後編
ポカンと、ずいぶん間抜けな顔をしているだろう。
自覚していても顔が引き締まらない。
御曹司様は楽しげに笑うばかりだ。
「まさか大叔父の手伝いしていたら恋を拾うとは。俺も驚いたよ」
「あ、あ、貴方は……」
「改めまして、俺はアイザック。貴女の歌に惚れたしがない魔法術士さ」
どうぞよろしく。
そう告げて、御曹司様が恭しく私の手に口付ける。
もう私はどうすれば良いのか分からなくて口をパクパクとするばかりだ。
「わ、私は、叶うはずのない恋をしているはずで」
「うん、叶うけれどね」
「彼の方とは1度しかお話したこともなくて」
「もう3度目だ」
「そんな、たった一度の会話など覚えているのは私だけのはず」
「覚えていたよ。鈴のように可愛らしい声で一生懸命挨拶してくれた少女を」
「……今日、縁談があると聞きました。だからいい加減諦めなければと」
混乱したままポロポロと溢れる言葉は、冷静だったならばきっと言うはずの無かった本心。
ひとつひとつ御曹司様が訂正して、私の手を握りしめる。
「良かった、貴女が社交界にそれほど参加しないご令嬢で。……でなければ、とっくに見付かっていただろうから」
「そ、そんな」
「どうか諦めないでくれ。俺に恋心を抱いていると知ったときの俺の喜びが分かる? 残念ながらこんな好機を逃せるほど俺も甘くはないんだ」
そうして目の前に差し出されたのは一輪の花。
可憐で丸みのあるこの花の持つ言葉は、愛を捧げる。
求愛の定番花だ。
「俺の想いは先日告げた通り。貴女の優しい歌に惹かれ、それを歌う貴女に惚れた」
「わ、私」
「そして今日は、綺麗な格好で分かりやすく狼狽える可愛らしい貴女を好きになったよ」
まっすぐなその瞳に息がつまる。
あまりに遠く感じていたはずの人が目の前にいる。
それだけで混乱しているのに、あろうことか口説かれているのだ。
理解が全く追い付かなくて当然だろう。
けれど優しく握られるその手の熱さも、まっすぐ向けられる視線の熱も、公の場で聞くより少しだけ幼い声も、今私の目の前にある。
きゅっと握り返せば、目の前の涼しげな顔が雪解けのように緩んだ。
それだけで私は照れてしまって顔をあげられない。
「わ、私は……そんなに器量が良くはありません。身分だって貴方様よりうんと下で、社交界に明るいわけでもありませんし」
「うん? それが何かな」
「……御曹司様の隣に並ぶに相応しい何かが私にはなくて、ご迷惑をおかけする未来しか、見えなくて」
気付けば自己防衛の言葉ばかりが口をついて出た。
どうしたって喜びよりも混乱が表に出てしまう。
臆病で器用さの欠片もない鈍くさい私。
こんなことばかり言えば呆れられるかもと思いながら、1個ずつ確認しなければ進めない。
御曹司様は、そんな私に苦笑しながらそっと頬に手を滑らせた。
びくりと驚いて思わず座ったまま後ずさる。
それを面白そうに笑い、再び私の手を握った。
「うん、恋だけでは貴族社会での結婚が成り立たないことを貴女はきちんと理解しているんだね」
「……はい、私では」
「ありがとう、真摯に答えてくれて。貴女のその誠実さは先日私が貴女に惹かれた理由のひとつだ」
ああ、どこまでも温かな方だと思う。
好きだとバレバレなのにこうして足踏みしながら1つずつ確認するしか出来ない私を、この方は責めない。
ありがとうと、そんな言葉で返してくれる。
私の声を初めて褒めて下さったときのように、その温かさは健在だ。
きゅっと、御曹司様の手を握ることを止めることが出来ない狡い私。
それなのに不安を全て告げて歯止めをかけてしまう臆病な私。
それを許しお礼まで言ってくれるこの方に、初恋の重みがまた1つ加わるのが分かった。
ああ、どうしよう。
やっぱり諦められない。
そう思ってしまう。
「ねえ、マリカ嬢。知ってる? 俺、社交界ではかなり問題児なんだよ?」
「……え?」
「人の言うことは聞かない、持ち込まれた縁談は全て弾く、興味があるからと護衛を振り払っては市井によく降りたり」
「……初めて知りましたが」
「公爵家の跡継ぎがこれじゃ外聞が悪いからって必死に隠されているんだ。失礼だよね、外聞悪いって。まあ確信犯だけど」
「…………とてもそうは見えませんが」
「恋は盲目って恐ろしいね。マリカ嬢が恋してくれている俺ってこんなんだよ、今や皆諦めてとにかく誰でも良いから娶って健康な子を成せってさ。次代に期待するからって」
唐突に御曹司様が吐き出した事情。
肩をすくめ「俺だって色々考えてるんだけどなあ」と愚痴を言いながら笑う。
「だからさ、貴女の悩みなんて全て問題ないよ。」
「……そんなこと、ないです」
「うん?」
「貴方様が外聞悪いなんて、そんなこと、ない。御曹司様は、誰にでも親切で公正です。社交界の隅っこにいたような私に気付いて、私自身も分からなかった私の良いところを見付けてくださった。とても細やかで柔らかで温かな方だから。問題児などではないです」
今日は本心ばかりが溢れてしまう。
それはきっとこの方のお人柄なのだろう。
きっと私の意見でもきちんと汲み取り考えてくれると分かったから。だから安心して言えるのだ。
初恋の、憧れの人は、確かに今まで想像していた通りの方ではなかった。
けれどそれ以上に魅力の詰まった方だ。
どうしようと、そう思うほどに。
諦められなくなってしまうと悩むほどに。
「……うん、やはり貴女が良い。貴女じゃなければ嫌だ」
「御曹司、様?」
「その御曹司様って呼び方も嫌だな。ああ、あと思いやりからでも断られるのもすごく嫌だ」
にこりと綺麗に御曹司様が笑う。
曇りなく、まっすぐ見つめられた。
「マリカ嬢、貴女をとても愛しく思う。何を置いても俺は貴女が恋しく諦められそうにはないんだ」
「……っ、けど」
「私に貴女を守らせて欲しい。もし、負い目を感じるならば歌ってくれないか?」
「……歌?」
「そう、歌。俺に向けて歌ってくれたあの優しい歌。それだけで俺は天にも昇る気分になれるんだ」
私の手に花を握らせ、今度は笑顔1つない真剣な眼差しを向けられる。
視線が、そらせない。
「俺の初恋を叶えて欲しい。俺と共に生きてはくれませんか?」
まっすぐな、言葉。
ずっと夢見た、けれど無理だと分かっていたはずの瞬間。
ずっと焦がれていた人にここまで言われて断れる人などいるのだろうか。
少なくとも私には無理だった。
「……こんな、夢のようなことがあって良いのですか?」
そうして絞り出すように何とかそう告げれば、目の前の御曹司様は分かりやすく破顔した。
心底嬉しそうに。
「勿論。俺は、貴女の気持ちが知りたい。今も、こんな問題だらけの俺でも気持ちが変わらないでいてくれるのならば、そうだと教えてくれないか」
その答えは、私の中で決まっている。
彼の笑顔につられるように笑った私は、大きく息を吸った。
「……私は、言葉にするのがあまり得意ではないのです。照れが勝り、緊張が勝り、臆病風に吹かれますので」
「うん、けどね」
「けれど、思うことはたくさん、たくさんあるから」
「……マリカ嬢?」
いつになく強い語気になった私に、御曹司様がきょとんと目を丸くする。
その表情が堪らなく可愛く思えて、私の目の力も緩んだ。
今なら伝えられそうだ。勇気がわいた。
「御曹司さ……アイザック様。私に一曲歌わせてはいただけませんか?」
目の前で彼の表情が緩んでいく。
合わせるように私の目も同じ形になっているかも。
お互いに繋いだ手はそのまま。
頷いてくれたその表情を確認して、私は息を吸い込んだ。
歌うのは、愛の歌。
これからは想いを届けるための、そんな歌。
私達の始まりの歌だ。