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前編


身分があまりに違うことは分かっていた。

それを乗り越えられるほどの器量など私にはないことも。


人はどうすれば不毛な片想いを終わらせられるのだろう。

私は未だに答えを見付けられず、歌を歌っている。

本人に伝えられはしない、愛の歌を。


「おや、今日も来たのかいお嬢さん」

「こんにちは。今日も歌わせていただいて良いですか?」

「ああ、勿論さ。いつもありがとうね」


この国に表現の場があって本当に良かった。

ここは城下街の外れに位置する広場。

風変わりなご老人が営む表現の広場だ。

市井の者でも貴族でも最低限のお金を払えば、あとはこの場で好きなことが出来る。


絵を描きたい人は絵を描くし、物を作りたい人は工具片手にトンカン音をあげる。

あちこちからまばらに聴こえるのは楽器の音色。

元気に踊る若者達もいた。


魔法の力で音は外に漏れないし、空間は実際よりも引き伸ばされ広いし、汚れは1日で綺麗に消える。

とても力の強い、そしてとても住民想いな魔法術士様が協力してくれているのだとご老人は教えてくれた。


「今日は雨の音が優しい日」


隅に腰掛けて、外の音に耳を澄ませる。

不思議なことに、中の音は外には漏れず外の音は中に漏れている。

風でこすれた葉の音、川のせせらぎ、そうした柔らかで温かな音ばかり届くのだ。

だから私はそんな毎日変化する音に合わせて歌を歌う。

大好きなあの方への、上手く隠せない想いをのせて。


『はじめまして、可愛いお嬢さん』

『は、はじめまして! ユースティ子爵家マリカと申します』

『ご丁寧にありがとう、レディ。素敵な声ですね、鈴のように心地よい』


柔く澄んだ声の、大人の男性だった。

私のみならず誰もが惹き付けられるような涼やかな容姿と綺麗な笑みが魅力的な、そんな男性。

例に漏れず私もその色香に惹き付けられた。


数代前の公爵夫人の末弟が興したユースティ家は、かろうじて貴族ではあるけれどその生活は少し裕福な平民達とあまり変わらない。

国に5家しか存在しない公爵家と薄く遠い血縁、ただただそれだけで貴族と呼ばれているだけの家だ。


遠縁と呼ぶことすら畏れ多い公爵家の御曹司様は、けれど私達にも変わらず丁寧に接して下さった。

貴族として、女性として、私を扱ってくれた初めての大人の男性……なのかもしれない。

御曹司様であるアイザック様は、聞けば私より10歳も上なのだと言う。


魔法の才に恵まれず自信が持てなかった私に“声が素敵だ”と褒めて下さった優しい方。

柔く澄んだ雰囲気に穏やかな口調、爽やかな外見の御曹司様に恋をするのは当然といえば当然の話だった。


恋した瞬間から叶わないと分かっていた恋だ。

いくら何でも身の程は知っている。

それでもこうして持て余した想いは次から次へと溢れて抱え込みきれない。


だから私はこの場所で歌う。

その日の耳に届く音に乗せて。

届くはずのない想いをありったけ詰め込んで。


「今日の歌は柔く優しい歌だね」


……声をかけられて驚いた。

ここは個々が表現したいものを表現する広場。

鑑賞目的の人もいないことはないけれど、私の歌を聴きにきた人は初めてだ。


視線を声に合わせれば、狐の面をした背の高い男性がいた。

真っ白な仮面に描かれた赤の模様が鮮やかで美しい。

お面のお陰でその男性の顔は見えないけれど。

ここは自由に想いを表現する場所。だからこうした仮面や黒ずくめの服装だってそう珍しくは無い。


「ありがとうございます。まさか聴いてくださる方がいらっしゃるとは。人に聴かせる歌ではなく申し訳ないですが」


照れて半笑いのように返せば、その男性もまたくすりと笑む。

御曹司様のように柔く澄んだ、綺麗な声だった。


「貴女の歌は優しいね、けれど時に切ない恋の歌だ。それほどに焦がれる相手が?」

「ふふ、内緒です」

「……羨ましいな、貴女にそれほど想われる男が」


男性が目の前に座り込んで大きく息を吐き出す。


「毎日、貴女の歌を聴いていたよ。綺麗な声でいつも優しい歌を歌うものだから」


そうして男性はポツポツと話し始めた。


「誰かを想う恋の歌だよね、どれも。俺は恋とかあまり信じてはいない性質(タチ)なんだけど、むしろ苦手な部類だし」


恋愛は専門外だよなんて言う彼はきっと、さぞや女性から人気があるだろう。

柔らかな話し口に親しみやすい雰囲気、すらりとした手足。顔が見えずとも、これ程揃った男性などそういない。


「しかし貴女の歌はとても心地好い、貴女に想われる男は幸せ者だな」


あまりに素直に褒めてくれるものだから、私は本格的に照れてしまった。

しばらく固まり、顔が熱くなったかと思えば、誤魔化すように咳き込む。とても貴族令嬢とは思えない狼狽ぶりだ。


「そ、そんなに褒めていただいても、何も出てきませんよ? ただただ不毛な想いを消化しているだけですし、そんな綺麗なものでは」

「不毛? どうして」


ついつい余計なことまで話してしまってグッと言葉に詰まった。

まさか言えはしない。

貴族の端くれでしかない自分が、国有数の大貴族の御曹司様に恋をしているだなんて。

あまりに身の程知らずな一方的過ぎる恋を諦めきれずにこうして未練がましく歌い続けている。

綺麗なものでも何でもない。口にするにはあまりに畏れ多く恥ずかしい。


「な、内緒……です」

「えー……」

「う、ごめんなさい」

「……泣き落としも駄目か。手強いな」


可愛らしく小首を傾げないで欲しい。

恋が専門外だなんて言っていたけれど、随分と女性に慣れていないだろうか?

耐性のない私では太刀打ちできる気がしない。


それでも私にも矜持はあるのだ。

矜持というよりは、意地なのかもしれないけれど。

不毛なことは分かっている。

話したことなど一度きり。

私が名前を出したってさぞや御曹司様も迷惑だろう。

何より叶わないと分かっているのに口に出す勇気が私には無かった。


「ねえ、お嬢さん。俺では駄目?」


唐突に目の前の男性が言う。

一体何が駄目なのか分からなく、私は首を傾げる。


「貴女の恋が不毛だというならば、俺と不毛ではない恋をしてみないか?」


そうしてそっと手を取られた。

騎士が姫に忠誠を誓うようなあまりに丁寧な所作。

身動きが取れない。


「い、一体何を」

「貴女の歌は心地好くて、ずっと聴いていたいと思ったのです。貴女の歌が好きだと」

「で、ですからそう褒めていただいても、私は」

「歌が好きになって、そのうち優しい声が好きになって、気付いたら貴女が好きになった。そう言えば貴女は信じてくれる?」


想定外の言葉に、思考が弾けた。

狐の仮面、向こう側から真っ直ぐな視線を感じる。

ごつごつと固いその手は熱くて力強く私の指を握る。

あまりに驚いてしまって固まっていた私は、しかし徐々に冷静さを取り戻した。


「ありがとう、ございます。これほど真摯に想いを伝えてくださったことは初めてで、その気持ちは嬉しく思います」

「その気持ち“は”かあ……」

「……ごめんなさい。私は同じ気持ちを貴方には返せません」


今日出会ったばかりの男性からの告白。

不思議な出で立ちをした、けれど恐らくはとても魅力的な男性。

彼からの唐突な告白を嘘だとは思わなかった。

その言葉は温かいもので、声はとても真摯だったから。

片想いを続ける私に告白してくれたその勇気は、私が持たない尊いもの。

どうやらこの人相手に隠し事も嘘もつけなさそうだ。


「身の程知らずな恋なのです。前にたった一度だけお会いしたその日に恋をした」

「……一目惚れ、ですか?」

「そう、なのでしょうか? 私は何もかもが鈍くさく社交性もそれほどには無くて、綺麗な所作も振る舞いも苦手です。その上、魔法にも恵まれず……けれど、そんな自信も何もない私をその方は褒めて下さった」

「褒めた……一体どのようなことを?」

「鈴のように心地よい素敵な声だと。初めてだったのです、そうして私だけが持つものを褒められたのは」


思い出せば、どうしたって嬉しい。

勝手に顔はほころび、日だまりのような温かさが胸に宿る。

初めての恋は、淡く穏やかな始まりだった。

今も穏やかさはそのままに、けれど積み上がって溢れている。

狐の面をした彼は、そうしてふやけた私に息をのむ。

驚いたような、そんな声にも思えて、私は笑った。


「まさか同じようにこの声を褒めて下さる方がいらっしゃるとは思いませんでした。本当に貴方からの言葉は嬉しかったのです」

「……悔しいな、俺が先に言えていれば変わっていたかもしれないのに」

「ふふ、確かに。貴方は私みたいな隅にいる者に気付き耳を傾けて下さる素敵な方です。貴方に先に出会っていたならば大好きになっていたかもしれません」

「うわー、殴ってやりたいねその男と今までの俺を」


拗ねた彼にふっと笑い声が漏れた。

人懐こい、そして温かで優しい男性だ。


「ありがとうございます。貴方にも幸せが訪れますように」

「ありがとう。貴女の不毛な恋が終わりますように」


手を握りあって、その日はそれきり。

いつもよりうんと特別な感じがする、そんな1日だった。

雨でぬかるむ道を用心深く歩き、迎えの馬車に乗る。

丁寧にお見送りまでしてくれたその人は、結局最後まで仮面を外すことなく手を振ってくれた。

距離の離れたところで彼が何かを言ったような気がする。首を傾げるも、彼は首を振って再び手を振った。


彼からのその言葉が耳に届いていたならば、やはり再び私は首を傾げていただろう。

後で聞いた話だけれど、その時彼は


「不毛な恋、終わらせてみせようじゃないか」


と、そう言っていたらしい。

そして本当に不毛な恋が終わるのは、その数日後のことだった。








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