嫁ぎ先で守護の才能を開花させ、ゆくゆくは国を救う。
お姉様と私の能力についてたとえるなら、時間をかけて出来上がったフルコースと、ぱっと食べられるカップ麺である。
ようするに私が最初「虐げられている理由は無能だから」と称したのは、お姉様が無能だからじゃなくお姉様の才能を見抜けず、分かりやすい結果に流されたお姉様の実父が無能、ということである。
死んでしまえばいい。
ということで私の実母とお姉様の実父が再婚当日、お姉様と初めて顔を合わせ出会い、前世を思い出した私は、家に火をつけることにした。
母親に情はない。だって娘より男のほうが大切なタイプだから。前世を思い出して余計無理になった。実父は娘が無能だからと手を出すタイプなので死んだほうが良い。登場人物全員ゴミです。ちなみに今は物語が始まる五年前。お姉様は十四歳、私は十二歳だ。十二歳の女の子が家に火をつけるなんて誰も思わないから簡単に屋敷諸共火の海に出来るし、近隣の家は水の神様にちなんだ家だから燃えないらしい。ありがたい。これで誰にも迷惑をかけずに暴力虐待と性虐待クソ夫婦とそんな呪われた血を引く私を焼却処理できる。
お姉様以外私ごと全員死ね。
「何をしているんだお前は‼」
懐から火打石を出そうとすると、ガッと腕を掴まれた。視線を向ければお姉様と同い年くらいの少年が焦り顔で私の腕を掴んでいる。
彼はお姉様の幼馴染で、お姉さまに想いを寄せる、水宮一心。いわゆる当て馬である。水宮家という水宮を奉る名家の嫡男。目のつけどころがとても良い。女を見る目がある男は出世する、だから俺は出世したと私の前世のおじいちゃんは言っていた。おじいちゃんの言う出世は、町内会長だけど。
そして前世の私の追想をおそらく読みながら怪訝な顔をする彼は、見ての通り相手の心の内を鮮明に読み取ることが可能だ。
だからこそ心根の美しいお姉様に恋をする。親の再婚と私の存在でさらに居場所が無くなり、一人で神社の前でしゃがんでるお姉様と運命の出会いを果たして、お姉様に惚れるのだ。当たり前だ。お姉様は心が綺麗。純粋無垢で色事にも疎い。だからこそ無知シチュが映える。どんなに華やかなアフタヌーンティーだってお姉様の無知シチュの映えには叶わない。無知シチュといえばお姉様はお酒に弱く甘酒でも酔ってしまい無知にも関わらず誘惑してしまうという悪酔いをするらしい。エロ酔いじゃんそんなの。
ということで私のお姉様に関する妄想は美しい風景を描写しているも同然だけど他人は違う。なので彼は他人の薄汚い思考を幼少期から浴びていたため人格形成に問題が生じ、基本的に他者を軽蔑している。
ゆえに愛情表現がゴミオブゴミだった。
モラハラの頂点に達しており、「詫びろ」「償え」とお姉様を見下す言動を取る。いわゆる「俺様」だ。生きた化石。どうせお姉様で妄想してるくせに。そのおしゃべりなお口をお姉様の口づけで塞いだら何も言えなくなるくせに。なのにお姉様に嫉妬されたくて私を好きだと言い、お姉様に対して酷い言動をとって、挙句の果てにお姉様に引き止めてほしくて私と結婚すると言い出す。お姉様は他人の幸せを願える人だからあっさりと身を引き、私と最悪な婚約生活を送るのだ。そしてお姉様がとんでもないクズモラハラであっても幼馴染というので情けをかけているのを勘違いし、作中の私は奪ってやったと優越感に浸る。事故物件回収したとしか言えないのに。事故物件回収係だよこんなクズモラハラクソ男なんか。
「なんだお前、俺について、なんの想像だ……? 予知……」
そして先ほどから私は一言も発してない。私はこの男に腕を掴まれてから、その腕をじっと見ているだけだ。この世界で私の腕を初めて掴んだ人間が、第一位私より男が大切な母親、第二位将来クズモラハラと、最悪のワンツーフィニッシュを決めている。最悪だ。私より男が大切な母親が第一位になるのは仕方ないとはいえ、その次はお姉様が良かった。もうこの苦しみは一回死んでお姉様の産道を通って世に出る以外に癒えない。救いの妄想をしていると一心は顔を青くした。
「悍ましい……!」
悍ましいとはなんだこの言いぐさは。人の健気な夢に対してなんなんだよ恵まれクソ坊ちゃんのくせに。てめえとは今まで抱えてきた苦痛が違うんだよ。
ただただ一方的に私の心を読んでいるだけのくせに。そもそも彼は放火犯を注意しているのではなく、無言で自宅を見つめる私に一方的にしゃべりかけている通りすがりの不審者だ。
「なにしてるんだ。その子の手を放しなさい」
膠着状態を続ける私と水宮一心に、大人の男性が声をかけてきた。水宮一心の親だ。
「父上、この娘がおかしなことを考えているのです」
水宮一心の親は心の声を聞く能力がない。それぞれ感情を色として見る力と感情を匂いで嗅ぎ取る力があり、水宮一心ほど分かりやすい力じゃないのだ。
「お前が腕を掴んでいるから怒ってるんだろう」
水宮一心の父親は息子に注意する。水宮一心はしぶしぶ私から手をはなし、彼の父親は「ごめんね」と申し訳なさそうにして私の前でしゃがむ。私は「いいえ」と声を発した。 が「しゃべれたのかお前」と驚く。放火を邪魔されないよう、下手に喋ってぼろを出したくなかったから発声としては一言も発しなかったけど喋れないわけじゃない。『宵の花嫁』はボイスコミック化しており私にも声がついていた。ただ全編にわたりお姉様を虐げる悪口だったので声優込みで嫌いになり喋りたくないだけだ。なんだったら自分の顔も嫌いだ。転生するにせよモブならまだしも一番嫌いな女になってしまった。まぁお姉様じゃないだけ良かった。お姉様と会えたし。前世の人生は本当にくだらない人生だったから。
でもさっさとこの親子にはいなくなってもらわないとお姉様に触る実父ゴミとそのうちお姉様を虐待するクソ女こと私の母親を殺せない──あ。
「あ」
水宮一心が私を見て驚いた顔をした。まずい、全部読まれた。もういいやこのまま包丁で両親ともども刺してきちゃおう。人間なんか刺せば死ぬんだから。
「待て‼」
水宮一心は私の腕を掴む。
「離して‼」
私は先ほどより大きな声を発した。水宮一心は離さない。水宮一心の父親は「何してるんだ‼」と水宮一心に怒りだす。すると水宮一心が叫び出した‼
「こいつ‼ 虐待されてる‼」
「え」
「こいつ‼ 虐待されて家に火をつけようとしてる‼ こいつの姉もだ‼ 死のうとしてる‼」
水宮一心に絶叫された。この男はお姉様が虐げられているのを知りながら黙って見捨てていたくせに一体何が起きてるんだ。こんな声量出せるなら最初からやってろよ。
「そんなことは知らない‼」
水宮一心が言い返してくるけど私は一言も喋ってない。水宮一心の父親は「どういうことだ⁉」と混乱している。「死のうとしてる」とか言い出した後に無言の私に「そんなことは知らない」と言い返してるのだ。第三者から見れば意味が分からない。
「お前は助けてほしいんだろ!」
水宮一心が私の腕を握りしめる。普通に痛い。
助けてなんて言って助けてくれる世界なら最初からそうしてる。
誰も助けてくれない。自分でなんとかするしかない。
「出来ないだろ! 言え!」
「……」
「言え! 絶対に助けてやるから‼」
あまりにも腕が潰されそうなので私は叫んだ。
「助けて‼」
◇◇◇
正直、水宮一心に助けてもらいたかったのか、腕が潰されそうだから水宮一心から助けてほしいといったのか微妙なところだが、彼と水宮家の助力によりシナリオは一変した。実父のお姉様への虐待は水宮家により明らかになり処理をされ、私の母親に関しても再婚直後とはいえ交際当初より子供への性虐待を黙認していた人間として父親と同じ末路をたどった。いわば幽閉だ。子供を虐げた罪は重い。
そして水宮一心は将来モラハラクソ男になるとはいえ、回想で度々描写されていた幼少期はまだひねくれてなかったから、お姉様は水宮家に引き取られてくれないかな、私は呪われた血を断つので、と思いきや普通に姉妹ともども水宮家に引き取られた。
「私……ずっとこうして、誰かと一緒にお話をしながら、桜を眺めるの、夢だったの」
お姉様が私に向かって柔らかく微笑む。再婚当日に両親を水宮家に売ったわけだけど、水宮一心が「こいつがお前を助けようとしたんだ‼」と私を指さしお姉様に宣言したことで、お姉様はある日突然湧いて出てきた義妹の私に対して好感度がどえらく高い。頭をなでてくれるし、膝枕もしてくれる。すごくエデンです。もうこのまま死んじゃおうかなと思うと水宮一心がブチギレて邪魔してくるので最悪な気持ちになる。お姉様へ恋愛感情はないけど百合に挟まるなと思う。殺すぞ以外にない。
「お前失礼だな。誰が助けてやったと思ってんだ」
ニコニコのお姉様の反対方向からモラハラの滲んだ高圧的な声が飛んでくる。いずれ絶対「誰の稼ぎで飯が食えてると思ってるんだ」に進化するようなことを平然と言うのは水宮一心だ。今、私たちは三人で桜を見ている。小説で似たような場面があった。そこに私はいなかったけど。お姉様と桜を眺める水宮一心が「いつか……この桜を……三人で……いや、なんでもない」みたいな、夫婦になって子供ありきの話をしていた。お姉様が好きな水宮一心。悔しかろうに。残念だったな。私が間に挟まって。でもどんなにお姉様を思っていようとお姉様は金持ちのすごいお家の冷酷貴族様に溺愛されるんだよバーカ。
「馬鹿とはなんだ馬鹿とは‼ 恩知らずめ」
水宮一心が怒ってくるけどこいつは小説でこの百倍酷い暴言をお姉様に吐いていたのだ。初恋を拗らせて。この拗らせクソ野郎が。いつおかしなことになるか分からないので今のうちに芽は潰す。
「そもそも俺は……」
そして借りは返す。
絶対に。その時が来る。
「お前……」
なにか勘ぐるような眼差しを水宮一心が向けてきたので、私は最近お姉様へ無粋な眼差しを向ける町内会の同じ年頃のガキどもへの憎悪を心の中で膨らませた。「お前なぁ」と水宮一心が呆れ顔をする。
「ふふ、なんだか嫉妬してしまうわ」
お姉様がくすくす笑う。え、嫌だお姉様、こんな事故物件に独占欲向けないで‼ 冷酷貴族の独占欲に甘く溺れてほしい‼ あっちのが絶対いいから‼ クールなだけでお姉様のこと大好きマンになるから‼ こんな事故物件はやめて‼
「私たちが姉妹なのに、あなたたちのほうが、なんだか昔からの兄妹みたい」
勘弁してくれ。勘弁してくれオブザデッドです。お姉様。私はあなたが好き。心の中で返事をする。
「私も、あなたにお姉さんって、思ってもらいたいわ」
お姉様が私の手に触れる。美しすぎて死ぬかと思った。なのに横から水宮一心が「俺はお姉さんじゃないんだが‼ 私もってなんだ‼」とわめく。うるせえなぶっ殺すぞ。
「こうして、幸せな日々が、続けばいいな……」
お姉様が、ほっと息をもらし、桜を眺める。大丈夫、と心の中で返事をする。
お姉様の幸せは続く。
私が続けさせる。
何をしてでも。
◇◇◇
ばかみてえな両親を排除してシナリオが始まるまで水宮家で暮らすことになり、お姉様の生活が保証されたことは嬉しいけど、このままだと冷酷貴族こと皇龍清明様とお姉様の縁談がなくなる。それだけはなんとか避けたいので、私は二人の縁談を取り付けるべく軍に入ることにした。この国では十二歳から軍に入れる。皇龍清明様は軍人じゃなく軍以上の特殊枠というかRPGで言えば四天王枠で、単独であやかしを討伐する。軍はその末端で、せっせと束になってあやかしを祓うか、頭下げて悪いのを倒すために一緒に戦ってもらうかだ。
なので私は一応「優秀」としてもてはやされていた設定を生かし軍に入った。
軍はあやかしに干渉する能力さえあれば入れる。軍は男女比が男9女1とどえらいことになっており、基本的に大正時代モチーフなので男は軍に入るのがセオリーだ。なので水宮一心も軍に入ったわけだけど──。
「お前聞いたぞ、単独で特攻したって」
お姉様を水宮家に残し軍入りし、三年が経過した夏。軍の屯所でデカい声が響く。今日も今日とて水宮一心はうるさい。毎日毎日何をそんなにわめくことがあるのか。
「毎日毎日お前がおかしなことをしてるからだろ‼ あやかし相手に爆薬もって突っ込むなんて許されることじゃない‼」
水宮一心は私の耳の真横で怒鳴りつけてくる。私は無言で壁を眺める。基本的に軍は訓練をしながら実際に戦場に出てあやかしを討伐するシステムだけど、私はさっさと皇龍清明様とお姉様の縁を繋ぎたいので、軍で武功を積み、皇龍清明様の周りの護衛につき、お姉様を売り込む算段だった。普通、軍に入り皇龍清明様に近づこうとすると不純扱いされるし本人からも嫌悪されるだろうが、手段を問わない戦いをしていたら戦闘狂扱いを受け、自爆馬鹿とか残酷新人とかとんでもない仇名を周囲からつけられ、同じく冷酷な戦い方というか一切の情けが無い皇龍清明と同類のように扱われ始めた。なので皇龍清明に近づく女、というより皇龍清明みたいな女、として、周囲の警戒が薄くなり、結果的に良しとしている。
「何もよくないんだよ‼」
水宮一心が叫ぶ。本当に煩い。軍で武功を積み、水宮一心と同じ部隊に配属されてしまい、毎日細々文句を言われている。
「またお前たちはおかしなことをしているのか」
「皇龍様……」
屯所の廊下を歩いていると、水宮一心がかしこまった。振り返れば皇龍清明様ことお姉様の溺愛旦那様が立っていた。私は無言で礼をする。「女版皇龍清明」みたいな仇名がついてしばらく経った頃、一緒に戦うことになり私はお姉様より先に皇龍清明と対面を果たした。
「姉は元気か」
皇龍清明が問いかけてくる。私は静かに頷いた。彼が屯所に来るタイミングと、お姉様が私に差し入れを持ってくるタイミング、丁度バッティングするよう仕組んだ結果、上手い具合になっている。
お姉さまが元気かどうか確かめた皇龍清明様は満足げに頷き返してきた。小説では、たくさん女の人に言い寄られていたことで、初対面ではお姉さまに冷ややかな目を向けた男。
この世界が物語で誰かが読んでいるなら「冷酷なヒーローがヒロインに心惹かれ溺愛していく」のは読んでいて楽しいし起伏になるけど、ここは現実だ。不愉快極まりない。お姉さまの心を疑い、ましてや「過去の女のようではないか」なんて旧式を引用し比較しようとしてくるものならば殺す。なんでお姉様の人となりを知らないで「この女もまた今までの女と同じだろう」と決めつけられなければならないのだろうか。お前だって「この男もどうせ今までの男と同じで手ひどい変態の救いようのない男」と見られたら不愉快だろうに。そんな目を少しでもお姉様に向けたらズタズタにしてやるからな──と思ったけど、そんなことなかった。珍獣の姉として認識したらしく、二人はゆっくりと優しい交流をしている。軍に入ったかいがあった。
そのままお姉さまを座敷牢で抱きしめてほしい。お姉さまは天女のようにじめついた皇龍清明の執着を受け止めてそのままドロドロドロドロにしてほしい。私は座敷牢の人払いをしておく。私に姉についてだけ聞き、去っていく皇龍清明の背中を見送りながら願っていたら水宮一心が私を侮蔑の目で見ていた。
「お前いい加減にしろよ。職務中に良からぬことばかり考えて。お前の考えてること周りに言いふらしてもいいんだからな」
好きにしろと思う。私はお姉様の妹として不足がないよう仕事は完璧を目指している。作戦の一つとして不出来な妹として過ごすのもありだけど、お姉様は誰かと比較され褒められることをよしとしない。さすが姉妹のほうが喜ぶ。それに──うっかり水宮一心が横にいるのを忘れ、私は思考を切り替えた。そのまま無言で水宮一心のもとを去る。彼は追いかけようとしてきたが、女子の手洗いまでは追いかけてこなかった。ざまあみろ。
◇◇◇
前世を思い出し五年。とうとうシナリオが開始した。お姉様と皇龍清明は政略結婚ならぬ恋愛婚約を果たした。小説では家同士が決めるわけだけど、うちのハウスは虐待クソ夫婦であり家の繋がりもクソもない。水宮家に居候扱いだから「突然の政略結婚‼」と小説の帯の見出しになるようなドラマティックさはないのだ。
ということで、私の本懐は全て果たしたわけだけど、この世界は小説の世界。起承転結があるわけで、普通に小説の後半、お姉様には悲劇が襲うし、国に危機が訪れる。
この小説での危機は、あやかしの大襲撃だ。そこでお姉様が守護の力で結界を張り、皆を守って、皇龍清明も大活躍する。その活躍の後に私や虐待クソ夫婦はお姉様に酷いことをしたとして投獄されるわけだけど、水宮一心は違う。
あやかしの襲撃のときお姉様を庇い、死ぬのだ。死ぬ間際にお姉様への暴言を詫びる。
いわゆる「ざまぁ」だ。
今回水宮一心はお姉様に暴言を吐いてないし、なんかめちゃくちゃ私に小姑してくるけど人格否定はしてないし、間違ったことは言ってない。生きてたほうがいい人だから、生かしてやることにした。
まぁ、私もそう長くないし。
私は大勢のあやかしが発生する場所に単身で向かった。私は優秀と設定されていたけど、その本質はカップ麺だ。すぐ出来上がって、中身を食べたらすぐ捨てる。私の祓いの力は言霊および声に依存しており、人間に対して効かないが、言葉を吐けば吐くほど、後々あやかしに対して使える祓いの力が無くなる。
小説の中では「生まれてこなければ良かったのに」とか、そういう強い言葉をお姉様に吐き続け、本来ならば人を助けるはずの言葉を無駄打ちし続けてきたことで、実際にあやかしを相手にするときに祓いの力は尽き、何もできなくなった。
だから私は一切喋らず、今日──あやかしが世界を滅ぼそうとする日の為に温存していた。お姉様の活躍を奪うのは心苦しいけれど、別に世界を救うことがお姉様の存在意義ではないし、何もできずともお姉様は素晴らしい。
なにもしなくても価値のある人だ。私は前世を反芻する。
前世の頃、ゴミみたいな人生だった。中学生辺りから同居祖母の介護が始まりそれから解放されたのが二十代後半。本当に普通の人が身に着けるものがなく途方にくれる状態の中、まわりの大人たちから自分の人生を歩んでねと言われつつ、それを歩むためのなにひとつ、私は持ってなかった。祖母を殺しちゃいけないけど、祖母が自発的に死ぬまで私の人生は無くて、始まる前から地獄でしかなく、終止符を打った。
生きてるときの救いが小説だった。小説の中のお姉様には誰も味方がいなかった。孤立無援だ。そんな姿に自分を重ねていた。私も味方がいなかったから。みんなは、味方がいる世界なのに、私は世界で一人だった。お姉様も同じ。だからお姉様みたいに愛されたいじゃなく、一緒にいるんだな、私ひとりじゃないんだな、と思っていた。
ド級に痛いファンだと思う。知ってる。
「焼き尽す。諸共死ね。全部、全部、この世界から消えてなくなれ」
私は温存していた言葉を吐く。お姉様に「好き」とか言いたかったし、皇龍清明には「お姉様を絶対幸せにして」って言いたかったけど、全部、この日の為だ。
私が感情を伝えたところで意味はないけど、あやかしを焼却することは人間の幸せに繋がる。実際、私が言葉を吐くと同時に発火した炎は、私の身体を焼きながら、現れ始めたあやかしの軍勢を焼きつくし始めた。
水宮一心に最後にありがとうって言いたかった。助けてくれてありがとうって。でも、どうしても感情が籠るから言えなかった。火力が落ちたら困るから。
水宮一心のこと助けられなかったら嫌だから。
炎が身体を焼いていく。どうかみんな幸せであれと、心の中で願いながら目を閉じた。
◇◇◇
「あ」
ふいに目を開けると、桜が見えた。いい走馬灯だな、と思ってると「何をしているんだお前は‼」と聞きなれた怒鳴り声が響く。視線の先には目に涙を浮かべる水宮一心がいた。
なんだ、あやかしは一体どうしたのか。私は全部灰になるつもりだったのに。なんでか私は軍の屯所の寝台に寝かせられていた。
「なったんだよ一度‼」
水宮一心が怒鳴る。じゃああやかしは全部焼却できたのか、え、でもどういうことだ? と不思議に思っていれば水宮一心が立っている場所とは別方向からぎゅっと誰かに抱きしめられた。お姉様だ。
「お前はずっと……呪詛に近い守護をかけられていたから、なんとか、命が繋がって……お前自身を焼く炎から、お前を守ったんだよ」
水宮一心がすごく嫌そうな顔をした。なにその呪詛。何の恨み? 誰が?
「お前の姉だよ‼」
え。なんで、私お姉様に嫌われてた???
「逆だよ‼」
どういうことだ? 混乱していると、びっくりするくらいその場で空気だった皇龍清明が「花緒がお前に祈りを捧げていたのだ」と告げた。
「軍に入ってしまった妹を憂い、あやかしを祓えぬ自らがお前を助けてやれぬことを悔い、毎夜、式神に祈りを捧げては、お前の無事を祈っていた。お前が健やかであれるよう、幸せであれるよう、苦しいことや痛みを受けずに済むよう、優しい人間のもとで、楽しく笑って過ごせるよう、あやかしを模した藁に釘を打っていた」
それ何かの儀式じゃない?
儀式だから死ななかったってこと?
っていうかあやかしは?
「お前が燃やした。それでも取りこぼしたあやかしは、お前の危機を察知して泣き崩れたお前のお姉さんに触発された皇龍清明様がすべて滅却した」
水宮一心が私をにらみつけるように言うと、皇龍清明様は「否」と静かに告げる。
「水宮が貴様を呪っていた。絶対に助かる、自分が助けるという呪いだ。それにより、水宮がお前の炎を消したのだ。元々、水をつかさどる神の直系の家元ゆえ、お前がいくら優秀でその声をあやかしの焼却の為に温存していても、神には抗えぬ。水はあやかしを祓えずとも、人の子の炎を消すことは造作もないことよ」
じゃあ、あやかしは大丈夫だったのか。じゃあ、世界は大丈夫で、お姉様は幸せで、皇龍清明様と普通に結婚して、水宮一心は生存……?
ああ良かった。ならもうどうでもいいや。
「良くないだろうが」
水宮一心が私の肩を掴む。
「助けてと言えと言っただろうが‼」
彼がなんのことについて言ってるかすぐに分かった。最初の頃だ。あの頃のことをまだ覚えているだなんてと思うけど、これで借りは返した。
「返してない、むしろ最悪だ‼」
水宮一心はそのまま怒鳴りつける。一体何が気に入らないのか。
「詫びろ」
彼は続ける。なにをだ。
「俺に助けてと言わなかったことをだ。一生かけて償え」
◇◇◇
あやかし大襲撃から一年後。お姉様は皇龍清明様と結婚──しなかった。
何かもう色々やることもやったし、悪役は悪役らしくざまぁされて死んじゃおうかなと思っていたらお姉様が「あなたが結婚するまではね」と言ったせいで皇龍清明様が裏で手を回し続け、水宮一心と爆速で結婚することになった。びっくりした。
私の存在でお姉様が胸を痛めるような、いわゆる皇龍清明様を慕う邪魔な女の発生は防げていたから、さっさと二人は結婚するだろうしそんな二人の結婚を邪魔する人間なんていない、と思っていたらまさかの私だったし、皇龍清明様の「花緒との結婚は絶対だ」みたいな感じのムーヴをまさか私が直撃するとは思わなかった。政略結婚の帳尻合わせが私に飛んできている。
「無礼だなお前は。人の結婚をなんだと思ってるんだ」
水宮一心がキレてくる。絶対これからぼろぼろぼろ雑巾にされる。掃除がなってないとかで怒られちゃうんだ。
「命がけで守ろうとした男との結婚なんだから一言くらい喋ったらどうだ」
しゃべったらどうだと言われても無言に慣れているから難しい。
「いくらでもこれから、助けてやるから。他の男に、助けられただけで惚れて、そっちについていったら困るからな」
フン、と水宮一心は鼻を鳴らした。祝言の衣装で。今日は私と彼の祝言の日だ。お姉様が嬉しそうにしていて、皇龍清明様がお姉様を凝視している。桜が舞って、晴れやかな雰囲気だ。
私は真っすぐ、水宮一心を見る。
「一心、ありがとう」
私のことを助けてくれて。
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