第24部分 コーラ
第24部分 コーラ
ふと目が覚めたミナミ。
隣ではセイラがなにやら苦悶の表情を浮かべてうなされているようだ。
「あら、悪い夢でも見ているのかしら…」
そう思いながら、お腹までずり落ちた掛布をそっと引き上げて肩まで掛け直した。
「あっ、だめだめ、…ぉくばりは…」
ついにはうわ言混じりになってきた。
しかしミナミはそれに答えることはなかった。
ばぁばはいつも言っていたものだ。
「寝言に返事しちゃいけないよ。寝言ってのはね、すぐ傍の霊とかと会話してるんだから。それを邪魔すると怒った霊が魂を連れ去ってしまうかもしれないよ」
「え、ほんと? ほんとならこわいよ」
「それにね、寝ているヒトの寿命が縮むっていう言い伝えもあってね」
「まさかでしょ?」
「そう、まさかなんだけどね、そのまさかがホントだったらどうする」
「まあ、レム睡眠の邪魔をすることはたしかだね」
科学者の卵になったミナミがあるとき切り返してみたことがある。
「ああ、REM睡眠てのは、あの目玉がグリグリ動いとるときのことだろ? 科学者は何と言ってるかは知らないけどあれはね、飛び回る魂や霊や神様を追っかけ見をしてるからなんだよ。言い伝えってものも、なにか経験的な根拠があったりするものだからね、そりゃ違うって頭から決めつけてバカにしちゃいけないよ」
科学者として素直に「なるほど」と思えないミナミだったが、そういえば…と思い返した。
「そうか、これが予知夢を見てるときかも知れないな」
だとしたら、これはそっと観察しておいた方が良い。
ただの夢でも予知夢でも、データは1つでも多い方が良いからだ。
そっと見守ろう、と決心した瞬間、大変なことになった。
「あ、あ、うわーっ」
セイラが顔を手で覆い、のけぞりながら絶叫したのである。
あわてて口を手で塞ごうとしてみたものの、すでに遅い。間違いなく飛行機中に響き渡ったことだろう。近くの数十人が呆気にとられた様子で立ち上ってこちらを見ている。
セイラの眼は溢れる涙の滴を幾筋も垂らしつつうつろに開いている。
これはもう仕方がない。ミナミもその場で立ち上がり、まるで表彰式のときのように四方に深々と礼をしてから皆に詫びた。
「あ、あの… まことに、お騒がせして申し訳ございません。ちょっと怖い夢を見たようでお騒がせしました。もう大丈夫です、なんともありません… スミマセンでした」
そういうと、もう一度深々と礼をして着席した。
なぜだかわからないが、数人が拍手をしてくれた。
それに釣られて皆が拍手してくれた。
そのおかげで気持ちがぐっと軽くなったのが不思議だった。
もう一度立ち上げって礼をしたが、なんかミナミも泣けてきてしまった。
タイミング良くコーラを持ってきてくれたキャビンアテンダントの男性に思い遣りを感じた。
こうした専用機のクルーは、全員が自衛隊、しかも選り抜きの精鋭隊員である。
セイラと一口ずつコーラを飲んでやっと落ち着くことができたミナミ。
まだ顔色が悪いセイラが状況を悟って囁いた。
「ママ、ごめんなさ…」
「いいのいいの、気にしない」
押し被せるように言葉を重ねた。
「それよりさ、ねぇ、見たんじゃないの」
「う、うん」
「やっぱり? 悪い方ね」
「うん、最悪の…」
一寸沈黙の間があった。
「ねぇ、あと何時間?」
「羽田まで? もう4時間ほど飛んでるよね、あと2~3時間くらいかな」
「死ぬよ」
不意にセイラが小さく、しかし確かな声で呟いた。
「死ぬ? だれが?」
当たりを見回したセイラが真剣そのものの表情で答える。
「みんな」
「みんなって?」
「ここに乗ってるヒト、あと東京の人」
「待って、それって大変なことじゃ…」
「そうよ、だから叫んじゃったの、ごめんね」
「いや、ごめんより前にさ…」
「だってどうしたらいいの? あたしわかんないよ。それにもうじき死ぬんだよもう、そしたらなんだってどうだっていいじゃん、せっかくカナタが守って助けて生かしてくれたのにリハビリも頑張ったのになのにもう死ななくちゃいけないの、なんで?」
泣きそうな小さい声ながらマシンガントークが続く
「セイラ、まず落ち着こう、もう一口コーラを飲んで、ね。いまから未来を変えるのよ」
「そんな、だって変わんないよ」
「いい? 変えるのよ、わたしたちで。変えなきゃいけないの。私たちのために、ついでに、みんなのために。なに、簡単な実験だよ、セイラの第三の眼の、ね」
「第三の、眼…か。でもさ、簡単なんかじゃないよ、そんな気軽に言わないで!」
「ははあ、あんた意外とおバカさんだね」
「どうせバカだよ、ママに似たんだもん」
「そうそう、ママもバカだから、セイラはママのせいにすればいいの。ママはセイラをどこまでも護る。ママはパパに護ってもらうから大丈夫。さっきの副大臣も言ってたでしょ、考えるのは我々の仕事だから任せろって、さ」
「う、うん、それはそうだけど…」
「それにね、大事なことよ」
ミナミはわざと少しの間を開けた。
「なにが?」
「なにってさ、時間は貴重だってことよ。こうしている間にも貴重な時間が…」
「あ、そうか、泣いてる暇があったら考えろってこと」
「さすが、セイラ」
ここは煽てなくてはいけないところだ。
「でもさっきはおバカさんって」
「それはあと、時間は貴重だよ。まずどんな夢、いや予知だったか話してみて」
「うん、あのね、でも信じてくれるかな?」
「セイラ…」
「そうだね、わかった」
セイラの話は某国の大使館から3台の車両が出る場面から始まり、焦る割にはなかなか進まずにいらつくセイラをなだめながら聞き取ったため、聞き取り完了までにおよそ20分を要した。
例えば一度でも良い、自分の見た夢をなるべく映像化して語ってみれば、これがいかに難事であるかがわかるだろう… ここでのロスタイムは痛いが、しかし必要な時間でもある。これは致し方ないことだ。
ここではそれをまとめて、改めて席までおいでいただいた副大臣にミナミが事情をそっと告げたときの概要を時系列順に並べて書いておこう。
①在豪某国大使館ぽいところからどこかの工作員ぽい人あてに「セイラたちが政府専用機に乗った」との連絡
②事務局からBCA(国家機密保安局?)に連絡?
③不明確
④不明確。しかし⑤⑥から見て、在日ボウカン国大使館?から工作員数人に政府専用機撃墜の指令が出たらしいと推測
⑤3台のSUV車両と思しきものが海の方、この飛行機の着陸先だとすると東京湾方面にむかっている。
⑥⑤車両は手持ち式地対空ミサイルのようなものを積載しているらしい。スティンガーとよく似ている気がする、とセイラが言っている。
セイラは南極行きの最中にかなり詳しく武器のことを勉強したため、それがスティンガー(毒針)ミサイルではないかと思ったという。
なぜ西側諸国の武器が流失しているのかはわからないですが… とミナミが付け加えた。
すると副大臣が静かに、しかしかなりの早口でミナミに要点を確認した。
そして少し考えてから小声で言った。
「つまり… この政府専用機が撃墜の危機にある、ということですね」
「セイラはそう感じたそうです。さすがに政府専用機でしょ、それはありえないと思うけど、でも「しれとこ」の件もありますし、さっきの空港のこともあってかなり神経質になってます。私はセイラを信じるけど、考えるのは副大臣です」
「なるほど、そのとおりです。問題は… いやそれより前に事実確認をすべきですね」
「ええ」
「ちょっと待ってください、直通電話で連絡します。こりゃ、公安の案件かな…」
副大臣はすこし離れた場所に移動して携帯電話を掛け始めた
ミナミは右隣りにいるセイラに声を掛けた。
「さあ、もうあとは任せてさ… ねぇ、ちょっとアイス食べたくない」
「あ、食べたい。けどいいのかなぁ」
「いいのよ。この案件はアタシたちの手を離れたの。だからちょっと休憩」
そう言いながらミナミは左手を遠慮気味に、でも高々と挙げた。先ほどの優しいCAが早速飛んできてくれたのを見て、小さめの声で遠慮気味に
「あの、忙しいところ申し訳ないですけど、アイスクリームってあったらいただいても良いですか? あの、代金は払いますので…」
実はこういう専用機のCAは自衛隊からの出向のような形が取られていることをミナミは知っていた。
「イエッサー、何種類かお持ちしますのお選びください。代金は副大臣持ちです」
と、片目をつぶって見せたところをみると、さすがに副大臣持ちは冗談なのだろう。
思いがけず無料で手に入ったパイナップルアイスを味わいながら、なおも二人の静かな会話が続く。
「ねぇ、そんなさ、政府専用機を撃墜したりするかなぁ… アタシの夢か予言か… アタシだってちょっと信じられないよ」
「これ、美味しい… そうね、バレたら日本と戦争になったっておかしくない。さすがに遺憾砲だけじゃ済まされないでしょ」
「もしかしたらアメリカだって、あ、あ、わかった。だからか!」
「でもさ、あ、あっ、そうか!」
「そうよ、だから危ないの」
「そうね、考えてもみなかった。そのとおり、日本国内だから危ないのよ。あ、アイスも危ないよ… 垂れて落ちそうなかんじ」
「うふ… ママすごいね、落ち着いてるね」
「クリーニング代もただじゃないからね、つい… アイスはもう舐めちゃいなさい、さりげなく」
「うん、融けても美味しい… ママは大物だね」
「大物? なにが?」
「大物よ。服のクリーニングと国家の大事件を同時進行で考えてるなんて」
「なにバカなこと言い出すの? だいたいセイラがアイスが垂れてるのに気付かないからでしょ? ほらもう一筋落ちて来たわよ、さっさと舐める!」
「うっ… アイ スィ(I see)、わかりましたよ」
「ふふふ、英語で来たわね。それだけ余裕があればいいわ、セイラ。ついでに臨時で英会話講座やってあげるわ」
「ママできるの?」
「ちょっとならね。アイスクリームって言ってみて」
「アイスクリーム」
「うん、普通そうだよね。日本人だとたいてい「リ」のところにアクセントが来るわ。でも正しい発音は「ア」にアクセントがくるの、こんなふうに。「ア」イスクリーム」
「でもさ、アクセントなんてどうでも良くない? だって分かれば良いんでしょ?」
「たしかにそうなんだけどね、でも違う意味になっちゃったら困るでしょ」
「そんな… ならないでしょ」
「それが… なるんだなぁ。日本語風にアイスクリームって発音するとね、外国人には アイ スクリーム(I scream)って聞こえちゃうんだよ 」
「スクリームって?」
「叫ぶって意味よ」
「アイ スクリーム(私は叫ぶ)って… あ、やだ、さっきのわたしそのものじゃん」
「ママね、あの金切声を聞いてアイスを食べたくちゃったのよ、白状すると」
「呆れた… 娘があんなに怖い思いしてたのに… やっぱり大物だわ、ママは…」
「おかげでとびきり美味しい国賓級のアイスを御馳走になれたし、もう思い残すことはないわ」
「ダメよ。もっともっと美味しいもの食べたいからさ、まだまだ長生きしてもらうからね」
「そう思ったらしっかり予言当てなさい。ママは今夜のメニューを考えなくっちゃ」
「それあしたのメニューにしてよ。今夜はみんなで焼き肉食べに行きましょ」
「あ、いいね、それ採用! 羽田に着いたらばぁばに電話しようね」
「うん!」
あれ、静かになったな… ミナミが横を見ると、セイラはすでに眠っていた。前のシートの背もたれに挟んであった毛布を取り出てそっとセイラの肩に掛け、自分にも掛けた。
他にやるべきことを思いつけなかった。




