第5部分 応急処置
第5部分 応急処置
実のところカナタはセイラを庇っていちいち表現できないほどの傷を負い、その場でほぼ即死したと思われる。狙撃事件以来あの防弾ベストを愛用していたカナタは、雷撃を受けたときもそのベストを着用していた。しかし防弾ベストで防げるのはせいぜい直径10mm程度の弾丸である。雷撃のさいに飛び交った大きな鉄片や重い金属の棒などにはほとんど効果はなかったのだ。
しかも… 今回受けたカナタの傷は、いかにサラドンが頑張ってもどうにもならないほど深く鋭かった。
さて、ちょっと残酷な描写になってしまうかもしれないがここはあとあとの展開から見て実は大切なところだ。
それ系の描写が苦手な方は次の★★★マークまで読み飛ばしていただきたい。
まずカナタの背面側には無数の擦過傷と金属片がガラスが刺さっていた。被雷した瞬間に船体の構造物が細かく引き裂かれ宙に飛ぶ。このとき直撃した金属とガラスの飛散物による傷は深かった。また上空に飛散した物と海水はやがて重力に引かれて落下し艦上や海面に降り注ぐのだ。
カナタの左足には鋭く重い鉄片が刺さり、動脈も含めてほとんど両断されていた。背骨は恐らく飛散した鉄の塊などが命中して2か所で折れていた。カナタは防弾ベストを着ていたので、細かい鉄片やガラス片の被害は背中に限っては僅少だったが、大きく重い物体の衝撃にカナタの背骨自体の強度が耐えきれなかったのである。しかしカナタの胴体そのものがクッションになって、セイラにとっての致命傷になることは避けることができたのだろう。まさに「身を挺して」守った甲斐があったということになる。
もっとも酷かったのは頭部である。頭部には鉄パイプと思われるものが貫通し、カナタの脳の一部を中に入れたままセイラの額の中にまで達していた。
左足、背骨の2か所、そして頭部の貫通傷のどれ1つをとっても充分致命傷になるもので、ススメでさえ一目見た瞬間に諦めるしかないほどの状態だった。
カナタに庇われたと言え、セイラの傷も酷かった。しかしカナタが庇ってくれなければセイラの命が奪われたことは間違いない。カナタの左足の下にあった右足にも深い傷がついていた。動脈に損傷がなかったことはただただ運が良かったとしか言いようがない。
なかでも最も重かったのはやはり頭部の鉄パイプの貫通傷である。セイラの美しい額の真ん中にカナタを貫通した短い鉄パイプがそのまま刺さり、二人を串刺しにしていた。素人が動かしたりどうのこうのできたりできる傷ではなかった。南極観測隊の医師でさえ、ましてや沈没寸前の船上ではもう放置以外の方法を思いつけなかったのだ。無論カナタの傷から溢れる血液とセイラの出血とで二人は血みどろだったが、傷から想像できる出血量から考えると、むしろ驚くほど少なかったと言えるだろう。これは間違いなくサラドンの功績である… それを知っているのは南戸家の者だけだった。
ふたりとも観測隊の医者によるとりあえずのトリアージュでは「黒」、つまり実質死亡のマークが付けられ、死者としての扱いを受けていた。セイラの傷の意外な「浅さ」は外見からわかるものではなかったのだ。あとでわかったことだが、セイラに刺さっていた鉄パイプの深さは約22mmである。あと20mm深かったら、セイラもその場で亡骸になっていたに違いない。これはカナタの身を擲った「愛」の、あまりに哀しい成果だった。もしセイラまでも命を落としていたならば、それこそカナタの想いは浮かばれまい。
二人共死んだと思われたまま、そして1つの鉄パイプで串刺しに繋がれたまま、彼らはしばらく船上に放置されていた。大破した《しれとこ》はちょうど雲間に入って暑すぎず寒すぎず、二人は好きな相手と人目はばかることなく抱き合える至福のひとときを過ごして… そして別離前の名残りを惜しんでいるかのようだった。
約2時間後、《しれとこ》がなんとか沈没を免れる目途が立ち、曳航船と救援隊が到着するやいなや乗り込んできた。
「おお、下にいる娘は生きているぞ… 虫の息だが…」
オーストラリアの軍医がセイラが死んではいないことに気付き、ようやく臨時の医療活動が始まった。
「どうだ、上はやはり無理だろうな」
「ああ、残念だがな… 見てのとおりだ」
「さすがにこれじゃあな… 若いのに可哀想に… なぁ、でも」
「なんだ?」
「でもなんか… 苦しんでる感じじゃなくてさ、シアワセそうな顔に見えるんだがな」
「そういえば… そうだな。 恋人だったのかもな」
「ああ… せめて来世を祈ってやろうぜ」
「ああ全くだ… GOD bless you !!」
「GOD bless you… よく頑張ったな、少年。あとは任せろ、引き受けたぞ」
動かすことがあまりに危険であったため、カナタが被さったままの状態でセイラには点滴の処置だけが施された。やがて陸上の本格的な病院で鉄パイプの除去手術が行われたのである。
このときセイラの脳とカナタの脳の一部が早くも癒着を起こしていた。あとで病院で処置を受ける際、医師もはじめは切除しようとしたが、あまりにも危険でもあり、すでに正体不明のゼリー状のものに厚く覆われていたこともあって放置されたのである。他にも死人怪我人が多数居る中で、医師は当面の応急的な処置として傷口を縫う術式を選択した。脳の容積は増えたはずだが、失った髄液とたまたま釣りあって都合も悪くなかったせいもあるだろう。無論、癒着させていたのは単なる自然の経過ではなく、サラドン懸命の働きであることは言うまでもない。
だから今もセイラの額の縫い目の下の頭蓋骨には大きな穴が開いているが、とりあえず生活上の支障は特にないはずだった。
★★★
つまり
「セイラの額に穴が開き、脳にカナタの脳の一部が入ったまま、サラドンの働きで融合している」
いうことだ。
セイラの身体の免疫細胞がカナタの脳細胞を何の拒絶反応もなく受け入れたのは「不思議」としか言いようがない。免疫抑制剤を投与することもなく、傷の割に出血が異様に少なかったことも含めて
「why?」
と医師が不思議がったが、南戸一家にはさほどとも思えなかった。
「やっぱ愛とサラドンがあるからでしょ」
「ねぇ」
「うん」
「だな…」
サラドンを公表していない以上、無論これはナイショの話である。